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古本夜話1284 大森義太郎『唯物弁証法読本』と永田広志『唯物弁証法講話』

 本探索1279で、プロレタリア文学や社会運動の隆盛に伴う多種多様な左翼文献の翻訳出版を指摘しておいた。それは『近代出版史探索Ⅱ』213に典型的な左翼系小出版社だけでなく、大手出版社にも及んでいて、時代のトレンドとして売れ行きもよかったのである。

 そのようなブームの中で、『近代出版史探索Ⅲ』537の新潮社による高畠素之訳『資本論』も刊行されたのであり、売れ行きもまた出版資本の論理にかなっていたと判断できよう。それは中央公論社も例外ではなく、昭和八年四月に大森義太郎の『唯物弁証法読本』が出されている。そのことは驚くに値しないけれど、手元にある裸本の一冊は昭和十年十二月の刊行で、何と五十版を重ねている。ということは当時の重版の数え方やその部数に関して詳らかにしないけれど、少なくとも毎月のように増刷されていたことなる。裸本だが、上製、定価一円二十銭、本文は総ルビで三〇一ページ、それに「参考書目」「件名索引」「人名索引」三三ページが付され、「読本」形式の入門、啓蒙書としての体裁は整っているし、最初からそのように意図され、企画されたとわかる。口絵写真はマルクスの墓と墓碑銘である。

 また巻末の「中央公論社発行書目抄」を見てみると、大森の同書や『まてりありすむす・みりたんす』と並んで、猪俣津南雄『金の経済学』、蔵原惟人『芸術論』、ラ・メトリ他、杉捷夫訳『フランス唯物論哲学』、カウツキー、向坂逸郎訳『農業経済学』、ウイツトフォーゲル、平野義太郎訳『支那の経済と社会』上下巻、H・W・シュナイダー、佐々弘雄訳『フアツシズム国家学』なども出されている。中央公論社出版部は『近代出版史探索Ⅲ』603などで既述しておいたように、昭和四年のルマルク、秦豊吉訳『西部戦線異状なし』のベストセラーから始まっているわけだが、『唯物弁証法読本』などのマルクシズム文献の出版も時代のトレンドから企画されていったのだろう。

(『フランス唯物論哲学』)(『西部戦線異状なし』)

 それらはともかく、『唯物弁証法読本』に戻ると、大森は「序」でマルクスの没後五十年の記念出版で、「マルクスの理論を日本の大衆の間にひろく理解させようと試みた」ものだと述べている。それは序論の「唯物史観とは、いつたい、どんなものか」に具体的に語られている。それは唯物史観によって、「我々の重大な注意の的になる例へば国際連盟問題、戦争の危機、アメリカの金融恐慌、ドイツのヒットラー政権の掌握、そのほかなんの問題でも」歴史法則を理解し、問題を解かなければならないと表明されている。

 大森は労農派マルクス経済学者で、東京帝大助教授となり、学生の人気を集め、山田盛太郎、平野義太郎とともに「東大三太郎」と呼ばれたという。しかし学内外の政治活動ゆえに昭和三年には退職し、それ以後は雑誌『労農』の編集、改造社版『マルクス・エンゲルス全集』の企画、匿名時評などに携わっていたようで、そうした私的状況の中で『唯物弁証法読本』も書かれ、出版されたことになろう。だが十二年には人民戦線事件で検挙され、十五年には死去している。
マルクス=エンゲルス全集 第11巻 剰余価値学説史 第三巻

 その大森の『唯物弁証法読本』を追いかけるように、昭和八年十一月白揚社から永田広志の『唯物弁証法講話』が刊行されている。こちらのほうも「講話」とあるので、大森の著書と同じく啓蒙書的な印象を与えるが、実際にはマルクス、エンゲルス、レーニンのレーニンの哲学的著作をベースとする、まさに弁証法的唯物論の問題に取り組んだ専門書といえる。

 そこで永田に関して『近代日本社会運動史人物大事典』を繰ってみると、東京外語露語部文科出身の唯物論哲学者で、昭和二年から翻訳研究活動に入り、五年にプロレタリア科学研究所に加わり、八年には唯物論研究会を設立し、唯物論弁証法研究会の責任者となっている。その過程で労農派大森義太郎が徹底的に批判されることになり、長田の『唯物弁証法講話』にしても、大森はブハーリンの亜流として、名指しで批判され、またそれが売れたようなのだ。『同大事典』』におけるその部分を引いてみる。

近代日本社会運動史人物大事典

 同年11月、『唯物弁証法講話』刊。37年5月まで16版を重ねた本書の狙いは、現実の闘争との連関で唯物弁証法哲学を理解することにと注がれていたが、通俗化されることなく、理論的には高い水準を示していた。当時ソ連はスターリン統治下で形式論理学構築が徹底的に排除され、それ故弁証法論理学構築への試みも殆んどなかったにも拘らず、長田はレーニンの遺稿を手掛りに本書で「概念論」の唯物論的究明を試みた。(後略)

 さらに永田とその著書への言及は続いているのだが、これ以上踏みこまない。ここで注視したいのは大森の『唯物弁証法読本』の五十版に対して、『唯物弁証法講話』のほうも「16版を重ねた」という事実であり、この時代において、新潮社のみならず、中央公論社にとっても、また左翼出版社の白揚社にとっても、左翼文献やマルクシズム書の出版は資本の論理にかなっていたことになる。しかもそれらは小出版社や新興出版社の場合、本探索1257でみたように、大手出版社とは流通や販売が異なっていたと思われるし、想像する以上に広範にして多種多様なかたちで出版されたのではないだろうか。

 それらの一例として、ロゾヴスキー、産労関西支局訳『軍事科学とストライキ』(労農書房、昭和五年)、ネストリープケ、協調会抄訳『各国労働組合運動史』(協調会、大正十五年)が挙げられ、入手しているが、手がかりがつかめていない。

 なお『唯物弁証法講話』は戦後の昭和二十一年のものによっている。その巻末広告には同じく広田の『唯物史観講話』『日本封建制イデオロギー』が掲載され、彼の戦後における復活を伝えていよう。

 


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