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古本夜話1096 「春陽堂予約出版事業」と『長塚節全集』

 前回、買切原稿料から印税制度に移行したのは昭和円本時代を通じてのことだったと述べたが、その実例を大正十五年から昭和二年にかけての春陽堂の『長塚節全集』全六巻に見てみる。

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 その前に第一巻にはさみこまれた「春陽堂予約出版事業」の払いこみチラシにふれておこう。そこには次のような円本全集類と刊行状況が記されている。
 

1『黙阿弥全集』 (全二十八巻)   二十回迄配本済
2『大南北全集』 (全十五巻)    八回迄配本済
3『鏡花全集』  (全十五巻)    六回迄配本済
4『長塚節全集』 (全六巻)     目下募集中
5『逍遥選集』  (全十二巻)    準備中
6『円朝全集』  (全十二巻)    準備中
7『藤村全集』  (全十二巻、共同出版)  完了
8『漱石全集』  (全十四巻、共同出版)  完了
9『鷗外全集』  (全十八巻、共同出版)  十五回迄配本済
10『大杉栄全集』 (全十巻、共同出版)   六回迄配本済

 3の『鏡花全集』『近代出版史探索Ⅲ』553、10の『大杉栄全集』『近代出版史探索Ⅱ』331ですでに取り上げている。今回の『長塚節全集』は第六巻の岡麓「巻末総記」によれば、以下の経緯をたどっている。これは大正十年に全集編集の企てが始まり、主として島木赤彦と森山汀川がその任についた。材料収集、筆写は森山、柳平末雄が務め、同十四年六月にほぼ終了し、その秋に平福百穂、島木、斎藤茂吉、中村憲吉、土屋文明、森山、岡が編輯同人となり、十五年に春陽堂に原稿を渡し、発行を依頼した。ところが島木は刊行を見ずして、三月に病死してしまった。

近代出版史探索Ⅲ 近代出版史探索Ⅱ

 そうした中で、斎藤茂吉が第一巻「巻末記」を書いているように、多大の労を払い、『アララギ』同人たちの助力もあった。このような『長塚節全集』の編集事情と経緯を知ると、節の十三忌の全集企画に当たって、主として『アララギ』や『馬酔木』関係者が集い、まさに手弁当で資料収集と筆写、編集に携わり、万事を整えた上で、春陽堂に製作と発売を委託したと推測される。

 岡の言を借りれば、「長塚氏が生前『土』を出版した時、大層悦んだその装幀と同じい(ママ)平福氏が、この全集の装幀をされた。故島木氏、斎藤氏、中村氏、森川氏、いずれも深い交りの人々である。何の役にも立てなかつたが、ふるい友のよしみに、小生も編輯者の末に列なつた」のである。つまり本探索でしばしば使用して生きた用語を当てはめると、『長塚節全集』はこれらの編輯同人を発行所、春陽堂を発売所として出版されたことになろう。このような全集出版形式は円本時代にあって、多く採用されたもののように思えるし、そうしたシステムが導入されたことによって、多くの個人全集が刊行に至ったとも考えられる。またそこには知られざる多くの編集者が存在していたことになろう。
f:id:OdaMitsuo:20201122190756j:plain:h115(『土』)

 『長塚節全集』でいえば、それは森山汀川に他ならないのだが、彼は意外にも『日本近代文学大事典』の立項に見出すことができた。

 森山汀川 もりやまていせん 明治一三・九・三〇~昭和二一・九・一七(1880~1946)歌人。長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)の生れ。本名藤一。諏訪中学卒業後ながく小学校教員として地方教育に尽くした。一八歳のころ俳句を作り、「ホトトギス」に投稿。明治三三年、正岡子規に会い、ついで久保田山百合(島木赤彦)を知った。三六年赤彦らと「諏訪文芸」の後継歌俳句誌「氷むろ」(「比牟呂」)を創刊。「馬酔木」など根岸系雑誌にも
作品を発表した。四二年「比牟呂」「アララギ」の合同を機に赤彦と行をともにし、昭和四年一月以降選歌を担当、戦後は「ヒムロ」の発刊にも尽力した。地方在住のアララギ歌人に終始したが、謙抑篤実な人がらを反映した作品が多い。(後略)

 昭和七年の『峠路』から一首を引いておこう。「汽車とまる山のさびしき町かたち梅雨の晴れまの日を受けており」。おそらくは森山のような「謙抑篤実な」歌人が、歌俳誌の周辺には多くいて、そうした人々を不可欠の編集者として、その分野の全集類が編まれ、出版されていたにちがいない。その典型が『長塚節全集』だったといえるのではないだろうか。

 さてそのように刊行となった『長塚節全集』の各巻の奥付を見てみると、そこには「著作者検印」として「長塚」の印が押されていて、この全集の著作権が節の遺族の手にあり、印税も発生しているとわかる。もちろんすべての個人全集ではないにしても、円本時代を迎え、『近代出版史探索Ⅲ』476のまさに改造社と春陽堂が奪いあい、前者に決まった『小酒井不木全集』ではないけれど、全集出版が競合するようになっていたのである。そのことから必然的に著作権や印税に関しても、著者の側が有利となっていったと判断できよう。最初に挙げた「春陽堂予約出版事業」のすべてが当てはまるかどうかは確認していないが、『長塚節全集』はそれを体現していたのである。

f:id:OdaMitsuo:20201130111749j:plain:h105(『小酒井不木全集』)


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