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古本夜話1078  円本としての博文館「帝国文庫」

 やはり円本時代の昭和三年に博文館から「帝国文庫」の再版が刊行され、『博文館五十年史』はそれに関して次のように述べている。

 「帝国文庫」は前年正編五十編、続編五十編が大好評の裡に完成したが、爾来既に数十年を過ぎ、偶たま世間には定価一円にて故書を翻刻し、之を円本と称し盛んに行はるゝ故、本館にても「帝国文庫」の再版を企て、内容の過半を新たにして、毎月八百ページ九ポイント十八行詰とし、全三十冊予約三十円、此年十二月第一編「珍本全集」を出した。(中略)後には真書太閤記、南総里見八犬伝等の前年盛んに行はれたものをも加へ、昭和五年十二月までに、予定の三十冊、第三十編『東海道中木曽街道膝栗毛』にて完結した。

 これは第一回の百冊と異なり、三十冊なので『博文館五十年史』からリストアップしておく。「内容の過半を新たにして」とはそれらに「新た」な校訂を施したことで、校訂者も含めて挙げてみる。彼らの名前は明治後半の「帝国文庫」から始まったと考えられる近世文学研究者の台頭が見てとれるし、それは本探索1060の新潮社『日本文学大辞典』の編纂ともリンクしているのだろう。

f:id:OdaMitsuo:20200720113608j:plain:h110(『日本文学大辞典』)

1 藤村作 『珍本全集』上
2   〃  『珍本全集』下
3  中村孝也 『常山紀談』
4  笹川種郎 『京伝傑作集』
5  山口剛 『種彦傑作集』
6  笹川種郎 『近世説美少年録』
7  山崎麓 『馬琴傑作集』
8  水谷不倒 『其磧自笑傑作集』
9  守随憲治 『近松世話浄瑠璃集』
10  黒木勘蔵 『紀海音・並木宗輔浄瑠璃集』
11  小澤愛圀 『忠臣蔵浄瑠璃集』
12  中村孝也 『真書太閤記』
13   〃 『真書太閤記』中
14   〃  『真書太閤記』下
15  三田村鳶魚 『柳澤・越後・黒田・加賀・伊達・秋田騒動実記』
16  尾佐竹猛 『大岡政談』
17  三田村鳶魚 『仇討小説集』
18   〃    『真田三代紀・越後軍記』
19  山崎麓 『人情本傑作集』
20 藤村作 『西鶴全集』上
21   〃  『西鶴全集』下
22  柳田国男 『紀行文集』
23 長谷川天渓 『名家漫筆集』
24  中山太郎 『梅こよみ・春告鳥』
25  水谷不倒 『脚本傑作集』
26  笹川種郎 『南総里見八犬伝』
27   〃   『南総里見八犬伝』二
28  〃   『南総里見八犬伝』三
29   〃   『南総里見八犬伝四・絵本西遊記』
30  三田村鳶魚 『東海道中木曽街道膝栗毛』


f:id:OdaMitsuo:20201008100405j:plain:h110(『南総里見八犬伝』)

 1、2、20、21の藤村作は先の『日本文学大辞典』の編纂者、3、12、13、14の中村孝也は本探索1075の『日本随筆大成』の監修者である。それには驚かないけれど、柳田国男や中山太郎まで動員されていたのは意外であった。だがそのようにして第一回とは面目を一新したのであろう。

f:id:OdaMitsuo:20201003111855j:plain:h108(『日本随筆大成』)

 第一回の「帝国文庫」のほうは明治二十六年から三十六年にかけて刊行され、江戸文学の最初の集成刊行として、当時の文壇などに及ぼした影響は大きいとされる。ここに収録の千種を超える作品の明細は、『博文館五十年史』以上に詳しい『世界名著大事典』第六巻に掲載されている。何冊か拾っていたはずなので探してみたが、出てこない。それゆえに社史の中の書影と記憶で書くしかないけれど、B6の判型は第二回と同じにしても、装丁は異なっていたと思われる。

 第二回の「帝国文庫」は手元に一冊しかなく、それは8の『其磧自笑傑作集』である。ところがその背の金の箔押しのタイトルと花模様をあしらった絵による装丁が、本探索1074の「有朋堂文庫」と同じような印象を生じさせる。それは篆気の濃い隷書も同様で、全体的に似通っているのだ。とりわけ同じように見える背の下部を占める花模様の絵は、第一回の「帝国文庫」には見られなかったものである。

f:id:OdaMitsuo:20201008105639j:plain:h110(「帝国文庫」)f:id:OdaMitsuo:20200915115255j:plain f:id:OdaMitsuo:20200914115859j:plain:h103(「有朋堂文庫」)

 同1074で既述しておいたが、円本時代は江戸文学全集の色彩が強い「有朋堂文庫」と興文社の『日本名著全集』があり、それらに張り合うかたちで博文館が「帝国文庫」の再版を企てたことになる。したがって、それらの元版刊行年は「帝国文庫」が明治、「有朋堂文庫」が大正に出され、『日本名著全集』はそのふたつを範として昭和円本時代に刊行されたと見なしていい。しかし円本としての刊行は、「有朋堂文庫」「帝国文庫」も昭和三年の同年だが、判型はちがうにしても、どうして同じような装丁で出されたのであろうか。

f:id:OdaMitsuo:20200916193111j:plain:h108 f:id:OdaMitsuo:20200916192824j:plain:h108(『日本名著全集』)

 考えられるのは、これも既述しておいたように、岡本太郎の父で、版下書家の岡本可亭のところに「帝国文庫」の題字を含めた装丁依頼が出された。偶然のことながら、それは「有朋堂文庫も同様で、しかも可亭が病臥中だったこともあり、その代わりに弟子の魯山人が「帝国文庫」も合わせてその版下書きを潤筆した。あるいは可亭の別の弟子だったかもしれないその結果、同じような題字と装丁になってしまった。しかし博文館も有朋堂もその事実をつかんでおらず、ほぼ同時進行での編集と製作に取り組んでいたとすれば、双方がその刊行後にそれを知ったことになるのかもしれない。

 このような疑問に対して、『其磧自笑傑作集』に装丁者や題簽者名の記載があれば、ただちに氷解するようにも思われるのだが、残念ながら「有朋堂文庫」と同様にそれはない。そうした事柄は『近代出版史探索Ⅲ』553などの雪岱文字の問題ともリンクしていると推測される。

近代出版史探索Ⅲ

 なお最後になってしまったが、其磧と自笑は京都の書肆の「八文字屋」の代表的著者で、後者は八文字屋主人でもあり、浄瑠璃や浮世草子などの著者である。『其磧自笑傑作集』にはそれらの九編が収録されている。


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