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古本夜話437 『女人芸術』と日本文林社『長谷川時雨全集』

 かつて「夫婦で出版を」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収、編書房)という一文を書き、三上於菟吉の妻の長谷川時雨も出版者だった事実にふれたことがあった。その拙稿は、高見順の『昭和文学盛衰史』(文春文庫)における「長谷川時雨は、文学史にはさしたる存在たり得なかったとはいえ、過渡期の女性のひとつの典型」とか、「三上於菟吉は、放蕩三昧のなかで逞しく通俗小説を書き飛ばして稼いだ」といった昭和文学史の共通の理解に対して、二人がともに出版者であった事実を対置させ、文学史からは見えてこなかった出版史における重要な軌跡に言及したものであった。

文庫、新書の海を泳ぐ昭和文学盛衰史

 ただ現在では大半の著作が絶版だと思われる三上に比べ、長谷川は『旧聞日本橋』や、『新編近代美人伝』は岩波文庫に収録され、前者は明治の東京の街並、鎖国時代の江戸の風景をきめこまやかに伝える回想、後者は美人伝と銘打たれているが、出色の近代女性伝として、再評価されている。また彼女が主宰した『女人芸術』も不二出版から復刻され、長谷川仁、紅野敏郎編『長谷川時雨―人と生涯』や尾形明子『女人芸術の世界』(いずれもドメス出版)などの刊行を受け、岩橋邦枝の『評伝長谷川時雨』(筑摩書房)の出現も見るに至っている。だから長谷川の場合、三上よりも著作や研究や評価に関して、恵まれた状況にあるといっても過言ではないだろう。ここではその長谷川の出版者としての軌跡をたどってみよう。

 旧聞日本橋新編近代美人伝女人芸術の世界評伝長谷川時雨

 長谷川の主宰した『女人芸術』は三上の出版活動と重なり、始まっている。彼女は大正十二年に同人誌『女人芸術』を、前年に三上が直木三十五と立ち上げた出版社の元泉社から刊行するが、これは長谷川が「減銭社」と苦笑して言ったように、赤字がかさんだことと関東大震災によって、つぶれてしまい、二号で終わりになる。

 『女人芸術』が復刊されたのは昭和三年になってのことで、それは三上が円本時代を体験し、高収入を得る流行作家へと変貌したことによっている。そのきっかけについて、岩橋は『評伝長谷川時雨』の中で次のように書いている。

 そこで「ダイヤの指輪でも買ってあげようか」と於菟吉が言ったのへ、時雨は首を振り、その二万円は女のための雑誌をつくる資金として出して下さいと頼んだ。「女人芸術」誕生の有名なエピソードである。於菟吉は、その後も月刊誌「女人芸術」の費用の全額を、廃刊まで四年間毎月ひきうけて、「ダイヤの指輪よりもよっぽど高くついている」とゴシップ種になった。

 長谷川は明治四十四年創刊の『青鞜』の賛助員に名を連ね、寄稿もしていたから、やはりこのような「女のための雑誌」構想は『青鞜』を意識してのことだったであろう。かくして元泉社の同人誌とは異なる女だけの文芸雑誌『女人芸術』は、長谷川と三上の自宅を編集室として始まっていく。そして林芙美子を始めとする多くの女性作家や評論家たちを送り出すことになる。本連載391392で続けてふれた野溝七生子や中本たか子も同様であり、それらは前述の研究や評伝に詳しいので省略するが、ひとつだけふれておけば、林のベストセラーとなった『放浪記』は、三上が林の持ちこみ原稿「歌日記」を読み、「放浪記」と改題させ、『女人芸術』に連載の運びとなったという。

 さてそれはともかく、すでに記しておいたように、長谷川の随筆集『草魚』や『近代美人伝』も三上の設立したサイレン社から刊行されていて、この編集担当者が岡本経一であったのだ。岡本は『私のあとがき帖』の中で、時雨にふれている。ちなみにこの長谷川の二著の装丁は三上於菟吉と岡田三郎助である。

私のあとがき帖

 校正が三校になっても、まだ文章に手入れをするほど念入りで、装幀も一流画家に頼むので、なかなか思うように運ばず、よく叱られた。いつも洗い髪のように頭に油っ気がなく、磨かれた顔に白粉っ気がなかった。和服をゆったりと来て而もくずれず、なるほどこれが明治の女かと、年若い私にはまぶしい存在であった。

 それから三十五、六年後に、岡本は時雨の『旧聞日本橋』(岡倉書房、昭和十年)に自伝「渡りきらぬ橋」など三編を追加した新版を青蛙房から刊行する。これは『女人芸術』掲載のもので、千部限定の岡倉書房版が出された時、岡本綺堂が新聞書評を寄せ、推奨したところ、時雨がとても喜び、菓子折をさげ、挨拶に見えたことも岡本経一は記し、新版の刊行と合わせ、「時雨さん、また御縁がありました」と述べている。

 私はサイレン社版『近代美人伝』を見ていないが、死後の昭和十七年に三上於菟吉を版権者として刊行された、『長谷川時雨全集』第三巻にあたる『近代美人伝』だけは持っている。鏑木清方が担当した箱はないが、上村松園の自らの絵を使った装丁は、戦時下とは思えないほど女性の絵柄と色彩も鮮やかで、いかにも内容にふさわしく、用紙が粗末であるだけに、まさに対照的な印象を与える。

この全集について、岩橋が「肝腎な内容であるが、これがきわめて杜撰で、刊行までの期間がみじかかったことや、時局柄何かと不本意がつき纏ったにちがいない事情を考慮に入れるとしても読者には残念な全集である」と書いているように、この『近代美人伝』にしても、サイレン社版全体の三分一しか収録しておらず、また『旧聞日本橋』も入っていないのである。ただこの全集を刊行した日本文林社と発行者の上山陸造についても、まったく手がかりはつかめないが、岩橋がいうように「時局柄」の全集であることが強く作用していたと推測される。

 しかしあらためて思うに、現在における評価は別にしても、戦前にともに作家として「夫婦で出版を」試み、そしてこれも戦前に二人揃って全集を刊行しているのは、三上於菟吉と長谷川時雨だけのように思われる。そのことだけでも、二人は近代出版史に特筆すべき存在ではないだろうか。
(不二出版復刻)

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