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古本夜話255 金児農夫雄、素人社書屋、矢部善三『年中事物考』

『年中事物考』
前回の『全植物図鑑』とほぼ同年の河野書店の本にふれてみる。それは矢部善三の『年中事物考』である。といってこの一冊は出版社が河野書店と明記されているわけではなく、発行所は素人社書屋となっている。しかし奥付の発行者は二人いて、一人は素人社の金児農夫雄であるが、もう一人は河野清一で、これは『年中事物考』が両者の共同出版であることを物語っている。
素人社の金児は出版史に名前が見つからないけれど、
『日本近代文学大事典』には立項されているので、まずそれを引いておく。
日本近代文学大事典

 金児杜鵑花 かねことけんか 明治二七・三・一四〜昭和一三・二・二一(1894〜1938)俳人。北海道余市町生れ。本名金児農夫雄。大正九年上京し新潮社に勤める。一三年退社し素人社を経営、主として俳書を出版。句風ははじめ新傾向風であったが、のち新短詩を主唱し、大正九年「蘖」(のち「尺土」と合併し「我等の詩」と改題)を創刊。総合俳誌「俳句月刊」「俳句世界」等も刊行した。晩年には定型律に復した。著書に『杜鵑花句集』『新版杜鵑花句集』(昭一一・六素人社書屋)『新短詩集』(十八公と共著)がある。

ちなみに若干補足しておけば、『蘖』は「ひこばえ」と読み、『尺土』は西村陽吉が創刊した生活派短歌雑誌で、彼に関しては拙稿「西村陽吉と東雲堂書店」(『古本探究』所収)を参照されたい。そこで私は素人社書屋が紅玉堂書店と同様に、西村の著書や『啄木歌集』を出版していることから、東雲堂書店の系列会社ではないかとの推測も述べておいた。
古本探究
素人社書屋の本は『年中事物考』の他に、『現代俳人名鑑』(昭和元年)、尾山篤二郎『評訳平賀元義歌集』(同四年、初版春陽堂、大正十一年)、西村陽吉『評伝石川啄木』(同八年)の三冊を所持しているが、これらの奥付に河野の名前は見当らず、この三冊は素人社の単独出版であることを示し、また尾山の本の巻末には定価二円の『年中事物考』の広告も掲載されている。

そこでもう一度『年中事物考』を確認してみると、奥付には昭和四年初版、六年再、三版、七年四版とあり、定価は一円五〇銭とある。再、三版は不明だとしても、この初版と異なる四版の定価こそが河野書店との共同出版を告げているのかもしれない。

「菊大判三百五十頁上製箱入」で、「年中行事及月令事物の起源とその考証」と尾山の本に謳われている初版に対し、手元にある四版は裸本で疲れが目立ち、それに加えて著者の矢部善三のことや同書の評価も定かではない。内容は正月から十二月にかけての年中行事を四百項目ほどにわたって記述したもので、石井研堂の『明治事物起原』(ちくま学芸文庫)や日置昌一の『話の大事典』(萬里閣)を彷彿させる。後者については拙稿「日置昌一の『話の大事典』と萬里閣」(『古本探究3』所収)で言及している。

明治事物起原  古本探究3
冒頭に国学院大学教授堀江秀雄の「序」が置かれ、「多趣多味なる案内者」による年中行事を中心とする「著者一流の平易懇切な解説」との推薦の言葉があることからすれば、矢部は国学院の出身かもしれない。また彼自身も堀江の「序」に続いて、「生みの言葉」を寄せ、「素人社主人金児子詞兄が、出して遣らう出して遣らうと云つて呉れるので、かうして皆様のお目にかゝる事になつた」と述べている。しかしこの一冊は好事家の著作と見なされているのか、戦後に出された西角井正慶編『年中行事辞典』(東京堂出版)などを繰ってみても、参考文献にも挙がっておらず、言及もされていない。

ただ矢部の「生みの言葉」からわかるのは、初版は素人社の単独企画として出されたことであり、前述したように再、三版は未見なために不明だが、四版に及んで河野書店との共同出版に至ったのではないかと推測できるのである。もちろんそこには、著者の矢部というよりも、素人社の経済事情が絡んでいたのではないだろうか。

『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』の巻末に収録されている「特価本資料」は、それらの出版社の経済状況を如実に物語るものとなっている。これは『日本古書通信』に掲載されたリストで、昭和九年のところを見ると、素人社の本が出てくる。それらを挙げてみる。辰巳利文編『万葉集論考』『現代俳家人名辞書』、弥富破摩雄『近世国文学之研究』、奥村藍外『別号異称書画人名辞典』と続き、最後に『年中事物考』も見つかる。定価一円五〇銭に対して、特価値段は五五銭とあるから、ほぼ三掛けだとわかるが、先に挙げた本はそれぞれに掛け率は異なり、統一されているわけではない。

ここまできて、ようやく昭和七、八年頃の素人社の経済状況が明らかになったと思う。おそらく経済的窮地に陥り、先述した四冊を特価本市場へと放出するに至った。しかし『年中事物考』は版を重ねていたし、在庫も品切状態だったこと、それに辞典的性格ゆえに特価本としてからなりの需要が見こめることもあり、河野書店の資金援助によって、大部数の造り本として送り出された。そのために定価が二円から一円五〇銭へと安くなったのではないだろうか。

素人社の特価本は昭和十年以後見当たらないにしても、また十一年に金児の自著は出されていても、この時期に素人社は出版社としては終焉を迎えていたと見なしていいように思われる。

ちなみに昭和に入り、西村陽吉も小学校用学習参考書を主とする学習者の創立に参加し、東雲堂や紅玉堂の文芸書出版の世界から離脱し始めていた。
なお蛇足ながら、西村はあの長嶋茂雄夫人の祖父である。

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