出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1526 平凡社版『世界興亡史論』と『印度史観』

 前回ふれた平凡社の昭和六年の第一次経営破綻の前年には円本時代が終わりを迎えていたにもかかわらず、多くの全集、叢書、講座物が出されていて、それらの自転車操業的出版と雑誌『平凡』の失敗が重なり、倒産ではないにしても、開店休業の状態に追いこまれたことになる。

 (『平凡』創刊号)

 その昭和五年に『世界興亡史論』全二十巻が刊行されている。これは『近代出版史探索Ⅲ』502、『同Ⅶ』1295などで既述しているように、大正時代に興亡史刊行会から出されたもので、その復刻といえるだろう。だがその復刻はまったくそのままではなく、拙稿で明細を挙げておいたが、興亡史刊行会版は全二十四巻で、八冊が省かれ、新たに四冊が加えられ、そのうちの一冊が北一輝の『支那革命外史』であることにも言及している。

 

 平凡社の下中弥三郎の政治的ポジションに関して、これも『近代出版史探索Ⅶ』1333でアジア主義者としての下中にふれているので、『世界興亡史論』における北の『支那革命外史』の差し替えにも納得するところがある。しかし判然としないのは興亡史論刊行会の松宮春一郎との関係で、後に松宮は世界文庫刊行会として、『世界聖典全集』を刊行するに至っている。世界文庫刊行会と『世界聖典全集』については、『近代出版史探索』104を参照されたい。

世界聖典全集 『世界聖典全集』

 最近になって平凡社版『世界興亡史論』の4に当たる『印度史観』を入手している。これは興亡史刊行会版にも収録されていた一冊で、エドワルド・ラプソン、ヴィンセント・スミス著、岩井大慧訳となっている。

 この平凡社版の奥付には編輯者として世界興亡史刊行会、その代表として松宮春一郎の名前があることからすれば、松宮が平凡社に紙型とともに復刊企画を持ちこんだと考えるべきだろう。一方で平凡社の側からは資金繰りのための製作費の安い全集類のひとつとして受け入れられ、出版されたことになろう。

 『印度史観』に「序(印度、支那、日本の文化を比較論及して序に代ふ)」を寄せているのは東京帝大教授、東洋史学の白鳥庫吉で、印度と支那は東洋文化の二大本源地だが、それらはほとんど正反対の性質を有し、印度文化は宗教を中心として形成され、太古以来幾千年経過して今日に至っていると述べ、次のように記している。

 さて印度人特有のかういふ思想はどうして発生したのであらうか。これには自然界の状態や社会的事情やに於いて幾多の理由があるのであらうが、少なくとも其の一大原因として印度の社会の種族制度を挙げねばなるまい。さうして此の種族制度が成立するに至つた主要な動機は西方から移住して来た印度アーリヤ民族が其の土地の先住民に対して自分等の種族の特殊の地位を保存し、其の血の純潔を維持しようとするところにあつたのである。所謂四種族の階級のうちで初から峻厳に区別せられたのが此の先住民の子孫たる最下級のスウドラであるのを見ても、それが知られよう。

 『印度史観』はこのような視座に基づき、それが英領時代までたどられていくのである。そうして自ずから支那と日本の文化の比較が浮かび上がってくることになる。

 訳者の岩井によれば、『印度史観』のベースとなったラプソンとスミスの二著も白鳥の選定によるもので、岩井は東京帝大やモリソン文庫においても、白鳥の弟子であったようだ。

 ところでやはり昭和四年に『世界聖典全集』も改造社から新版が出されている。これは松宮がまずは『現代日本文学全集』で当てた改造社に持ちこんだが、売れ行きは芳しくなく、それで『世界興亡史論』のほうは平凡社を選ぶしかなかったのかもしれない。それからこれも前回の吉川英治と関連して、同じ彼の「年譜」の大正八年のところに、「松宮春一郎、水野葉舟氏らの世界文庫刊行会へ、筆耕仕事に通う」とある。残念なことに吉川の自叙伝『忘れ残りの記』(文藝春秋、昭和三十六年)は大正初年までで終わっているし、「年譜」にしても、記憶に基づく戦後の作成になるので、その「筆耕」への具体的な言及はなされていない。

   (『現代日本文学全集』) 

 ただこれが『世界興亡史論』、もしくは『世界聖典全集』にまつわる「筆耕」だったことは間違いないだろうし、それらの仕事が吉川文学にどのように反映されているのかも興味深いところである。しかし私は吉川のよき読者ではないので、それらを確かめられずにいる。


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら