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古本夜話813 ヴァレリイ、堀口大学訳『文学論』と斎藤書店

 前々回、堀口大学と第一書房によるポール・ヴァレリイの翻訳『詩論・文学』と『文学雑考』を挙げておいたが、これは戦後の昭和二十一年四月に斎藤書店から、合本『文学論』として復刻されている。第一書房の二冊は所持していないけれど、こちらは手元にある。しかも同二十三年五月の装丁、表紙の異なる改訂版も入手していて、確認してみると、ページ数などはそのままなので、装丁などの改版だとわかる。
f:id:OdaMitsuo:20180808113546j:plain(『文学雑考』) f:id:OdaMitsuo:20180808102239j:plain:h119(『文学論』、昭和21年版) 文学論(昭和23年版)

 最初の版は敗戦から八ヵ月後の刊行であり、印刷や紙の手配からして、困難な出版状況の中で出されたことを伝えるような四六判並製のもので、それは二年後の改版でも変わっていない。だがそこには戦後の出版に反映された思いと、日本の敗戦の年に亡くなったヴァレリイへの追悼の念がこめられていたにちがいない。

 刊行者を斎藤春雄とする斎藤書店は初版において、世田谷区代田を住所としていたが、改版は港区芝南佐久間町となっており、戦後の混乱状況の中で、少なくとも二年は存続していたとわかる。おそらく斎藤は第一書房と堀口大学の関係者だったと思われるが、彼についての証言は出版史に見出されていない。だが幸いなことに、『文学論』に関しては、長谷川郁夫の『堀口大學』(河出書房新社)の中で語られている。
堀口大學

 私は実物を見ていないので、『明治・大正・昭和翻訳文学目録』により、『詩論・文学』と記したが、長谷川によれば、それは『文学』で、「四六判、本文百二十頁の小冊子なのだが、天金・背革装の函入り本」である。そして『文学』とは別に、昭和十年にヴァレリイの旧著から「文学」と題された二章、及び「ヴァレリイ一家言」を加えた『文学雑考』を刊行する。それから同十三年に両者を合わせた『文学論』を出版するに至る。それは斎藤書店版の「例言」に記されているし、その際に書かれたとわかる。
f:id:OdaMitsuo:20180808114049j:plain:h120(『文学』)

 斎藤書店は第一書房の『文学論』の復刊で、しかも訳者による「再刊の序」は昭和十三年に書かれたものである。堀口は次のように書き出している。

 今この一巻に集成したこれ等の考察は、あらゆる意味に於いてのヴァレリイ思考の頂点であると同時に、またその詩人及び思索家としての態度、企図、方法等をつぶさに教ふる彼の詩論及び文学論の全貌である。ヴァレリイの文学は、彼の文学観なしには存在しない存在であるが、同時にまたこの思考の鍵を似つてしなければ開き難い知性の宝庫である。

 ヴァレリイのいち早い紹介といっていい昭和五年の『文学』の翻訳は、堀口のいうところの「知性の祝祭」として迎えられたにちがいない。「書物は人間と同じ敵を持つ。曰く、火、湿気、虫、時間。さうしてそれ自らの内容。」から始まるこのアフォリズム集はあらためて読んでみて、埴谷雄高の『不合理ゆえに吾信ず』や太宰治の『如是我聞』にまで影響が及んでいるのではないかと思われた。それに加え、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』の「序」においても、この堀口訳『文学論』が引用されていたことも想起した。それゆえに戦後の始まりのカオスの中にあって、詩人としてではなく、このアフォリズム集の復刊が、斎藤書店によって試みられたのではないだろうか。

不合理ゆえに吾信ず 言語にとって美とはなにか

 それだけでなく、この斎藤書店版には第一書房版にはなかった、ヴァレリイの堀口に当てた自筆署名入りの手紙が収録されている。この手紙は堀口が昭和十三年の『文学論』の翻訳上梓に際し、ヴァレリイに三部を送ったことに対する礼状で、「組版と装幀の優美」を絶賛しているものだ。この手紙を堀口は「斎藤版再版あとがき」に翻訳して掲載し、そこに「再刊の序」にはなかったヴァレリイの七十歳での死をも伝えている。

 ここで堀口がヴァレリイと直接の文通を明らかにしたのは、筑摩書房の『ヴァレリイ全集』をめぐる問題が生じていたからだと長谷川は書いている。
ポオル・ヴァレリイ全集 (第7巻『精神について』)

 戦時下の昭和十七年、筑摩書房で『ヴァレリイ全集』が企画され、東大の辰野隆、鈴木信太郎、京大の落合太郎を監修者として、二月に第一回配本・第七巻「精神について(一)」が発行されたが、そこでは堀口の存在は完全に無視される。日本におけるヴァレリイは実像から遠く、異質な言語感覚による歪んだままのイメージで定着されるのだった。
が企画されていったと思われる。

 長谷川によれば、大正十四年の第一書房からの、ヴァレリイの詩も含んだフランス近代詩人六十六人の訳詩集『月下の一群』の刊行から始まり、堀口と日夏耿之介の絶交事件に端を発し、長谷川巳之吉の「第一書房は帝大仏文科、岩波書店との対立」へと及んでいったことを背景としている。それは昭和に入ってからのフランス文学へのヘゲモニー争いといった様相を呈し、これまでも本連載で取り上げてきた様々な全集などにも反映されているはずだ。おそらく堀口とヴァレリイの『文学論』は、帝大仏文科にとっては喉に刺さった棘のような存在だったように思われる。

 なお、この一文を書いてから、斎藤春雄が第一書房の元編集者で、その後、本連載468の八雲書店へと移ったらしいことを知った。


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