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古本夜話721 フレミング『ダッタン通信』とスミグノフ『コンロン紀行』

 昭和三十年代末の『ヘディン中央アジア探検紀行全集』全十一巻に続いて、四十年代に入り、同じ白水社から『西域探検紀行全集』全十六巻が刊行された。後者は監修を深田久弥、本連載716の江上波夫、協力を長沢和俊とするもので、推薦文というべき「刊行によせて」を書いているのは、同717の今西錦司、同584の泉靖一、それに井上靖である。
f:id:OdaMitsuo:20171020135241j:plain:h110(『ヘディン中央アジア探検紀行全集』) 西域探検紀行全集(『西域探検紀行全集』、第1巻)

 今西はそこで次のように述べている。

 さきに『ヘディン中央アジア探検紀行全集』を刊行した白水社が引き続き『西域探検紀行全集』を企画している。これでアジアの深奥部に関する目ぼしいものが、ひととおり出揃うことになるであろう。その楽しい期待は、こんどの全集中に、外国人に伍して、わが大谷光端、河口慧海両先輩の名を発見するに及んで、喜びとともに、私に一種の感慨を呼びおこさないではおかない。アジアの深奥部にわけ入ってみたいという抑えがたい情熱を抱きながらも、不幸にして私たちは、その実現の不可能な時代に生きてきた。この全集は私たちの墓標であっても、つぎの時代の著者たちにとっては、格好な跳躍台になってくれることを、私は切望する。

 これは単なる推薦文というよりも、『西域探検紀行全集』の明細を前にしての非常に屈折した思いの吐露とも判断できる。「アジアの深奥部にわけ入ってみたいという抑えがたい情熱を抱きながらも、不幸にして私たちは、その実現の不可能な時代に生きてきた」とは、日本の敗戦後と「アジアの深奥部」の時代状況に他ならない。そこには前々回の大東亜戦争下における蒙古の西北研究所での日々が続けば、自らがそれらの「アジアの深奥部に関する」探検紀行を実現したかったという思いがこめられているのではないだろうか。それが「この全集は私たちの墓標」だという言葉にも表出している。いってみれば、この『西域探検紀行全集』は、次時代の著者たちの「恰好な跳躍台」であっても、それらの探検を果たせなかった今西にとって、「私たちの墓標」のように出現しているのだ。

 本田靖春が『評伝今西錦司』の最後のところで、今西は「ヒマラヤの巨峰の頂きを踏むという若き日の夢は、戦争の時代に打ち砕かれた」と記し、今西はすべての面で恵まれていたけれど、「意のままにならなかったのは、時代」だったと述べている。だが今西の夢は「戦争の時代に打ち砕かれた」のではなく、「アジアの深奥部」までを含む大東亜共栄圏幻想が敗戦によって「打ち砕かれた」というべきだろう。

『評伝今西錦司

 井上靖のほうは同じく「刊行によせて」で、率直に「この全集に収られてある旅行記の一冊を手にするために、私たちはいかに若いエネルギーを費やしたことか」と述べ、このような「企画が若し二十年前にたてられていたら、私の青春は大分違ったものになっていた筈である」とまで書いている。これを読んで、井上が戦後になって、『蒼き狼』を始めとする西域小説を発表していることを想起したのである。また小説家といえば、司馬遼太郎が大阪外語学校蒙古語部出身で、やはり初期に『ペルシャの幻術師』などを書いていることも思い出された。そして戦前はもちろんのこと、戦後になっても、かなり広範囲に西域への幻想と関心が保たれていたことを教えてくれる。ただ『西域探検紀行全集』は戦後の出版なので、その明細はリストアップしない。

蒼き狼 ペルシャの幻術師

 さて前置きが長くなってしまったけれど、ここでふれたかったのは『西域探検紀行全集』の14のフレミング『ダッタン通信』(前川祐一訳)、15のスミグノフ『コンロン紀行』(須田正継訳)に関してである。7の河口慧海『チベット旅行記』や9の大谷探検隊『シルクロード探検』はもちろん再録だが、当時はいずれも稀覯本と化していて、入手が難しかったようで、今西や井上が両書を挙げているのはそうした書物事情を告げていよう。それら以外は15を除いて新訳での刊行である。

ダッタン通信 コンロン紀行 チベット旅行記 シルクロード探検

 実際には14と15は戦前に翻訳が出されている。フレミングの『ダッタン通信』はイギリス人の一九三五年の北京からカシミールへの旅行記で、ちなみに付け加えておけば、彼は『タイムズ』特派員で、その夫人は映画『逢びき』のヒロインを演じたシリア・ジョンソンである。これは昭和十五年に生活社から川上芳信訳で『韃靼通信』として刊行され、その抄訳が戦後になって筑摩書房の『世界ノンフィクション全集』35に収録されている。本連載662の前嶋信次の「解説」によれば、川上は善隣協会員だったようで、最初にその月報に訳出したところ、生活社からの依頼で翻訳にとりかかったという。またフレミングと旅行をともにしたエラ・マイヤールの『婦人記者の大陸潜行記』も、昭和十三年に多賀義彦訳で創元社から刊行されている。しかし両書とも未見である。

逢びき f:id:OdaMitsuo:20171020200407j:plain:h120

 スミグノフの『コンロン紀行』はロシア人によるトルキスタンやアルタイ地方への旅、及び崑崙への旅を合わせたもので、スミグノフ夫妻はフレミングの『ダッタン通信』にも描かれている。ところがスミグノフの原著はタイトルその他が一切不明であり、国会図書館や東洋文庫にも架蔵していない。それゆえに須田正継訳が例外的に『西域探検紀行全集』においても採用されたことになる。巻頭に昭和十六年二月天津にてとあるスミグノフ夫妻と須田の写真が掲載されているが、須田は蒙疆の厚和日本領事館員で、蒙疆新聞にそれを訳出し、昭和十九年に本連載706、718などの日光書院からまず『コンロン紀行』、二十一年に『アルタイ紀行』が刊行され、第三部としての『新疆紀行』も予定されていたが、これは出なかったようである。

コンロン紀行(日光書院版)

 戦前の蒙古関係者によって翻訳された『ダッタン通信』も『コンロン紀行』も抄訳とはいえ、それぞれに筑摩書房と白水社によって引き継がれたことは、戦前と戦後が出版を通じてリンクしているエピソードを物語っていよう。


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