しばらく間があいてしまったが、ここで新潮社に戻る。本探索1203の「海外文学新選」と併走するように、新潮社から「中篇小説叢書」が刊行されていた。同じく四六判並製、一六〇ページのフォーマットだが、装幀は佐藤春夫によるとされる。この「叢書」は次のように謳われていた。「中篇とは、長篇よりも短く、短篇よりは纏まつた二百枚前後の作品、海外に於てノヴエレツトと称するものに名づけたので、収むる所の存在の各篇、何れも現代文壇中堅作家の名作揃である。短篇を雑然輯めた叢書類の比でないことは云ふ迄もない」と。
(「海外文学新選」15、『卵の勝利』)
この「中篇小説」=「ノヴエレツト」のコンセプトに基づくシリーズは管見の限り、この新潮社の「中篇小説叢書」しか目にしていないし、このキャッチコピーも、そのリストを示してのものなので、ここでもそれらを挙げておく。
1 | 里見弴 | 『潮風』 |
2 | 佐藤春夫 | 『剪られた花』 |
3 | 加能作次郎 | 『世の中へ』 |
4 | 谷崎精二 | 『明暗の街』 |
5 | 室生犀星 | 『走馬灯』 |
6 | 武者小路実篤 | 『二人の彼』 |
7 | 久保田万太郎 | 『露芝』 |
8 | 宇野浩二 | 『山恋ひ』 |
9 | 宮地嘉六 | 『破婚まで』 |
10 | 豊島与志雄 | 『野ざらし』 |
11 | 細田源吉 | 『存生』 |
12 | 谷崎潤一郎 | 『アヱ゛マリア』 |
13 | 水守亀之助 | 『闇を歩く』 |
14 | 藤森成吉 | 『旧先生』 |
15 | 江口渙 | 『恋と牢獄』 |
16 | 加藤武雄 | 『都会へ』 |
17 | 細田民樹 | 『熱愛の日』 |
このうちの14の藤森成吉『旧先生』しか入手していない。『近代出版史探索Ⅵ』1101で改造社の『藤森成吉全集』にふれているし、そこでも「短篇小説」として『旧先生』は収録されているけれど、あらためてこの「中篇小説叢書」で読んでみよう。それはこの作品が戦後の高度成長期までは続いていた先生と生徒の物語の祖型のようにも思えるし、やはり先生と生徒の物語に他ならない小津安二郎の『秋刀魚の味』をも彷彿させるからである。
『旧先生』は三編からなり、第一編は「私」が同郷の中学の先輩Kから卒業後の英語の山川先生の消息を聞く場面から始まっている。まだそこでは「私」が小説家だと明かされていない。実は第一編をたどり、山川先生のプロフィルとその後の軌跡を紹介するつもりでいたのだが、第二編に入ると、そこにまず第一編のシノプスが提出されていたので、それを示しておくほうがいいと思われる。「私」は先生が東京に戻っていることを知り、四、五年前に先生をモデルとして小説を書いたことを葉書に記すのである。
正直に書いたとほり、私は山川先生の過去を題材として『旧先生』という小説を発表したことがあつた。その中で、私は一個の若々しい空想的情熱家を描いた。中学の教室で、生徒に向かつて海外発展を説く老先生、説くばかりか、自ら甲州の八ケ岳の麓に開墾してほとんど学校の事業もそつちのけに働いている先生、やがて学校騒動によつて、十何年も住んだ第二の故郷の信州を去つて東京へ出た先生、落魄の後なお植民の空想がやめられずに、南洋のニユウカレドニア島へ移住しようとし、それが失敗すると忽ち北海道の、而かも北見の国へ一家全体を率ひて開墾に行つて了つた先生――そう云ふ老情熱家の生涯を私は書いたのだつた。
やはり先生と生徒の物語ではないけれど、戦前の「海外発展」や「植民の空想」は昭和三十年代までは継承されていた現実があったように思われる。炭坑労働者のブラジル移民をルポタージュした上野英信の『出ニッポン記』『眉屋私記』(いずれも潮出版社)はそのことを伝えていよう。
実は私も「謎の作家佐藤吉郎と『黒流』」(『近代出版史探索外伝』所収)で、戦前における南北アメリカ移民史を追跡している。それは明治後半に島貫兵太夫によって設立された日本力行会とその会員だった佐藤吉郎、彼によって書かれた幻の小説『黒流』の内容をたどり、分析することで、大正時代の海外移民の一端を浮かび上がらせようとした試みである。この佐藤の『黒流』は当時の日本の小説から見ても、異様な作品に他ならず、人種戦をベースとする冒険小説のような色彩に包まれている。
その『黒流』を、石川達三のブラジル移民を描いた『蒼氓』、久生十蘭のアメリカ移民とアメリカとの人種戦をテーマとする『紀ノ上一族』へとリンクさせることで、戦前における「海外発展」と「植民の空想」をトレースし、それらとは逆立してしまう移民の実態を表出させようとしたのである。大正時代には『旧先生』のような「中篇小説」が書かれる一方で、『黒流』のような異形の物語が提出されていたことになろう。
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