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古本夜話1299 『近藤栄蔵自伝』と『コムミンテルンの密使』

 前回の在米日本人社会主義団が結成される以前から片山潜に寄り添っていた人物がいて、それは近藤栄蔵である。彼は片山門下において、田口運蔵と並ぶ重要なコミンテルン関係者であり、幸いなことに田口と異なり、同志社大学人文科学研究所編『近藤栄蔵自伝』(ひえい書房、昭和四十五年)、及びその抄録ともいえる『コムミンテルンの密使』(文化評論社、昭和二十四年)が刊行されている。前田河が「セムガ」を書くにあたって、田口にロシア語表記を訊ねると、田口がさらにそれを確認するために、近藤に問い合わせたのだった。ここでは『近藤栄蔵自伝』によって、彼の軌跡をトレースしてみる。

  

 近藤は明治十六年東京小石川区生まれ井、高等小学校卒業素、片山潜の『渡米案内』(渡米協会)を読み、三十五年に十九歳で渡米し、苦学してカリフォルニア農業校を卒業し、四十三年に帰国する。養鶏や牧畜業を経営後、大正五年に再渡米し、錦絵の行商などを営み、ニューヨークで錦絵の通信販売を始める。片山がニューヨークに来たことを知り、訪問親交するようになり、『平民』に執筆し、社会主義運動に入り、山田耕筰、伊藤道夫、石垣栄太郎などとも知り合う。

 一九一八年=大正七年に富山県で米騒動が起きたニュースはアメリカにも伝わり、それはロシアの一九〇五年革命に比すべきものだと見なされた。そこで片山はまずロシアへ渡り、外から日本革命の工作に当たり、近藤は日本へ帰り、同志と共産党を結成し、内外呼応して社会革命を軌道にのせようという思いに捉われた。そしてその準備に取り掛かり、一九年に近藤はニューヨークを去り、帰国し、堺利彦と山川均を訪ね、荒畑寒村とも出会う。その一方で、アメリカにおいて、近藤に代わって、在米日本人社会主義者たちが台頭してくるのである。

 大正九年に先の三人や大庭柯公など、広い意味での社会主義者を発起人として社会主義同盟が結成され、近藤も加わり、大杉の週刊誌『労働運動』の復刊を手伝うことになった。編輯主任は『近代出版史探索Ⅱ』351の近藤憲二だった。そのかたわらで堺、山川、荒畑たちによる日本共産党結成を促していたのだが、そこに林という朝鮮人のコミンテルンの密使が現れ、近藤は山川たちによるコミンテルン日本支部準備会の決定を得て、その代表として上海のコミンテルンの極東部委員会に向かうことになった。同行したのは本探索1293のシンクレア『オイル!』の訳者の高津正道であった。

石油!

 近藤を迎えた委員会は朝鮮独立運動の大立物などの極東諸民族共産主義者グループで、運動資金として六千五百円を近藤に渡したが、帰国の途につきながら、「一生一度の大失敗」を起こすのである。これは下関の駅での「思いがけない大災難」で、駅近くの料亭において、夕食、酒、芸者にうつつをぬかし、汽車に乗り遅れ、料亭に戻ったところ、警察の臨検を受け、大金を持っていることが発覚してしまった。そこで警察署に連行、留置され、変装も見破られて素性も判明し、東京の特高課警部が登場し、一ヵ月近い拘留となった。それから山口監獄へと運ばれ、さらに東京へ護送され、市ヶ谷監獄へ収容された。しかし泳がせる目的もあってか、地下運動に使わないという条件で金は返却され、釈放となった。

 近藤はその資金をベースにして、堺の売文社の看板を譲り受け、本郷駒込に事務所を開き、堺、山川、大杉を顧問とし、あらたな「売文社案内」を配布し、警察へのカモフラージュを試みた。そして大正十年に東京、大阪、京都などで日本共産党を名乗る反軍プロパガンダのポスターを貼りめぐらす事件が起きた。それは上海決議の具体化でもあった。これは暁民共産党事件とされ、高津正道、高瀬清たちが早大で設立した暁民会と近藤の資金と共産党によるものとして検挙されるのである。また後日譚だが、この駒込の事務所は大杉に譲られ、彼の通夜の場となるけれど、大杉の遺骨を右翼に奪われるという事件も起きている。

 『近藤栄蔵自伝』の口絵写真には大正十年九月の「売文社顧問会」、十一年四月の暁民共産党事件出獄記念」のキャプションが付された二枚も含まれ、それらの触媒が資金も担った「コムミンテルンの密使」たる近藤に他ならなかった事実を浮かび上がらせている。また前者の写真はアナキストの大杉やボルシェヴィキ派の山川たちの混住ぶりと示し、所謂「アナ・ボル協調」も近藤の存在を抜きにして成立しなかったことを告げていよう。後者は暁民共産党事件の近傍にあった人々の集合写真で、そこには『近代出版史探索Ⅳ』847の藤岡淳吉がいて、後に共生閣=聖紀書房を立ち上げた。また寺田鼎は拙稿「寺田鼎と翻訳」(『古本屋散策』所収)でふれているように、彼も後に大杉の労働運動社に住みこみ、本探索1291の早坂二郎と同じく、『近代出版史探索』95の改造社『世界大衆文学全集』などの翻訳者となっていく。

古本屋散策   (『世界大衆文学全集』22、『ゼンダ城の虜』)

 このような暁民共産党事件は近藤が上海会で約束した日本共産党の結成と反軍運動として、コミンテルンへ報告され、それが資金問題も絡んでアナキストとボルシェヴィキの「アナ・ボル協調」のかたちともなった。そして一九二一、二二年=大正十、十一年のアナ・ボルが混住する日本からのコミンテルンの極東民族大会への出席者メンバーの選抜と派遣へとつながっていったと考えられる。それらの人々は多数なのでここではリストアップしないけれど、これから個別に召喚していくつもりだ。


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