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古本夜話1030 阿部知二『冬の宿』

 本連載787、789、869などの阿部知二が「現代の芸術と批評叢書」の一冊として、昭和四年に処女評論集『主知的文学論』を刊行していることを既述しておいた。これは入手しておらず、未読だが、『日本近代文学大事典』に「主知主義」という立項があるので、それを要約してみる。
f:id:OdaMitsuo:20200430145100j:plain:h115(『主知的文学論』)

 この言葉は新興芸術派の一人だった阿部が昭和五年に出した『主知的文学論』と結びつく。そこで阿部は「主知主義」という言葉を避け、文学における「主知的傾向」といったが、それは要するに「旧来の自然発生的な情緒偏重の文学にたいして、方法としての知性を重んぜよ」ということで、新感覚派の主張を受け継ぎながらも、その感覚的直観主義的側面への批判を内包した新しい知的文学の提唱とされる。

 このような阿部の『主知的文学論』にしても、春山行夫が『文学評論』所収の「主知主義について」で述べていた、文学が自然発生的なものだとは考えないとするモダニズムの発生と密接にコレスポンダンスしているのだろう。

 それならば、阿部の『冬の宿』にその反映はあるのだろうか。この「長篇」は春山を窓口として刊行されたもので、「私の『セルパン』時代」(林達夫編『第一書房長谷川巳之吉』所収、日本エディタースクール出版部)で次のように証言している。
f:id:OdaMitsuo:20200430152638j:plain:h115 第一書房長谷川巳之吉

 『冬の宿』初版は昭和十一年十二月だったが、長谷川氏の提案で、タバコの箱くらいの判で、十二ページくらいのパンフレットに、『文学界』の川端康成、林房雄、小林秀雄などの推薦文を印刷したものを毎月の新刊、増版書の全部に挿入した、それが数ヵ月つづいたので、その数は数万に達した。『冬の宿』は一度にたくさんは売れなかったが、『セルパン』にでた広告をみていたら、昭和十三年二月に十八刷、十四年五月に二十刷、七月に二十一刷、十二月に二十三刷という息のながいロングセラーだった。これは阿部氏の『冬の宿』以後の小説『北京』や主知主義の評論などが、文壇の中心的な注目をあびたことの反映で、こういう売れ方をした文学書は第一書房でも珍しい例であった。

 確かに新四六判函入の『冬の宿』は「息のながいロングセラーだった」ようで、私の手元にあるのは昭和十三年十一月第十八刷となっている。春山がふれている「推薦文」にしても、巻末に収録され、『冬の宿』が『文学界』に連載され、第十回文学界賞を受賞したこと、「道は晴れてあり」と題する川端の一文に続き、小林たちの『文学界』同人の推薦者名が並んでいる。それに二段組の新聞書評などが加わり、これば十二ページくらいの「パンフレット」の内容だったとわかる。そこには珍しいことに長谷川巳之吉の「『冬の宿』に扱はれた問題」も寄せられ、それは最も長い八ページに及んでいる。『冬の宿』は春山を通じて出されたのであるから、このような第一書房の経営者自らが長い書評を掲載しているのは異例だといっていい。そのことからも、長谷川が『冬の宿』の販売促進に力を入れたことが伝わってくる。

 『冬の宿』の語り手の「私」は地方出身の大学生で、身近な友達が社会運動に携わり、官憲に逮捕されるのを知りながら、古い外国文学ばかりを読んでいた。「私」は孤独で内向的だったし、卒論を手がける時期を迎えていたが、郊外の素人下宿の霧島家に寄寓したことで、「その秋から春にかけての出来事のすべてが、まったく初めからをはりまですこしの隙もなく暗く冷却した冬の色に塗られてしまつ」たのである。それがタイトルの『冬の宿』に表象されている。

 下宿の主人の霧島嘉門は地方の資産家の生まれだったが、本能的衝動によって生きる無軌道な性格のために、零落の一途をたどっている。妻のまつ子は窮迫の生活に絶え、病弱な体を酷使し、編物の内職に励み、二人の兄妹を養っている。そうした苦難の生活の中で、彼女はクリスチャンとなり、夫とともに教会に通い、肉欲漢で自分の運命を壊滅させてしまった嘉門を宗教の力で救おうとしていた。「私」の隣りの部屋に下宿する朝鮮人の高にいわせれば、「ここの奥さんは善良な上に美しいですね。それにひきかへて旦那は少しグロテスクで馬鹿ぢゃありませんか。」ということになる。

 「私」の霧島家での生活は「この人達との人情的な関係との錯綜」の中で展開され、放蕩無頼だが、稚気愛すべき嘉門に親愛感を寄せる一方で、まつ子を情欲的な目で見つめることに気づかされる。それはこの夫婦の格闘が「私」自身の内なる肉体と精神の関係に他ならないことを暗示させている。

 長谷川は『冬の宿』について、次のように書き出している。

 『冬の宿』を読んで最初に考へさせられることは、間貸しの貧しい夫婦生活の間に巻き起る一つの思想的問題である。それは云ふまでもなく、夫嘉門のエピキュリアニズムと、妻まつ子のピュリタニズムの葛藤であるが、しかもそれを観照している間借りの(新しい世代としての)主人公が、いかにこれを眺めいかにこの前代的思潮を受け継がんとしてゐるかといふ所に作の中心問題があり、作者の用意は、単にうらぶれた貧しい夫婦生活の葛藤を中心にしてそこに起こる渦巻だけを描かうとしてゐるのではなく、主人公の学生を配して前代と現代との相異してゐる思想的潮流を作品の上に生き生きと具象しようと苦心してゐる所に付するのではないかと思ふ。

 このような霧島夫婦と「私」の関係についての長谷川の言及はさらに長く続いていくわけだが、作家や評論家ではない出版人としての読解であることに注目すべきだろう。これらの三人の関係は支那事変前の灰色の時代のメタファーであり、それは主知主義的な大学生の「私」も、「・・・みゆるしあらずば、ほろぶべきこの身、主よめぐみもて、すくひたまへ」と歌うまつ子も、満州に行って阿片の商売をして成功すればという嘉門も同様であろう。それゆえに『冬の宿』は様々なバリエーションで読まれ、「息のながいロングセラー」になったと思われる。


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