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古本夜話1293 シンクレア、前田河広一郎訳『資本』

 前回の『セムガ』の前田河広一郎はやはり昭和五年に、同じ日本評論社からアプトン・シンクレア『資本』を翻訳刊行している。両者が併走するかたちで出版されたことは裏表紙見返しの『日本プロレタリア傑作選集』の広告が伝えていよう。そのリストは本探索1253で示しておいた。

 

 『前田河広一郎 伊藤永之介 徳永直 壷井栄集』(『現代日本文学大系』59、筑摩書房)所収の「前田河広一郎年譜」を確認してみると、大正時代末からシンクレアの翻訳を手がけていたとわかる。それらは『ジャングル』(叢文閣、大正十三年)、『義人ジミー』(改造社、同十五年)で、おそらく『日本プロレタリア傑作選集』の企画とリンクしているのであろう『資本』が続いている。その他にも『地獄』(南宋書院、同三年)、『ボストン』(改造社、同四年)があるようだ。

現代日本文学大系 (59) (『ジャングル』) 義人ジミー (『義人ジミー」)  

 私も『近代出版史探索Ⅱ』356で木村生死訳『拝金芸術』(金星堂、昭和五年)を取り上げた際に、いずれも新潮社の早坂二郎訳『真鍮の貞操切符』(昭和四年)、富田正文訳『金が書く』(同五年)、谷譲次、早坂二郎訳『ひとわれを大工と呼ぶ 百パーセント愛国者』(第二期『世界文学全集』8、同前)が手元にあることを既述しておいた。

 人われを大工と呼ぶ &百パーセント愛国者 シンクレーア著 ; 谷讓次, 早坂二郎譯 新潮社世界文学全集第2期第8巻

 それから『金が書く』の巻末広告には、同じく早坂訳『現代人の生活戦術』も見えている。また『近代出版史探索』21の佐々木孝丸の盟友佐野碩訳『プリンス・ハアゲン』(金星堂、同二年)、本探索1285の小池四郎訳『人は何故貧乏するか?』(春秋社、同二年)、同1217などの堺利彦訳『スパイ』(共生閣、同三年)、高津正道他訳『オイル!』(平凡社、同五年)などを考えれば、シンクレアの翻訳は昭和初期に集中して刊行されていたことになる。まさにシンクレア翻訳は真っ盛りを迎えていたといっていいかもしれない。
の訳者の高津正道であった。

石油!

 中田幸子は「ジャック・ロンドン・アプトン・シンクレアと日本人」のサブタイトルを付した『父祖たちの神々』(国書刊行会、平成三年)において、「シンクレア時代の開幕」という一章を設けている。それによれば、先述の翻訳にはもれているけれど、大正十四年に堺利彦が『石炭王』(白揚社)を刊行したことが日本のシンクレア流行の開幕を告げるものだったようだ。

父祖たちの神々―ジャック・ロンドン、アプトン・シンクレアと日本人

 これは本探索1217の『堺利彦全集』に収録されていないので未見だが、中田によれば、堺はその序で、『石炭王』『近代出版史探索Ⅵ』1180のゾラ『ジェルミナール』に続く「アメリカのジェルミナール」として紹介している。この『石炭王』はアメリカ史上最大の争議とされるコロランドの炭鉱争議を描いたもので、その『石炭王』から『資本』に至る翻訳を通じて、最も照応したのはこれも本探索1271などの青野季吉で、それに『文芸戦線』陣営もバックアップした。平田は昭和初期の『文芸戦線』だけでなく、『新潮』や『プロレタリア芸術』などに見られるシンクレアブームにふれ、「つまり一部の人々の間では、シンクレアは、その思想のみならず文学という点でも、手本と考えられていたのである」と指摘している。

 昭和初期の日本のプロレタリア文学の時代において、シンクレアの策本の文学的完成度と価値はともかくとしても、そのテーマゆえに時代の要請に見合う作家として歓迎される現象をもたらしたと考えられる。原題のMountain Cityだが、『資本』と邦訳されたのも象徴的である。この作品を簡略に紹介すれば、ひとりの貧しい牧場少年がサトウキビ農地に移って農場で働くようになり、第一次世界大戦で砂糖不足が生じたことで、牧場とは異なる利益を得るのだが、労働者のままでは限界があると悟る。そこで奨学金を得て、マウンテンシティ大学へと進み、金になる企画やセールスを試み、地元の富豪を訪問したりして、土地売買、税法、投資、株式市場などの資本のメカニズムを学び、富豪の娘と結婚し、金融資本家への道をたどっていくのである。やはりシンクレアの翻訳者早坂二郎は前田河がこの作品をシンクレアの『資本論』と見立てたと書いているようだが、それは『資本』の前田河の「序」にもうかがわれるので、それを引いてみる。

 日本の読者が、例えば、このシンクレーアの近作を読むに当つて、最も要慎しなければならぬことは、この種の機会的な政治的イデオロギーと文学との結びつきに関してである。この一篇の主題(テーマ)となっていゐるものは、如何にアメリカの近代資本主義が構成されて行くかといふからくりの経済的政治的暴露である。だが、作家シンクレーアは、決してそれを、通り一遍の、愚かにも露骨な統計表の転載や、独りよがりのルンペン労働的な罵倒をもつてしてゐるわけではない。そこには、小説といふものの独有性である総合力が働いてゐて、実際、私達が日常眼に見、耳に聞いて、大部分はわかるずじまひにしてしまふ世界が、鏡面に映する活きた姿となつて現はれてゐるのだ。単的に、これだけが光つてゐるといふものが実在の世の中に在り得ないやうに、雑然として各種の人や物や組織が、そこに織り成されてゐるのである。

 これは前田河によるシンクレアの『文学的資本論』解説と呼んでいいのかもしれない。また先の早坂は前田河と並ぶもう一人のシンクレアの翻訳者だといっていいが、『日本近代文学大事典』『近代日本社会運動史人物大事典』にも立項されていない。かろうじて『近代出版史探索Ⅳ』776の神谷敏夫『最新日本著作者辞典』に見出される。それによれば、東京帝大法学部出身で、朝日新聞記者をしていたとある。新人会に属していたようだ。また彼は「改造社版世界大衆文学全集総内容」(『古本探究』所収)で示しておいたが、ユーゴー『九十三年』の訳者で、口絵写真にそのポルトレが掲載されていることを付記しておく。

(日本図書センター復刻)


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