出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1186 ゴンクール『売笑婦エリザ』、アラン・コルバン『娼婦』、『ナナ』

 本探索1173のドーデ『巴里の三十年』 において、フローベールの家での晩餐会にはゴンクールの『令嬢エリザ』も供されていた。ゴンクール兄弟に関しては『近代出版史探索Ⅴ』825、826で取り上げているが、この作品は弟のジュールの死後、一八七七年に兄のエドモンが書き下ろしたもので、原文タイトルはLa Fille Elisa であり、まだ邦訳も出されていないことから、直訳され、そのタイトルで引かれていたことになる。

f:id:OdaMitsuo:20210719111237j:plain:h120 (創藝社版)

 実は創藝社版『巴里の三十年』 が昭和二十四年に刊行された翌年に、これも『近代出版史探索Ⅴ』822の岡倉書房から、桜井成夫訳『売笑婦エリザ』として出版に至っている。その「序」で、エドモン・ゴンクールは同826の『ジェルミニィ・ラセルトゥウ』 と同じく、「人間の悲惨事にたいする同情の念と知的好奇の念から書かれたもの」と述べ、また「読者の心に沈鬱な瞑想以外のものをもたらすことがないやうに」書いたと記している。そして「売淫と売笑婦とは一挿話にすぎなくて、刑務所と女囚、これが、本書のねらひ」であるとも。

f:id:OdaMitsuo:20210804151217j:plain:h120(『売笑婦エリザ』) ジェルミニィ・ラセルトゥウ (岩波文庫) (『ジェルミニィ・ラセルトゥウ』)

 確かに第一篇は産婆の小娘エリザをめぐる「売淫と売笑婦」の物語だが、その序章に当たる部分と第二編は「刑務所と女囚」を描き、禁錮刑によって女の理性を永久的に殺してしまう偽善的なオーバン制度に迫り、ゴンクールの「ねらひ」が後者にあるとわかる。しかし小説としての「売淫と売笑婦」に他ならない第一篇がリアルであることと相反していない。エリザがたやすく売笑婦になったのは「少女時代から、売笑といふことを女性の最も普通の職業だと見る癖がついてゐた」からで、それは次のような事情によっていた。

 エリザは、永年、淫売婦たちのそばで、看護人として暮したが、そのころ、その女たちが、自分たちの商行為を指して、働くといふ言葉を使い、しかも深い信念をもつて使つてゐるのを耳にしたものだつた。それかあらぬか、エリザは売春といふことを、ほかの職業ほどには骨の折れない楽な職業、不景気知らずの職業と考へるやうになつてゐたのだ。

 それに貧困と怠け癖、娘特有の「肉体の弛緩状態」が加わり、エリザをして売笑婦ならしめたのだ。それゆえに主として「そのころ」、十九世紀後半の売春の社会史といっていいアラン・コルバンの『娼婦』 (杉村和子監訳、藤原書店、平成三年)において、資料として使われることになる。この一冊は前回ふれたアナ―ル学派の「売春の社会史」と謳われている。コルバンは第Ⅱ部「監禁から素行の監視」の第2章「満たされぬ性と売春の供給」で、次のように述べている。

 娼婦 〈新版〉 (上) 娼婦 〈新版〉 (下)

 一八七六年から一八七九年にかけて、(中略)文学と美術において、売春を取り上げることによる明らさまな性の表現が見られるようになった。実際に性を扱ったいくつかの作品がほぼ時を同じくして発表される。たとえば、『マルト』、『娼婦エリザ』、『ナナ』、『リュシー・ペルグランの最期』、『脂肪の魂』(中略)などである。

 『マルト』は『近代出版史探索Ⅴ』828のユイスマンスの処女作で、マルトという妾を主人公とする作品、『ナナ』『脂肪の塊』はいうまでもなく、ゾラとモーパッサン、『リュシー・ペルグランの最期』はポール・アレクシスの短編小説集で、アレクシスはゾラの信奉者として、ユイスマンスと同じく『メダンの夕べ』に作品を寄せている。モーパッサンの『脂肪の塊』もこの作品集に発表されている。『娼婦エリザ』は『娼婦』 の本文中にもう一ヵ所出てくるだけだが、コルバンの「原注」をたどっていくと、十九世紀後半の娼婦の生態とハビトゥスを浮かび上がらせるに際して、このゴンクールの作品を大いに参照しているとわかる。
 
 脂肪のかたまり (岩波文庫)

 また『ナナ』が挙げられているのはコルバンがエリザと異なる高級娼婦たちにも言及しているからで、彼女たちはドゥミ=モンデーヌ、ファム・ギャラント、舞台の女、夜食相伴の女(スープーズ)と呼ばれている。彼女たちの顧客は外国の貴族、金融界や産業界の大ブルジョワ、若い新進ブルジョワジー、地方の金持たちで、「舞台の女」=女優のナナもまた高級娼婦に分類されるのである。

 コルバンはこれも「原注」において、「貴族階級の女性は決して、自らの裸身を人に見せなかった。であるからこそ、ミュファ伯爵はナナの肢体にあれほど夢中になったのである」と記している。この「原注」を読みながら、私も『ナナ』の新訳者なので、ゾラの「フランスを淫売屋にしてしまった第二帝政」という言、及びナナの出演するヴァリエテ座の支配人ポルドナーヴが「あなたの劇場」といわれ、ただちに「わしの淫売屋と言って下さい」と応じるシーンを思い出すのである。

 ナナ (ルーゴン=マッカール叢書)

 また同じくコルバンは「原注」で、ナナたちが性的倒錯にまみれた上流階級の男たちがたむろする中に、売春婦として繰り出す場面をプレヤード版のページ数で示しているので、それを拙訳で引いておこう。それはデヴィッド・リンチやピーター・グリーナウェイの映像を彷彿とさせる。

 それからは埃など気にすることもなく、歩道を服の裾で払い、腰を振り、小刻みに歩き、大きなカフェのどぎつい光の中を横切る時はさらに歩みを遅くした。胸を突き出し、声高に笑い、振り返る男たちをじろじろ見つめ、我が物顔に振舞っていた。彼女たちの顔は白く塗られ、真っ赤な唇と瞼の上の黒い墨が協調され、暗がりの中で通りの真っ只中に放り出された十三スーのオリエントの雑貨のような怪しい魅力を放つのだった。

 このようなシーンを含む『ナナ』の第8章は、パリのアンダーグラウンドと売春の実態の生々しさを伝え、「フランスを淫売屋にしてしまった第二帝政」のルポタージュのようでもあり、コルバンが『娼婦エリザ』以上に『ナナ』に言及していることを了承するのである。


odamitsuo.hatenablog.com


[関連リンク]
 過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら