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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1313 佐野袈裟美『支那歴史読本』

 続けて日本評論社「東洋思想叢書」や大東出版社『支那文化史大系』にふれてきたが、昭和十年代に入ると、東洋、支那、アジアにまつわる企画が多く出されるようになり、それらは単行本にしても、シリーズ物にしても、かなりの量に及んだと推測される。

韓非子 (1942年) (東洋思想叢書) (「東洋思想叢書」、『韓非子』) (『支那文化史大系』、『支那水利史』)

 それは同時代の中国状況からすれば、満州事変に続く支那事変の勃発、出版史的にいえば、『近代出版史探索Ⅳ』727の平凡社『東洋歴史大辞典』の刊行とその成功も大きな影響を与えていると思われる。そこには多くの著者は編集者もが動員されたはずで、『同Ⅳ』728の創元社「亜細亜の問題講座」の編集委員たちが東京帝大新人会出身の転向左翼だったことにふれたが、彼らだけでなく、同じく左翼出版社も東洋、支那、アジアへとシフトしていく。

東洋歴史大辞典

 そのことは白揚社にしても同様で、『支那地理歴史大系』全十巻や佐野袈裟美の『支那歴史読本』を刊行している。だが『近代出版史探索Ⅱ』229で既述しておいたように、大正六年に取次も兼ねる三徳社として始まり、左翼出版へと移行し、社名を白揚社とあらためている。しかし例によって社史も全出版目録も出されていないので、出版物の全容を確認できない。佐野にしても、『日本アナキズム運動人名事典』『近代日本社会運動史人物大事典』の双方に立項され、プロレタリア文学者にして、アナキストからコミュニストに転じ、『文芸戦線』同人で、郭沫若の日本脱出に絡んで検挙され、敗戦直後に獄中で病死とあるが、白揚社と『支那歴史読本』へと至る経緯は判明していない。

(『支那地理歴史大系』第六巻、『支那周辺史』)日本アナキズム運動人名事典  近代日本社会運動史人物大事典

 ところが昭和十三年刊行の『支那歴史読本』は菊判並製三九六ページ、それに口絵写真六ページが付されているだけだけれど、束の厚さは二センチを超えているので、大部の大冊の印象をうける。それは「序」において、「わずか四百頁足らずの書物」で「正しい歴史を書くといふことは、容易なことではない」けれど、「私は精一杯のことはしたつもりだ。その点において私の良心の満足は得てゐる」という佐野の言にもこめられていよう。

 佐野の史観は支那におけるアジア的生産様式の問題を具体的な形態と通じて探究しようとするもので、支那も社会=経済構成の問題として、奴隷制社会=経済的構成の発展段階を経過してきたことをまず提起する。それは西周から春秋時代初期、続いて春秋後期から戦国時代が封建制社会への過渡期で、秦朝に至って支那独特の官僚的=中央集権的封建制が確立されるのである。それから幾多の王朝の興亡が農民の暴動と重なって起きていく。農民による生産力の発展とその人口の増加が専制王朝の封建的生産関係を桎梏として受け止め、王朝の苛斂誅求による農民の流亡と暴動は生産力を破壊してしまう。

 その中で旧王朝は倒れ、それを利用して新王朝が築かれるが、それもまた奢侈と浪費の中で農民闘争が起き、最後の清朝は太平天国運動から展開されたブルジョワ民主主義革命の中に倒れた。しかし外国資本主義の圧迫は資本主義の発展を阻み、歪め、今日にあっても半封建性社会という立ち遅れた状態に置かれている。だがそこに発展のよりどころを見出し、支那の歴史を跡づけようとしているのが本書の主眼ということになろう。

 佐野が依拠するアジア的生産様式の問題はマルクス、エンゲルスに基づき、土地所有の欠如、農業における重要な人工的灌漑の役割、国家による灌漑などの公共事業、共同体の強固な存在、専制君主の支配といった特質に尽きている。これらはそのまま『近代出版史探索Ⅳ』610のウィットフォーゲルへと継承されていくものだ。佐野は『支那歴史読本』に「読本」らしからぬ上下二段組八ページに及ぶ未邦訳洋書も含めた「参考文献目録」を収録し、それらの集積によって、この『読本』も成立したことを伝えている。

 それらをたどってみると、出版社名と刊行年記載がほとんどないのは残念だが、昭和十年代には膨大な東洋、支那、アジア文献が刊行されていたことを浮かび上がらせている。おそらく本探索1311の日本評論社「東洋思想叢書」で謳われていた「東洋の問題は世界の問題」だという視座が台頭し、それはナショナリズムの分野だけでなく、コミュニズムやアナキズム人脈まで含んで、広範に展開されていったと考えられる。

 例えば、『支那歴史読本』の巻末広告に『近代出版史探索Ⅴ』968の赤松啓介の『東洋古代史講話』が掲載され、その内容紹介には「古代史を多年孜々として研究し続けてゐた著者が、最大の自信をもつて世に問ふ画期的労作」とある。もちろん未見だが、読んでみたいと思う。赤松の著書と異なり、これも『近代出版史探索』74などの石川三四郎の『東洋古代文化史談』(不盡書院、昭和十四年再版)はたまたま入手している。佐野や赤松と同じく古代史からたどっているが、それは文献資料を共有していたことを示唆し、この時代の東洋、支那、アジア文献の活発な出版を伝えていることになろう。


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