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古本夜話1527 巌谷小波編『大語園』

 本探索の平凡社は『大辞典』によって第二次経営破綻を迎えてしまうのだが、同時期にやはり売れ行きが芳しくなかったと思われるシリーズを刊行していた。それは昭和十年に始まる『大語園』である。まずは『平凡社六十年史』を引いてみる。

 巌谷小波編の『大語園』全十巻は、日本、中国などアジア圏にひろく流布した神話、伝説、口碑、寓話等をあつめ、それを二十五の部門に大別した説話集成だった。いわば「今昔物語」の現代版とでもいったねらいのものであり、小波お伽噺以来の渉猟がそこにまとまっている。編集には巌谷小波、栄二の父子があたり、実際の執筆は木村小舟が手がけた。それほど成績はよくなかったが、今日ふり返ってみてユニークな出版物であったことは明らかだ。熊田葦城の『日本史蹟大系』全十二巻などとともに、編纂ものの中で特異な位置をしめている。

 私が架蔵しているのは全巻が裸本だが、菊判八百ページという大冊である。だが残念ながら、小波は昭和八年に亡くなっているので、『近代出版史探索』167でふれた「巌谷小波伝」の巌谷大四『波の跫音』(文春文庫)にも『大語園』に関する言及はない。それゆえに『大語園』についての詳細は小波に終生師事した、これも『近代出版史探索Ⅱ』315の木村小舟による『大語園』1に寄せられた「大語園の発刊に際して」を参照するしかない。この「凡例」と合わせて九ページに及ぶ、いわば「序文」は『大語園』の成立事情を語って余すところがないからだ。それをたどってみよう。

波の跫音: 巖谷小波伝 (文春文庫 い 15-5)

 明治四十年頃、小波は「伝説大全編纂の希望と抱負」を語り、小舟にその「前人未墾の新地域」の執筆を委託した。小舟はそれに約五年を要し、博文館から『東洋口碑大全』第一巻として刊行された。『博文館五十年史』を確認してみると、これは大正二年の刊行である。小舟はそこでの小波の「序文」を引用している。それは次のようなものだ。

 「子供が好きで(中略)子供の情緒、子供の趣味」が自分と同じで、「事実を描いた歴史や、人情を描いた物語より、想像を原として神話や、夢幻を主とした伝説」を面白く感じる。それゆえにこの二十年来、日本と世界各国の神話や伝説を整理蒐集してきた。しかしこれらの研究は「優に一代の事業」で、「此の議は漸く学者間にも認められて、既に帝国大学などには、それを専門に修めやうとする、篤学の人さへあるやうになつた」。だがもはや自分の仕事とするには荷が重く、小舟がそれを引き受けることになったのである。

 ところが第二巻の原稿は関東大震災によって灰燼に帰し、中絶の悲運を迎えてしまったのだが、大正十四年の夏に至って、先生は「極めて厖大なる計画の下に、最も完備せる物を作成せむとの希望」を述べられ、小舟も「欣然として、粉骨砕身、万事放擲、専心之に従事して必らず其成果を保つべく誓つた」。それというのも、参考資料のほうは実存していたからだ。したがって、『日本近代文学大事典』の小波の立項にも見えるように、木村小舟を執筆者とする 『大語園』の編集に着手したのは大正十四年だったことになる。

 その一方で、昭和三年に小波は千里閣出版部を設立し、小舟を編集長として、独力で『小波お伽全集』全十二巻を刊行し、五年に完結させている。それらの編集と経営に携わりながら、小舟は九年の夏までに予定量の三分の二までを執筆に至り、そのタイトルも 『大語園』の名を冠することに決まった。だがその完成を心にかけながら、昭和八年に小波は癌で亡くなってしまう。そこで小舟は東京帝大国文科を卒えたばかりの小波の次男栄二を協力者とし、その後の二年で一期事業の完了を見たのである。それは日本、支那、朝鮮、天竺に流布する神話、伝説、口碑、譬喩談などの結集大成だった。その一万を収録した「説話大集編纂過程」の最後を小舟は次のように締めくくっている。

(『小波お伽全集』)

 さて思ふに、日本古来の典籍中にて、彼の宇治大納言の今昔物語すら、其集輯する所の三国の説話は一千数百章を出でず、又外人の手に成れる仏本生譚の如きも、精々四百に過ぎなからう。然れば即ち其収録材料の当否は別とし、之を数量の点より見れば、我説話大集は正しく日本第一、否世界第一と称するも、敢て不当とは認め難い。殊に此の編纂事業が、父子相伝に依つて成されしてふ一事は、比類なき学界の美談として、永く後生に貽さるべきもの、先師在夫の英霊も、必ずや満足の意を表されると信ずる。斯くして私は十余年間の重責を果し、安慰一番、頭髪の既に白きを加へしを知つた。
 事や下中平凡社社長の識認する所となりて、之が出版を引受け、且其体様も取捨宜しきに塩梅し、五十音順を以て排列し、一冊一部の浩瀚なる書籍として世に出ることゝなつた。
 勿論先師当初の抱負たる、有りとあらゆる説話を余さず、悉く、結集するまでには、稍道遠き感もあれ、其第一期の事業としては、先づ此の程度にて遺憾あるまい。

 『大辞典』と同様に九牛の一毛的例を挙げるつもりでいたが、 『大語園』はいずれも長いので断念した次第だ。


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