出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話752 人文書院の文芸書出版と『文芸日本』

 前回の丸岡明『或る生涯』の巻末広告を見ると、昭和十年代半ばの人文書院が『作家自選短篇小説傑作集』だけでなく、多くの文芸書を刊行していることがわかる。そこには佐藤春夫『むさゝびの冊子』、岸田国士『時・処・人』、吉江喬松『朱線』、正宗白鳥『一日一題』なども挙げられ、私の手元にも、やはり同様の相馬御風『土に祈る』、河井酔名『南窓』、芳賀壇『司祭と法則』がある。

 本連載138で、昭和十四年に出された円地文子の随筆集『女坂』を取り上げているが、『或る生涯』の巻末広告には円地の夫である、外務省情報部、東日元調査部の円地与四松『世界の変貌』も掲載され、おそらく妻の出版に絡んで夫の著書も上梓となったのではないかと思われる。関西在住の河井や芳賀はともかく、これらの東京在住の著者たちのことを考えれば、この時代に人文書院は創元社と同様に、東京支店に当たる編集部が置かれていたと推測できる。奥付の人文書院住所は京都市河原町二條下ルとあるだけだが、現在とはまったく著者人脈、通信事情といった出版編集インフラが異なっているわけだから、そのように見なすべきだろう。

 人文書院の大正創業期から昭和戦前までの出版物は『京都出版史明治元年―昭和二十年』(日本書籍出版協会京都支部)に収録され、それらの明細は把握できるけれど、社史が刊行されていないこともあって、そうした昭和十年代の企画編集事情は詳らかでない。

 しかし人文書院だけでなく、関西の出版社が東京に進出していたこと、及びそれらの出版社にしても、この時代には想像する以上に小説を始めとする文芸書出版が盛況で、多くのシリーズの刊行を見ていたことも紛れもない事実である。それは高見順が『昭和文学盛衰史』(文春文庫)で描いている同人雑誌の隆盛と併走していたと思われる。だが当然のことながら、高見の視点は主として文壇や文学者たちの動向に置かれ、出版社や編集者の内実、あるいは同人雑誌群と出版企画の結びつきにはほとんど注視が及んでいない。そうした意味において、『昭和文学盛衰史』は昭和の同人雑誌ムーブメントに最も言及している文学史といえるのだが、出版史と併走しているとは言い難い。ただそのような同人雑誌ムーブメントを抜きにして、昭和の文学書出版は語れないだろう。
昭和文学盛衰史

 それは人文書院にしても同様だし、例えば、前回の『作家自選短篇小説傑作集』も、同人雑誌と不可分であろう。この編集企画の背景には『文芸日本』の存在がうかがわれる。同誌は『日本近代文学大事典』に立項されているので、それを要約してみる。

 昭和十四年に編集発行人を牧野吉晴とし、文芸日本社から刊行された文芸雑誌で、尾崎士郎、富沢有為男、大鹿卓、浅野晃、中谷孝雄たちを同人とする。「文学をもつて政治の原理をつらぬかん精神」で創刊され、昭和十年代の文学界、芸術界への国家統制に抗する意図もあったとされ、当初は美術写真なども含んだ文芸総合雑誌だった。だが十五年の大政翼賛会結成以後、「国家的使命を果す」文学路線へと急傾斜し、「聖戦完遂」という政治に奉仕する文学雑誌になっていったとされる。

 あらためて『作家自選短篇小説傑作集』の中から『文芸日本』同人を挙げれば、『夫婦』の富沢有為男、『千島丸』の大鹿卓、『春』の中谷孝雄が該当するし、浅野晃は小説ではなく、評論集『悲劇と伝統』を出している。また『或る生涯』の丸岡明にしても、「序にかへて」で、出版は大鹿卓の勧めによるものだとの謝辞を述べている。これらのことを考えれば、『同傑作集』は『文芸日本』の同人を中心とし、その近傍にいた作家たちも動員され、企画刊行されたことになろう。そして当初の『文芸日本』の創刊意図とクロスするようなかたちで、丸岡の「或る生涯」も収録されたとも見なせよう。

 尾崎士郎の著書は掲載されていないが、本連載722でふれたように、昭和十五年に新潮社から『成吉思汗』を上梓していることからすれば、『文芸日本』の行方を暗示するものだったかもしれない。またそれは同132の、やはり牧野吉晴を編集人とする文芸雑誌『東洋』、それに掲載された富沢有為男の小説『地中海』ともリンクしているようにも思える。富沢は昭和十二年に『地中海』で、芥川賞を受賞し、新潮社からの刊行を見ているが、十三年には『芥川賞全集』第五巻としても出版されている。
成吉思汗(外函)

 この『芥川賞全集』は発行所を書物展望社と新陽社とするもので、編輯発行人は斎藤昌三となっている。だがこれは書誌研究懇話会編『全集叢書総覧新訂版』によれば、五冊出されただけで完結に至らなかったようだし、川村伸秀の評伝『斎藤昌三 書痴の肖像』(晶文社)にも挙げられていない。
全集叢書総覧新訂版斎藤昌三 書痴の肖像

 ただ私の推測によれば、この麹町区内幸町大阪ビルに住所を置く新陽社のほうが、人文書院の東京編集部と何らかの関係があったのではないかと思われる。本当に文芸書の分野においても、大東亜戦争下の出版は錯綜していると思わざるをえない。


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