出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1283 川添利基訳『劇場革命』、中村雅男訳『デッド・エンド』、テアトロ社

 前回日本プロレタリア演劇同盟(略称プロット)発行の機関誌『プロレタリア演劇』を挙げておいたが、残念ながらこの雑誌は復刻されていない。それでも『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」には三段に及ぶ解題があり、昭和五年に創刊、六年に『プロット』と改題、八年には再び『プロレタリア演劇』へと戻り、同年に終刊とある。これらの「三誌はプロットの共産主義演劇運動の出発、上昇、凋落の三段階を示」すと評されている。

(『プロレタリア演劇』)(『プロット』)(『プロレタリア演劇』)

 この前後史を伝える二冊の演劇書を入手しているし、また『近代出版史探索Ⅱ』205において、それらの前提となる大正時代の相次ぐ劇場や試演会の創立も既述しているので、ここでふれておきたい。

 まずシエルドン・チェネェ、川添利基訳『劇場革命』だが、これは大正十三年に『同Ⅵ』1158などの聚芳閣から刊行されている。チェネェはアメリカの演劇評論家のようで、十三の口絵写真のほとんどがアメリカの劇場舞台を対象としていることにうかがわれる。実際に内容もアメリカの劇場の新運動に関するもので占められ、原タイトルは明らかではないけれど、それゆえに『劇場革命』という翻訳タイトルが採用されたのではないかと推察される。

劇場革命

 川添は「訳者の序」で、日本の演劇史は劇場の興行方針の「儲ける」ことに基づく「俳優本位」であり、「劇団に舞台の監督の位置は確保されない」ゆえに、「凡てが商売」「凡てが遊戯」となってしまうと述べている。また「我々の飢えて居る心を、魂を、満たしてくれる演劇は一つもないではないか!」と訴え、新しい生命を有する演劇のための「劇場革命」を提起している。彼は巻末広告によれば、東亜キネマ脚本部員で、『映画芸術研究』という別の訳書もあり、それと映画劇協会編『近代映画劇脚本選集』(第四版)が並んでいることから、これも川添絡みだと考えられる。聚芳閣は小説や演劇書だけでなく、映画書も手がけていたことになる。

(『近代映画劇脚本選集』)

二冊目のほうはシドニイ・キングスレイ、中村雅男訳『デッド・エンド』の脚本で、昭和十三年にテアトロ社から刊行されている。さすがに『劇場革命』から十年以上を閲しているので、表紙では「附」として、「村山知義演出プラン」「橋本欣三装置プラン」の収録も示され、「俳優本位」ではなく、「舞台監督」の位置づけが確保されているとわかる。この『デッド・エンド』は昭和十三年第一回上演として、築地小劇場、名古屋八重垣劇場、大阪・京都朝日会館で幕開けされたようだ。

 

 だがここでは戯曲『デッド・エンド』にはふれず、版元のテアトロ社のほうに焦点を当てたい。それは同社の演劇雑誌『テアトロ』が実質的に『プロレタリア演劇』を継承するもので、昭和九年に秋田雨雀を編集長として創刊されているからだ。『テアトロ』の第一次は十五年の廃刊までとされるが、戦後も数次にわたって刊行され、現在も版元を変え、続いている。それもあってか、『日本近代文学大事典』第五巻でもその解題は一ページ以上に及び、「テアトロ」がエスペラント語の「演劇」であるとも書かれている。

(『テアトロ』)

しかし『デッド・エンド』の奥付から先の解題とは異なるテアトロ社の側面も見えてくるので、それをトレースしてみよう。発行者は江津誠とあり、その名前は『近代日本社会運動史人物大事典』の索引に見出せるが、江津萩枝に組みこまれている。そこで萩枝のほうを引いてみると、次のようなことがわかる。彼女は日本女子大出身の劇作家志望で、二年上級の沢村貞子が所属していた移動劇団メザマシ隊に入り、プロット本部組織部書記を務めるかたわら、女優小杉てるとして舞台に立ち、組織部長だった若松和夫(江津誠)と結婚する。ここでようやく江津誠に出会うことになる。

近代日本社会運動史人物大事典

 若松は昭和七年から九年まで治安維持法違反で千葉刑務所に服役し、他の主な劇団員も次々と検挙される中で、萩枝は劇団を支え、壺井栄とともに小林多喜二の死に対する抗議デモにも参加し、八年には自らも検挙されている。そして参考文献によって、彼女が『メザマシ隊の青春―築地小劇場と共に』『櫻隊全滅―ある劇団の原爆殉難記』(いずれも未来社)の著者だったことが想起されるのである。
 桜隊全滅

 おそらく若松は千葉刑務所を出所後、プロットと江津萩枝との関係から『テアトロ』の発行者を務め、村山知義たちの演劇運動にも併走していたと思われる。ところで訳者の中村雅男のほうだが、こちらは先の『同大事典』に立項されているものの、生没年不明の翻訳家で、昭和十一年に新劇評論家の西沢揚太郎が発刊し、福田恆存も加わっていた『演劇評論』の編集者、評論家とされる。左翼、演劇、出版人脈が複雑に絡み合って、『デッド・エンド』も刊行されたと推察できるし、巻末広告に見えるバルハートゥイ、熊沢復六訳『チェーホフのドラマトゥルギー』、「日本最初の演出論」と銘打たれた八田元夫『演出論』の出版にしても、同様の事情によっているのだろう。

 


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら