出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1197 金子健二訳『全訳カンタベリ物語』

 前回、読み巧者の平田禿木が『カンタベリ物語』『千一夜物語』『デカメロン』を三大短編集成としていることにふれたが、そこまでいわれれば、これまで取り上げてこなかったチョーサー『全訳カンタベリ物語』もここで書いておくしかないだろう。同書は『近代出版史探索』14や『近代出版史探索Ⅱ』220で書名を挙げておいただけだったけれど、二十年ほど前に入手している。出版社は本探索1187などの東亜堂である。

 ただ現在にあって、チョーサーにしても、『カンタベリー物語』にしても、『千一夜物語』や『デカメロン』よりも馴染みが薄いと思われるので、これも『世界文芸大辞典』における訳者の金子健二自身による解題の最初の部分だけを示しておく。

 「カンタベリ・テールズ」“ The Canterbury Tales ” 『カンタベリー物語』英国詩人のチョーサーChaucer(1340?~1400)の最大傑作にして且世界的名篇の一。律語体物語詩篇二十一、総序歌(プロローグ)一篇、散文詩物語二篇、通計二十四篇、而して律語のもの実に一万七千行(ライン)、名実共に古今無比の大文学である。「ロンドン郊外の駅亭サザークのタバード・インに偶然一緒に泊つた二十九名のカンタベリ霊地参詣の香客(ピリグリム)が、夕食後その旅舎の主人の発企で、明朝から二十九名が一団となつて騎馬で旅行することと、各人往復の途上、二回お話を試み、又そのお話に入る前に必ず序歌を加へることとし、最後にこの旅舎に還つてから、お話の出来栄(できばえ)を批評した上で、最も成績のよかつた者に皆の伴侶で大い饗応することを約束した」といふのがこの詩篇の発端である。(後略)

 チョーサーの死によって未完に終わったが、当時の英国社会の風俗絵巻そのもので、近世英語の統一、国民文学を樹立したとされる。その範は『デカメロン』にも求められ、それに平田禿木は『千一夜物語』も加えていたのであろう。

 この金子による全訳は、現在の文庫判に近い判型ながら上製函入、八一六ページに及び、造本は草模様をあしらい、典雅といえる。『全訳カンタベリ物語』の大正六年の東亜堂からの出版に至る経緯と事情は定かでないが、全訳プロセスはその「緒言」に記されている。チョーサーに接したのは大学時代で、『カンタベリ物語』の「序の歌」も読み終わるか終わらないうちに「絶交」したものの、多少の未練を残していた。それから留学してチョーサーを研究するに及んで、「旧交を温むる」ことになり、帰朝後全訳の試みが芽ばえた。そして明治四十三年暮から始めて大正四年暮と五年の歳月を経て完了したと述べ、次のように記している。

f:id:OdaMitsuo:20210823113148p:plain:h120 (『全訳カンタベリ物語』、東亜堂版)

 本書出版の一理由は本邦に於ける英語及び英文学研究家に原文と対照してチョーサーを学ぶに便あらしめんが為である(中略)。予が翻訳の際かく記しては邦文としては不自然にして且重複煩雑にあらずやと覚りつゝ然も敢て原文の構造に重きを置いて寧ろ直訳に近き体すら採つた所以のものは主として如上の目的に出たものである。予は実に此目的を以て終始作文の筆を執たのである。主観的態度を離れて全く客観的に原文を訳せんとするのは予の主義であつた。

 私の場合、続けて集まった「香客」群像を描いて傑作とされる「序の歌」の「甘露のやうな春雨がしとゝゝと降つて来たので乾ききつて居た三月の大地が底の底のどん底までしっぽり濡れ、樹木と言ふ樹木は髄の奥まで雨に漬つて、蕾が其恩沢で綻びかけて来た」という始まりから読んでいった。だが小型本に全訳八一六ページを詰め込んだために、細かい字の15行×45字の組ゆえに、金子ではないけれど、ギブアップしてしまった。彼が最後に「あゝかたじけないかたじけない」と付加し、翻訳を終えている心境もわかるような気がした。

 それもあって『日本近代文学大事典』を引いてみたところ、思いがけずに、金子が見出されたのである。

 金子健二 かねこけんじ 明治一三・一・一三~昭和三七・一・3(1880~1962)英語学者。新潟県生れ。東大英文科卒。広島高師教授より文部省督学官。静岡、姫路高校校長を経て昭和女子大学長。古代中世英語専攻。著書に『英語発達史』(大七・四 健文社)「英吉利自然美文学研究』(昭三・四 泰文堂)『東洋文化西漸史』(昭一八 冨山房)『人間漱石』(昭二三 いちろ社)、翻訳に『カンタベリ物語』(大六、昭二三 東亜堂書房 本邦初訳)ほか。

 この立項を見て、東亜堂からの出版を了承できるように思われた。本探索1187の水上斎も明治十三年生まれで東大英文科で、金子もまったく同じなので、二人は友人関係にあったはずだ。水上が夏目漱石の教え子であったように、金子にも『人間漱石』の著書があったことを考えれば、金子も同様だったと見なせよう。

f:id:OdaMitsuo:20210823195516j:plain:h120

 私は東亜堂版『ボワ゛リー夫人』を見ておらず、譲受出版の三星社版しか持っていないが、その函の模様は『全訳カンタベリ物語』とこれもまったく同じなのだ。また奥付は金子の検印は見られないし、発行所の東亜堂のところに「東」の印が打たれていることからすれば、これは自費出版と目すべきかもしれない。おそらく金子は友人の水上を通じて、東亜堂からの『ボワ゛リー夫人』のような造本での出版を依頼したのではないだろうか。しかし単行本として『全訳カンタベリ物語』が売れるはずもないので、金子が自費出版したと見なすのが妥当のように思われる。

f:id:OdaMitsuo:20210823193554j:plain(『ボワ゛リー夫人』、三星堂)

 戦後になって『カンタベリ物語』(『世界文学大系』所収、筑摩書房)を西脇順三郎が翻訳していることから、やはり彼が訳したエリオット『荒地』(創元社)を連想してしまった。先の「序の歌」の冒頭は、『荒地』にも影響を及ぼしているようにも思われるからだ。
 
筑摩世界文学大系 (12) 荒地 (1952年)

odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら