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古本夜話717 小川晴暘『大同の石仏』と「アルス文化叢書」

 前回の「ナチス叢書」と同時期に、やはりアルスから「アルス文化叢書」が出されている。これはB6判、多くのアート刷写真の収録が特色のシリーズで、定価が「ナチス叢書」」の六十銭に対して、一円二十銭なのはそれゆえだ。実際に手元にある『大同の石仏』も、そのような造本になっている。同書は本連載351の小川晴暘を著者とする、まさに「大同の石仏」写真集と呼んでいい。
f:id:OdaMitsuo:20170922194451j:plain:h110(「ナチス叢書」、『ナチスの科学政策』)日本書道(「アルス文化叢書」第5巻、『日本書道』)

 それでは「大同の石仏」とは何か。小川の「序」の一文を引いてみよう。

 大同の石仏は、蒙彊大同縣雲岡鎭にあるので「雲岡の石窟」とも云はれてゐる。蒙古連合自治政府晉北政庁の管下であり、皇軍の完全な保護の下に置かれている。
 此の石窟の製作は北魏文成帝の和平年間(日本では雄略天皇の御代)に始り、孝文帝の太和十七年(日本では仁賢天皇の御代)都が洛陽に遷る頃迄凡三十五、六年間にして概ね造られた(中略)。
 其の後二百年近くも経つて、日本の飛鳥時代から白鳳時代の芸術に深い関連を示してゐる。それは朝鮮を通じて飛鳥へ、唐を通じて白鳳に這入り来つたのであつた。
 今日見る雲岡の石窟は、東西二キロに亘る明るい黄土色の石窟に、奈良の大仏程もある大彫刻が七体もあり、小さい彫刻をも数へれば五六十万体にも及ぶ一大彫刻群であつて、質と量に於いても、東西第一といふことが出来る。

 そしてそれらの菩薩像や供養者像の美しさは仏教臭のない芸術美を感じさせ、日本の広隆寺の半跏思惟像とも通じているともされる。それを伝えんとするかのように、まず多くの石窟の遠景が示され、その入口がクローズアップされ、それからカメラは内陣へと入っていく。重層塔、壁の如来像、仏殿と破損仏、いくつもの菩薩像、巨大な廬舎那仏坐像、三重塔や五重塔、宝塔と廻廊、太子思惟像と供養者像、釈迦像、阿修羅と児童像、六美人像、孔雀明王像、金剛力士像、蓮衣と天人像、観音菩薩と脇侍像、本尊の弥勒菩薩交脚像などが次々に写し出されていく。様々な石窟の内陣を歩んでいるような錯覚をも生じさせ、それは宗教的イニシエーションをも想起させる。

 この大同雲岡の調査は小川も記しているように、昭和十三年から京都帝大東方文化研究所によって始められていた。それを島村利正『奈良飛鳥園』の記述から補足すれば、小川は翌十四年七月から九月にかけて五十八日間大同に滞在し、東方文化研究所が組み立てた足場を使い、二千枚近い写真を撮ったという。それから十六年に東京の伊勢丹百貨店で「大同雲岡写真展」を開いたところ、それが機縁となって、アルスから『大同の石仏』、本連載706の日光書院から四六倍判の本格的な解説を添えた写真集『大同雲岡の石窟』が出版されることになった。後者は小川の友人の娘が嫁した北島常道、後に京都帝大に移るのだが、日光書院に在籍していたことによっている。しかしその出版は昭和十九年十二月であり、初版千五百部はほとんどが空襲で焼けてしまったと伝えられている。

奈良飛鳥園

 また小川の「序」には、大同石仏の先駆的研究者の一人として木下杢太郎の名前が挙がっている。たまたま手元に杉山二郎の『木下杢太郎』(中公文庫)があったので目を通してみると、そこに「『大同石仏寺』、美術家としての参籠」なる一節が設けられ、その水彩スケッチの収録とともに、大同石仏研究史への言及もなされていた。彼は大正十一年に、本連載163の日本美術学院から木村荘八と共著で『大同石仏寺』を刊行していたのである。そしてまた注に、水野清一『雲岡の石窟とその時代』(創元社、昭和二十七年)における『大同石仏寺』への正統な評価をも付している。この水野は『奈良飛鳥園』の中で、小川の先鋒隊として大同に向かった東方文化研究所の一人だった。
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 しかし残念なことに、『大同石仏寺』にも日光書院の大型写真集の『大同雲岡の石窟』にも出会えていない。だからこのようなことを書くのは僭越かもしれないが、名取洋之助の、やはり中国石窟写真集『麦積山石窟』(岩波書店、昭和三十一年)は、テーマやモデル、出版形式も含め、『大同雲岡の石窟』を範としているのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20171002115346j:plain:h120(『麦積山石窟』)

 ところで最後になってしまったが、「アルス文化叢書」にも、もう少しふれておこう。巻末に「同刊行の言葉」がアルスの北原鉄雄によって記され、「高度国防国家建設」のための「端的、率直、直接に視覚による文化教育を目標とする」との文言が見える。これも何冊まで刊行されたのかは不明だけど、『大同の石仏』はその4で、その巻末目録によれば、24までは確認できる。それらの中で小川の言にもあった「東亜」関連のものも含まれている。それらは10副島種経『蘭印諸島』、16松井政平『タイ王国』、21平松幸彦『蒙古』で、いずれも軍人による6福永恭助『潜水艦』、20塩原庫三『銃剣道』、24梅津勝夫『戦車』などと相まって、大東亜戦争下のアマルガムな「アルス文化叢書」出版状況を浮かび上がらせていよう。


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