前回、藤村の自費出版の試みを引き継いだのは、漱石の『こゝろ』だったのではないかとの観測を提出しておいた。ところが実際はその逆で、藤村が範としたのは他ならぬ漱石だったと思われる。それに漱石は藤村より遅れて、明治四十年代になってからだが、『朝日新聞』に初めて新聞小説の『虞美人草』を連載して以来、それらを次々と春陽堂から単行本として上梓していく。この時代にあって、漱石は春陽堂の専属作家のようなポジションに置かれていたといっていい。それらを大正元年の『彼岸過迄』の巻末広告から、重版、実価も含めてたどってみる。
1『鶉籠』 | 第十二版 | 実価一円三十銭 |
2『三四郎』 | 第七版 | 実価一円三十銭 |
3『草合』 | 第二版 | 実価一円七十銭 |
4『文学評論』 | 第三版 | 実価一円八十銭 |
5『虞美人草』 | 第九版 | 実価一円五十銭 |
6『それから』 | 第三版 | 実価一円五十銭 |
7『四篇』 | 第二版 | 実価一円二十銭 |
8『門』 | 第三版 | 実価一円三十銭 |
9『切抜帖より』 | 第四版 | 実価七十銭 |
10『彼岸過迄』 | 新刊 | 実価一円五十銭 |
刊行順は2と5が逆であるけれど、そのまま転載している。このうちの1と2は近代文学館、3、5、6、7、9、10は日本リーダーズダイジェスト社の復刻で、いずれも手元にある。これらはすべてが「橋口五葉氏意匠」による、菊判上製の造本と装幀で、漱石の小説が美術品のようにして出版されていたことを再確認させてくれる。それらに比べると、前回の藤村の詩集の佇まいが気の毒に思えてしまう。そのことだけでも春陽堂にとって、詩と小説のちがいはあるにしても、詩人の藤村と元東京帝大英文科講師で、朝日新聞招聘作家としての漱石の待遇の格差が反映されていると考えられる。
これらの造本と装幀の大半は『夏目漱石』(「新潮日本文学アルバム」2)などで見ることができるけれど、あらためて橋口を『日本近代文学大事典』で引いてみる。
橋口五葉 はしぐちごよう 明治一三・一二・二一~大正一〇・二・二五(1880-1921)版画家、装幀家。鹿児島生れ。本名清。はじめ橋本雅邦に師事し、明治三八年東京美術学校西洋画科を卒業する。在学中白馬会に出品し、また「ホトトギス」誌裏表紙などを寄せているが、それが縁で夏目漱石『吾輩ハは猫デアル』いらい装幀家として知られる。(中略)谷崎潤一郎『刺青』、泉鏡花『三味線堀』をふくむ籾山書店の叢書に蝶をあしらった木版和紙使用の装幀をし、胡蝶本の名声を得たように、その装本は近代の出版界につよく日本好みを主張している。
これも『近代出版史探索Ⅱ』219で、籾山書店にふれているが、橋口の装幀だとは認識していなかった。そこでこれも近代文館復刻の『刺青』を見てみると、たしかに橋口ではあったけれど、小説の内容とナミ判ゆえか、華やかなイメージは備わっているが、菊判の漱石本に共通する独特のアウラは感じられない。やはり近代文学にあって、漱石本は作品のみならず、造本や装幀においても別格で、『こゝろ』の出版を経て、それらをすべて岩波書店が引き継ぎ、全集刊行に至ったことにより、文学と出版にまつわる漱石神話が確立されていったとあらためて実感させられる。
それに加えて、松岡譲『漱石の印税帖』(朝日新聞社、文春文庫)や山本芳明『漱石の家計簿』(教育評論社)にも明らかなように、漱石の印税率は高く、春陽堂は初版が三千部で十五%、重版以降は二十%、六版以上は三十%に及んだという。山本の言を借りれば、「漱石はこの時期の小説家として稀に見る経済的成功を収めたのである」。その事実を裏づけるように、先に挙げた春陽堂の漱石本の奥付には夏目の印が検印のところや著作者名に押されている。異なっているのはその『草合』だけで、これは夏目と春陽堂の双方の印が押されているが、『野分』と『坑夫』の二作を収録しているからで、『野分』の版権絡みなのかもしれないが、詳細は定かではない。
このような漱石の「小説家として稀に見る経済的成功」は藤村ばかりでなく、多くの文学者に大きな影響を与えたにちがいない。しかしそれが広く見えるようなかたちで実現したのは昭和円本時代を迎えてであった。拙稿「円本・作家・書店」(『書店の近代』所収)で既述しておいたように、藤村は短編「分配」(『島崎藤村全集』7所収、筑摩書房)において、『現代日本文学全集』によって生じた思いもよらない二万円という大金を得ることになったのだ。それは藤村だけでなく、物故者も含め、多くの近代文学者たちに等しく「分配」されたのである。
しかしこの昭和円本時代をひとつの区切りとして、漱石本のような造本と装幀による小説出版は後退していったと思われる。なぜならば、そうした試みが可能だったのはまだ書籍が買切扱いで流通販売されていたからで、現在のような返品委託制下では返品による痛みや汚れが生じてしまい、作品と商品の魅力の双方の損傷を避けられない。しかもこの大量生産の円本が書籍の返品をうながすきっかけになったと伝えられている。
例えば、春陽堂の漱石本で気にいっているのは『彼岸過迄』だが、これは函入であるにしても、返品制のもとでは造本や装幀の痛みは避けられない。とりわけ函の交換、追加生産が必至で、それは採算ベースの見直しによる実価上昇へと結びついていったであろう。そうした事実は大倉書店、服部書店共同出版の『漾虚集』も同様で、かつてその造本、装丁、挿絵などにふれた拙稿「江藤淳『漱石とアーサー王伝説』と『漾虚集』」(『古本屋散策』所収)を想起した次第だ。
これも日本リーダーズダイジェスト社の『復刻初版本夏目漱石文学選集』の一冊で、拙稿はこの同社の復刻問題にもふれているので、よろしければ参照されたい。
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