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古本夜話709 鹿子木員信『すめら あじあ』

前回の朝倉書店の「現代哲学叢書」の推薦者の一人として、鹿子木員信の名前を挙げておいたが、彼は『現代日本朝日人物事典』に立項されているので、まずはそれを引く。
[現代日本]朝日人物事典

鹿子木員信1884・11・3~1949・12・23/かのこぎ・かずのぶ 思想家。東京都生まれ。1904(明37)年海軍機関学校卒。日本海海戦のさなか、非戦闘員のロシア人従軍牧師が海上をただよっているのをみて軍艦を止め救助したことから人生問題に煩悶、海軍を退役して哲学研究に入った。07年移行アメリカ・ドイツに留学、東大講師を経て26(大15)年九大教授、27(昭2)年ベルリン大教授。戦争中は言論報告会事務局長をつとめ、『日本精神の哲学』(31年)にみられる超国家主義の理念で思想運動をリードした。敗戦後A級戦犯に指定され、のち公職追放。ほかに『すめら あじあ』『皇国学大綱』などの著作がある。

 この鹿子木の『すめら あじあ』を入手している。四六判函入、四八八ページで、版元は同文書院である。昭和十五年五月増補第三刷とあり、初版は同十二年、十三年第八刷との奥付記載からすれば、昭和十年代のロングセラーだったと見なすこともできる。同書には昭和六年の「亜細亜大戦の必然性と大陸すめらみくにの建設」から同十二年の「対支思想作戦―三民主義爆破」に至る十八編が収録され、これらはほとんどが新聞や雑誌に発表されたもので、雑誌名を示せば、それらは『国民思想』『月刊維新』や『大亜細亜主義』である。

 鹿子木のいう「すめらみくに」とは「皇国」、「すめら あじあ」とは「皇亜細亜」を意味し、その「はしがき」において、これらが十八編の文章を貫き、統一する理念だとしている。先にその二編の発表年を記しておいたように、満洲事変から上海事変、満洲国建国宣言、リットン報告書、国際連盟脱退、支那事変、南京占領などと併走していたことになる。また実際に鹿子木は支那に向かい、「思想征戦」として「北京臨時政府機関たりし新民学院に於て、親しく新興支那青年の気魄に接し、これに皇軍聖戦の意義を説いて、日本皇道に依る支那王道再建の大義を鼓吹せん」としたという。それに基づき、手元にある増訂版にはさらに「東亜協同体の理念」を始めとする三編が追加されている。

 その一端を「皇国と亜細亜」に見てみよう。鹿子木はそれを「亜細亜の空、亜細亜の海、亜細亜の地、亜細亜の心、―これ実に、嘗て我が祖国日本を擁せる揺籃であり、また今日皇国日本を囲む環境である」と始め、傍点を付し、「皇国日本を包む亜細亜の世界は、実にかくのごとき渾沌と動乱の世界である」とも述べている。そして「皇国日本」が理念として対置される。

 若し日本に特に著しき特色ありとすれば、それは実にその二千数百年の歴史を貫いて実現し実証し来れるその崇高透徹の秩序の精神である。日本精神の発展そのものゝ跡を深く尋ねても見よ。そこに我等の見出すところは、実に厳密正確なる律動の秩序である。而して特に日本精神の永遠の意志として、その永遠に創造し実現しつゝある『皇国(すめらみくに)』の理念である。
 蓋し、皇国とは、申すまでもなく『すめらみこと』の知ろしめる国の謂である。然るに『すめらみこと』とは『すぶるみこと』を意味し、『すぶるみこと』とは、『すべてを一つにまとむるみこと』を意味する。従つて皇国とは実に、雑多の統一者、―即ち天皇―に依る全体的国家、一致団結統一結束国家の謂に外ならぬ。

 これはもはや「皇国」と「皇亜細亜」をめぐる呪文、もしくはアジテーションに他ならない。先にふれなかったが、函の題字は中村不折画伯の手になるもので、タイトル、著者、出版社名は呪術的な印象すらもかもし出している。『すめら あじあ』は全編がこのような調子で進められているし、それに「皇国日本」と「ナチス独逸」と「イタリアに於けるフアツシヨ」が同一視され、自由主義と共産主義はそれらの呪いの的と見なされる。おそらく『日本精神の哲学』や『皇国学大綱』も同様であろうと推測できる。

 このような鹿子木が前回の佐藤通次と共に大日本言論報国会の要職あったわけだから、まさに「皇道」と「皇国」のイデオローグにふさわしい役割を果たしたことだろう。『日本近現代史辞典』によれば、これも前回の斎藤晌、井沢弘、斎藤忠などの日本世紀社同人、津久井龍雄、穂積七郎たちの日本評論家協会関係者を中心として、昭和十七年に発足している。会長は徳富蘇峰で、内閣情報局や軍部と密接に連携し、「日本世界観の確立と国内思想戦の遂行」のために、西田哲学、京都学派の人々、『中央公論』に対して執拗な攻撃を加えた。

その結果として起きたのが横浜事件であり、細川嘉六「世界史の動向と日本」掲載の『改造』が発禁処分を受け、細川は出版法違反で検挙され、それを契機として改造社や中央公論社の社員も同様で、『改造』や『中央公論』も解散命令を受けるに至った。この後も本連載582などの美作太郎や岩波書店の小林勇たちも同じく検挙され、治安維持法違反をでっち上げられ、四人が獄死している。これらに関しては美作太郎他の『横浜事件』(日本エディタースクール出版部)、黒田秀俊『血ぬられた言論』(学風書院)が詳しい。
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