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古本夜話571 衛藤利夫『韃靼』と翻訳書

これも三回続けてイブラヒムがタタール人=韃靼人であること、大日本文明協会のこと、嶋野三郎が満鉄の東亜経済調査局で『露和辞典』を編んだことを取り上げてきたが、これらに関連する人物と著書があるので、それにもふれておきたい。

それは衛藤利夫『韃靼』で、昭和三十一年に編集発行者を衛藤利夫記念事業会とし、発売所を丸善として刊行されている。彼はその三年前に亡くなっているので、前回の『嶋野三郎』と同様に遺稿集と見なしてもいい。同会は衛藤が奉天図書館長や日本図書館協会理事長時代の関係者を世話人として、発起人依頼から始まっているが、その中には大川周明の名前もある。
韃靼(中公文庫版) 嶋野三郎

本連載564で、満鉄の植民地経営のソフトな文化戦略としての満鉄調査部の発足があり、その系譜上に大連図書館や奉天図書館も設立されたのではないかと記しておいたが、衛藤はその中心人物であった。彼については山口昌男の『「挫折」の昭和史』(岩波書店)の中の石原莞爾に関する「『夕日将軍』の影」という章に「衛藤利夫の軌跡」が置かれ、「満洲に於ける図書館文化とでも言うべき潮流の中で、指導的な立場にあったのが衛藤利夫である」と述べられている。また同じく山口の『内田魯庵山脈』(晶文社)においては、「亜細亜図書館建設の理念」という一章が立てられ、さらに詳しく衛藤が論じられていることも付け加えておこう。
『「挫折」の昭和史』 内田魯庵山脈

『韃靼』所収の「衛藤利夫略歴」と山口の記述などにより、彼の「軌跡」をたどってみる。衛藤は明治十六年に熊本に生まれ、五高に進むが、大川周明たちとストライキを起こしたことで退学する。上京して東京帝大選科に入り、美学を専攻し、大正四年に東京帝大図書館長の和田万吉に招かれ、その司書となる。そして八年から満鉄大連図書館司書、奉天簡易図書館主事を経て、十一年に満鉄奉天図書館長に就任する。自らが企画し、同年に落成したアメリカと中国の折衷様式の美しい図書館は当初六千冊ほどの雑本だけだったが、二十万冊の蔵書を有する大図書館へと推移し、東亜研究の稀覯文献をも網羅し、満州内外の学者や研究者もよく訪れるトポスともなった。それに加え、図書館管理運営に関しても優れた業績を残し、総合目録や辞書体目録についても先鞭をつけたとされる。昭和十七年にその図書館長を辞し、日本図書館協会理事となり、戦後はその理事長も務めている。なおこれは蛇足かもしれないが、やはり同時代に満鉄調査部から満鉄鉄嶺図書館長となったのは東海林太郎であった。

さて衛藤の『韃靼』は奉天図書館時代の著作を主とするもので、いわば彼の選集でもある。それは五部構成で四冊の単行本を主としていて、それらのタイトル、出版社、刊行年を示す。

 1 『韃靼』     満鉄社員会、朝日新聞社  昭和十三年
 2 『満洲夜話』   吐風書房         昭和十五年
 3 『短檠』     満鉄社員会        昭和十五年
 4 『図書分類の理論的原則』   間宮商店  大正十五年
 5 『小論集』

1の『韃靼』は以前に中公文庫に収録されていたが、『中公文庫解説目録1973〜2006』で確認してみると、残念なことにずっと品切れのままである。衛藤の真骨頂はこの八編からなる古の韃靼の地の記録をたどった一冊にこめられているように思う。それは「序」を寄せている「後進」の加藤新吉の言葉にも表出している。ここに示されている「韃靼」とはかつては「中央亜細亜」、あるいは韃靼海峡の涯から西方に向かう「土耳其斯担」に至る一帯を故地とし、それが現代では「満洲」や「蒙古」という「新しき名と形」で登場している。「日本を指導者とする東亜民族の復興、明日の新しき歴史は正に既に韃靼の故地に於てその第一頁が書き始められてゐる」。それゆえにこのタイトルの「韃靼」は「古き名」であると同時に「新しき名」でもあるのだ。つまり衛藤はここで「韃靼」の古と新しさをリンクさせようとしている。おそらくそうしてイブラヒムとイスラム教も表象され、日本において受容されたのであろう。

この『韃靼』だけでなく、オリジナルに編まれた5の『小論集』を除いて、2の『満洲夜話』、3の『短檠』、4の『図書分類の理論的原則』にしても、いずれも編集や出版は満鉄や図書館関係者の手に担われ、上梓されている。しかし『韃靼』や『短檠』の編集者尼崎晋之助の行方はまったく不明だと伝えられているし、それは『満洲夜話』を処女出版した吐風書房の山中泰三郎も同様だと思われる。満洲における日本人による出版の茫洋さと不可解さを彷彿とさせる。

だがそれは衛藤の満洲図書館人となる前の時代も同様で、明治四十五年に東京帝大を出てから、大正八年に満鉄大連図書館司書となるまでは、代々木に住み、主として翻訳によって生計を立てていたようだ。また内田魯庵の知遇を得たことで、魯庵が編集していた丸善の『学燈』の寄稿者だった。『短檠』には「魯庵翁の思ひ出」というエッセイも収録されている。その翻訳は六冊ほどあり、大日本文明協会から三冊出ているのだが、著者や署名がはっきりしないので調べてみると、次の三冊だとわかった。

モーリス・ベアリング『露国民』 (大正二年)
エドワード・シンクレア・メイ『軍事世界地理』 (大正三年)
エミール・ルカ『恋愛の進化』 (大正五年)

いずれも未見であり、著者も内容も不明だし、どのような経緯と事情で、このようにまったく内容が異なる翻訳に携わったのかわからない。もっともそれは大日本文明協会叢書の翻訳に共通していることではあるけれど。それから大正七、八年に衛藤は新潮社のツルゲエネフ『薄倖の少女』、セレチヤル編『露国十六文豪集』といった小説の翻訳もしている。だがそこで衛藤の翻訳者の時代は終わり、満洲の図書館界へと向かったことになる。

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