出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話821 谷口武訳『現代仏蘭西二十八人集』とコント

 前回のカルコの『モンマルトル・カルティエラタン』において、これを映画とすれば、カルコ主演で、共演が詩人でコント作家のピエール・マコルランだと既述しておいた。この「コント」に関して教えられたのは、柳沢孝子の「コントというジャンル」(『文学』二〇〇三年3、4月号所収)によってであった。
f:id:OdaMitsuo:20180817140207j:plain:h115

 それをラフスケッチすると、大正十二年にフランスから帰国した岡田三郎によって紹介され、実作を示したことで、大正末期から昭和初期にかけての「コント」の流行を見るに至った。その流行は『文芸春秋』や『文芸時代』と並んで、岡田三郎によって大正十四年に創刊された『文芸日本』(文芸日本社)が大きな役割を果たし、川端康成の「掌の小説」三十六編からなる最初の創作集『感情装飾』(金星堂、大正十五年)も、そのブームの中での刊行だとされている。
感情装飾 (『感情装飾』、ほるぷ出版復刻)

 確かに『日本近代文学大事典』にも「コント」は「conte(仏)。短編小説の一形式」として立項され、大正末から昭和初頭に流行し、「小説、掌編などとも呼ばれた。いわゆる短編小説よりもさらに短い体裁で人生の断面をエスプリ(うがち)をきかして軽妙に描き、ウイット、ユーモア、ペーソス、エロティシズム、さまざまなニュアンスをとおしての人生批評を含む」と定義されていた。

 しかしこのような日本における「コント」の流行の言説のかたわらに、それに先行する大正十二年に谷口武訳として新潮社から刊行された『現代仏蘭西二十八人集』を置いてみると、少しばかり異なった視座も見出されてくるように思われる。その前にタイトルの由来と訳者についてふれておこう。

 『新潮社七十年』に述べられているように、新潮社は国木田独歩の茅ケ崎の病院での療養費を援助しようとして、大冊の『二十八人集』を出版した。これは二葉亭四迷、島崎藤村、徳田秋声などを始めとする、ほとんど自然派の二十八人の作家や評論家たちで、編者は田山花袋と小栗風葉だった。この一冊は当時の新しい文壇の傾向を代表するものとして重要視され、新潮社の文学的出版として高く評価された。
f:id:OdaMitsuo:20180806153457j:plain:h120

 その後に「新潮社と翻訳文学」の章が設けられているように、新潮社が次に考えたのは翻訳出版で、大正二年に、ダンヌンツイオ『死の勝利』(生田長江訳)に始まる「近代名著文庫」、四年にドストエフスキーなどを収録した第一次新潮文庫、九年にはフロオベエル『ボワ゛リイ夫人』(中村星湖訳)を第一巻とする『世界文芸全集』を刊行する。そうした長編をメインとした出版のかたわらで、まだ未紹介の作家たちに関し、短編を通じて発見しようという試みも続けられ、その一冊が『現代仏蘭西二十八人集』だったと考えられる。なお同書の巻末広告には、『露国十六文豪集』(衛藤利夫訳)、『英米十六文豪集』(宮島新三郎訳)も見えている。この二冊の訳者に関しては、本連載555、571で既述している。だが『現代仏蘭西二十八人集』の谷口武は、『日本近代文学大事典』の索引には見出されるのだが、立項されておらず、大正時代の早大英文科出身者を主体とする同人誌『十三人』(十三人社)の一人として出てくるだけである。
f:id:OdaMitsuo:20180818115208j:plain(『世界文芸全集』第18編)

 それゆえに谷口の詳細なプロフィルはたどれないけれど、『現代仏蘭西二十八人集』には欧米文学の動向に通じたジャーナリストの千葉亀雄が序文を寄せ、アメリカのボーから始まった短編小説はフランスにおいて、傑出したジャンルに発達したと述べ、次のように記している。

 全くフランスの短篇小説は世界芸術の光である。輝きである。ところがこゝで谷口君が訳して居る二十六篇のコントはその世界芸術の光であるところのフランスの短篇小説を更に三稜鏡に透射し、その光射のみを集めたと云つてもよいやうな、さうした世界に類の無い芸術様式である。近代芸術に類の無い芸術のアンソロジイである。何といつてもコントのやうな形式の芸術は、フランスの国民以外には一寸出来さうもないものである。そしてそれは前に挙げた、十九世紀の短篇小説に希求された条件のすべてを具へて居て、更にその条件の、精髄の身を蒸留したものが、差しあたりコントだからである。

 つまりここで、千葉はフランスのコントを十九世紀短篇小説の到達した近代芸術として捉えていることになり、続けていっている。「このコントのような芸術を、フランス以外のどこの国民、どこの芸術家がつくり上げ得ようと誰がいふのだ!」いうなれば、岡田三郎以前に、千葉は「コント」のイデオローグをして、『現代仏蘭西二十八人集』に「序文」を寄せていたのであり、コント流行の下ごしらえはすでになされていたことを告げている。それゆえに千葉は『文芸日本』の執筆者としても招喚されているのだろう。

 しかしその流行が短期間でついえてしまったのも、わかるような気がする。その二十八人のうちで、こちらがわかるのは「ヂタネット」のコレットだけで、あとの二十七人はほとんど名前を聞いたこともない作家たちなのである。この『現代仏蘭西二十八人集』とコント流行の関係はつかめないけれど、そうした動向と無縁ではないと思われる。


odamitsuo.hatenablog.com
odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら