出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話802 メエテルリンク『貧者の宝』とマーテルランク

 前回に続いて、吉江孤雁の翻訳も一冊手元にあるので、それも書いておきたい。それはメエテルリンクの『貧者の宝』で、大正六年に文庫判上製本で出され、入手しているのは大正十一年十二版である。この判型は『新潮社四十年』によれば、こうした小型本は当時のブームだったようだ。

そういえば、この『新潮社四十年』には吉江喬松が「新潮社四十年と佐藤社長」を寄せている。そこで吉江は新潮社がまだ麹町にあった頃、自分が佐藤氏と会ったのは三十年前で、故人となった親友中澤臨川の文集のことで訪問した時だったと述べ、それから翻訳の出版、『新潮』への寄稿、また「現代仏蘭西文芸叢書」「海外文学新選」「文豪評伝叢書」「文学思想研究」「世界文学講座」、及び『世界文学全集』に直接関係したと記している。

 そこで所収の「新潮社刊行図書年表」を繰ってみると、大正四年のところに、中澤臨川『破壊と建設』『臨川論集』『タゴールと生の実現』が見出され、三冊が続けて出されているとわかる。そのことに新潮社がまだ麹町にあった頃との証言を重ねると、新潮社が牛込区矢来町に移るのは大正二年七月のことだから、吉江はその前に訪ねたのであろう。さらに中澤の著作の三冊の上梓事情を考えれば、大正に入ってからのことだと推測される。それを機として、大正六年の『貧者の宝』の翻訳が刊行に至ったと見ていい。そうした意味において、この孤雁名義の翻訳は、それ以後の吉江と新潮社の直接的な関係の始まりを示す記念すべき一冊ともいえるのである。

 ただ吉江とメエテルリンクの結びつきは意外に思えるけれど、メエテルリンクは時代にあって、流行だったと考えられる。やはり同時代に冬夏社から『マーテルリンク全集』(鷲御浩訳)、佐藤出版部からは『メエテルリンク傑作集』(村上静人訳)も出され、戯曲「青い鳥」に至っては、これも新潮社の『近代劇選集』を始めとして、多くの翻訳が刊行されている。そのような翻訳流行作家として、スウェーデンのストリンドベルヒも挙げられるだろうし、実際に新潮社は大正十二年に『ストリンドベルヒ小説全集』、岩波書店も『メエテルリンク全集』を刊行七している

 メエテルリンクに関して、吉江の責任編輯による『世界文芸大辞典』では、ベルギーの劇作家、思想家マーテルランクとして写真入りで立項され、フランスに移り住み、一九一三年にノーベル賞受賞とある。それは大正二年のことだから、日本での翻訳流行の契機になったはずだ。だがその立項は長いので、『貧者の宝』に関係する部分だけを引いてみる。
世界文芸大辞典(日本図書センター復刻)

  マーテルランクの思想は三つの時期に画される。フランドルの神学者Ruysbroeck l’ Admirableや、独逸の詩人ノヴァリス、米の哲人エマーソン、英の史家カーライル達の汎神論的なミスティシスムの影響を受け、運命の神秘、不可解な力の前に人間の無力を悲しむ他なかつた初期(『貧者の宝』)に次いで、運命の前に徒らに摺伏する事を止め智性を意志に頼つて誇らかに運命に直面しようとする中間期(『智恵と運命』)を経、更に積極的に事実の科学的観察により、人間の理性に照らして自然と生活の神秘を探求しようとする後期に至り、動物の事態、植物の神秘、偶然、死、無限等々の飽くなき研究、瞑想に耽つた。『マレーヌ姫』『モンナ・ヴァンナ』はこの初期と後期を代表する劇作である。常に深い瞑想から滲み出る様な文章は清純で暗示に富み影像と詩美を湛へ、極めて魅惑的だ。思考を内的な秘奥の領域に向けた点で全世界に深甚な影響を及ぼした。その点『青い鳥』の効果の如き単に童心の世界に止まるものではあるまい。(後略)

 この解説によって、「沈黙」などの十編からなる『貧者の宝』(Trésor des Humbles)がマーテルランクの初期の著作だとわかる。また新潮社から『モンナ・ヴンナ』『マレエヌ姫』(いずれも山内義雄訳、大正十四年)が出されていることも記しておこう。それとともに本連載100、及び拙稿「水野葉舟」と『心霊問題叢書』」(『古本探究3』所収)でふれた「同叢書」の中に、メーテルリンク『生と死』(水野葉舟訳、大正十年)の一冊が収録されていた事情を了承するのである。それはマーテルランクの後期の位相だったことになる。
古本探究3

 さらに付け加えて、『貧者の宝』の巻末一ページ広告として、大正十一年刊行のグリアスンと日夏耿之介著『近代神秘説』が掲載されている。そこには「世界現代三大神秘家の一人として、マアテルリンク、ベルグソンと併称せらるゝグリアスンの処女作」に、日夏がグリアスン小伝と長論文「欧州神秘思想の変遷」を併録したものとされる。これは確か昭和五十年代に牧神社から復刻され、メーテルリンクも工作舎から『蜜蜂の生活』(山下知夫訳)などの新訳が出されていた。この現代を迎えようとする時代シーンにおいて、所謂「近代神秘説」が、幻想文学やオカルチスムとともに再び召喚されようとしていたのである。

蜜蜂の生活の誕生と死 近代神秘説 (『近代神秘説』、牧神社復刻)


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古本夜話801 吉江孤雁『緑雲』と如山堂

 これもまた毎度お馴染みのことになってしまうけれど、前回の『吉江喬松全集』に関する一文を書いてから、浜松の時代舎に出かけたところ、吉江孤雁の『緑雲』を見つけてしまったのである。これは吉江の前史としての孤雁名義ゆえに全集には収録されていないが、『日本近代文学大事典』の吉江の立項において、明治四十二年に如山堂から刊行された処女文集とされている。
吉江喬松全集 f:id:OdaMitsuo:20180617113401j:plain:h110(『緑雲』)

 この『緑雲』は裸本で、カバーや函の有無は不明だが、装丁はタイトルに見合った濃いグリーン、四六判上製、二五六ページの一冊である。同書には「杜」から始まる三十編ほどの作品が収録され、それらは短編、もしくは小品といっていいように思われる。これらの作品には同人誌『山比古』や下宿を同じくしていた水野葉舟の短篇や小品文との相似性を彷彿とさせる。私も水野の作品に関しては、「郊外と小品文」(『郊外の果てへの旅/混住社会論』所収)を書いている。

郊外の果てへの旅(『郊外の果てへの旅/混住社会論』)

 だがそれよりも明らかなのは国木田独歩の『武蔵野』、「牛肉や馬鈴薯」を収録した『独歩集』の影響で、「神」や「美」は自然の中にそのまま見出される。それは次のような「新緑」の中の一節にもうかがわれる「緑に萌える若草の芽、其若芽を付けた樹々の枝をば折つて見たまへ、其尖端からは緑の露が溢れ出るかと思はえる。流れずはやまじ、行かずば止まらじ、水よ、雲よ、森よ、吾生の姿は其処に彰はれてゐる」。
 

 「序文」を寄せているのは中澤臨川で、彼も松本中学の同窓で、独歩と交際し、彼が創刊し、孤雁が編集者だった雑誌『新古文林』にも寄稿していた。そこで中澤は「四十一年歳末」の「謹誌」として、数年前に孤雁の文集刊行計画があり、独歩と自分がその序文を書く約束をしていたが、出版が遅れてしまい、「独歩はゐなくなり、自分独りで筆をとるやうなと(ママ)なつた」と述べている。独歩が亡くなったのは同年の三月のことだった。

 なお独歩と孤雁の関係については後者の「独歩社は自由の国であつた」との言を引き、かつて「出版者としての国木田独歩」(『古本探究Ⅲ』所収)を書いているので、そちら参照されたい。また『緑雲』に挿画を寄せている小杉放庵=未醒も独歩社の社員であり、孤雁の処女文集が独歩社の人脈を継承するかたちで上梓されたとわかる。
古本探究3

 同書の巻末に版元の如山堂の刊行書として、白柳秀湖『黄昏』、二葉亭四迷『平凡』、田山花袋『村の人』といった小説に加え、「新詩」として与謝野晶子『舞姫』、「歴史及地理(紀行文)」として、小島烏水『山水美論』、「国語」として飯田秀治『業平全集』、「音楽」として『独唱名曲集』、「雑書」として篠山克己『雲井の雁』などの五十冊が一六ページにわたって掲載されている。それはこの発行者を今津隆治とする如山堂が明治末期に、それなりの文芸書出版社だったことを伝えている。
f:id:OdaMitsuo:20180618150645j:plain:h120(『舞姫』)

 この如山堂について、まとまった証言を残しているのはやはり小川菊松で、『出版興亡五十年』において、明治三十年代には春陽堂が「純然たる文学図書専門の出版書肆」だったが、そこに「文学書肆」として、金尾文淵堂、文録堂、如山堂、隆文館、さらに新潮社が加わり、春陽堂の地盤は荒らされるに至ったと述べている。そして如山堂への言及も続いていく。
 出版興亡五十年

 この文淵堂と前後して出版を初めた、如山堂今津隆治君も大の凝り屋で、美本組の一人である。(中略)魚河岸の大問屋今津源右衛門氏を本家とする、魚河岸育ちのチヤキゝゝゝの江戸つ児で、中々文才もあり、粋で通で趣味が豊かで、(中略)小林嵩山房で何年か修業し、如山堂の看板をあげたが、持つて生まれた趣味から、仲々凝つた本を作つた。しかしこれといつて残るほどのものはなく、文学趣味の小型のものをポツゝゝ出す程度であつたが、明治三十八、九年ごろ、小島烏水氏の「不二山」「山水美論」「富士山大観」等を矢継早に出して、著者を山岳研究の権威として世に押し出すと共に、大いに登山趣味を鼓舞した。(中略)その後は微々として振るわなかつたのは、粋と多芸が禍いして、儲ける片つ端からその金が遊びの方に流れて、肝腎な商売の方に資金化されなかつたからであらう。晩年は殆ど出版と縁を断ち、十数年前没せられたが、私には忘れ得ぬ人である。

 本連載225で、前川文栄閣と小島烏水『日本アルプス』を取り上げ、前川文栄閣が「美本組」の出版金融者だったという小川の証言を既述しておいた。これも小川によるのだが、この『日本アルプス』は前川文栄閣には「不似合な本」で、それは如山堂が手元不如意で金も借りられなかったことから、前川文栄閣に持ちこみ、出版されたという事情が絡んでいるようだ。

 また今津が「小林嵩山房で何年か修業」とあるが、これも本連載418で記しているように、八木奘三郎『日本考古学』の版元で、集古会や東大人類学教室の近傍にあった出版社ではないかとの推測を提出しておいた。小林慶を発行者とする小林嵩山房は江戸時代から二百年以上も続く版元で、その店名は荻生徂徠の命名とされ、徂徠に加え、頼山陽、伴蒿渓などの著作も出版していたとされる。神田錦町の五十稲荷の路地奥にささやかな書肆をかまえていたが、関東大震災後には消息がわからなくなったと小川は証言している。

 最後になってしまったけれど、『緑雲』はこれも小川のいうところの「文学趣味の小型のもの」の一冊だったのであろうか。


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古本夜話800 白水社『吉江喬松全集』とゾラ

 前回の辰野隆『仏蘭西文学』の企画の範となったのは、昭和十六年に刊行された『吉江喬松全集』だったと思われる。これはその前年に亡くなった吉江の一周忌に出されたもので、当初全六巻予定だったが、好評、もしくは収録論稿などが増えたためか、十八年に全八巻で完結している。辰野の『仏蘭西文学』上巻はその後に続いているのである。

f:id:OdaMitsuo:20180616084750j:plain:h120(『仏蘭西文学』上、昭和十八年初版)吉江喬松全集

 それはさておき、『吉江喬松全集』は西條八十、日夏耿之介、山内義雄、小林龍雄、佐藤輝夫、新庄嘉章による編纂で、辰野はその内容見本に「吉江文学の全風景」、日夏は「意味深到なる全集」という一文を寄せている。そうした言葉にたがわず、会津八一が題檢を担当し、それが白抜きとなった函はシックで、そのA5判の装幀は交織麻布を用い、本文は五号組みとなっている。

 装幀や造本にしても内容にしても、この全集は大東亜戦争下に出されたとは思えないほどの品位を保ち、吉江の人柄をしのばせ、その仕事と業績をたたえているかのようだ。いってみれば、それは吉江が早大仏文科において、東京帝大仏文科における辰野のような役割を果たしたことにもよっているのだろう。さらにまた吉江孤雁としての詩や文集、自然美論なども挙げられるし、この『吉江喬松全集』にはそれらも収録されている。

 それからこれは拙稿「出版社としての国木田独歩」(『古本探究Ⅱ』所収)でもふれ、吉江の言葉を最初に引いておいたように、彼は独歩が興した出版社の独歩社で、雑誌『新古文林』の編集者を務めていた。そのような編集者の系譜を継いでか、吉江は昭和九年に『モリエール全集』、十年に本連載187などで取り上げ、ずっと参照している『世界文芸大辞典』を、いずれも中央公論社から企画刊行している。
古本探究Ⅱ  世界文芸大辞典 第一巻(日本図書センター復刻)

 また当然のことながら収録されていないけれど、多くの翻訳があり、それはフランス文学だけでなく、ロシア文学や英文学に及んでいる。だが私にとって吉江は、これも本連載188でふれているように、ゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の第一巻『ルゴン家の人々』(『ゾラ全集』1、春秋社、昭和五年)の訳者に他ならないし、それまでの英語による重訳からではなく、フランス語原書からの翻訳を実現させるに至ったのである。そしてあらためて、「エミイル・ゾラ」や「『ルゴン・マカアル』叢書」(第五巻所収)を読むと、吉江が同時代において、ゾラと「ルーゴン・マッカール叢書」に最も通じていたのだと認識させられる。それもあって、辰野は『仏蘭西文学』の中で、ゾラにふれていなかったと了承する。

 それゆえに吉江のゾラ理解は凡庸なものではなく、「エミイル・ゾラ」の中で、「決して遺伝に終始する如き宿命論者ではない」とし、「意識的努力」によって「科学が命ずる進化の観念を現実の中に打ち建てんとした」とし、次のように述べている。

 そして仏蘭西革命の直後に、一群の学徒によつて造られたイデオロジイIdéologie即ち観念学もいふべきものが、一方にソスィオロジイSociologieとなって組織立てられて行きつつある間に、ゾラにおいて初めてそのイデオロジイは文芸的表現を取るやうになつて来たのである。これがゾラの自然主義である。史実的に言へば、イデオロジイの文芸表現はスタンダアル、バルザックを通じてゾラに至つて最も明らかになつたと言つて差し支へないのである。

 バルザックの時代はまだ資本主義が成熟しておらず、鉄道網も全国に及んでいないし、産業も金融も大規模、大資本を形成していなかった。だがゾラの時代を迎え、大都市の発達に伴い、第二帝政期のブルジョワジーと資本主義の隆盛は、必然的にプロレタリアを台頭させる。吉江はそれを自らが訳した『ルゴン家の人々』のスィルヴェルとミエットに象徴させ、そこにこの「叢書」の起源を求め、ルーゴン=マッカール一族を社会に向かって解き放ったと見て、「当初」のそれぞれの作品にも言及している。

 そこでゾラは一八七一年から一八九三年に亙る二十二年間に、「第二帝政治下における自然的及び社会的の歴史」として『ルゴンの財産』(『ルゴン家の人々』)から『パスカル博士』(中略)にいたるまでの『ルゴン・マカアル』の二十巻を書き上げたのである。これはルゴンとマカアルとの二つの家族の奇怪な結合から次第に一大家族が発生し、それが第二帝政といふブルジョワズィスムの権化の如き政治及び経済組織の中で、如何に発生し伸展して行くかを実験的に研究した報告の如きものである。大地から発生した一本の樹が或る一定の風土天候などの自然的条件のもので伸展し、その枝々で様々な状態を呈するのを研究すると同じことである。百姓一揆もあれば鉱山のストライキもあり、獣のやうな生活をする農民もあれば、都会地の小商人等のずるさもあれば、富めるブルジョワの懶惰もあれば、貴族社会の放縦な生活も、第二帝政期の野心的政治家も、学者も、美術家の群も、奇蹟を夢見る少女も、僧職の虚構も、女優も売春婦も、あらゆる階級を貫くと共に、場面からいへば南部のプラッサンを出発地として、首都巴里の中腹を抉り出し、北はノルマンデイまで及んでいるのである。全く生きた現代歴史であると共に、ブルジョワズィスムの社会機構の根原も欠点も完全に指摘してゐるのである。

 私はこの「叢書」の半分に当たる十作を翻訳していることもあり、つい長い引用になってしまった。これが昭和四年におけるゾラと「叢書」理解であり、卓抜にして簡略な視座といえる。なお先に示したように、「『ルゴン・マカル』叢書」においては具体的にそれぞれの作品と内容に及び、「奇蹟を夢見る少女」の物語を『夢想』と読んでいる。私もそれまで『夢』とされていたこの作品を翻訳するに当たって、『夢想』というタイトルを採用しているので、吉江の見解と同様であることに気づいた次第である。

夢 (『世界文学全集』19、新潮社) 夢想


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古本夜話799 辰野隆『仏蘭西文学』と改造社『フロオベエル全集』

 前回ふれた福武書店の『辰野隆随想全集』は「随想」とあるだけに、辰野のフランス文学研究者としての仕事は第3巻の『フランス文芸閑談』にいわば抄録され、白水社の上下巻、A5判九〇〇ページに及ぶ『仏蘭西文学』はほとんどが省かれてしまったと推測される。それもあって、辰野は日本におけるフランス文学紹介の先駆者、及び渡辺一夫や小林秀雄たちを育てた東京帝大仏文科教授という教育者の印象が強い。近年では東京駅の設計者の辰野金吾の息子という出自も加わっているにしても。
f:id:OdaMitsuo:20180615112611j:plain:h120(『辰野隆随想全集』第3巻)

 それを反映してか、『日本近代文学大事典』の立項でも、学位論文『ボオドレエル研究序説』(第一書房、昭和四年)、処女評論集『信天翁の眼玉』(白水社、大正十一年)は挙げられているが、両者を収録した研究集大成ともいえる『仏蘭西文学』は書名も挙げられていない。ただそれは出版の事情も作用していると考えられる。

 手元にある『仏蘭西文学』上下は昭和二十八年の刊行だが、『白水社80年のあゆみ』を確認しても見当たらない。それゆえに戦前まで戻ってみると、昭和十八年に上、戦後の二十二年に下が出され、さらに二十五年に上の増補版、二十六年にも同様に刊行され、これが二十八年の決定版上下となったと思われる。これらが初版表記ににもかかわらず、『同あゆみ』に記載がないのは、重版と見なされたからではないだろうか。ちなみに最初の版や増補版は見ていないけれど、辰野の口絵肖像は「故六隅許六」とあるので、かつては絵筆もとっていた渡辺一夫によるものとわかる。

f:id:OdaMitsuo:20180616084750j:plain:h120(『仏蘭西文学』上、昭和十八年初版)

 それはともかく、このような刊行事情ゆえに、『仏蘭西文学』には戦後のものも含まれているが、大半は大正から昭和戦前にかけてのもので、日本における近代フランス文学の研究書である。その一方で、広範な啓蒙、紹介書の色彩を帯びているし、そうした意味において、『仏蘭西文学』は日本でのフランス文学受容史を体現しているといっていい。それは先述したように、辰野の教育者としてのポジションと共通しているし、昭和戦前におけるフランス文学の翻訳出版とも関連しているはずだ。

 あらためて通読してみると、辰野の論稿はランボオ、マラルメ、ヴァレリイ、コクトオ、プルースト、アナトール・フランス、マルタイ・デュ・ガール、フロオベエル、バルザック、モオパッサン、ゴンクール、ボオドレエル、ルナアル、スタンダアルなどに及び、それらとパラレルなかたちで翻訳が出されていったことがうかがわれる。そうした例として、本連載791や794で、河出書房の『バルザック全集』や『ボードレール全集』の出版を見たばかりだ。

f:id:OdaMitsuo:20180515120726j:plain:h120(『バルザック全集』)f:id:OdaMitsuo:20180520143316j:plain:h120

 『仏蘭西文学』の中で、フロオベエルに関して五十ページ以上が割かれ、奔放不羈な文体の大作『聖アントワンヌの誘惑』、弁論的抒情主義と写実的観察と惨めなグロテスクとの三重の志向からなる『ボヴァリイ夫人』、純粋な史的背景の試作『サランボオ』、写実主義の真髄を要求した『感情教育』、人間の痴愚に関する書物『ブヴァアルとペキシェ』、「エロディヤス」「純な心」「聖ジュリヤン物語」からなる『三つの短篇』、それから『書簡集』に言及している。

 これらは各作品の解説の趣もあり、実際に辰野は『フロオベエル全集』のために、『三つの短篇』のうちの「エロディヤス」の翻訳を終えたと書いている。これは昭和十年に改造社から刊行された『フロオベエル全集』全九巻のことで、七編の「初期の作品」(桜井成夫訳)と『聖者アントワヌの誘惑』(渡辺一夫訳)を収録した第四巻だけを入手している。この巻については、「初期の作品」の中によく知られた「愛書狂」があることから、以前に拙稿「庄司浅水と『愛書狂』」(「古本屋散策」103、『日本古書通信』二〇一〇年十月号所収)を書いている。

 ただこの『フロオベエル全集』刊行の経緯と事情は、これも例によって改造社が社史も全出版目録も出していないので、その詳細がつかめないし、この時代の改造社の文芸書出版も同様である。それでもはさまれた「月報」によれば、これが第二回配本で、本連載730の改造社の山本実彦の『蒙古』と同時発売、第三回は第八巻『書簡集』だとわかる。奇妙な偶然というしかない。

 それに加えて気になることがひとつある。辰野はそこで、ルーアンの名医の子として生まれ、病院で育ったフロオベエルの少年時代の思い出を引いている。それは次のようなものだ。

 病院の解剖室は庭に向かつてゐた。幾度か、自分は妹と二人で、葡陶の枝のからまつた鉄格子に攀つて、解剖室に横たわつてゐる死骸を不思議さうに眺めた。死骸の上には日が当たつてゐた。自分たちの周囲や花のほとりを飛んでゐた蠅の群が、死骸の上に行つて停つては、再た自分達のところに音を立てて帰つて来た。

 まさにフロオベエルの少年時代からの観察のコアを示しているようで、これはその『書簡集』に収録されているのだろうか。いずれ確かめてみたい。

 それともうひとつは、十九世紀フランス文学はスタンダアル、バルザック、フロオベエル、ゾラだと述べているにもかかわらず、ゾラだけはまったくといっていいほど言及されていない。私はゾラの「ルーゴン=マッカール叢書」の訳者でもあるので、いずれそのような日本でのフランス文学紹介と翻訳の「獲物の分け前」的状況にもふれてみたいと思う。

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古本夜話798 弘文堂書房と辰野隆『印象と追憶』

 渡辺一夫訳のリラダン『トリビュラ・ボノメ』は「辰野隆博士に捧ぐ」との献辞がしたためられている。それはこの翻訳が辰野の註解などの「書き込み入り御本」を活用した「答案」で、いわば「堂々たるカンニング」によっているからだと述べられている。

 渡辺は白水社からの昭和十五年の『トリビュラ・ボノメ』の翻訳刊行後の同年に、弘文堂書房から『ヴィリエ・ド・リラダン覚書』も続刊している。そこには『トリビュラ・ボノメ』の「訳書自序」に他ならない「『トリビュラ・ボノメ』について」、同じく「ヴィリエ・ド・リラダン略年譜」も収録され、それらはこの四六判一八九ページの半分を占めていることになる。しかも「序に代へて」を寄せているのは他ならぬ辰野で、その奥付裏には既刊として、辰野隆の正続『忘れ得ぬ人々』、近刊としてやはり辰野『印象と追憶』、岸田国士『現代風俗』、辰野、渡辺他訳『リラダン短編集』が挙がっている。

 この昭和十年代半ばにおいて、辰野は白水社からエッセイ集『さ・え・ら』『え・びやん』『りやん』『あ・ら・かると』を出し、渡辺も『トリビュラ・ボノメ』の巻末広告に示されているように、翻訳として、リラダン『未来のイヴ』、ピエール・ロティ『アフリカ騎兵』、サント・ブーヴ『モンテーニュ小論』、評論随筆として『筆記帳』『ふらんす文学襍記』を出していたので、二人の弘文堂との関係は意外であった。それに戦前の弘文堂は京都の本社が置かれていたと思っていたからだ。そこで』『出版人物事典』で、発行者の八坂浅次郎を引いてみた。
出版人物事典

 「八坂浅次郎 やさか・あさじろう]一八七六~一九四八(明治九~昭和二三)弘文堂創業者。京都市生れ。一八九三年(明治二録)京都寺町に弘文堂書房を創業、仏教書の販売をはじめ、九九年(明治三二)京都法科大学の設立を機に出版に進出、法律書・仏教書を中心に、哲学・経済学社会学関係書を手がけ、学術書出版の版元としての地歩を築いた。一九一七年(大正六)河上肇の『貧乏物語』を出版してベストセラーとなり、一躍、京都の有名出版社となった。関東大震災後、東京・神田駿河台に東京支店を開設、四〇年(昭和一五)同支店を本社とした。戦後、四八年(昭和二三)株式会社弘文堂に改組、『アテネ文庫』『アテネ新書』を始め、新企画を出版。ことに『アテネ文庫』は名企画として知識人に広く迎えられた。

 弘文堂が関東大震災後に東京に進出していたとは認識していなかった。おそらくここに記された昭和十五年に東京支店を本社とすることで、東京帝大仏文科の卒業生、もしくは関係者が弘文堂に入社し、それで先述した辰野たちの著作や翻訳が企画されたのではないだろうか。

 辰野の『印象と追憶』は落丁本を拾っているが、ジュート装の四六判で、これもやはり十五年十月発行、十一月再版とある。その「序」には「一昨年夏より今年夏まで、折にふれて書き綴れる随感随想を一巻に蒐め名づけて『印象と追憶』とす。蓋し眇たる書斎人の閑文字のみ」と述べられているので、これは十四年からの一年間の「書斎人の閑文字」ということになり、それは意図せずして十四年夏から十五年夏にかけてのクロニクルを形成している

 それもあってか、戦争にふれたものが多く、先の欧州大戦に仏蘭西の飛行将校として活躍した日本人、ドイツの敗戦後の風景とその再起、仏蘭西の敗北と日本の仏蘭西人の応召、旧友や弟の戦死、日露戦争における二百三高地や旅順開城の話、教え子の支那事変からの帰還などで、それらが日本も戦時下であることを伝えている。

 その一方で、フランス映画の、いずれもジュリアン・デュヴィヴィエ監督『望郷』『舞踏会の手帖』を見て、前者の原題『ペペ・ル・モコ』は「蝙蝠の安さん」とか「五寸釘の寅公」といったような呼称だと述べている。また後者はブルースト的にいえば、「失われたる青春を求めて」、もしくは東洋風なら「青春老いやすし」といったところで、ヒロインのマリイ・ベルはかつてパリのコメディ・フランセーズの舞台でしばしば観た女優だと語られる。そして彼女と酒場の主人に扮したルイ・ジュウヴェがそぞろ歩きに朗読する詩を「寂びたる庭の凍てたるなかを/今二つの影はすぎぬ」と翻訳している。またそれがヴェルレーヌの「感傷的対話」という淋しい詩で、自分も学生時代に一人で暗誦したことがあり、とても印象的だとも書いている。

望郷 舞踏会の手帖

 それらに加えて、本連載728「アジア問題講座」、同761でふれたブルジェ『死』(広瀬哲士訳)、さらに同794の『ボードレール全集』の推薦文らしきものも収録され、「書斎人の閑文字」が戦争と映画と本の三位一体の色彩に覆われていることに気づくのである。

 このような辰野の「書斎人の閑文字」を読んでみて、あらためて想起されるのは、昭和五十八年に第一巻を『忘れ得ぬ人々』として始まった福武書店の『辰野隆随想全集』全5巻別巻1のことで、もはや忘れ去れていた辰野の全集を企画したのは誰なのかという思いも生じてくる。
f:id:OdaMitsuo:20180528090143j:plain:h120

 また弘文堂からやはり昭和十六年に出された福田清人の『尾崎紅葉』も入手しているが、これは「教養文庫」シリーズで、巻末には百冊近い既刊分がリストアップされ、その他にも「世界文庫」として翻訳小説が並び、ジイド『ワイルド』(中島健蔵訳)やレニエ『ヴェニス物語』(草野貞之訳)が近刊となっている。おそらくこの「世界文庫」の編集者が辰野や渡辺の関係者だったと思われる。いずれも判型は三六判で、これらが戦後の「アテネ文庫」「アテネ新書」のベースとなったのではないだろうか。

教養文庫 (「教養文庫」、『願生心の構造』)f:id:OdaMitsuo:20180528101649j:plain:h120(「世界文庫」、『ヴェニス物語』)アテネ文庫 (「アテネ文庫」、『イラン文化』)アテネ新書 (「アテネ新書」、『ドイツの悲劇』)


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