前回、長谷川郁夫の『堀口大學』における堀口、長谷川巳之吉の第一書房と東京、京都帝大仏文科の対立にふれたが、出版社の場合、そのような構図はあったにしても、フランス文学翻訳者は限られているし、売れる企画は耐えず追求されなければならない。
前々回の白水社の二代目社長の草野貞之が、東京帝大仏文科出身であることからすれば、第一書房と対立関係の立場に置かれていたことになる。ところが実際にはそうでもなく、草野のアナトオル・フランスの翻訳『エピキュルの園』は昭和四年に第一書房から豪華版として出され、七年に普及版も刊行されている。草野の「長谷川巳之吉さんとの出会い」(林達夫他編著『第一書房長谷川巳之吉』(日本エディタースクール出版部)所収、日本エディタースクール出版部)によると、この出版は恩師の辰野隆と岸田国士の紹介を通じて実現したのもので、ここで草野はそれ以後の長谷川との関係を語っているのである。
それゆえに、白水社から堀口大学によるラディゲ『ドルヂェル伯の舞踏会』の翻訳が出されるのも必然だったと考えられる。この翻訳に関して、長谷川郁夫は草野が担当編集者で、長谷川巳之吉の了解を得るのに難儀したのではないかと書き、以下のように続けている。「しかし、当時の文芸書としては破格の初版五千部という発行部数には、さすがの巳之吉も脱帽するほかなかつたに違いない」と。長谷川のこの記述が何に基づいているのか不明だが、昭和六年一月発行の『ドルヂェル伯の舞踏会』の奥付には、確かに第一刷五千部とある。
(『ドルヂェル伯の舞踏会』)
それに注目すべきはその奥付裏に、「同じ訳者によりて」という、堀口の訳書一覧が出版社名とともに掲載されていることで、それを引いてみる。
1『夜ひらく』・『夜とざす』 | ポオル・モオラン作 | 新潮社 |
2『恋の欧羅巴』 | ポオル・モオラン作 | 新潮社 |
3『オルフェ』 | ジャン・コクトオ作 | 第一書房 |
4『ドノゴオトンカ』 | アンドレ・ジイド作 | 第一書房 |
5『パリュウド』 | アンドレ・ジイド作 | 第一書房 |
6『文学』 | ポオル・ヴァレリイ作 | 第一書房 |
7『燃え上がる青春』 | アンリイ・ド・レニエ作 | 第一書房 |
8『詩人のナプキン』 | 仏蘭西短篇小説集 | 第一書房 |
9『沙上の足跡』 | グウルモン語録 | 第一書房 |
10『青白赤』 | 仏蘭西現代詩選 | 第一書房 |
11『月下の一群』 | 仏蘭西近代詩集 | 第一書房 |
12『アポリネエル詩抄』 | 第一書房 | |
13『コクトオ詩抄』 | 第一書房 | |
14『グウルモ詩抄』 | 第一書房 | |
15『ジャムオ詩抄』 | 第一書房 | |
16『ヴェルレェヌ詩抄』 | 第一書房 | |
17『ジャック・マリタンへの手紙』 | ジャン・コクトオ | (近刊)第一書房 |
このような「同じ訳者によりて」という掲載は、フランス語原書に見られる「同じ著者によりて」という表記を範としているのだが、この場合は白水社が第一書房に対して敬意を払っていること、それからどうしても堀口を訳者として加えたかったことを表象しているように思われる。これは大正十四年から昭和六年にかけての翻訳一覧であり、絶版となっていたためなのか、やはり第一書房から出されたジャン・ロメオン『科学の奇蹟』、ポオル・モオラン『三人女』などは入っていないのだから、フランス文学において、堀口は特筆すべき翻訳者だったのである。しかし『白水社80年のあゆみ』を確認してみると、それ以後は堀口の翻訳が出されないことからすれば、やはりフランス文学翻訳ヘゲモニー争いが現実化してきたのかもしれない。再び堀口の翻訳が見られるのは、昭和二十六年のボードレール『悪の華』上下を待ってである。
ここで『ドルヂェル伯の舞踏会』に戻ると、手元にある一冊の幾何学模様のコンポジションのモダンな装幀、挿画は東郷青児によるもので、菊判を少し小さくした判型を採用し、三二三ページにもかかわらず、厚い紙を使用していることによって、束は三・五センチに及んでいる。これは合判とされ、昭和六年の白水社の翻訳書のジイド『窄き門』(山内義雄訳)、デコブラ『恋愛株式会社』(東郷青児訳)、カルコ『追ひつめられる男』(内藤濯訳)も同じ判型で出されている。ちなみに東郷は昭和三年にパリから帰国した新進画家で、五年にはやはり白水社から、コクトオの『怖るべき子供たち』を翻訳し、宇野千代と同棲中だったことから、宇野も白水社で『大人の絵本』を出しているが、これらも東郷の装幀によると推測される。
(『窄き門』) (『恋愛株式会社』) (『追ひつめられる男』)(『怖るべき子供たち 』)
その「序」はコクトオによるもので、次のように書き出されている。「レイモン・ラディゲは千九百三年六月十八日に生れ、千九百二十三年十二月十日に、奇蹟的なその生涯を終へて、死ぬと知らずに死んだ」と。つまり二十歳で夭折したのである。『肉体の悪魔』と『ドルヂェル伯の舞踏会』という二冊の小説を残して。そしてコクトオは続けている。
それ位な年齢では、到底書ける筈のない小説を発表したりする二十歳の青年を気味悪いものに思ふ。然し死んでしまつた者はもう永久の世界に棲んでゐる。日附のない本の年齢のない作者、これがこの「舞踏会」の作者の真の姿だ。
このラディゲがいうところの「心理がロマネスク」で、「感情の分析に集中される」小説は、三島由紀夫の少年時代のバイブルともなった。三島はこの白水社版『ドルヂェル伯の舞踏会』を「堀口氏の創った日本語の芸術作品」と評した。鹿島茂編『三島由紀夫のフランス文学講座』(ちくま文庫)に、彼のラディゲと堀口訳論がまとめて収録されている。また大岡昇平は戦後の『武蔵野夫人』のエピグラフとして、やはり堀口訳の冒頭の一文「ドルヂェル伯爵夫人のやうな心の動き方は、果して、時代おくれだらうか?」を引いている。この翻訳の昭和六年以後の重版の行方は確認できないけれど、大きな波紋となって拡がっていったと思われる。
なお『肉体の悪魔』の翻訳に関しては、本連載211で既述していることを付記しておく。
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