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古本夜話511 実業之日本社『岡田式静坐法』と大田黒重五郎

本連載143「岡田虎二郎、岸本能武太『岡田式静坐三年』、相馬黒光」を書いた時、明治四十五年に実業之日本社から刊行された『岡田式静坐法』は未見であると述べておいたが、その後入手しているし、前回とも関連するので、これにもふれておきたい。
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手元にある『岡田式静坐法』は菊判並製の表紙に「拾五版」と記されているので、奥付を確認すると、明治四十五年四月初版発行で、四月は七回、五月も二十八日までに七回版を重ねるというすばらしい売れ行きだとわかる。だがソフトカバーの表紙の体裁は雑誌の別冊、もしくは今でいうムックのイメージが強く、書籍の印象は薄い。それもそのはずで、「一記者」の署名で出された「凡例」に「我社は静坐が国民の心身改造に重大なる関係あると認め、明治四十四年九月より、仮りに之を岡田式呼吸静坐法と名けて『実業之日本』誌上に連載し始めて広く之を世に紹介して大に世人の注意を喚起したり」とあるように、その連載をベースにして、この一冊を編んだと見なしていいだろう。

口絵写真にはカリスマ的というよりも、ミステリアスな岡田虎二郎の静坐姿も含めた四枚の一ページのポートレートなどが掲載され、その第一篇「岡田先生」は「静坐法とは何か。静坐法は岡田虎二郎先生の創剏し、躬行し、教導せらるゝ心身修養法である」と始まっている。静坐の目的は静坐にあり、それを通じて「心の平和」を得て、「品性美と肉体美」のみならず、「精神と精力と共に充実した人格」を出現させる。その直截簡明なる体現者が岡田に他ならないのである。そして岡田と静坐をめぐる「不思議」な師弟状況が次のように定義される。

 岡田先生は静坐法の師範者である。先生は所謂学者でもなく、所謂宗教家、所謂教育家でもなく、無論医者でもない。而して学者も来(きたつ)て之を師とし、宗教家、教育家も来て之を師とし、学生も、商人も、軍人も、老人も小児も、婦人も皆来て之を師とし、心に病ある者も、身に疾ある者も、霊に渇ける者も、肉に痩せたる者も、皆来て之を師とし、之に就き、之を仰ぎ、之に触れて、何物をか得んと要求して居る有様は、静坐の如何なる物たるを知らざる者には殆んど一種の不思議である。

そしてさらなる多面的な岡田の人格や生活への言及に続き、静坐の方法と原理、その呼吸法、注意事項などの細目が語られていく。その後に同書の三分の二を占める「名士の実験と効果」が収録され、早稲田大学々長高田早苗、同教授天野為之、木下尚江などから始まり、弁護士、官僚、実業家、学生たちも顔を揃え、岡田とその静坐法に深いオマージュを送っている。

残念ながら、相馬黒光の姿はない。それは彼女が木下の紹介で、日暮里の道場に通い出すのは明治四十四年からで、この『岡田式静坐法』刊行当時はまだ入門したばかりだったからだ。それでも実業家の中にはかつて拙稿「第一書房と『セルパン』」(『古雑誌探究』所収)でふれた人物がいる。それは大田黒重五郎で、彼は幕臣の息子として生まれ、東京外国語学校に入学し、二葉亭四迷と同級になり、ロシア語を学んだ。だがそこが廃校になったので、東京高商に入り、三井に入社し、経営不振だった芝浦製作所を再建し、九州水力電気会社を興し、実業家としての成功を収めている。そればかりでなく、息子の大田黒元雄を通じて、長谷川巳之吉の第一書房の隠れたるスポンサーであった。大田黒もまた日暮里に通い、静坐を続けることによって身体の状態が変わってきたことを報告している、念のために大田黒口述の『思ひ出を語る』(大田黒翁逸話刊行会、昭和十一年)も繰ってみたが、彼の静坐はそれほど長く続かなかったのか、岡田に関する言及はなかった。
古雑誌探究

大田黒のことはともかく、このような岡田の静坐法は大正時代を通じて広く伝播し、各地の道場に通う人々は二万人を超えたという。岡田は明治三十四年にアメリカを経てヨーロッパに渡り、三十八年に帰国し、甲州の山中で静坐法を深化させ、東京に出てきた。そして静坐法によって難病を治癒させたことなどで、木下尚江を始めとして静坐の指導を乞う者が増えていったのである。前回の渡辺海旭と異なり、岡田は正規の留学生活ではなかったけれど、五年近く欧米に滞在し、その過程で何らかの啓示を得て、日本へと帰ってきた、謎めいた男たちの一人だったのだ。とりわけ岡田のポートレートはそれを感じさせる。おそらく大正時代にはそのような外国帰りで、いわば身体をめぐる神話的ヒーローと呼んでいい人物たちが多く出現していたにちがいないし、それが出版物の中に表出し、雑誌や書籍を活性化させていたのではないだろうか。

増田義一の実業之日本社はビジネス誌『実業之日本』を柱にして、明治三十三年に創業されているが、ビジネス書だけでなく、『岡田式静坐法』のような修養啓発書も多く出し、同書の巻末にもグランヴイル著、海嶽生訳『神経健全法』、蘆川忠雄『心機転換法』『頭脳明快法』、樋口配天『黙想』、堀内新泉『自彊術』なども並んで掲載されている。

また昭和に入ると、占いに関する本も多く刊行されるようになる。手元に熊崎健翁の『姓名の神秘』があるが、これは昭和四年初版、十年二十九版というロングセラーと化している。熊崎にはその他にも『運命の神秘』『易占の神秘』もあり、同種の「運命判断」シリーズとして、音楽家の山田耕筰『生れ月の神秘』、永鳥真雄『手相の神秘』『恋愛の神秘』、小西久遠『人相の神秘』『合ひ性の神秘』、高木乗『家相の神秘』、伊藤愛山『方位の神秘』、柴原剛治『骨相の神秘』が挙げられている。これらはほとんどがロングセラーになっていたようで、岡田虎二郎の死の後に出現してきた占いの時代をうかがわせているように思える。
姓名の神秘(『姓名の神秘』、紀元書房版)
なお、森まゆみの『明治東京畸人傳』(新潮文庫)に、「岡田虎二郎と日暮里本行寺静座会」の一章があることを付記しておく。
明治東京畸人傳

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