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古本夜話863 改造社『新日本文学全集』と『川端康成集』

 鎌倉文庫のことなどから、少しばかり戦後に足を踏み入れてしまったけれど、ここで再び戦前へと戻らなければならない。それに鎌倉文庫の中心人物といえる川端康成の一冊があるからだ。その一冊とは『新日本文学全集』第二巻の『川端康成集』で、昭和十五年九月に改造社から刊行されている。これは第六回配本に当たり、「同月報」第六号が付され、そこには次のような「新日本文学全集総案内」の一ページ掲載がある。
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 1『横光利一集』
 2『川端康成集』
 3『岸田国士集』
 4『牧野信一 梶井基次郎 嘉村礒多 北条民雄集』
 5『瀧井孝作 堀辰雄集』
 6『尾崎士郎集』
 7『中野重治 宇野千代集』
 8『林房雄集』
 9『武田麟太郎集』
 10『井伏鱒二集』
 11『林芙美子集』
 12『徳永直 真船豊集』
 13『芹沢光治良集』
 14『坪田譲治集』
 15『深田久弥集』
 16『阿部知二集』
 17『石坂洋次郎集』
 18『丹羽文雄集』
 19『島木健作集』
 20『石川達三集』
 21『高見順集』
 22『和田伝 間宮茂輔集』
 23『伊藤永之介集』
 24『窪川稲子 久坂栄二郎集』
 25『岡本かの子集』
 26『火野葦平集』
 27『上田廣 日比野志朗集』

 本連載でも、これらの作家の多くにふれてきているが、これが昭和十五年における「新日本文学」を表象する作家一覧ということになろう。だがもはやこのリストは八十年近く前のものなので、戦後における石坂洋次郎、丹羽文雄、石川達三などの多くの文庫化や映画化を伴う流行作家現象を記憶している私たちの世代とは異なり、現在において日常的にはほとんど読まれていないし、忘れ去られているのではないだろうか。そのことを考えると、昭和初期円本時代から始まり、戦後に入ってもずっと続いていた、絶えざる日本文学全集の刊行があったゆえに、作家も作品も読まれ、記憶されていたことにあらためて気づく。確かに田坂憲二のタイトルが示すように、昭和は『日本文学全集の時代』(慶應義塾大学出版会)だった。しかしそれは昭和末期から平成の初めにかけて、全三十五巻と別巻が出された小学館の『昭和文学全集』で実質的に終わったといえるかもしれない。
日本文学全集の時代

 それはともかく、『日本近代文学大事典』を確認してみると、幸いなことに『新日本文学全集』の立項と改題を見出せる。それによれば、「『紀元二千六百年』を迎える直前、かつての円本の実績を持つ改造社が、昭和の新文学を集大成する全集として企画したもの。『現代日本文学全集』とは姉妹出版の関係となる」とあった。だが実際には先のリストの5、7、12、13、15、22、23、24は出されず、27は24に置き換えられている。その事情に関して、「時局の進展にともない、とくに旧プロレタリア関係者を含めることが困難」だったのではないかと推察されている。

現代日本文学全集 (『現代日本文学全集』)

 しかし実際に『川端康成集』を読んでみると、そこには「虹」を始めとする十二の中編の収録を見ているのだが、それらはほとんど「時局の進展にともな」う作品のようには思われない。この『新日本文学全集』の特色とされる「あとがき」や「年譜」を読んでも、それらは「時局」に対する配慮は感じられない。前者において、「自作について私は語るのを好まない」「私はその手を逃れ、作品地震が勝手に読者と共に生きて行つてくれるならば、これは作者の冥加」だとして、それぞれの作品の連載経緯などを記し、そのことに終始しているといっていい。ここに昭和十年代における「旧プロレタリア関係者」とまったく異なる川端の、文学者としての立ち位置をうかがうことができよう。

 これらの作品の中でよく知られた「十六歳の日記」や「禽獣」はさておくにしても、「虹」や「浅草の九官鳥」は『浅草紅団』の拾遺、「高原」は夏の軽井沢印象記、「温泉宿」は『伊豆の踊子』などと風景を異にする温泉、「花のワルツ」は映画の原作、「散りぬるを」は犯罪記録の潤色、「抒情歌」は英国心霊協会経由の心霊説で、これらは大半が昭和十年前後に発表されている。

 私はかつて『伊豆の踊子』を題材とする「下層社会、木賃宿、近代文学」(『古本探究Ⅲ』所収)や「川端康成の『雪国』へ」(『古本探究Ⅱ』所収)を書いている。そして後者において、『雪国』の単行本は昭和十二年に創元社から刊行されているが、やはり昭和十年前後に各雑誌に様々なタイトルで連載された七編に、「新稿」を加えたものであることにふれ、同書がベストセラーとなったことに関し、「この作品の舞台は越後湯沢をモデルにしているが、昭和十年代の日本における異国への旅のように思えてくる」からではないかと述べておいた。
古本探究3 古本探究2

 そのことをふまえれば、川端は『雪国』のベストセラー化によって、その特異な文学空間が評価され、「時局」にもかかわらず、こうした「昭和十年代の日本における異国への旅のよう」な一冊を編むことを可能にさせたというべきなのかもしれない。それに先立って昭和十三年にやはり改造社から『川端康成選集』全九巻が刊行されたのも、そのような川端の昭和十年代の特異な位置を伝えていることになるだろうか。
雪国

 なお最後に「温泉宿」に関してだけ付け加えれば、それは川端が「伊豆温泉記」(『川端康成全集』第十三巻所収、新潮社)で述べているような当時の伊豆の温泉の現実、「土地の繁栄のためには土地の娘を娼婦にして顧みぬところが多い」ことなどがまさにテーマとなっているのである。


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