角田光代の六編の連作からなる『空中庭園』は、「ラブリー・ホーム」という、十六歳を前にした女子高生「あたし」=マナの語りと視点に基づく作品から始まっている。「あたし」はクラスメートの「森崎くん」とラブホテル野猿に制服姿のままできているのだ。それは「あたし」がそこで「仕込まれた子ども」であるとママから聞かされ、「自分が形成された場所というものを見てみたい」と思ったからだ。なぜママがそれを教えてくれたかというと、「何ごともつつみかくさず、タブーをつくらず、できるだけすべてのことを分かち合おう、というモットーのもとにあたしたちは家族をいとなんでいる」ことによっている。
野猿はインター付近に林立するラブホテルの一軒で、ひとりではいけないから「森崎くん」を誘ったのである。だが入ってみると予想と異なり、「その空間が、ひどくまっとうな部屋」で、清潔で健康的な雰囲気に包まれ、ベッドの他にテレビ、ソファ、マチスの絵、ガラス張りの風呂があり、ここで生活することも可能だと、「あたしはある衝撃をもって思った」のだ。よく見れば部屋としては珍妙だったが、「あたしたちの家―ダンチの五階角部屋の清潔で、あたたかく、不自由のないあの家を、ひょっとしたらママはここをお手本につくったのではないか」と考えたからだ。ちょうどここで「あたし」が「仕込まれた」場所であるように。
ママとパパが「野猿」というひどいネーミングのホテルを選んだ理由は、ホテルサンフランシスコもバンパイアもフローラもマリアージュもグランブルーも、どこも満室だったためだ。「あたし」と「森崎くん」も「小学校の学芸会」のようなセックスの真似事をしたが、成就には至らず、カラオケを歌い、それから帰った。
「あたし」が住んでいるのは「書き割りみたい」な「集合住宅」で、次のように説明されている。
今年で築十七年、もうすぐ十六年になるあたしよりひとつ年上の巨大マンションは、「ダンチ」と呼ばれている。ダンチはA棟からE棟まであって、敷地内には、しょぼいけれど商店も公園もある。パパとママは、あたしの存在を知ってすぐに結婚し、どちらか忘れたけれどどちらかの親の援助でこのダンチの一部屋を購入し、即新婚生活をはじめた。
朝の空気のなかで、ダンチはのっぺりしていて、外壁がずいぶん汚れている。巨大なのに、どことなくみすぼらしい。このダンチの十七年の疲れと汚れは、あたしのなかにも蓄積されているものということになる。
(文春文庫)
その記述と『空中庭園』の発表年代から逆算すれば、この分譲と考えていい「ダンチ」は一九八〇年代前半に開発、建設され、「あたし」の成長とともに経年変化し、現在に至ったのである。それが郊外に位置していることは、周囲が田畑だとの説明、及び「森崎くんち」が農家という事実からわかる。そして彼の広い庭のある古い一軒家にあって「あたし」の「ホーム」にないものは、「日向と日陰と、埃と醤油のしみと、テリトリーと無関心」だとされる。これはこの地域における混住を物語ると同時に、近代と現代の家族のあり方のコントラストを浮かび上がらせ、「野猿」というホテルのネーミングの由来をほのめかせているともいえる。
それでいて、「森崎くん」と「あたし」を取り囲んでいるのは郊外消費社会に他ならず、ロードサイドにはファミレスやコンビニや飲食店が軒を連ね、ママも全国チェーンのうどん屋のパートに出ている。それらの他にも「典型的郊外型ショッピング・モール」があるのだ。しかも林立するラブホテルの向こう側に。その名称はディスカバリー・センターで、スーパー・マーケット、ファッションビル、レッドロブスターや牛角などのレストラン、ディスカウント系日用雑貨店、カー用品店、美容院や本屋、カラオケボックスが入っている。オープンしたのは「あたし」が九歳、弟のコウが七歳の春だった。
開店の日、ほかの家族たちと同様に、あたしたちも四人でそこへ向かった。(中略)人に揉まれながら特売のティッシュやコーヒー豆を買い、行列にくわわって格安イタリアンレストランで食事をし、体力倍増合宿を終えたような疲労とともに、しかし不思議なほど満ち足りた気分で帰宅した。
ディスカバリー・センターの出現は、ダンチに住むおびただしい家族と、この町に住む多くの人間を救ったと、あたしは信じている。便利になったことはもちろんだが、もっと精神的な意味合いにおいて、だ。ディスカバリー・センターがもし存在していなかったら、この町、とくにダンチではもっと事件事故率が高かったと思う。自殺、離婚、家庭内暴力、殺人、等々が、ひっきりなしに起きていたかもしれない。
毎週末、ほとんどの家族はディスカバリー・センターにいく。(中略)中高生の半分は放課後ディスカバリー・センターにいくことを日課にしている。(中略)
ディスカバリー・センターは、この町のトウキョウであり、この町のディズニーランドであり、この町の飛行場であり外国であり、更生施設であり職業安定所である。
これは「あたし」の郊外ショッピングセンター論で、それがオープンする以前の生活や行動をうまく思い出せないほどだ。だが「森崎くん」はこれで救われたのではなく、逆に閉じこめられてしまったのではないかと考え、爆弾をつくりたくなるとの意見をもらしている。二人の異なる見解は女と男というよりも、郊外消費社会の典型的ショッピングセンターへと向けられた「ダンチ」住民と、農家の差異を表出させていよう。それに思わず連想してしまったのは「森崎くん」の口癖の「あー、逃げてえ」で、これは浅田彰と『逃走論』(ちくま文庫)のパロディのように聞こえる。しかしそれは『空中庭園』の主たるテーマではないので、ここで止めることにしよう。
さて長い「ラブリー・ホーム」の前半の物語と舞台背景の説明になってしまったけれど、その後半において、「あたし」は十六回目の誕生日に学校をさぼり、近頃挙動が不審なママのあとをつけようとする。ママはディスカバリー・センターへ向かい、ヒステリック・グラマーで何か買い、花屋でブーケをつくってもらい、イタリアントマトに入る。「あたし」がメインモールの通路の円柱に隠れ、見張っていると、パート先の辞めることになっている女の子がやってきて、ママはその別れの記念品としてブーケとヒスグラの包みを渡していた。「あたし」の想像していた浮気相手の「マッチョな男」ではなかったのだ。その後ママはグランマルシェでケーキを買った。それは「あたし」のリクエストした誕生日のためのケーキであることは明らかで、ママはその箱を大事そうに抱え、バスに乗ったのである。
その一方で、「あたし」はチワワに似た男に声をかけられ、マクドナルドに入り、「今日あたしの誕生日なの」と告げると、男は「何かほしいもの、あ、あるの」と聞く。「ほしいものはないけどいきたいところならある」と「あたし」は答え、ホテル野猿へと向かったのである。「ここがあたしの、在るとないとの境界線」で、「ここで在ることを決定づけられ、そして今日、十六歳になる」のだ。だが「森崎くん」と同様にチワワ男もインポだった。「ダンチ」ではママが「あたし」のための誕生パーティの準備に取りかかっている頃で、パーティにパパや弟のいる光景が「異国のおとぎ話みたいに」思い浮かんでくる。窓を開けると、「ダンチ」の風呂場から見える景色とよく似た風景、「枯れた色の田んぼ」と「窓と地面のあいだに線路がある」。そこには電車が走り、見慣れた景色があるだけだった。
これらが「あたし」の家庭と社会をめぐる環境とインフラということになり、それは「ラブリー・ホーム」のみならず、『空中庭園』の物語世界の背景とベースになっている。それらを簡略に記しておこう。「チョロQ」はパパ=貴史が語るママ=絵里子の妊娠、大学を中退しての結婚、それはマナに聞かせた話とは異なるものだったし、またパパの愛人ミーナが息子のコウの家庭教師として乗りこんでくる。「空中庭園」は絵里子が語る結婚と生活、母親との関係。「キルト」は絵里子の母親が語る戦後の個人史と家庭史。「鍵つきドア」は貴史の愛人ミーナが語るコウの家庭教師になるまでの経緯と彼女の個人史。「光の、闇の」は中三のコウの語る、ひとつ年上のミソノとの関係と祖母の病院生活がそれぞれに描かれていく。
つまり『空中庭園』は八〇年代を起源とする結婚と家庭生活、夫婦と子供たち、それらをめぐる肉親や愛人を含んだ人間関係が、それぞれ六人の視点から語られ、ミーナの言葉を借りれば、「なんなのこいつらは。全員珍妙で、へんで、おかしなくせに、なんでこうして集まるとふつうの顔をするの、これがごくごくふつうの日常で、ぼくらはごくごくふつうの家族ですって顔を」見せつけているのである。
しかしそれは家族内部だけに起因するものなのであろうか。『空中庭園』の家族たちが八〇年代を起源としているように、その居住空間である「ダンチ」、その社会インフラとしてのコンビニ、ロードサイドビジネス群、ラブホテル、郊外ショッピングセンターなども、八〇年代から九〇年代にかけて出現したと判断していい。したがって『空中庭園』は、そのような社会環境とインフラの中で生活せざるをえなくなった現代家族の物語として読むことができるし、おそらく角田光代はそれをきわめてまっとうに描いているのである。
それにつけても否応なく想起されてしまうのは、八〇年代に出現したロードサイドビジネスによる郊外消費社会の成立、それによって急速に衰退していく町の商店街という社会環境と生活インフラの変容が、家族の物語に及ぼす影響である。その例をひとつだけ挙げてみる。島尾敏雄の『死の棘』(新潮文庫)はいうまでもなく、夫の愛人と情事の発覚から狂気に陥った妻との凄絶な生活を描いているのだが、その中にあって商店街が慰安の場所として現れる。それは五〇年代半ばの江戸川区小岩町の商店街である。
そこには道の両側にすきまなくそれぞれの店舗が並び、(中略)米屋に、八百屋に魚屋、それに、果物屋、お菓子屋、理髪屋、そば屋、すし屋、大衆食堂、みそ屋、肉屋、本屋、葬儀屋、一ぱい飲み屋、時計屋、仕立屋、日用雑貨店、金物屋、荒物屋、洋品店、靴下屋などいずれもみな店舗は小さくふだん着の主婦か勤め帰りのサラリーマンがあわただしく用を足して行くような通りだ。
このにぎやかで明るく人通りの多い商店街にいると、夫はそこに失われてしまった平穏な日常生活に対する「なつかしさ」と「孤独であることのたのしさ」を感じるし、また妻も正気に戻り、「家のなかではもう見られなくなった屈託のない明るい表情」を示すのだった。『死の棘』の中にあって、狂気という非日常のかたわらに、確固として存在している商店街が、慰安の場所になっていたのである。
マナもディスカバリー・センターの出現が精神的な意味において、「ダンチ」に住む多くの家族と町の住民を救ったと述べているが、郊外ショッピングセンターと町の商店街は、歴史と生活の意味からして、まったく別のものだと指摘しておくべきだろう。