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古本夜話402 松崎天民『銀座』とゾラ、三上於兎吉訳『貴女の楽園』

松崎天民『銀座』は安藤更生の昭和六年の『銀座細見』よりも先に出て、いずれも半世紀を経て中公文庫に収録されることになった銀座論、及び考現学の先駆けとも称すべき著作である。これは昭和二年に小暮信二郎を発行者とする銀ぶらガイド社から刊行されている。なお文庫化に先立ち、新泉社から復刻されているので、ここではそれを使用する。
銀座  (新泉社)

この元版の銀ぶらガイド社は出版社というよりも、巻末ふろくの形式になっている八十ページ近くの「銀ぶらガイド」という「買ひ物便覧」を編集発行していた銀座の広告代理店のようなところではないかと推測される。本連載321で、磯部甲陽堂と松崎の関係を記しておいたが、その長きにわたる新聞記者生活ゆえか、傍流出版社との関係が深かったように思える。

この「銀ぶらガイド」はカフェタイガーから始まり、大日本麦酒株式会社に至る、京橋を渡ってから新橋へと続く東西両側の銀座の店を軒並順に並べたものである。写真、ポスター、チラシ、広告、看板などを並べたそれらの店や会社だけでも二百以上に及び、松屋呉服店などのデパートの四枚の口絵写真を合わせると、当時の銀座の街並が浮かんでくるようだ。

このふろくは版元の企画で、著者としては無関係だと、松崎は「巻末小言」で述べているが、彼が七十五編の「今日の新しい銀座」論で伝えようとしている「新銀座の概念と輪廓」を浮かび上がらせ、具体的なイメージへと結びつかせる「水先案内の役目」を担っているといえよう。安藤の『銀座細見』とは異なる意味で、松崎の『銀座』はジャーナリストの眼から見られた銀座の話題が満載の一冊となっているわけだが、ここでは安藤の視点を補足する一編、松崎ならではの一編を取り上げてみる。

安藤は前回既述したように、第一次世界大戦を経てのアメリカ文化の台頭があり、それが銀座にも影響を与えていると記していた。彼はそのアメリカ文化と並ぶ勢力に、革命を成就したソビエトロシア文化を挙げていたが、これは銀座に関係がないと処理していた。ところが『銀座』には「酒食大銀座[ロシアのニーナ]」や「露西亜の女[銀座に異国の花]」の章があり、「銀ぶらガイド」に見えるカフェーロシアの話が出てくる。この店は羊の洋画家として著名な辻永の兄弟である古美術商の辻衛が松坂屋の裏手で経営していて、うまい洋酒を提供するのが特色で、毛色の変わった人々が出入りしていたという。その場面を引いてみる。

 『私、ニーナ、ロシヤ、モスクワあります。あなた御酒…』などと、二十歳にしては老けて見えるロシヤ美人、ニーナの大きな姿を見るのも、カフエロシア(ママ)の特色の一つと云つて宜からう。(中略)
ロシヤに彼の騒ぎがあつた頃から、いろんな女が日本に流れてきて、カフエ―に現れたり、芸妓になつたりして居た。此の東京でもロシヤ女を其処此処のカフエーに見たり、赤坂や神楽坂の待合に見ては、惻隠の情を起したものだつた、カフエーロシヤのニーナも震災後に東京へ来て、今日までロシヤの『異国の花』として、一顰一笑している一人であります。

ソ連邦解体後の日本においても多くの東欧系女性が日本のバーなどで働いている光景を見ているが、ロシア革命からソ連邦成立後の日本でも同様だったのであり、松崎の言によれば、世が世ならロシア帝国中流以上の令嬢として、幸福な家庭に暮し得たであろうニーナは、「大ロシヤの近代悲劇を表徴した女」ということになる。

もうひとつのエピソードは、ジャーナリストとしての松崎の視線によって捉えられた百貨店における万引きで、それが「百貨店の窓[先ず万引きの話を]」と「一日三万人[大百貨店の魅力]」において語られている。公式的には大百貨店における万引は一ヶ月に三、四件で、すべて警察にまかせているとされているが、松崎はその言について、「眉唾物」でその手には乗らないと断わり、次のように述べている。

 極度に購買欲を扇動して、これでもか、これでもかと、手を変へ品を換へて、肉薄してゐるのである。金の有無などには無頓着で、担当の紳士然たる男や、月経前後の夫人令嬢などが、ついソツと手を出すのも、無理からぬ話である。さながら女は何とやらで、呉服店や雑貨の前に立つと、恐ろしく興奮して、まるで別人のやうな眼顔になつてしまう。道徳的な反省意識などは、何処かへ飛んでしまつて、遮二無二と所有欲ばかりが、恐ろしい力で台頭して来る。一挙手一投足の労で、何んな品物でも、黙つて持つて行けさうな易々たる構へが、遂に『女の万引』と云ふ、浅間しい場面を現出するのである。

といって松崎は具体的なデータを提出しているわけでなないけれど、口絵写真の最初にある大正十四年に開店した松屋呉服店の中にあって、八千坪に及ぶ店内の通路の広さに注目し、看視しやすく、万引の予防になっているのではないかと考える。

この部分を読んで、私はただちにゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社)における女性たちの万引の場面を思い浮かべた。そこではまさに松崎が書いているような「夫人令嬢など」による万引きが描かれているのである。その場面にヒントを得ていたはずでE・S・エイベルソンの『淑女が盗みにはしるとき』(椎名美智、吉田俊実訳、国文社)という研究書が出されるのはそれから一世紀を経てからで、松崎の視線はリアルタイムで百貨店での万引に注目していたことになる。
ボヌール・デ・ダム百貨店淑女が盗みにはしるとき

『ボヌール・デ・ダム百貨店』が三上於兎吉訳で『貴女の楽園』(天佑社)として刊行されたのは大正十一年であったから、松崎はすでにそれを読んでいたのではないだろうか。そのように考えると、『銀座』に充満している彼のそうした視線に納得できるように思われる。

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