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古本夜話100 新光社「心霊問題叢書」と『レイモンド』

松本泰は奎運社設立と『秘密探偵雑誌』創刊に至る以前の大正十年に、野尻抱影水野葉舟と並んで、新光社の「心霊問題叢書」の翻訳に取り組んでいた。私はすでにこの「叢書」と水野葉舟について、「水野葉舟と『心霊問題叢書』」(『古本探究3』所収、論創社)を書いているが、ここでは松本と野尻の側からこの「叢書」を考えてみよう。実はその後、そのうちの一巻しか持っていなかった「心霊問題叢書」の二十四ページに及ぶ詳細な内容見本を入手し、不明だった全六巻の細目がわかったからでもある。まず予約出版の内容見本にあるコピーを引用する。
古本探究3

 心霊研究は全人種の根本問題にして、これらを探究する事に依つて、一切の智的問題、一切の人生問題は明快なる解答を与へらる今や心霊学の世界的名著の邦訳成る全六巻即ち一切不可測の扉を開くの鍵也。

次にその全六巻の著者、訳者、書名を示す。

 1 オリワ゛・ロッヂ原著、野尻抱影 『他界にある愛児よりの消息』
 2 モーリス・メーテルリンク原著、水野葉舟 『生と死』
 3 ゼザアル・ロンブロゾオ原著、水野葉舟 『死後は―如何』
 4 カミル・フラマリオン原著、松本泰訳 『不可思議の世界』
 5 ウィリアム・バレット原著、水野葉舟 『幽霊の存在』
 6 テオドル・フルールノイ原著、野尻抱影 『心霊現象の心理』

私の所持しているのは5で、1は大正十三年に奎運社から『レイモンド』と改題して出版され、さらに一九九一年に人間と歴史社からも旧字旧仮名を新しくして復刻されるに至っている。これは潮出版社高橋康雄の「解説 死後があるのか」が施されていることからわかるように、吉本隆明『死の位相学』(潮出版社)の参考資料だったので、企画編集者である高橋が復刻を促したと考えられる。
レイモンド (人間と歴史社版) 死の位相学

『レイモンド』は新光社のタイトルからも想像がつくように、第一次世界大戦で戦死したロッジの息子レイモンドとの死後の通信と交霊の記録である。野尻の「訳者の序」によれば、一九二一年に野尻、水野、石田勝三郎によって、J・S・P・K(日本心霊現象研究会)が設立され、翌年に新光社の社主仲摩照久の賛同を得て、「心霊問題叢書」の第一篇として出されたが、彼の好意により、新たに水野の序文を乞い、奎運社版に至ったとある。なお石田勝三郎の詳細はわからないが、『探偵文芸』第八号に「貝鍋」なる一文を寄せている。


野尻は「序」において、「考えてみると、一九二二年に、東京で心霊問題叢書が出版されたことは、日本におけるこの研究にとっては、意外な動機になったと言わなければならない」と書き出している。その具体的な波紋を記していないが、おそらく「心霊問題叢書」がもたらした新感覚派などの同時代の文学への影響であろうし、川端康成も所持していたと伝えられている。

さて「叢書」の版元の新光社についても述べておかなければならないだろう。新光社は大正五年に仲摩照久によって設立され、雑誌『世界少年』『科学画報』を創刊し、各種単行本三百冊を刊行し、順調な発展を遂げていた。そして空前の大出版である高楠順次郎『大正新修大蔵経』に取り組んでいたが、関東大震災で八年間の蓄積が一夜にして灰燼に帰し、新光社自体も窮地に追いやられてしまった。

これからの事情は小川菊松の『商戦三十年』(誠文堂、昭和七年)の「新光社と私」の章に詳しいが、仲摩と旧知の小川が新光社の再建に協力し、初めてアート紙を使用した新光社の円本の三大予約出版である『万有科学大系』『世界地理風俗大系経』『日本地理風俗大系』を完成させる。そして昭和十年に誠文堂と新光社は合併し、現在の誠文堂新光社に至るのである。仲摩は『商戦三十年』に「人間界のタンク小川君」なる出版業界人小川論を寄せ、エネルギッシュな小川のポートレイトを描いている。一方で小川は『出版興亡五十年』誠文堂新光社)で、仲摩について、「よい企画を樹て仕事はしたが、惜しいかな猪突猛進で締めくくりがなく、経営の才に欠けていた」と評している。

このような事情があって、『レイモンド』は松本泰の奎運社から再発行されたのだろう。松本は日本心霊現象研究会の創立メンバーではなかったが、『不可思議の世界』の訳者として「叢書」に水野や野尻とともに顔を並べていることからすれば、その近傍にいたことは確実だし、また松本恵子と野尻の妻が従姉妹であったことも関係しているのかもしれない。泰名義の翻訳であっても、実際に翻訳していたのは恵子でもあったからだ。それらのことから『レイモンド』の出版もなされたと思われる。ただ水野葉舟との関係はわからず、石田勝三郎と異なり、水野は『探偵文芸』に寄稿していない。

それと松本夫妻の場合、もうひとつ考えられるのは、大正二年から英国に滞在し、そこで探偵小説を知り、恵子とも結婚している。そして英国におけるSPR(心霊研究協会)の存在とコナン・ドイルとの関係も知っていたのではないだろうか。だからこそ、探偵小説と『レイモンド』の出版が両立したようにも思われる。

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