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古本夜話1086 改造社『明治開化期文学集』と成島柳北『柳橋新誌』

 本探索1067や1068で、筑摩書房の『明治開化期文学集(一)』、角川書店の『明治開花期文学集』を参照してきたが、これらのタイトルとコンテンツのいずれもが、改造社の『明治開化期文学集』(『現代日本文学全集』1)を範としていることは明白である。

f:id:OdaMitsuo:20200909113403j:plain:h120(筑摩書房版)f:id:OdaMitsuo:20200909114150j:plain:h120(角川書店版)f:id:OdaMitsuo:20200909112902j:plain:h120(改造社版)

 これらに収録された作品の書肆による生産は木版技術の和本、流通販売は絵草紙店、貸本屋なども含んだ近世出版システムに基づくもので、それが江戸からつながる明治開花期の文学の特質であった。具体的にこれらの作品がどのようなものだったかを、改造社の『明治開化期文学集』を例として見てみよう。まずはそれらを収録順ではなく、年代順に出版社も含めて挙げている。

 なお番号は便宜的に振ったものである。著者名は訳者も兼ね、版元名は『明治開化期文学集(二)』(筑摩書房)所収の興津要「明治開花期文学年表」などを参照し、年度は初編、上編、第一冊刊行年とする。

1 加藤弘之 『真政大意』  谷山樓  明治三年
2 中村正直 『西国立志編』  木平謙一郎  明治四年
3 仮名垣魯文 『安愚楽鍋』  誠之堂    明治四年
4 福沢諭吉  『かたわ娘』  慶應義塾   明治五年
5 服部誠一  『東京新繁昌記』 山城屋  明治七年
6 成島柳北  『柳橋新誌』  山城屋    明治七年
7 川島忠之助 『八十日間世界一周』 丸屋善七 明治十一年
8 馬場辰猪  『天賦人権論』  馬場辰猪  明治十五年
9 東海散士  『佳人之奇遇』  博文堂、 明治十八年
10 末広鉄腸  『雪中梅』 博文堂  明治十九年
11 須藤南翠  『緑蓑談』 改進堂  明治二十一年
12 饗庭篁村  『むら竹』  春陽堂  明治二十二年

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 明治三年から二十二年にかけての十二作が「開花期文学」として収録されているわけだが、12の春陽堂はこれらの版元の中で唯一の近代出版社として成長し、やはり円本時代に『明治大正文学全集』を刊行に至る。そしてこちらの「開花期文学」としてはその1の『東海散士・矢野龍渓篇』、2の『末広鉄腸・丹羽純一郎・成島柳北・仮名垣魯文・饗庭篁村・幸堂得知篇』の二巻が該当するだろう。
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 9の博文堂の『雪中梅』に関しては、日本近代文学館の復刻を参照し、かつて拙著『出版社と書店はいかにして消えていくか』の中で、それが9の『佳人之奇遇』と異なる洋本であり、巻末の「各府県下売捌書肆」リストを示し、書店を中心とする近代出版流通システムに移行しつつあることを示唆しておいた。それらのリストの書肆として、本探索1067の辻文の名前もあった。
出版社と書店はいかにして消えていくか

 しかし博文堂にしても春陽堂と同じような方向性をめざしたと思われるが、明治二十年代に入るとその名前は見られなくなり、その代わりのように、一字ちがいであるのだが、近代出版界の雄としての博文館が台頭し、出版社・取次・書店という近代出版流通システムが成長し、そこで新旧、近世と近代の出版社の交代が起きていったのである。

 それは5の|『東京新繁昌記』と6の『柳橋新誌』の山城屋も博文堂と同じく、明治後半には出版界から退場したように思われる。山城屋は江戸書物問屋の系譜を引く山城屋政吉によって営まれていた書肆で、成島柳北の『柳橋新誌』の初編と二編の版元である。柳北とそのパリのパサージュ体験は『近代出版史探索Ⅳ』623で言及しているが、帰国後の明治七年にそれらを出版している。

 幸いなことにこの二冊はやはり日本近代文学館による復刻が手元にあり、いずれも同じ黄表紙本仕立てで、京橋銀座三丁目の山城屋政吉が奎章閣を名乗り、刊行したものである。初編は安政六年のものゆえ、明治四年の成稿第二編が『明治開花期文学集』に収録されたのである。それは本扉と「本題詞」の転載からもわかるけれど、「本題詞」も「序」も漢文で、同じく本文も漢文随筆のよる柳橋の風俗誌で、とても歯が立たない。ただ『明治開化期文学集』は読み下し文の収録なので、その最初の部分を引用し、柳北の漢文を想像してもらうしかない。「序」において、「無用之人」が「無用之書」を著したとも記す、柳北の旧幕臣の心情をも。それはすでに昭和初期においても、そのまま漢文を読むリテラシーは後退していたことを示していよう。
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 余曾て柳橋新誌を著す。今を距る既に十有二年。当時自ら以為らく、善く其の新を記せりと、而して読む者亦或は其の新を喜ぶ為。爾来、世移り物換り、柳橋の遊趣一変して新誌も亦既に腐す矣。徳川氏西遷の後、東京府内朱門粉壁変じて桑茶の園と為る者鮮からず、而して柳橋の妓輩依然として其の業を失はず、管弦を操つて風流場中に馳逐す。諸を幕吏の兎脱鼠伏して生を偸む者に比ぶれば、豈優らず哉。蓋し王政一新して柳橋亦一新す。而して未だ好事の者其の新を起する有らず。聞く傾日我が柳橋新誌を偸み刻する者有り、而して風流子弟多く買ひて之を読むと。余此の維新の日に方つて、彼の既腐の書を読むを慨く。柳橋新誌二編を作る。

 なお柳北も『柳橋新誌』の初編の「序」で断わっているように、江戸後期の文人寺門静軒の『江戸繁昌記』の影響下に書かれたもので、それは5の|『東京新繁昌記』も同様である。これらに続いて明治十年に『江戸繁昌記』も山城屋から『繁盛後記』として前後篇が一括刊行された。私も平凡社東洋文庫版を参照して私訳し、「『江戸繁昌記』のなかの書店」(『書店の近代』)を書いているので、読んで頂ければ幸いである。

江戸繁昌記  書店の近代

 また『柳橋新誌』初編は前田愛による読み下しと注釈により、角川書店の『明治開花期文学集』のほうに収録されていることも付記しておこう。

 それからこれは最後になってしまったけれど、明治前半の近世出版システム下における版元と著者の著作権の問題にもふれておくべきだろう。端的にいって、この時代にはまだ印税制度は導入されておらず、原稿は買切であった。『明治開化期文学集』の刊行は昭和六年だから、先述したように収録作品の出版は五、六十年前になる。それならば著作権の問題はどのように処理されたのか。

 それは奥付の検印紙に山本の印が打たれていることから考えると、ここに収録された十二編は編纂者となっている山本三生、発行者の山本美、もしくは改造社との山本実彦が版元、あるいは著者の遺族に対して著作権料を払い、その出版権を得たことを告げている。本探索1063の『現代日本文学大年表』でも山本の検印を見たばかりだが、『現代日本文学全集』の著作権や印税処理も各巻によって様々に異なっていたと推測される。

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