前回、大東出版社「東亜文化叢書」を挙げたが、その後、浜松の典昭堂で同社の『支那文化史大系』の一冊を入手している。これは菊判函入の学術書的装幀と造本で、巻末広告によれば、全十二巻とある。そのラインナップを示す。
1 | 呂思勉 | 小口五郎訳 | 『支那民族史』 |
2 | 楊幼炯 | 村田孜郎訳 | 『支那政治思想史』 |
3 | 馬乗風 | 田中齋訳 | 『支那経済史』 |
4 | 曾仰豊 | 吉村正訳 | 『支那鹽政史』 |
5 | 王孝通 | 関未代策訳 | 『支那商業史』 |
6 | 鄭肇経 | 田辺泰訳 | 『支那水利史』 |
7 | 馮承釣 | 井東憲訳 | 『支那南洋交通史』 |
8 | 陳邦賢 | 山本成之助訳 | 『支那医学史』 |
9 | 蔡元培 | 中島樽訳 | 『支那倫理科学史』 |
10 | 陳顧遠 | 藤澤衛彦訳 | 『支那婚姻史』 |
11 | 陳東原 | 後藤朝太郎訳 | 『支那女性生活史』 |
12 | 蒋復聰 | 実藤恵秀訳 | 『支那図書史』 |
(『支那水利史』)(『支那商業史』)
入手したのは|2だが、著者の楊幼炯のことは他の著者たちと同様に何も知らないし、それぞれのテーマにも通じていない。それでも訳者のほうの7の新興東亜研究所所長を名乗る井東憲は『近代出版史探索Ⅳ』703、10の藤澤衛彦は『同Ⅲ』443、11の後藤朝太郎はやはり『同Ⅲ』519などで言及しているので、意外の感はない。このようなシリーズにしても、『同Ⅳ』700で大東出版社と東亜協会との関係を取り上げているし、「東亜文化叢書」と同じく持ちこまれた企画だとも考えられる。
(『支那政治思想史』)
そこで元国民政府立法院立法委員の楊幼炯を著者、読売新聞社東亜問題研究会主筆の村田孜郎を訳者とする『支那政治思想史』|を読み、その古代から近代にかけての政治思想を追い、「現代政治思想」に至ると、政治思想の西洋文化輸入の影響に論が及んでいる。それによれば、一八八八年に中国在住の英米人が上海で廙学会を組織し、翻訳、雑誌の刊行を始めたことが大きな影響を与えた。その一方で、本国人で一八五三年生まれの嚴復が西欧諸国の名著紹介に力を注ぎ、清朝末期において、「中国の学を主体として西洋の学を応用する」という主張を唱えた。
そして楊は嚴復の訳として、『原冨』(アダム・スミスの『国富論』)、『法意』(モンテスキュー、『法の精神 )、『羣学肄言』(スペンサー、『社会学原理』)などの九種を挙げ、次のように続けている。
その中でも『天演論』は思想界を一変せしめたものであつた。『天演論』は適者生存、弱肉強食をなしたもので、四方の読者が争つてこの新書に殺到したものであるが、丁度この本が出た当時は一八九六年の日清戦争直後であり、人々の胸中には敗北と自卑の念が残つてゐた時でもあつたので、特にこの書の価値が重視されたせゐでもあつた。従つて若し近代における我が国の核心が一八九五年にはじまると見るならば、この「天演論」はまさに革新思想の源をなすものと云ふべく、また当時の人心に活水を注いだものと云ふことが出来るのである。
この『天演論』はHenry Huxley ,Evolution and Ethics and Others Essays のことで、日本において、ハックスレーとその著作はここでいわれている中国ほどの影響はもたらされなかったと思われる。ちなみに『世界名著大事典』を確認してみると、『進化と倫理』として立項されていた。ハックスレーはイギリスの生物学者で、同書は近代の倫理思想に関して、インド、ギリシア哲学に端を発し、現在の進化論に至り、それは大きな宇宙過程で人間もそこに属し、生存競争もその表れとされている。その立項は『近代出版史探索Ⅱ』395の矢川徳光によるもので、邦訳として、やはり矢川による『科学と教養』が示されていた。
これは「創元科学叢書」の一冊とあるので、一冊だけ所持している、その2に当たるハイベルグ『古代科学』(平田寛訳、昭和十五年)を見てみた。すると「同叢書新刊予告」として、矢川訳『科学的ヒューマニズム』がリストアップされていたので、これが『進化と倫理』にタイトル変更され、翻訳刊行されたのであろう。もちろん以前にも出版されていたかもしれないが、この立項と翻訳の時期を考えても、ハックスレーとその著作が日本において中国ほどの影響をもたらさなかったことは自明であろう。日本や中国だけでなく、アジア諸国における近代翻訳史を比較検討してみれば、それぞれに異なる翻訳の地平と「想像の共同体」の形成が見出されることになろう。
それに加えて、当時の中国書の翻訳において、翻訳権はどうなっていたかが気にかかる。『支那文化史大系』の「月報」に楊畸風「現代支那学術の研究家一瞥(四)」が掲載され、この『支那文化史大系』の多くが本探索1308でふれた商務印書館の「大学叢書」「中国文化史叢書」によっているのではないかと推測される。その同じ「月報」に「編輯だより」も寄せられ、そこには「先に本書の訳本として出版したものは、小社出版関係者の錯誤によることを発見し、直ちに絶版とし、新聞広告その他あらゆる方法を講じて回収したが。即ち本訳者は、村田孜郎氏に乞うて新訳発行の決定版である」との断わりが記されていた。これも版権問題と絡んでいるのかもしれない。
実は『全集叢書総覧新訂版』において、『支那文化史大系』は全十三巻とされていたが、この回収の一冊もカウントしてことによって、全十三巻となったとも考えられる。それからこれは牽強付会かもしれないけれど、丸山真男の『日本政治思想史研究』(東大出版界、昭和二十七年)はタイトルだけでなく、函のレイアウト、造本もふくめ、共通しているようにも見受けられる。もちろん内容は異なるにしても、何らかの範になったのではないかという印象を与えるのである。
なおその後の調べで、11の訳者は村田孜郎、12は刊行されず、李喬平、実藤恵秀訳『支那化学工業史』へと差し換えられ、13は郎擎霄、井東憲訳『支那食糧史』であることが判明したので付記しておく。
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