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古本夜話1068 久保田彦作『鳥追阿松海上新話』と錦栄堂

 野崎左文は「草双紙と明治初期の新聞小説」(『増補私の見た明治文壇』所収)において、前回の『高橋阿伝夜刃譚』のような明治式草双紙の出現は新聞連載の「続き物」を単行本化したのが始まりで、明治十年以後流行し、書肆の店頭をにぎわすことになったと述べている。そしてその嚆矢、もしくは「明治初期に於ける草双紙の代表作としての価値あるものとすべき」は久保田彦作の『鳥追阿松海上新話』だと書き、次のように続けている。なお同書は『現代日本文学大年表』に見えているように、明治十一年一月に三編九冊が錦栄堂から刊行された。

増補私の見た明治文壇 高橋阿伝夜刃譚(『高橋阿伝夜刃譚』) 鳥追阿松海上新話(『鳥追阿松海上新話』国文学研究資料館、リプリント版) f:id:OdaMitsuo:20200813175200j:plain:h110

 此書は明治十年の仮名読新聞に連載されたのを更に単行本として発行したもので、絵画は昔の豊国、国貞ほど鮮やかなものでなく、彫刻も劣つては居るものゝ、俳優似顔は錦絵風の色刷りの表紙を用ひ、毎編上巻に淡彩の口絵もあつて、其体裁はすべて草双紙に則つたもので、唯だ相違の点は昔の総仮名書きを、振仮名付き漢字まじりの分に代へただけの事であつた。

 久保田の名前は『日本近代文学大事典』に見出せるので、それを要約してみる。弘化三年江戸生まれの狂言作者、戯作者。明治八年頃から河竹黙阿弥門下となり、黙阿弥と親交のあった仮名垣魯文に引き立てられ、『仮名読新聞』にも関係し、十一年には『鳥追阿松海上新話』を刊行し、戯作者として名をあげた。他の作品は『菊種延命袋』(錦栄堂)、『浪枕江の島新語』(延寿堂)、『荒磯割烹鯉魚腸』(青盛堂)。十二年創刊の『歌舞伎新報』の主筆ともなるが、劇界人としては不遇に終わった。これに付け加えると、『鳥追阿松海上新話』は久保田が編集者で、魯文の作とも伝えられている。
f:id:OdaMitsuo:20200825083612j:plain:h120(『浪枕江の島新語』)

 『鳥追阿松海上新話』は『明治開化期文学集(一)』(『明治文学全集』1、筑摩書房)と『明治開化期文学集』(『日本近代文学大系』1、角川書店)に収録されている。ここでは前田愛注釈による後者を参照してみる。この草双紙は「梅が香や乞食の家も覗かるゝと、晋子の吟の古き称えも新まる代の春立つ頃、東京(トウケイ)は未だ江戸と呼び、木挽町の采女が原に羽生の孤屋の板庇し、月洩軒の破損家に親子の非人あり」と始まっている。
明治文学全集』1 f:id:OdaMitsuo:20200825091852j:plain:h110

 漢字の「振仮名」の省略はともかく、前田の注を援用し、最小限の本文注釈をここに加えるべきであろう。「木挽町の采女が原」は江戸時代に馬場が設けられ、小屋掛芝居、講釈師、水茶屋、楊弓店などが軒を並べたにぎやかな盛り場であった。「羽生の孤屋の板庇し、月洩軒の破損家」とは非人の住む掘立小屋、あばら家を意味する。そしてそこに住む「親子の非人」とは近くの尾張町に「履物直しの露店」を張る夫の定五郎、「鳥追い」をなりわいとする妻のお千代と娘の阿松をさす。前田は「鳥追」について、「江戸時代、年の初めに、非人の女太夫が新服をつけ編笠をかぶり、鳥追歌をうたい、三弥線を弾き、人家の門に立って米銭を乞うたもの」という注釈を施している。また実際にそこには挿絵も転載され、「母娘」の鳥追姿及び「人も門より呼子鳥」的なシーンも目に入ってくる。

 そして阿松は「女太夫(をんなだいふ)の笠深く、包めど匂ふ島田髷、廿の上を二ツ三ツ、超ど花香は市中に高く」あるが、「顔に似もやらず、欲深き生れ」で、母のお千代にしても、「素より色もて俗業(なりはい)の助けと、我子に善らぬ道を承知でさせし事」を常套としていた。それゆえに阿松は「毒婦」として「善らぬ事のみ色にことよせ、種々悪計を廻らして」いくのであり、それがこの『鳥追阿松海上新話』に他ならない。彼女は「色香」で徴兵隊の濱田から二百円を騙しとったことを手始めに、同じ非人の愛人大坂吉とたくらみ、呉服店の番頭の忠蔵を美人局の罠にはめ、お千代が百円を奪う。

 しかしお千代は「悪しき道(みち)には賢こき」ことから、阿松と大坂吉の姿を隠し、吉の古郷の大阪へと逃そうとし、まず二人は父の非人仲間の安次郎をたよって品川へと向かう。その「安次郎がこゝろの内は如何なることを仕出すか、そは次の巻(まき)に解分(ときわく)べし」とあり、ここで最初の「巻」が終わったことを伝えているのだろう。

 阿松の物語の最初のところだけを紹介しただけだが、江戸から明治開花期にかけての「毒婦」物語の典型的コードが提出されているとわかる。「非人」を出自としてなのか、「顔に似もやらず、欲深き生れ」だが、「色香」「花香は市中に高く」、それをコアとして「毒婦」物語が生成されていくのである。

 私はかつて拙稿「霞亭文庫と玄文社」(『古本探究Ⅲ』所収)において、渡辺霞亭の『残月』(玄文社、大正八年)にふれ、その舞台背景が所謂「部落」で、露骨な差別を張りめぐらして成立していることを既述しておいた。阿松と同様な「御維新までは穢多非人と卑しまれたものの娘」といった記述もなされ、大正十一年の水平社の成立以後も、このような「非人」をめぐる言説は延命し、霞亭の家庭小説のみならず、時代小説や探偵小説にも見え隠れするかたちで継承されていったと考えられる。それは江戸時代からの草双紙の系譜上に成立した『鳥追阿松海上新話』などの物語が範となり、様々に変奏されていったのかもしれない。
古本探究3

 しかも『鳥追阿松海上新話』は前田が「明治初期戯作出版の動向」(『近代読者の成立』所収)で書いているように、「新聞がつくり出した最初のベストセラー」であった。初版千五百余部はほぼ即日完売で、版元の錦栄堂は第二編から数千部を用意した。そして合巻は八千部を売り切り、錦栄堂は倉を立て、企画者の番頭は当時として破格の五十円の賞与を受け、故郷に錦を飾ったという。前田によれば、「この八千部という数字は、このころの小説の発行印刷としては画期的な記録であった」。それを目論んで、翌年の明治十二年に前回の『高橋阿伝夜刃譚』が競合出版されていったのである。

f:id:OdaMitsuo:20200822114657j:plain:h110(筑摩書房版)

 またさらに木村毅「水平民族文献の研究」(『文芸東西南北』所収、東洋文庫)によれば、明治十六年頃に合冊にされ、『明治毒婦伝』として刊行されたようだが、こちらは入手に至っていない。
文芸東西南北


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