出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話941 松本信広「巴里より」と『日本神話の研究』

 『民族』における「巴里(松本信広君)より『民族』同人へ」は第一巻第一号だけでなく、同第二号へと続き、第二巻第一号からは「巴里より」として、同第三号、第三巻第一号まで三回分が掲載されている。以下「巴里より」と統一する。それは大正十四年から昭和二年まで、すなわち一九二五年から二七年にかけてということになる。
 f:id:OdaMitsuo:20190802113223j:plain

 この時期はモース研究会『マルセル・モースの世界』所収の「モース関係略年表」の「第三期(一九二五―三〇年)」に該当している。それはモースにとって『社会学年報』第二期創刊、『贈与論』の発表、レヴィ・ブリュルたちとの民族学研究所創設、そこでの民族誌学講義の開始、『供犠』(小関藤一郎訳、法政大学出版局)などの共著者ユベールの死の時期でもあった。松本の「巴里より」はそれらに加えてジェネップの『民俗学』(「現代文化叢書」、書肆ストック)を始めとするフォークロア研究、モースとユベールの高等研究実習院での未開宗教講座、グラネの同じく極東の宗教講座、コレージュ・ド・フランスのマスペロ教授の神話研究、及び二人の近刊著作、プシルスキーのインド説話研究、支那学研究所の設立などもレポートされている。
マルセル・モースの世界 供犠

 これらの同時代のフランスにおける、アジアに関する宗教学、民俗学、民族学、考古学、神話学研究の展開は柳田たちだけでなく、『民族』の読者にとっても刺激を与えたにちがいない。『民族』の寄稿者で、第三巻第二号に「明治以前の石器時代関係文献」を寄せている本連載744の中谷治宇二郎、あるいは同741などの森本六爾がフランスに向かったのは、このような松本の「巴里より」に触発されたからではないだろうか。

 その一方で、松本はソルボンヌ大学の学位論文として提出されたEssai sur la Mythologie Japonaise 及び、Le japonais et les langues austroasiatiques・étude de vocabulaire comparé を携え、昭和三年に帰国する。そして前者は古野清人「日本神話学の新研究」、後者は小林英夫「日本語の所属問題」(いずれも第四巻第一号)として紹介、書評が掲載される。

 小林の書評は日本語がプシルスキーのいうところの「オーストロアジア言語」に所属するのかをめぐって、松本の方法論的手順に疑問を呈し、日本語の体系の概念の欠如を指摘している。それに対し、松本は「小林英夫氏に答ふ」(第四巻第二号)を書き、日本語の形式にオーストロアジア語の影響が大きいと述べたけれど、両言語の親族性を証明したとは記していないし、それらは人類学や考古学などによる二民族の接触を確認し、そこから両語彙を比較検討すべきで、「日本語の所属問題」を論じていないと反論している。これは松本の論文を読んでいないし、日本語化もされていないので、立ち入ることはできないけれど、ひとつだけ指摘しておきたい。

 小林は昭和三年に、他ならぬ岡書院からソシュールの『言語学原論』を翻訳刊行したばかりであり、松本の言語学的手順に基づかず、人類学、考古学、民族学、神話学などを背景とする、日本語とオーストロアジア語の比較言語論に異議を提出したと考えられる。そして松本は反論したものの、『東亜民族文化論攷』(誠文堂新光社、昭和四十二年)所収の「松本信広著作目録」をみても、その後それを継承展開したようではないので、小林の書評は松本にとって見過ごせるものではなかったと推測される。

f:id:OdaMitsuo:20190819145833j:plain:h115(『東亜民族文化論攷』)

 その一方で、古野が書評した「日本神話学」は『日本神話の研究』のタイトルで、昭和六年に同文館から「フランス学会叢書」の一冊として出版される。この「叢書」は古野によって企画成立したようで、松本はそれを記すと同時に、「本書によりフランス大学風の一端、ことにその社会学派の神話学的一端が読者に伝えられれば予の本懐とするところ」を述べている。同書には「外者款待伝説考」など七編を収録し、いずれもその時代の「社会学派の神話的一端」を伝えているが、ここではやはり冒頭の「外者款待伝説考」を取り上げるべきだろう。
f:id:OdaMitsuo:20190819105355j:plain:h120(『日本神話の研究』)

 松本はこの一編を『常陸国風土記』の筑波山と富士山伝説から始めている。筑波山には人民が集い、飲食を豊かにもたらし、祭を行ない、遊び、楽しめることに対し、富士山はどうして雪に閉ざされ、登臨不可能なのかと。それは祖神が富士山で冷遇されたけれど、筑波山では歓待されたからで、その祭は筑波の山で春と秋に行なわれ、「この日はいかなる人々の間にも物惜しみなき饗応贈与がおこなわれた」とされる。そしてこの歓待の物語は新嘗の祭、アイヌの説話、シベリアの古アジア族の民間伝承、アメリカ・インディアンの神話の中にも見出されるし、アイヌの熊祭り、シベリアの古アジア民族の鯨祭りも同じ構造を有している。それを松本は次のように記す。
 常陸国風土記

 食料を得るとすべてのものに分与する。貰ったものは贈物をしてこれに報ゆる。またその氏族の特権として飾章と喪歌および名を採用するとき、尊長は人民全体を招待し大饗宴を開き、財産を分与する。これがアメリカ・インディアンの間にポトラッチとして知られている慣習である。この饗応・財産分配を伴わねば新しい特権獲得はできない。この種族においては、財産は分配せられんがために蓄積されるのである。蓄積そのものが目的ではない。この点において近代社会と正反対である。

 これが本連載922のモース『太平洋民族の原始経済』に基づいていることはいうまでもあるまい。松本は最後の参照文献として、この原題Marcel Mauss,Essai sur le donを挙げている。それは松本が『社会学年報』第二期創刊号に掲載されたモースの『贈与論』の出現に立ち合っていたことを告げていよう。

Marcel Mauss,Essai sur le don  贈与論(ちくま学芸文庫版) 贈与論(岩波文庫版)

 なお『日本神話の研究』は、これもまた昭和四十六年に復刊された平凡社の東洋文庫版によっていることを付記しておく。
日本神話の研究


odamitsuo.hatenablog.com


odamitsuo.hatenablog.com


odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル136(2019年8月1日~8月31日)

 19年7月の書籍雑誌推定販売金額は956億円で、前年比4.0%増。
 書籍は481億円で、同9.6%増。
 雑誌は475億円で、同1.2%減。その内訳は月刊誌が384億円で、同0.1%減、週刊誌は91億円で、同5.4%減。
 返品率は書籍が39.9%、雑誌は43.0%で、月刊誌は43.4%、週刊誌は41.3%。
 書籍のほうは新海誠『小説 天気の子』(角川文庫)が初版50万部で刊行された他に、東野圭吾『希望の糸』(講談社)、百田尚樹『夏の騎士』(新潮社)などの新刊が寄与している。
 雑誌は定価値上げに加えて、定期誌『リンネル』(宝島社)などが好調で、コミックは『ONE PIECE』(集英社)の新刊発売にも支えられている。
 例年は『出版年鑑』(出版ニュース社)の実売総金額も挙げてきたが、出版ニュース社が閉じてしまったので、それももはや提示できなくなってしまったことを先に付記しておこう。

小説 天気の子 希望の糸  夏の騎士  リンネル ONE  PIECE 



1.出版科学研究所による2019年上半期の紙+電子出版市場の動向を示す。

2019年上半期 紙と電子の出版物販売金額
2019年1〜6月電子紙+電子
書籍雑誌紙合計電子コミック電子書籍電子雑誌電子合計紙+電子合計
(億円)3,6262,7456,3711,133166731,3727,743
前年同期比(%)95.294.995.1127.9108.584.9122.098.9
占有率(%)46.835.582.314.62.10.917.7100.0

 前年と同様にインプレス総合研究所の18年電子書籍市場調査と合わせて言及してみる。
 出版科学研究所による19年上半期紙と電子出版物販売金額は7743億円で、前年比1.1%減。そのうちの電子出版市場は1372億円、同22.0%増で、そのシェアは17.7%、前年は16.1%。
 電子出版の内訳は電子コミックが1133億円で、同27.9%増、電子書籍が166億円で、同8.5%増、電子雑誌が73億円で、同15.1%減。
 電子コミックの3割近い伸びは海賊版サイト「漫画村」の閉鎖によるものとされる。前年に続く電子雑誌のマイナスは「dマガジン」の会員減が影響し、大幅減となった。
 電子出版市場は前年比プラス247億円だが、それは電子コミックの同247億円プラスとまったく重なる数字で、電子出版市場が電子コミック市場に他ならないことを象徴していよう。したがって今後の電子出版市場にしても、その成長は電子コミック次第ということになる。

 その一方で、インプレス総合研究所によれば、18年度の電子出版市場規模は3122億円で、前年比22.1%増。
 その内訳は電子雑誌が296億円、同6.1%減で、統計開始以来の初めての減少。電子書籍は2826億円、同26.1%増。
 電子書籍の分野別はコミックが2387億円、同29.3%増、文芸、実用書、写真集などの「文字もの等」が439億円、同10.8%増で、コミックのシェアは84.5%。

 出版科学研究所とインプレス総合研究所による電子出版市場規模は前者が上半期、後者が年間データで開きはあるのだが、電子市場のマイナス、電子コミックのシェアの高さは共通している。それゆえにインプレスの場合も、電子書籍市場は電子コミック次第ということに変わりはないといえよう。



2.『日経MJ』(7/31)の18年度「日本の卸売業調査」が出された。
 そのうちの「書籍・CD・ビデオ部門」を示す。

 

■書籍・CD・ビデオ卸売業調査
順位社名売上高
(百万円)
増減率
(%)
営業利益
(百万円)
増減率
(%)
経常利益
(百万円)
増減率
(%)
税引後
利益
(百万円)
粗利益率
(%)
主商品
1日本出版販売545,761▲5.81,026▲56.61,084▲57.5▲20912.9書籍
2トーハン416,640▲6.13,887▲12.71,819▲24.653114.3書籍
3大阪屋栗田74,034▲3.9書籍
4図書館流通
センター
45,2390.21,90715.72,117151,37818.3書籍
5日教販28,0242.44153.224512.421610.4書籍
9春うららかな書房3,465▲4.2書籍
MPD168,314▲6.9112▲73.1122▲70.8164.1CD

 日販とトーハンの決算に関しては本クロニクル134で詳述しているので、ここでは前年と同様に、決算を発表していない大阪屋栗田にふれてみる。
 それに折しも、ノセ事務所の能勢仁が『新文化』(7/25)に、「大阪屋栗田は情報発信を」という投稿をしているからでもある。能勢は大阪屋栗田のネット上の決算公告により、上記の調査表の空白を埋めるかたちで、次のように述べている。

「それによると、大阪屋栗田の売上高は740億3400万円で、前年比3.9%減である。日販やトーハンと比べて減少幅が低い。しかし、営業損失は3億6100万円、経常損失は2億7800万円、当期純損失は4億2200万円だった。
 昨年度、業界誌に大阪屋栗田の記事が載ることはほとんどなかった。役員・執行役員など14人以外、人事情報も公開されていない。取次会社はこの業界の公器で、取引書店にとっては親のようなものである。大阪屋栗田の沈黙は不安感を与えかねない。」

 
 さらに続けて、大阪屋栗田が書店に促進しているのは楽天ポイントキャンペーンが主で、それより重要な品揃えや接客といった読者ニーズ、来店動機への取り組みが欠けているのではないかとの疑念も発せられている。
 だが現在の大阪屋栗田には、かつて大阪屋や栗田が備えていた書店経営勉強会促進といった機能を望むことは不可能であろう。大阪屋栗田は書店の取次というよりも、もはや当然のことだが、ネット企業楽天の傘下取次の色彩が強くなっている。
 現在の出版状況において、「大阪屋栗田の沈黙は不安感を与えかねない」と能勢は書いているけれど、それは日販やトーハンも同様であろう。
 前回、文教堂GHDの「事業再生ADR手続き」やフタバ図書の長期にわたる粉飾決算などに言及したが、日販は沈黙を守っているに等しいし、それは新聞や経済誌にしても同じだ。トーハンもそうした書店を抱えているにもかかわらず、こちらも何も発信していない。
 しかし19年の書店売上と閉店状況を見る限り、書店市場は多くが赤字に陥っていると考えざるを得ない。そのバブル出店のつけを取次は清算することができるであろうか。
 なお中央社の決算が発表された。売上高212億円、前年比2.1%減で、減収減益の決算。

odamitsuo.hatenablog.com


3.『新文化』(7/25)が「TSUTAYA『買切仕入れ』の狙い」との見出しで、同社取締役でBOOKカンパニーの鎌浦慎一郎社長、内沢信介商品部長の話を掲載している。
 

 本クロニクル134で、TSUTAYAの買切に関して、詳細がはっきりせず、現在のようなTSUTAYA状況の中での疑問を呈しておいた。そうした見解はこの一面特集を読んでも変わらないけれど、ここで示されたデータからTSUTAYAの現在を観測してみる。
 本クロニクル133でTSUTAYAの18年度、書籍・雑誌販売金額が過去最高額になったことを既述しておいたが、その店舗数は不明だった。この記事には18年末の直営店、FC店合わせて835店、販売金額は1347億円とある。これまでのTSUTAYAの年間販売金額に関しても『出版状況クロニクルⅤ』などで試算してきたように、あらためて確認してみると、一店当たりの書籍・雑誌販売金額は年商1億6000万円で、月商1300万円となる。
 これに対して、日販の「出版物販売金額の実態2018」によれば、17年の書店坪数と販売金額は83.7坪、年商1億23万円とされる。08年には70.7坪、1億1474億円だったので、書店坪数の増床と反比例して、販売金額が減少していったことを示している。

 ところがTSUTAYAの場合、18年には30店が新規出店し、その平均坪数は700坪である。もちろんこれが書籍・雑誌売場だけでなく、複合であることは承知しているけれど、70、80坪でないことは自明だろう。すなわち、TSUTAYAは単店でみるならば、驚くほど書籍・雑誌を売っていないし、しかも雑誌、コミック比率が高く、書籍販売の蓄積を有していないと見なせよう。
 さらにこの記事にはTSUTAYAの返品率は雑誌・書籍を合わせて35%で、それを買切仕入れで30%未満にしたとの言もある。しかし18年に続いて、19年もTSUTAYAの大量閉店は止まず、7月で40店を超え、その坪数は1万坪近くに及んでいる。それらのトータルな返品も含めれば、返品率は優に50%を超えているはずだ。
 文教堂やフタバ図書だけでなく、日販とMPDはこのようなTSUTAYAを抱え、三つ巴の大返品状況を迎えている。それらの行方はどうなるのだろうか。
出版状況クロニクル5

odamitsuo.hatenablog.com
4.全国大学生活協同組合連合会(大学生協連)は秋から日販による専門書新刊の見計らい自動配本を取りやめ、全国共同仕入事務局と主要店舗選書担当者が選書と発注を行う「書籍事業再構築方針」を発表。
 大学生協連には206大学生協が加盟し、431店舗を有し、年間の出版物販売金額は240億円。

 6月に九州大学生協文系書籍店と理農購買書籍店の閉店が伝えられ、大学生協書籍店にも否応なく、危機が露呈し始めていることをうかがわせた。
 とりわけ九州大学文系書籍店は鈴木書店時代に小社によく注文があったこと、また大学生協連の日販への帖合変更が鈴木書店の倒産のひとつのきっかけだったことを思い出させてくれた。
 あれから20年近くがたち、大学生協書籍店も想像以上の変化と異なる事態に直面していると推測される。



5.小中学校の図書館に書籍を卸していた武蔵野市の東京学道社が破産手続きを開始。
 同社は公立小中学校280校の図書館に書籍を卸していたが、資金繰りの悪化と代表者の死去もあり、今回の措置となった。負債は1億円。

 このような民間の図書館納入会社が破産する一方で、映画『ニューヨーク公共図書館』がロングラン化している。また超党派議員からなる活字文化議員連盟(議連)の「公共図書館の将来」という答申を提出している。それは10年の議連の「一国一書誌」政策に端を発し、国会図書館の書誌データ一元化推進を主とするもので、TRCは「民業圧迫」と反発しているようだ。
 それは当然のことで、「公共図書館の将来」答申は議連と日本インフラセンター(JPO)のパフォーマンスにすぎず、実現することはないと断言していい。それよりも、現在の書店と図書館の関係の希薄化、東京学道社のような民間の図書納入業者が消えていく、小中学校も含んだ図書館市場の動向が気にかかる。



6.経済誌『Forbes Japan』を発行するリンクタイズは男性誌『OCEANS(オーシャンズ)』の発行所ライトハウスメディアのゼ株式を取得。それに伴い、リンクタイズの角田勇太郎社長が代表取締役に就任。
 ライトハウスメディアの太刀川文枝社長は退任するが、『オーシャンズ』編集体制はそのまま継続される。
Forbes オーシャンズ

7、『うんこドリル』の文響社は(株)マキノの全株式を取得し、同社とその子会社わかさ出版を完全子会社化した。
 わかさ出版の石井弘行社長は留任し、文響社の山本周嗣社長が取締役に就任。
 わかさ出版は1989年創立で、健康雑誌『わかさ』『夢21』『脳活道場』及び健康・医療関係の単行本などを編集発行。

うんこドリル わかさ 夢21 脳活道場

 たまたま今回は続けて2誌の買収が明らかになったが、出版社と雑誌のM&Aも水面下で多くが検討されているにちがいない。
 本当に雑誌の運命もどうなっていくのか。



8.LINEは8月5日にスマホ向けアプリ「LINEノベル」の配信を開始。
 「LINEノベル」はオリジナル作品の宮部みゆきの『ほのぼのお徒歩日記』、中村航『♯失恋したて』などが読めるアプリと、小説投稿アプリをベースにして、講談社や集英社など12社、2000作が搭載され、投稿数はすでに8000を超えているという。
 専門アプリのダウンロードは無料で、アイテム課金制。全作品の1話から3話まで無料公開され、4話以降は1話につき20コイン(20円)。投稿作品はすべて無料で読める。

 『日経MJ』(8/14)に中村航への「なぜスマホアプリに書き下ろし?」という長いインタビュー、及び「参加する出版社とLINEノベルの仕組み」というチャートが掲載されているので、必要とあれば参照されたい。



9.『週刊ポスト』(8/30)で、横田増生の潜入ルポ「アマゾン絶望倉庫」の連載が始まった。
 かつて『潜入ルポ アマゾン・ドット・コム』(朝日文庫)を刊行した横田は、二度目の潜入を「とてつもなく大きくなったなあ……」と始めている。
 この15年の間にアマゾンに何が起きていたのか、どのように変わっていったのかがレポートされていこうとしている。


週刊ポスト 潜入ルポ アマゾン・ドット・コム

 郊外消費社会は3C、すなわちcheap、convenience、comfortableをベースにして形成され、それがcheapであることは共通しているけれど、convenienceでもcomfortableでもない仕事によって支えられている。
 その典型を拙著『郊外の果てへの旅/混住社会論』の中で、桐野夏生『OUT』のコンビニ弁当工場に見たことがあったが、アマゾンの倉庫現場にもそうした労働によって成立しているはずだ。それらの詳細がこれから伝えられていくのだろうか。
 そのかたわらで、アマゾンのクラウドサービスの大規模障害が発生し、ペイペイやユニクロにも被害が及んでいる。こちらもどのようにレポートされていくのか、留意すべきであろう。
郊外の果てへの旅 OUT 上



10.
『東京人』(9月号)に北條一浩の「高原書店が遺したもの」というサブタイトルの「ダム湖のような古書店があった」が6ページにわたり、写真を含め、掲載されている。
 リードは次のようなものである。
 「2019年5月8日。
 町田の古書店・高原書店が閉店を発表した。書店閉店のニュースが多い昨今でも同店のクローズは最大級の衝撃をもって受け止められたと思う。
 高原書店はなぜあれほど大きく拡がり、人々を魅了したのだろうか。
 この稀有な存在を忘れないためにも、高原書店が遺したものについて考えてみたい。」

 

 高原書店に関しては本クロニクル133でふれている。だがこれは高原書店の創業から45年の歴史を丁寧にトレースし、創業者高原坦一の独自の半額販売と店舗展開、データベースに基づくネット古書店への進出、高原の死とその後までをたどっている。そのことによって、貴重な現代古本屋史でもあるので、一読をお勧めしよう。
 また『週刊エコノミスト』(8/6)にも「『古書店』と『新古書店』のあいだに―東京・町田高原書店が遺したもの」が掲載されていることを付け加えておく。

東京人 週刊エコノミスト 



11.漫画評論家の梶井純が78歳で亡くなった。
 

 梶井の本名は長津忠で、彼はかつて太平出版社の編集者、『漫画主義』の同人だった。
 拙稿「太平出版社と崔溶徳、梶井純」(『古本屋散策』所収)でふれているように、石子順造『現代マンガの思想』や石子、菊池浅次郎、権藤晋『劇画の思想』は梶井の企画編集によるものである。
 梶井も『戦後の貸本文化』(東考社)を上梓し、その後貸本マンガ史研究会を立ち上げ、『貸本マンガ史研究』(シノプス)を創刊している。
 梶井とは長らく会っていなかったけれど、『貸本マンガ史研究』や『貸本マンガRETURNS』(ポプラ社)が恵送されてきたのは彼の配慮によっていたのだろう。
 拙稿の最後で、「お達者であろうか」と書いたばかりだった。ご冥福を祈る。
f:id:OdaMitsuo:20190828150331j:plain:h112 劇画の思想 f:id:OdaMitsuo:20190828152146j:plain:h112 貸本マンガRETURNS



12.何気なく『本の雑誌』(9月号)を手にしたら、目次タイトルに「小田さん、その後の加賀山弘について少しお伝えします」とあった。 
本の雑誌 古本屋散策

 これは「坪内祐三の読書日記」の見出しで、彼が『古本屋散策』をジュンク堂で購入し、所収の一編「『アメリカ雑誌全カタログ』、加賀山弘、『par AVION』」に対し、加賀谷のその後についてのコメントを寄せていたのである。
 目次と見出しの呼びかけは途惑ったけれど、「坪内さん、こちらこそ高価な拙著を購入して頂き、本当に有難う」と返礼するしかない。



13.次著『近代出版史探索』のゲラが出てきた。
 こちらも『古本屋散策』と同様に、200編を収録した一冊である。
 今月の論創社HP「本を読む」㊸は「恒文社『全訳小泉八雲作品集」と『夢想』」です。

古本夜話940 桑原隲蔵『考史遊記』

 前回の石田幹之助『増訂 長安の春』に関して、もう一編ふれるつもりでいたが、紙幅が尽きてしまったので、今回のイントロダクションとしたい。
増訂 長安の春

 それは「隋唐時代に於けるイラン文化の支那流入」で、これも隋唐における支那とイラン文化の関係に言及して興味が尽きない。ここでは「宗教」「芸術」「衣食住」の三分野が取り上げられているけれど、そのうちの「宗教」に限定する。石田はイランから伝わった「宗教」として、ザラトゥーストラ教(祆教)」「マニ(摩尼)教」「ネストリウス派邪蘇教(景教)」については本連載653や665で既述してきたが、石田も「ネストリウス宗は正統派から異端視されて迫害を受け、為にその教勢を東方に転じ、イラン地方に入って相当に栄え、更に遠く東に伸びて支那にまで伝えられたもの」とし、八世紀に長安に建てられた有名な「大秦景教流行中国碑」を挙げている。

 この論稿は昭和十一年の岩波講座「東洋思潮」が初出で、その「参考文献略目」によれば、桑原隲蔵の論文などが参照されている。ただこれは『増訂 長安の春』の全体にもいえることだけれど、図版や写真が多く掲載されていたら、さらに啓発的な一文にして楽しい一冊となったのではないかという思いも抱いたりしたのである。それからしばらく後になって、『長安の春』 刊行の翌年の昭和十七年に、その桑原の『考史遊記』 が出版されたことを知った。だがそれは原本を入手したわけではなく、平成十三年に『考史遊記』 岩波文庫化されたことによってだった。

考史遊記

 桑原は東洋史学創始者の一人であり、明治四十年から二年間、清朝末期の支那に留学し、各地を旅行する機会を得た。その洛陽から長安を「長安の旅」、泰山・曲阜から開封・保定めを「山東河南遊記」、熱河・興安嶺から張家口・居庸関を「東蒙古紀行」として記録し、それらを集大成したのが『考史遊記』 なのである。しかしこれは桑原の生前に刊行されておらず、門下生の森鹿三の編集で、昭和十七年に、本連載798などの弘文堂から四六倍判の豪華本仕立てで出版されたようだが、未見のままである。

 だがその原本のイメージは岩波文庫版からも容易にうかがえる。『考史遊記』 の何よりの特色は、本文も含めて三百枚を超える図版、それも大半を桑原自らが撮った写真で占められ、ちょうど石田の『長安の春』 に寄り添い、そのピクチャレスク性を補うような一冊として位置づけることもできよう。例えば、「長安の旅」において、桑原も長安の金勝まで「大秦景教流行中国碑」を目撃している。

 有名なる「大秦景教流行中国碑」(図版四九・五一)実にその中に存す。碑は唐の徳宗の建中二年に、長安大秦寺の僧、景浄の建つる所。唐代における景教流行の状況を窺知すべき唯一の材料として、夙に東洋学者間に尊重せらるる石碑の一なり。
 景教は即ちネストル教なり。西暦五世紀の初半シリアの人ネストルNester の唱えしヤソ教の一派にして、その創唱者に因りてネストル教といい、また弥戸訶教もしくは弥施訶教ともいう。皆Messiah の音訳なり。これを景教と呼ぶ所以は碑文に、
   真常之道。妙而難名。功用照彰。強称景教。[真常の未知、妙にして名づけ難し。功用照彰し、強いて景教と称す]
とあるが如く、畢竟暗黒世界を垂らすべき、光明遍照く即ち景(ひかる)なる宗教という義なり。(後略)

 桑原のネストル教に関する言及はまだ四ページにわたって展開されているので、それが必要とあれば、岩波文庫を見てほしい。

 それからさらに(図版四九・五一)とあるように、巻末の「図版一覧」に「大秦景教流行中国碑」と「同拓本(碑陽及び両側)」の写真が収録されている。ちなみに五〇は「金勝寺全景(中央後方に景教碑見ゆ)」の写真である。実は私も五一の「同拓本」に類するものを古書目録で見つけ、それを入手している。

 本連載653で、マックス・ミューラーの直弟子のコルドン夫人がこの景教碑のレプリカを高野山に建立し、その記念写真が彼女の『弘法大師と景教』に掲載されていることを既述しておいた。また実際にそのレプリカは日本だけでなく、ヨーロッパは聞いていないが、アメリカなどにも送られていたようだ。それを高野山で見るべきだとずっと思っているのだが、まだ果たしていないので、近いうちにぜひ実現したいと考えている。

 その代わりのように、古書目録で見た「同拓本」を入手したのだが、これは一畳半にも及ぶ大きさで、表装し、壁にかけて見ることなどはできない。それは景教碑の大きさを伝えていると同時に、レプリカばかりでなく、拓本も多くつくられ、海外へとも伝播し、様々な伝説を生み出し、散種されていったにちがいない。

 なお『考史遊記』 のタイトルは支那学の先達狩野直喜により、その刊行は息子の桑原武夫の孝心に出ずるとされる。だが石田の『長安の春』 にしてこ、桑原の『考史遊記』 にしても、大東亜戦争下における、相次いでの出版となったことは偶然ではないであろう。


odamitsuo.hatenablog.com

odamitsuo.hatenablog.com

odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話939 石田幹之助『増訂 長安の春』

 同じく『民族』編集委員であった石田幹之助は、岩崎久弥が購入した東洋学文献を主とするモリソン文庫を委託され、そのための財団法人東洋文庫の運営に長きにわたって携わっていた。
 f:id:OdaMitsuo:20190802113223j:plain

 その石田は昭和十六年に創元社から『長安の春』 を上梓しているが、昭和四十二年には『増訂 長安の春』として、平凡社の東洋文庫の一冊に収録されているので、これも書いておきたい。
増訂 長安の春

 同書のタイトルの由来を示す冒頭の「長安の春」は、「長安二月 香塵多し。/六街の車馬 声轔々。」と始まる韋荘の「長安の春」という詩が 劈頭に置かれ、それに誘われるようにして、先ず長安の正月へと入っていく。それはまさに「詩人は逝く春の歌を唱ひ惜春の賦を作る」という風情に包まれ、そこにやはり引用された白居易の「買花」の「帝城 春 暮れんと欲し、/喧喧として 車馬 渡る」がコレスポンダンスし、眼前に唐の首都長安の物語絵巻が拡げられていくような思いを生じさせる。しかもそれは「長安の春」のみならず、全編の隅々にまで及んでいるのである。

 とりわけ「唐代風俗史抄」は「元宵観燈」「抜河(綱引き)」「縄伎(綱渡り)」「字舞」「長安の歌伎」上下の五つのテーマによって構成され、臨場感に満ちている。その例を「縄伎(綱渡り)」に見てみる。

 支那へは漠の時に西域や印度方面との交通が開けて以来、それらの地方から、またそれらの地方を通じて更に西の方エジプトの方面から、数々の奇術や軽業の類が数々渡つて来たことは東洋史上有名な話であります。(中略)この西方の遠い国から伝へられた幻術奇伎の類が特に歓迎されて異常な注意を惹いたことは紛れもないことでありました。(中略)これらは漢代既に東西の両京などで相当に流行し、魏晉六朝を通じて漸次盛となり、随唐に至つて頂点に達したかの概がありました。(中略)呑刀・吐火・跳丸・舞剣・植瓜・種棗(共に今蒔いた種からすぐに芽が出て幹が伸び、忽ち花が咲き実が成るといふ奇術)の類や昔都盧尋撞(とろじんどう)と呼ばれ、後に縁竿・険竿・長竿などと呼ばれた梯子乗りのやうな軽業、(中略)その軽業の部類に属するもの一つに縄伎とよばれた綱渡りの芸がありました。(後略)

 さらに綱渡りの芸は細部や起源にまで及ぶので、これ以上の引用は断念するしかない。また長いので所々省略してしまったが、実際に石田が長安でこれらの奇術や軽業を見てきたように語っていることだけは伝えられたと思う。多くの絵画や書籍が挙げられていることからわかるように、石田はそれらの資料を自家薬籠中のものとしていることが明らかだ。その事実は石田が長きにわたる東洋文庫の館長とも呼ぶべき人物であったことを自ずと浮かび上がらせているし、思わず「バベルの図書館」の館長ボルヘスを想起してしまう。

 それと同時に、これらの中国の幻術師や奇術師や軽業師は、大江匡房の「傀儡子記」(『古代政治社会思想』 所収、『日本思想大系』8、岩波書店)に描かれた日本の古代中世の傀儡(くぐつ)たちの存在を思い出させる。その重要なところを抽出し、現在の言葉で紹介してみる。
f:id:OdaMitsuo:20190817134046j:plain:h120

 傀儡はテントなどに住み、その風俗は北方の原住民に似ている。男は弓を使い、馬を巧みに使い、狩猟を本業としている。だが二つの剣を躍らせ、七つの玉を自在に操り、桃の木で作った人形に角力をとらせたりする。あたかも生きた人間のように人形を扱うので、それは魚が竜や蛇に変幻するかのようだ。また小石を金銭に変えたり、草木を鳥や獣に変えたりする手品で、人を幻惑させる。

 長安の幻術師、奇術師、軽業師たちが西域、インド、エジプトなどから訪れてきたように、日本の傀儡たちもアジア大陸のどこからかやってきた、もしくは漂着したのであろう。それらに加えて、傀儡の女たちが紅をさし、白粉をつけ、歌をうたい、淫らなふりをし、媚態を示したりする。また傀儡の歌などの芸は天下の見もので、誰もが哀憐するという言及にもふれると、芸能の起源すらも暗示させているかのようだ。

 この「縄伎(綱渡り)」だけでなく、「唐代風俗史抄」はすべてが興味深く、未知の長安の様々なことを教えてくれるし、まさに『増訂 長安の春』そのものが中国唐代に関するカレードスコープのようでもある。それを続けて挙げれば、「唐代図書雑記」は「文化史上相当重要なこと」として、唐代にすでに「本を並べて之を商ふ家」=「本屋」があったという事実を教えてくれる。なぜならば、ヨーロッパにおいて、八、九世紀にはまだ「本屋」などなかったはずだからだ。そして白楽天の弟の白行簡の小説『李姓(りあ)伝』、呂温の詩「上官昭容書縷の歌」、外張籍の七言率「楊少尹の鳳翔に赴くを送る」、元稹の『白氏長慶集』の「序文」などを挙げ、具体的に「本屋」が存在した事実を挙げている。

 そしてさらに「中唐から晩唐にかけ暦書などを始めとして陰陽雑説・占夢・相宅・五緯・九官などの民間の信仰風習に結び付いた俗書の類や、字書・韻書の類ひの印刷が行はれるやうになりますと、この大量に算出された書物の流伝には常識として本屋の存在を考へざるを得ない」とも述べている。また唐代の愛書家、蒐書家の名前を挙げられ、それはいつの世にも愛書家がいたことを物語り、あらためて「本屋」のある「長安の春」を思い浮かべてしまうことになる。


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

古本夜話938 ラッツェル『アジア民族誌』

 やはり『民族』編集委員の奥平武彦に関連する一編を挿入しておく。

 佐野眞一は『旅する巨人』において、澁澤敬三が戦前の日銀時代に、マルクス経済学者の向坂逸郎や大内兵衛に対し、ひそかに経済的支援をするために、日銀の仕事をさせていたことにふれ、その具体的事例を挙げている。だがそれは日銀の仕事だけではなかったように思われる。
旅する巨人

 本連載でもお馴染みの生活社も戦時下の企業整備によって統合され、これも福島鋳郎編著『[新版]戦後雑誌発掘』(洋泉社)の「企業整備後の主要新事業体および吸収統合事業体一覧」に見えている。それによれば、生活社は代表を鐵村大二とし、生活社、山根書房、山と渓谷社、六人社、日本常民文化研究所の「吸収統合事業体」で、歴史・地誌・日本古典などの文化科学書の出版となっている。本連載で後述するつもりだが、生活社と六人社は『民間伝承』の発売所を引き受けていたし、またこれも本連載935で既述しておいたように、日本常民文化研究所はアチック・ミューゼアムの改称であるから、日本常民文化研究所だけでなく、生活社や六人社も澁澤との深い関係を推測できる。とりわけ同913などのフレイザーの『金枝篇』の翻訳出版は、澁澤の支持を受けてのものだったのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20190408111522j:plain:h110

 そしてそれは他の翻訳にも当てはまり、やはり昭和十八年に生活社から刊行されたラッツェルの向坂逸郎訳『アジア民族誌』も同様だと思われる。つまり澁澤は日銀の仕事に加え、向坂たちに翻訳の世話をし、そのことによっても支援していたと見なせよう。それを象徴するように、同書奥付は裏の広告には『金枝篇』などが掲載されているし、同934などの『民族』編集委員の奥平武彦はラッツェルの研究者だったことから、その翻訳が澁澤を通じて向坂へと委託されたのかもしれない

 ラッツェルに関しては『岩波西洋人名辞典増補版』の立項をまずは引いてみる。
岩波西洋人名辞典増補版

 ラッツェル Ratzel, Friedich 1844.8.30-1904.8.9。ドイツの地理学者。ハイデルベルク、イェナ、ベルリンの各大学で動物学、地質学を修めた。普仏戦争(1870-71)に従軍後、〈ケルン新聞〉の自然科学部特派員として東ヨーロッパ、イタリア、アメリカ、メキシコ、キューバ等を旅行し、(中略)帰国(75)してミュンヘン工業大学地理学講師(76)、同教授(80-86)、(F)リヒトホーフェンの後を継いでライプチヒ大学地理学教授(86末)。人文地理学の方法と体系を確立し、人間集団の諸特質を地理学的環境との関連において究明することによって、地理学ばかりでなく、歴史学、政治学、社会学等の人文科学に広く影響を与えた。(後略)

 そこでこの『アジア民族誌』ということになるのだが、向坂の「訳者序」によれば、『民族学』(1894-95)の第二巻第二部第三篇の「アジアの文化諸民族」の翻訳である。『民族学』と『人類地理学』がラッツェルの主著で、向坂は同じく彼の『ドイツ』もすでに翻訳しているようだが、こちらは未見である。向坂は『民族学』の方法と成果に関して、諸民族の外的事情を詳細に考察し、同時に彼らの今日の状態を歴史的に展開させようとするもので、そうして「地理学的な見方(外的事情の考察)と歴史的な考量(発展の考察)とは相判つて」「両者の結合からのみ政党の評価が生れ得る」と見なしている。

人類地理学 
 そのような方法論に基づき、『アジア民族誌』は蒙古人、チベット人、トルコ諸民族、インド人とインド諸民族、イラン人とその結縁諸民族、インド支那諸族と南東アジアの山北部族、東アジア人、支那人、アジアの信仰形態と宗教体制が取り上げられていく。日本人は東アジア人の章に「日本の学者(陸軍大佐フォン・シーボルト人(案内者))の肖像画入りで言及されている。だが原書には日本人に関する一章があるけれど、ラッツェルの『民族学』が十九世紀末の出版で、それは「今日の我国の研究かからいつて割愛して差支へない」と判断で除いたとの断わりが見える。

 各民族を表象する図版からいっても、「日本の学者」の肖像は立派すぎるし、何らかの操作がうかがわれる。日本人の章が省かれてしまったのは大東亜戦争下における明らかな不都合があったのだろうと推測されるのである。それに「アジア及ヨーロッパの民族地図」や「同文化地図」は後の地政学を用意していたように思われる。また「トルコ人及び蒙古人の織物と装飾品」は興味深い。あるいは「インド・ペルシア人の武器と武装」を始めとする各民族の武器と武装への注視は、ラッツェルが普仏戦争をくぐり抜けてきたことを反映させているのであろう。

 ただ翻訳定本とした『民族学』第二版は八百ページ前後の二冊本とされ、その中の「アジアの文化諸民族」だけの刊行だから、全体の構成は浮かび上がってこない。向坂は『民族学』の英訳がHistory of Mankind で、自分も経済史の研究の上に多くを得られるのではないかと考え、読み始めたと述べている。ということは「アジアの文化諸民族」は第二巻所収だから、第一巻から読んでいくと、『民族学』というよりもまさにHistory of Mankindとして成立するファクターに覆われているのかもしれない。

 これはフレイザーの『金枝篇』ではないけれど、ヨーロッパの民俗学、民族学の著作は大部のものが多く、それらの大半が抄訳のままになっているはずだ。それもまた近代日本の民俗学と民族学の翻訳史といえよう。


odamitsuo.hatenablog.com

odamitsuo.hatenablog.com

odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら