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古本夜話1100 青山毅編著『文学全集の研究』

 文学全集といえば、「月報」が付きものだが、私の架蔵している全集類はこれまで既述してきたように、ほとんど一世紀前の昭和円本時代の出版物が多い。それにすべてが古本屋で買ったものなので、「月報」が揃っていることはないし、そのことは『明治大正文学全集』『現代日本文学全集』も同様だし、むしろ欠けているのが当たり前の状態である。長い間、本探索を連載しているので、私は几帳面な古本コレクターを思われるかもしれないいが、実際には横着な収集者であって、月報に関してもそれほど気にしていなかった。

 f:id:OdaMitsuo:20200905130353j:plain:h120(『明治大正文学全集』) f:id:OdaMitsuo:20200413114445j:plain:h120(『現代日本文学全集』) 

 ところが松本清張記念館から原稿を依頼され、松本清張の『半生の記』(河出書房新社)を再読するに及んで、彼が新潮社の『世界文学全集』の「月報」の文章まで記憶していたことに驚き、その第二十四巻『露西亜三人集』を取り出してみた。すると幸いなことに、その巻には「月報」が欠けておらず、該当の原久一郎の『どん底』の「訳者の感想」を確認してみると、清張の記憶違いも判明した。だがあらためて円本「月報」までもがよく読まれ、記憶に残っていた例として受け止めたのである。

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 そのこともあって、これまた二十年ほど前に「月報」を集めた青山毅編著『文学全集の研究』(明治書院、平成二年)を購入していたことを思い出した。同書はタイトルを『文学全集月報の研究』としたほうがふさわしい内容で、それらの全集類をリストアップしてみる。ナンバーは便宜的に振ったものである。

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1 改造社 『現代日本文学全集』
2 春陽堂 『明治大正文学全集』
3 新潮社 『現代長篇小説全集』
4 平凡社 『新進傑作小説全集』
5 改造社 『新日本文学全集』
6 新潮社 『世界文学全集』
7 第一書房 『近代劇全集』
8 平凡社 『現代大衆文学全集』
9 平凡社 『新興文学全集』
10 改造社 『日本文学大全集』
11 河出書房 『三代名作全集』
12 近代社 『世界戯曲全集』
13 改造社 『世界大衆文学全集』

 これらは11を除いて、すべて円本であり、『古本探究』や『近代出版史探索』の目的のひとつが、円本に照明を当てることなので、拙稿とのコレスポンダンスを挙げておくべきだろう。1の『現代日本文学全集』は本探索1062、2の『明治大正文学全集』は同1098、3の『現代長篇小説全集』は同1056、4の『新進傑作小説全集』『近代出版史探索Ⅱ』388、5の『新日本文学全集』『近代出版史探索Ⅴ』863、6の『世界文学全集』は同827、7は「第一書房『近代劇全集』のパトロン」(『古本屋散策』所収)、8の『現代大衆文学全集』『近代出版史探索Ⅲ』427、9の『新興文学全集』は「平凡社と円本時代」(『古本探究』所収)、12の『世界戯曲全集』『近代出版史探索Ⅲ』550、13の『世界大衆文学全集』『近代出版史探索』95などで既述している。

f:id:OdaMitsuo:20200716195213j:plain:h120 (『現代長篇小説全集』) f:id:OdaMitsuo:20201208112036j:plain:h120(『新進傑作小説全集』)f:id:OdaMitsuo:20190110102305j:plain:h115(『新日本文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20200717104139j:plain:h115(『世界文学全集』)f:id:OdaMitsuo:20190208105436p:plain:h120(『近代劇全集』) f:id:OdaMitsuo:20200717104540j:plain:h120 (『現代大衆文学全集』)
f:id:OdaMitsuo:20190208102944j:plain:h115(『新興文学全集』)(『世界戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20190116115409j:plain:h120(『世界大衆文学全集』)

 しかし私にしても、これらのすべてを所持しているわけではなく、まして「月報」の有無を確かめたところで、不備のものが多いと思う。それゆえにこれらの13種の全巻の「月報」の大半を揃えるには尋常ではない努力が重ねられたはずで、青山の力業を称賛するしかない。谷沢永一が『文学全集の研究』に寄せている「『春陽堂月報』回想」によれば、『明治大正文学全集』は揃い物であっても、「月報」は「まず例外なく絶望的に欠落しており、端本に挿入されている御無事な御姿を拝する機会も絶無に近く、いわんや月報だけが市場に出現するのも、奇跡に近い、という摩訶不思議な実状であった」。そのために「春陽堂月報」の揃いは三十年近く待ったが、「誰に聞いても見かけた覚え」はなく、ついに出現しなかったという。谷沢は「それが今はからずも、青山毅を始め奇特の士の尽力により、全貌を知る運びとなったのを幾重にも自悦せざるを得ない」とまで書きつけている。

 その谷沢の気持ちは私のような横着な収集者でもよくわかる気がするし、この一冊の出現によって、「月報」のほとんどの明細を知ることができるからだ。だがそれらは『文学全集の研究』にまかせ、谷沢がそこで述べている円本全集の格差にふれてみたい。それは私が前々回に述べた印象を補っているのである。どの家でも日本文学の円本の「ほぼ普遍的に顕著な特徴は、改造社版『現代日本文学全集』の方が、春陽堂版『明治大正文学全集』よりも一応は優位を占めていた」という。それは戦時中に偽装貸本屋となった群小古本屋も同様で、その床柱に座したのは改造社版に続き、新潮社『世界文学全集』、平凡社『現代大衆文学全集』、改造社『世界大衆文学全集』で、春陽堂版を揃えている貸本屋はなかったようだ。

 だが『現代日本文学全集』よりも、『明治大正文学全集』のほうが、昭和文学としての大佛次郎、江戸川乱歩、佐々木邦、長谷川伸などの作品も収録されていたので貸本屋向きであるはずなのに、そうではなかったのである。「誰かこの不思議を解明してくれる人はないものか」と谷沢は語ってもいる。やはり全集と読者の関係はその時代と状況によって、異なるものだということになるのだろう。


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