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古本夜話1534 中村不折『芸術解剖学』と泰西名画家伝『ティチアン』

 中央美術社と日本美術学院などに関しては拙稿「田口掬汀と中央美術社」(『古本探究Ⅲ』所収)の他に、『近代出版史探索』163や『同Ⅱ』243などでも言及してきたが、やはりその後入手した本も二冊あるので、ここで取り上げておきたい。

 その一冊は拙稿でも書名を挙げておいた中村不折『芸術解剖学』で、大正四年初版、十四年改訂発行とあり、本扉には日本美術学院刊と記載されているけれど、奥付は中央美術社となっている。ただ同じくそこに「日本美術学院蔵版」と見えることからすれば、初版時の刊行は日本美術学院、改訂版は中央美術社に移されたと判断できよう。これは裸本だが、菊判上製の芸術書らしいシックな造本で、口絵写真には人体模型に加え、身体各部の解剖図、本文にも豊富な解剖挿絵を配置し、巻末には付録として、不折自らのデッサンが収録されている。

 (『芸術解剖学』)

 不折はその「緒言」において、ヨーロッパの現代絵画の影響を受け、「芸術解剖学の如きも、絵画には全く不必要なものである」といった主張をする人々も生じているが、芸術の基礎として、デッサンや解剖学に基づく人体の研究が不可欠で、現在のような裸体研究が自由に行なわれていることからすれば、「解剖学は其の基礎として必ずやらなければならぬ重要科目」だと述べている。

 この『芸術解剖学』を購入したのはそこに人体の構図として「動物性管」と「植物性管」が示されていたこと、及びその少し前に三木成夫の『生命形態の自然誌』第一巻『解剖学論集』(うぶすな書院)を読んでいたからである。それは同じく時代舎で購入した前田恒太郎『人体解剖学』(南江堂)とともにだった。おそらく同じ所有者が放出したものと思われた。

 生命形態の自然誌 第1巻  人体解剖学

 もう一冊は『ティチアン』で、これは大正十年五月三版で、やはり発行所は日本美術学院である。もちろん発行者は田口鏡次郎=掬汀だが、著作者を岩崎真澄としているにもかかわらず、奥付の捺印紙には「日本美術学院」の判が押されているので、印税は生じておらず、買切原稿だったと考えられる。同書は「序」によれば、クナックス『ティチアン』の作品解説と評伝を兼ねたもので、「逐語的訳語」ではなく、「なるべく読み難い翻訳口調を避けるために出来るだけ原文を砕いた」とされる。

 (『ティチアン』)

 それにならって、ドイツ語読みのTizian=ティチアンなる画家も同書ではなく、『新潮世界美術辞典』で「砕い」てみれば、イタリアのルネサンス期のティツアーノ・ヴェチェルリオである。彼はヴェネツィア派最大の巨匠とされ、代表作は寓意図「性愛と属愛」、祭壇画「聖母の被昇天」、有像画「パオロ三世と孫たち」「カール五世騎馬像」、その他に「バッカーナーリア」「バッカスとアリアドネ―」「ウルビーノのヴィーナス」「ダナエ―」などの傑作が多い。また晩年になっても「荊冠」「ピエタ」には色彩の魔術師としての本領が発揮され、同時代の画家だけでなく、リュベンスやベラスケスなど後世の画家にも影響を与え、近代の油彩画の発展に先鞭をつけたとされる。これらの作品はボルゲーゼ美術館やプラド美術館を始めとするヨーロッパの各美術館に収蔵されている。

 新潮世界美術辞典

 『ティチアン』のカラー口絵は「フロォラ」で、これはウフィーツィ美術館にあるようだ。その他にも同書にはモノクロだが、「聖母被昇天」「ダナエ―」「荊冠」などの三十五の作品がアート紙一ページで紹介され、それらは大正時代の世界美術全集ともいうべき『泰西の絵画及彫刻』(洛陽堂、大正四年)を彷彿とさせる。同書については拙稿「洛陽堂『泰西の絵画及彫刻』と『白樺』」(『古本屋散策』所収)を参照されたい。

(『泰西の絵画及彫刻』)

 さてこの『ティチアン』も同様に「泰西」を付した「泰西名画家伝」の一冊とされ、その「刊行の趣旨」が巻末に掲載されているので、それを引いてみる。

 泰西絵画の日本に来るもの近時漸く多きを加へ、また日本の画家の欧州に留学するものも著しく其数を増した。泰西絵画の真の理解と鑑賞との大に与る可きはこれからである。此時に際して本学院が「泰西名画家伝」の大叢書の出版は頗る有意義の計画であらねばならぬ。
 従来泰西画及画家の評伝の日本に出版されたものもないではないが、それは甚だ断片的であり、また非系統的であつた。従つてセザンヌ、ゴーギヤンを口にしながら他の記憶すべき十九世紀諸家の名を知らず、ミケランジエロ、デユラーを讃へながら他の復興期諸家を忘却する如き変態をさへ生じてゐる。
 泰西名画家伝に収めらる可き大名は文芸復興の初頭より十九世紀末に至る間の西洋画の正系を尽すべく、吾人は比標準の樹立によつて一般鑑賞界乃至批評界に貢献する処大なる可きを信ずるものである。
 此叢書の執筆者は芸壇文壇に亙て広く物色された適材である。其題目と著者とに従つてこそは或は諸家の言説を参照せる上に自家の見を立てたる純然たる創作となり、又或は西洋名著の翻訳ともあるであろう。

 少しばかり長い引用となってしまったが、これは大正時代の「泰西絵画」の紹介状況を伝え、しかもこの「刊行の趣旨」は田口によるものと考えられるので、あえて省略を施さなかった。また奥付裏には既刊「泰西名画家伝」として、黒田重太郎『ワ゛ン・ゴオグ』、佐久間政一『セガンテイニ』の広告がある。ゴッホはまだゴオグと呼ばれていたことを教えてくれる。はたして「泰西名画家伝」は何冊出たのであろうか。

 (『ラファエロ』)

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