二回続けて人文書院の文芸書にふれてきたが、拙稿「心霊研究と出版社」(『古本探究3』所収)や本連載137で言及しておいたように、人文書院は日本心霊学会としてスタートしている。その拙稿で、大正十三年から十五年にかけての日本心霊学会としての出版物を挙げておいたが、H・カーリングトン著、関昌祐訳『現代心霊現象之の研究』から始まっている。
日本心霊学会は昭和二年に人文書院と改名されるけれど、八年に『現代心霊現象之研究』を『現代心霊現象の研究』として再び刊行している。それは拙稿で既述しておいたように、明治四十年代において、催眠術研究者、及び千里眼事件のプロデューサーともいえる福来友吉の『心霊と神秘世界』(復刻、心交社)の出版との関連を推測できる。実際に入手した『現代心霊現象の研究』の巻末広告には「最新刊」として、同書と『心霊と神秘世界』が並び、その事実を裏づけているように思われる。
それは福来が『現代心霊現象の研究』に「序」を寄せていることにも表われているし、おそらくこの「序」は初版からの転載であろう。そこで福来は「生命主義の宣伝者」として、科学万能の思想の行き詰まりを打開し、生命を物心即応の活動と見なそうとする「生命主義」の立場から、心霊研究への期待を述べ、「私の友人関昌祐君」の訳業に華を添えている。著者のカーリングトンは米国で著名な哲学博士、関は「米国心霊協会会員」との肩書が付され、関のほうは再版に際し、新たに「序文に代へて―心霊研究の態度と立場」を掲載している。
それによれば、関の心霊研究は二十二年に及び、カーリングトンが『現代心霊現象の研究』を書いた時代に比べれば、現在は物質主義から心霊研究を否定する者がほとんどいなくなったことが一大変化だと述べている。だがすでにオランダで第四回世界心霊主義者大会が開かれている一方で、SPR(英国心霊研究協会)では心霊研究とスピリチュアリズムの対立が起きている。この科学的研究と宗教的信仰に対し、関は「その中庸を心得とすべきこと」としてきたけれど、霊魂に対する「非同情的研究方法よりか、一歩を進めて同情的且つ崇拝的とならぬ迄も愛敬的、乃至霊魂の人格を認めた方法に拠るべきではなかろうか」という立場に自らを置いていることが告白されている。
それは日本の心霊研究において、関が他ならぬ福来友吉に寄り添ってきたことを伝えているし、その「凡例」には『現代心霊現象の研究』の翻訳出版も、福本の斡旋によることが記されている。福来は東京帝大助教授として催眠術と近代心理学と心霊研究をドッキングさせることを試み、明治四十三年に千里眼女性の御船千鶴子による透視、念写実験を敢行し、そのことで大正二年に大学の職を追われてしまう。その後福来は大日本心霊研究所を設立し、ロンドンにおける第三回国際心霊研究者会議(先述の世界心霊主義者大会と同じ)にも参加し、高野山大学教授に就任するに至る。これらの福来の軌跡に関しては前掲の拙稿に、千里眼事件も含め、詳述しているので、必要であれば参照されたい。
その福来と併走するようにして、『現代心霊現象の研究』は翻訳出版されたと見なせるし、しかも第八章は「心霊写真」と題され、福来も登場しているので、その最初の部分を引いてみる。
また欧州大戦の少し前に、東京大学の福来博士は観念写真即ち念写に関する彼の実験結果を集めて一著書を公表して居る。吾人の見る限りに於て其間何等詐偽の行はれ得る余地が無いのである。此等実験は凡て数人の科学者の立合の下に而も職業的霊媒にあらざる能力者に就いて行はれたものである。最初は二人の婦人(御船千鶴子、長尾夫人)―但し両人とも今は故人となつて居る―に就いて実験し、(中略)成功したものである。実験の方法としては、カメラは一回も使用せず、乾板を包装の儘にて能力者の前に置き、而も大抵の場合には、数枚の乾板を重ねたる儘包装を施して置いて、其内の一枚或は二枚を任意に選定して、それに念写する様にしたものである。
この後に長尾夫人による念写写真三枚が掲載され、それに米国の心霊写真が続いている。ここで福来の「一著書」とされているのは『透視と念写』(宝文館、大正二年)のことであり、この念写事件は光岡明の『千里眼千鶴子』(文藝春秋、昭和五十八年)に詳細に描かれている。
さらにつけ加えておけば、「凡例」には「第八章心霊写真の章中で福来博士の報告に関する部分は原著の記事を全然取り替ひ、其趣旨に従て博士が新しく執筆せられたものである」との断わりが見られる。これらの『現代心霊現象の研究』における福来の痕跡、大正十四年に福来の『観念は生物也』、翌年に同じく『精神統一の心理』が日本心霊学会から続けて刊行されていることは、日本心霊学会も福来とともに歩み、彼の集大成ともいうべき昭和八年の『心霊と神秘世界』の刊行と、『現代心霊現象の研究』の復刊からしても、人文書院と改名した後も、その背後にはそれらの出版人脈との関係が続いていたにちがいない。
なお三浦清宏『近代スピリチュアリズムの歴史』(講談社)を読んでみても、カーリングトンと米国心霊協会のことは出てこないし、不明のままである
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