出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1126 創元社『シェークスピヤ全集』一巻本

 これは戦後のことになってしまうが、坪内逍遥訳『シェークスピヤ全集』の再刊にもふれておきたい。

 それを意識したのは辻佐保子の『「たえず書く人」辻邦生と暮らして』(中央公論新社)を読んだからでもあった。私は辻邦生のよき読者とはいえないけれど、『夏の砦』(河出書房新社)や『安土往還記』(筑摩書房)に続いて、昭和四十年代後半には『背教者ユリアヌス』(中央公論社)や『嵯峨野明月記』(新潮社)が出され、辻が小川国夫、塚本邦雄と並んで、三クニオの時代と呼ばれていたことを思い出す。

「たえず書く人」辻邦生と暮らして  背教者ユリアヌス (1972年)  嵯峨野明月記

 それらのことはさておき、この辻夫人による『辻邦生全集』(新潮社)の「月報」連載の単行本を読んでいると、次のような記述に出会った。辻は一人でパリに滞在し、福永武彦の勧めで、『婦人之友』に、キリシタン信仰をテーマとする『天草の雅歌』(新潮社)を連載していた。

辻邦生全集〈1〉 (『辻邦生全集』)

 出版社から送られてくる日本史関係の膨大な資料のほかに、精神を安定させる〈重し〉として、愛用していた分厚いシェイークスピア全集(坪内逍遥訳)がどうしても必要だと言われ、急いで航空便で送った。シェイクスピアとは、仲のよいなんでも相談にのってくれる友人のような気持でいたらしい。

 この「分厚いシェイクスピア全集」とは昭和二十七年に創元社から刊行された『シェークスピヤ全集』で、手元にある。この一巻本は函入、B5判上製、厚さ6センチ、一三四六ページに及ぶ大冊に他ならない。定価は四千円だから、当時の書籍としてもとりわけ高定価だったはずだ。

f:id:OdaMitsuo:20210202113701j:plain:h115(『シェークスピヤ全集』、創元社)

 その「序」は「今や新らしき文化日本の建設に際して、坪内逍遥博士が畢生の訳業たるシェークスピヤ全集を、一巻本として、文芸愛好家のみならず、ひろく一般家庭のために送り得るやうになつたことは、わたくしどもの非常に欣快とするところである」と始まっている。「今や新らしき文化日本の建設に際して」との言は、戦後日本の出版の位相を物語るものであるし、そのために坪内逍遥訳のシェークスピヤが文化の再建と演劇と新しい芸術運動への貢献を目的として提出されたのだ。それは「あらゆる日本語の語彙を豊富に駆使した、融通自在の訳文そのもののうちに、明治・大正・昭和三代にわたる日本近代文学の集大成」ともなっている。かくして「序」は「ここに、初めて我が国に生産された、画期的な一巻本シェイークスピヤ全集を高く捧げて、明るい生活の創造と、未来の演劇のために乾杯」と結ばれている。おそらく辻邦生もその乾杯に連なった一人だったことになろう。

 そして「凡例」も述べている。これは坪内訳『シェークスピヤ全集』としては第三回の改版で、「初刊は、早稲田大学出版部によって明治四十二年より昭和三年にわたり発行された四十冊本。第二刊は、中央公論社によって昭和八年より同十年にわたり発行された新修版であつた」。これは前回既述したとおりだが、創元社版はその「全作品を一巻本」としたのである。私見によれば、この一巻本全集フォーマットは本探索1101の改造社『日本文学大全集』に範を仰いでいると思われる。それにはどのような経緯と事情が絡んでいるのだろうか。

f:id:OdaMitsuo:20210203164227j:plain(早大出版部)ハムレット (新修シェークスピヤ全集第27巻) (中央公論社)f:id:OdaMitsuo:20201208130822j:plain:h100(『日本文学大全集』)

 「序」は編纂委員の日高只一、本間久雄、坪内士行、河竹繁俊の四人の連名で出され、「早稲田大学坪内博士記念演劇博物館にて」と記されている。また奥付の著作権保有者は演劇博物館内の財団法人国劇向上会代表者の河竹繁俊で、坪内の著作権が国劇向上会へと移管されたことがわかる。その背景には演劇博物館の設立も大いに連鎖している。昭和三年に逍遥の古希と早大出版部の『シェークスピヤ全集』翻訳完成を記念して、有志の発起により、各界二千余名の寄付により、演劇博物館が建設され、公益機関として無料公開される。河竹は『近代出版史探索Ⅲ』424で言及しているように、演劇博物館の館長を務めていた。その博物館の後援団体が国劇向上会で、昭和六年には河竹たち四人を始めとする演劇雑誌『芸術殿』が創刊され、十年の逍遥の死後の追悼号まで出されたが、その翌年に廃刊となっている。

近代出版史探索III

 このように演劇博物館と国劇向上会の歩みは、出版と不可分であったことから、戦後になっても引き継がれ、それらは東京堂の『芸能辞典』(昭和二十八年)、本探索でも、しばしば参照している平凡社の『演劇百科大事典』(同三五年~三七年)へと結実していく。『シェークスピヤ全集』もまたそのひとつだったといえよう。それがどうして創元社だったのかだが、「序」に見えているように、日夏耿之介の尽力によっている。日夏はこの時代に、創元社から『鷗外と露伴』『ポオ詩集』 『ワイルド全詩』『日夏耿之介全詩集』を上梓し、深い関係にあったし、中央公論社との版権問題にも関わっていたのかもしれない。それで『シェークスピヤ全集』も実現の運びになったと推測される。

f:id:OdaMitsuo:20210203142436j:plain:h115 ポオ詩集 (1950年) (創元選書〈第189〉)

 しかし問題なのは版元の創元社のほうで、『シェークスピヤ全集』刊行後の昭和二十九年に倒産してしまう。多大な製作費を要するこの全集が足を引っ張ったとも考えられる。それに大部の一巻本全集、四千円という高定価は、まだ「戦後」に他ならなかった昭和二十七年には時期尚早だったのではないだろうか。

 それもあって『シェークスピヤ全集』の後日譚はまだ続いていくのだが、こちらは稿をあらためることにしよう。


odamitsuo.hatenablog.com

 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら