前回、集英社の『新日本文学全集』にふれたが、この全集も昭和四十年代にどこの古本屋でもその端本が売られていたものだった。しかし最近はほとんど見かけないけれど、この全集でしか読むことができない作品もかなりあるはずだ。『平野謙全集』(新潮社)の第十三巻に、この全集を企画した編集者についての一文があることを発見し、いくつかの疑問が解けたように思われたので、それを書いてみたい。
昭和三十七年に刊行され始めた、この『新日本文学全集』全三十八巻は銀色の箱入で、「新日本文学」と銘打っていることもあり、松本清張や柴田錬三郎に第三の新人たちを加えた異色の文学全集の印象を与え、それは雑誌出版社のイメージが強かった集英社にふさわしい感じがあった。編集委員は平野の他に荒正人、江藤淳、瀬沼茂樹、十返肇で、さらに目立ったのは十返が松本や柴田などの八冊の解説を担当していることだった。それもあって、このような全集企画は十返が深く関与しているのではないかと推測された。
平成九年になって初めての社史『集英社70年の歴史』が刊行されたので一読してみると、高度成長期に入り、出版社はこぞって大型全集を競い、集英社も「戦後作家五五人を網羅した初の文学全集『新日本文学全集』(全三八巻)を発行」とあった。「『明星』の会社」から総合出版社へ向かう企画で、次のように記されていた。
(『集英社70年の歴史』)
『新日本文学全集』は戦後にデビューした作家に限って作品を収録したから、それ以前から活躍していた作家たちのこの時期の作品が入らないために、読者の目にはいくぶん偏った印象をあたえていたきらいがあった。にもかかわず、この年三月には集英社主催の「文壇ゴルフ会」も始められたことともども文壇との距離をせばめた点で、集英社にとって画期的な企画であったと言える。
つまり『新日本文学全集』をきっかけにして、文芸誌『すばる』や『小説すばる』創刊に至る集英社の布石が打たれていたことになる。
さて前置きが長くなってしまったが、平野の一文は「一編輯者の死」と題するもので、昭和四十六年に亡くなった人物への追悼文である。それを引いてみる。
彼の名前は横川亮一、私とは昭和一七・八年ころからの知り合いである。いまふうに編集者と書くより、むかしふうに編輯者と書いた方がピッタリするむかし気質の編輯者だった。(中略)当時、万里閣という出版社に勤めていたはずである。(中略)戦後はじめて彼が私の前にあらわれたときは《新小説》編集長という肩書だった。
以前に「日置昌一の『話の大事典』と万里閣」(『古本探究3』所収)を書いているが、万里閣は昭和初期に小竹即一によって創業され、円本時代には『大支那大系』や白井喬二編『国史挿話全集』などを出版している。小川は野依秀市の実業之世界社出身だと考えられる。平野の記憶によれば、その頃万里閣からシュニッツラーの小説が出版され、横川からその本をもらったという。それは昭和十五年刊行の『夢と愛の小説』(植村敏夫訳)だったのではないだろうか。万里閣は戦後まで続いたが、先の日置の『話の大事典』がつまずいて倒産してしまったと伝えられている。そうした出版社の例にもれず、万里閣も全出版目録が残されていないので、その詳細は定かではない。
また『新小説』といえば、明治大正の近代文学史において著名な春陽堂の文芸雑誌であるが、横川が編集長を務めていた『新小説』は昭和二十一年に復刊され、二十五年まで出された戦後のものをさしている。福島鑄郎の『雑誌で見る戦後史』(大月書店)所収の『新小説』創刊号表紙に添えられた主な執筆者が石川達三や久保田万太郎と記されていることから考えると、やはり多くの創刊を見た戦後的な文芸雑誌のひとつだったと推測できる。
したがって横川は敗戦を挟んで、万里閣から春陽堂へ移り、その後は失業の期間も長かったようだ。平野は彼と神田で何度が出会ったことも書いている。「失業中でずいぶん困ってるんじゃないかと推察されるときもあったが、なかなかのみえっぱりで、決して弱音をはかなかった」。そして『新日本文学全集』を企画し、集英社に籍を置くことになった。つまり集英社は文学全集の編集者がいなかったために、持ちこみ企画を採用したのである。もう一度、平野の証言を引いてみる。
この全集の企画は彼の立案したもので、彼はこの企画を手土産に、新しく集英社の嘱託になった模様である。その直前に、神田でたまたま出逢ったとき、今度これこれの全集を集英社にやらせることにしたから、なにぶんよろしくというようなことだった。
平野は横川が「めずらしく昂揚して」いたとも書いている。横川の「集英社にやらせることにした」との言はベテラン文芸編集者の自負として往時をしのばせるが、この時代の集英社が「『明星』の会社」でしかなかった事実を浮かび上がらせている。友達づきあいにできる「古い編輯者気質の義理固さ」を持ち、「報われぬ編集者稼業」に長年従事してきた横川を平野は追悼しながら、そのような編集者が次第に現役を退いていく時代を心さみしいとも述べている。それとパラレルにこの時代に消費社会が開花し、出版物も出版業界もまた変容しようとしていたのである。
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