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古本夜話982 夢野久作「骸骨の黒穂」

 菊池寛と三角寛、『オール読物』とサンカ小説の関係からすれば、やはり昭和九年に『オール読物』に掲載された夢野久作の「骸骨の黒穂(くろんぼ)」にふれないわけにはいかないだろう。実はこの作品もサンカをテーマとしているからである。

f:id:OdaMitsuo:20191217090223j:plain:h120(「骸骨の黒穂」、角川文庫版)

 この「骸骨の黒穂」という短編は明治二十年頃の「人気の荒い炭坑都市、筑前、直方の警察署内で起った奇妙な殺人事件の話・・・・・・」として始まっている。その直方の町外れに一軒の居酒屋があった。それは街道沿いの藁葺小屋で、三坪ばかりの土間に木机と腰掛、酒樽が並び、壁棚に煮肴や蒲鉾類が置かれ、六十がらみの独身者の老爺が営み、坑夫、行商人、百姓たちが飲みにきて繁盛していた。店主は刺青があり、太った禿頭だったが、一パイ屋の藤六と呼ばれ、人気があった。この藤六には妙な道楽があり、それは乞食を可愛がることに加え、周囲の麦畑でその黒穂を摘む癖も見られたけれど、誰も怪しむ者はいなかった。ただこの藤六がいることで、直方には乞食が絶えないとの評判にもなっていた。

 その藤六が明治十九年の暮に死んだ。残されていたのは仏壇に幾束もある麦の黒穂と、奥にあった古ぼけた茶褐色の人間の頭蓋骨だった。それから出てきた藤六の戸籍謄本によって、彼が四国生まれで身寄りがないとわかり、直方の顔役が金を出し、近所葬(とむらい)となった。そこに行商人体の若い男がやってきて、仏の甥と名乗り、叔父が死んだと聞き、泣き出してしまった。その名前は銀次といい、四国生まれの三十二歳で、放蕩を重ね、中国筋から大阪へ流れ、そこであらん限りの苦労の末、鉋飴売りの商売を覚え、四国に帰ったが、故郷には誰もおらず、叔父の藤六が直方で酒屋をやっていると聞き、ここまで訪ねてきたのだった。

 それから間もなく、銀次は酒屋を引き継ぐと、乞食の姿が目立って増えてきたが、酒屋の軒先に立つことはなかった。藤六と異なり、銀次は乞食嫌いのようで、商売に身を入れ、店も繁昌してきた。その一方で、直方に集中していた乞食連中はほとんどいなくなり、人々はこの現象を乞食の赤潮といって驚き、警察もしきりに首をひねっていた。

 ある晩、銀次が店を閉めると、表の戸をたたく女の声がして、小柄な女が酒を買うために入ってきた。女が帰った後、銀次は身支度を整え、一時間ほど待っていると、先ほどの「巡礼のお花」が忍びこんできた。彼は彼女を捕え、警察に突き出す。しかし女は銀次を「丹波小僧」と呼び、匕首で殺し、自害してしまう。その四、五日後に物知りの小学校校長から聞いた話を警察署長が語り出す。

 「(前略)人間の舎利甲兵衛に麦の黒穂を上げて祭るのは悪魔を信心しとる証拠で、ずうっと昔から耶蘇教に反対するユダヤ人の中で行われている一つの宗教じゃげな。ユダヤ人ちゅうのは日本の××のような奴どもで、舎利甲兵衛に黒穂を上げて置きさえすれば、如何(どげ)な前科があっても曝れる気遣いはないという……つまり一種の禁厭(まじない)じゃのう。その上に金が思う通りに溜まって一生安楽に暮されるという一種の邪宗門で、切支丹が日本に入ってくるのと同じ頃に伝わって来て、九州北方の山窩とか、××とか、言うものの中に行なわれておったと言う話じゃ」

 そして「この直方地方は昔からの山窩の巣窟」であったことも。それを受けて事件の捜査に当たった巡査部長が続ける。藤六は四国の豪農の息子だったが、若気の過ちで人を殺し、石見の山奥に入り、山窩の親分になった。藤六とお花と銀次は埋葬され、藤六には麦の黒穂、お花には花の束が置かれていたが、銀次の土盛りには糞や小便がかけられていた。それをめぐって、やはり藤六の盃を受けた銀次の兄弟分の雁八の証言が出される。

 丹波小僧は藤六が天の橋立の酌婦に産ませた実の子で、それを銀次は知らなかった。お花もやはり藤六の娘で、九州で巡礼に化け、女白浪となっていたことから、藤六は娘会いたさに、石見の山から直方にやってきた。集まってきた乞食たちは彼の後を慕ってきたのだった。ところが銀次は大阪で殺人を犯し、直方に流れてきて藤六を見つけ、金をためていることを知り、毒殺して、店を乗っ取ってしまった。それを知った藤六の子分たちが直方に集まり、評議し、お花を探し出し、銀次が実の兄であることをかくし、仇討ちをさせたのである。それでお花が自害するまえに発した「……皆の衆……皆の衆、すみません。私はお花じゃが……もう私は帰られんけに、帰られんけ……」という別れの言葉の「皆の衆」が山窩たちだったと判明する。

 この「骸骨の黒穂」は三一書房の『夢野久作全集』3に収録され、「解題対談」の「多義性の象徴を生み出す原思想」で、鶴見俊輔と谷川健一が「乞食の赤潮」にふれ、夢野の「多義的な象徴」を見ているけれど、山窩という設定への言及はない。たまたま同巻には同時期に『オール読物』に発表した「爆弾太平記」「山羊鬚編集長」も収録されているが、それらの関係は定かでない。ただ菊池寛が介在していると推測できよう。
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 それだけでなく、『近代出版史探索』でも既述しておいた、夢野と『ドグラ・マグラ』の松柏館、『白髪小僧』と誠文堂などの出版社との結びつきも、はっきりしたことがつかめない。まさに彼の場合、出版社としての関係も「夢野久作」(うすぼんやり)的だといっていいのかもしれない。
近代出版史探索

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