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古本夜話153 埴谷雄高とヘッケル『生命の不可思議』

三百冊を超えるという「大日本文明協会叢書」の十五冊ほどしか所持していないけれども、拙稿「市島春城と出版事業」(『古本探究』所収)で、様々な十冊とルドルフ・シュタイナーの『三重国家論』、本連載72でクラフト・エビングの『変態性欲心理』、同74でエドワード・カーペンターの『吾が日吾が夢』などにふれてきた。また同76で実際には刊行されなかったが、ハヴロック・エリスの『性の心理』も「叢書」として翻訳出版される予定だったこと、そして前回はウエルズの『第二十世紀予想論』にもふれておいた。
古本探究

だから続けて、その後入手した著作についても記しておきたい。それはヘッケルの『生命の不可思議』であり、私は「第三期刊行書」として大正四年二月に出版されたその下巻しかもっていない。だがこれは「大日本文明協会叢書」としてはめずらしく、昭和三年に改訳を経て岩波文庫に収録され、戦後も復刊されているので、今でも容易に読むことができる。

私はヘッケルというと、まず否応なく思い浮かべてしまうのは、「叢書」や岩波文庫の『生命の不可思議』ではなく、十代の終わりに読んだ埴谷雄高の作品集『虚空』(現代思潮社、昭和三十年初版)所収の短編「意識」なのである。「意識」は『文芸』の昭和二十三年十月号に発表された作品で、同年に埴谷は『死霊』の最初の版を真善美社から刊行している。この出版社に関しては拙稿「真善美社と月曜書房」(同前所収)を参照されたい。

虚空 死霊 講談社文芸文庫

「意識」という短編は、魂を病んでいる「私」が自らの眼球に実験を施すことによる意識の遊戯をテーマとしている。その実験は眼球の片端を指先で押し、眼球を激しく揺り動かし続けていると、世界の存在が異なって見え、精神の位置さえも変わってくるもので、それは「私」の肉体を意識の遊歩場として行なわれる純粋意識にまつわる実験にして、孤独な魂を紛らわす遊戯でもあった。

その実験を「私」は訪れた娼婦の部屋のベッドの上でも繰り返していた。そのベッドの近くに金魚の入った硝子鉢があった。「私」はその四寸足らずの金魚の目を執拗に眺め続け、またその動きをも見つめ、次のように考えるのだった。

 (前略)私はぼんやりと一本の高く聳えたった樹を思い浮かべていた。〘ヘッケルの系統樹―〙と、私は胸のなかに呟いた。私が嘗て食いいるように眺めた系統発生史の図では、あの透明に澄んだ水中に微動もせず眼を見開いている金魚の発生の位置は私達に真近かった。私達の眼球が嘗て歳月知れぬ太古におくった水中生活期の痕跡を示すものだとして、と私はさらに呟きつづけた。この眼球を覆う瞼はいつ頃発生したのだろう。(中略)この瞼は私自身の内部に闇をつくった。そしてまたさらにそこからあの眩ゆく自発してくる光をも。〘もしその内部に闇と光をたたえる瞼の蓋がなければ、恐らくこの私の意識はなかったろう。それはこのようなものとしてはあり得なかっただろう。そうだ。その蓋がなければ、それはつねに外界を映しつづけるある(ママ)金魚の意識とそっくりそのまま同じだったろう。〙そう私は胸のなかで叫んだが、そう不意に叫びをあげてみると、それはすでにそれだけで、この私がいまだ知らなかった一つの怖ろしい発見のように思われた。それはまるで新たな発見のように思われた。

そして「私」の眼前に「鬱寥たる系統発生」にまつわる「湿った羊歯類が生え茂っている太古の湿地の幻想」が浮かんできて、それは「数億年にわたる暗い鬱寥たる時間」で、私は「その時間の長い幅」へとのめりこんでいった。

長い引用と補足になってしまったが、これはこの短編の「意識」のみならず、埴谷の文学と思想の想像力の核心を物語る重要な記述であると考えられるので、あえてわずかな省略だけにとどめた。

この「意識」は埴谷が『影絵の世界』(平凡社)で描いている隅田川両岸の「玉の井、山谷、言問橋といった闇の中の不等辺三角形」をうろついていた昭和初期を時代背景としている。とすれば、埴谷はこの時代に想像力と意識の実験をすでに発想し、それを持続して保ち、戦後を迎えての「意識」へと結実させたように思われる。その発想の根源にあるのは引用部分に示されているように、「ヘッケルの系統樹」と「羊歯類が生え茂っている太古の湿地の幻想」に他ならなかった。
影絵の世界

岩波文庫版の『生命の不可思議』改訳版は昭和三年に出されているが、埴谷の「意識」もほぼ同時代に発想されたと考えれば、大正四年の大日本文明協会版を読んでいて、それが「意識」の記述へと流れこんでいると推測できる。その太古の羊歯類のイメージを喚起する部分を引いてみる。
生命の不可思議

 後生植物中、羊歯類は、太古代に於て、裸子植物は中古代に於て、被子植物は近古代に於て栄える主なる群なり。脊椎動物にありては、志留利亜紀に於ては、単に魚を生ぜるのみにして、泥盆紀に於て肺魚類を生じ、石炭紀に於ては両棲類、二畳紀に於ては爬虫類を生じ、三畳紀に於て第一の哺乳類を生じたるなり。

岩波文庫の平板な口語訳に比べ、大日本文明協会版の文語訳のほうが、埴谷にふさわしく、彼の想像力を駆り立てたように思われてならない。しかし双方とも「系統樹」=「食いいるように眺めた系統発生史の図」は収録されていない。岩波文庫版の訳者の言によれば、美麗なる「三色版十葉」は省略したとあるので、大日本文明協会版も同様だと判断できよう。

それならば、埴谷は「ヘッケルの系統樹」を何によって見たのだろうか。おそらくこれも『影絵の世界』に述べられている大橋図書館か上野図書館において、ヘッケルの『生命の不可思議』の原書を見出し、それこそヘッケルの手になる「美麗なる三色版」の「系統発生図」を「食いいるように眺めた」のではないだろうか。そしてその鮮やかな記憶が大日本文明協会版『生命の不可思議』の読書体験とともに、「意識」の中へと召喚されたように思われる。

昭和初期円本時代はまさに全集の時代でもあり、埴谷の読書体験に関しても、春秋社の『世界大思想全集』や平凡社の『社会思想全集』とともに語られてきた。だが本連載83「木村鷹太郎訳『プラトーン全集』」同104「『世界聖典全集』と世界文庫刊行会」で見たように、大正時代における様々な全集、「大日本文明協会叢書」のような翻訳シリーズにも、さらなる注視が向けられるべきだと思う。

世界大思想全集 『世界大思想全集』

もちろん埴谷の読書体験の時代推定は私の仮説であって、昭和七年から八年にかけての豊多摩刑務所で『世界聖典全集』も「大日本文明協会叢書」も読まれたとも考えられる。読者のご教示を乞う。

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