出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話918 小汀良久、新泉社、「叢書名著の復興」

 前々回の新泉社の「叢書名著の復興」は戦前の、それも昭和四十年代前半の企画刊行だけれど、この「叢書」に関しては考えさせられることもあるし、現在の文庫問題とも重なってくるので、ここで取り上げておきたい。

 それにこの「叢書」は単行本復刊ではなく、改訳、新たな序、丁寧な解説が施され、また巻によってはそれに合わせるように、「付録」として関連著作や論文も加えられている。次のその明細を示すが、「付録」タイトルは省き、編・解説者を付す。

著者 書名 編・解説者
1 三好十郎 『恐怖の季節』 荒正人・大竹正人
2 ケストラー、平田次三郎訳 『スペインの遺書』 平田次三郎
3 石田英一郎 『文化人類学ノート』 泉靖一・山口昌男
4 服部之総 『明治維新史』 下山三郎
5 オグデン、リチャーズ、石橋幸太郎訳 『意味の意味』 外山滋比古
6 マリノウスキー 『未開社会における犯罪と慣習』 江守五夫
7 蠟山政道 『日本における近代政治学の発達』 原田鋼
8 松田智雄 『新編「近代」の史的構造編』 住谷一彦・大野英一
9 戒能通孝 『古典的世界の没落と基督教』 生松敬三
10 家永三郎 『日本思想史に於ける否定の論理の発達』 武田清子
11 田中惣五郎 『東洋社会党考』 鈴木正
12 戸田貞三 『家族構成』 喜多野清一
13 土田杏村 『象徴の哲学』 上木敏郎
14 中井正一 『美学的空間』 鈴木正
15.16 リントン編 『世界危機に於ける人間科学』全二巻 蒲生正男
17 細谷千博 『シベリア出兵の史的研究』 和田春樹

スペインの遺書 (『スペインの遺書』)

 所持しているのは 6 に加えて 3 で、前々回ふれなかったけれど、前者は昭和四十二年第一刷り、五十五年第七刷、後者は並製の「学生版」として五十二年第二刷であることからすれば、「叢書名著の復興」はそれなりに読者を得てロングセラーになっていたことを示していよう。先の明細は両書の巻末広告からの掲載だが、その後18『柳田国男教育論集』、20.21小山弘健・浅田光輝著『日本帝国主義史』上下が出され、それで終わっていると見なしていいし、そこで打ち切られた出版状況を考えてみたい。

f:id:OdaMitsuo:20190413120352j:plain:h115(『未開社会における犯罪と慣習』) 文化人類学ノート (『文化人類学ノート』 学生版)

 新泉社の創業者小汀良久は昭和七年に愛知県に生まれ、二十六年に島根大学文理学部を中退して上京し、翌年に未来社に入社し、営業責任者を務め、三十七年に退社。そして三十八年にぺりかん社設立に参加し、役員となるが、四十三年には新泉社を創業する。あらためて考えてみると、未来社を出自とする影書房の松本昌次や洋泉社の藤森建二も、小汀の軌跡を意識していたのであろう。

 その創業目的は文化性を第一義とし、商品性よりも文化史を重視する「質的出版」である。小汀は昭和五十二年刊行の「大量安価で出版の質は保てるか」というサブタイトルを付した『出版戦争』(東京経済)で、次のように述べている。
f:id:OdaMitsuo:20190419165515j:plain:h120

 わたしの場合、企画政策、あるいは営業種目は三つである。いずれも文化性を第一義に考えている。第一に出したい本を出す。第二は残さなければならない本を出す。第三はどこからも出ない本を出す、の三種目である。

 第一は出したいから出すという「志」に基づく。第二のことは「埋もれた名著、すぐれた記録、資料」「名著の誉れが高く絶版になっている本」だが、「文庫のかたちで出せるほど、部数の期待できない本」をさし、それが「叢書名著の復興」であることはいうまでもないだろう。第三も文字どおりの意味で、具体的に挙げれば、サルマン・ラシュデイの五十嵐一訳『悪魔の詩』で、訳者の五十嵐は筑波大学研究室で、何者かによって殺され、事件は迷宮入りしてしまっている。当時の『悪魔の詩』販売状況に関しては、今泉正光『「今泉棚」とリブロの時代』(「出版人に聞く」シリーズ1)に証言が残されていることを付記しておこう。
悪魔の詩 >『「今泉棚」とリブロの時代』

 それらはともかく、小汀に先述のサブタイトルを伴う『出版戦争』を書かせたのは、新泉社創業後に起きた低定価による出版市場支配ともいうべき第三次文庫ブームであった。第一次は昭和初年の岩波文庫創刊に象徴され、第二次は昭和二十四年の角川文庫を始めとする中小出版社によるのだが、第三次は四十六年の講談社文庫、四十八年の中公文庫、四十九年の文春文庫、五十二年の集英社文庫といったように、大手出版社が相次いで文庫合戦に加わっていったのである。そこでは岩波文庫や新潮文庫が体現していた「文庫=古典、名著・名作の観念」は一掃され、「売れるものなら何でも文庫化する時代」の到来といえるし、五十一年には講談社学術文庫もスタートした。

 そして講談社からは新泉社に対し、石田英一郎の『文化人類学ノート』ばかりか、荒畑寒村『谷中村滅亡史』 も学術文庫へというオファーが出されてくる。それらの経緯と事情も『出版戦争』で具体的に語られているし、そうした結末に関しても同様である。小汀は「ここ数年来の復刊本ブーム、文庫ブームで、こういう本はどんどん開発されて、わが“名著の復興”は開店休業のありさまであることを申しそえておく」とも書いている。それゆえに、続けられなかったことになろう。

谷中村滅亡史

 小汀は『悪魔の詩』事件後の平成十一年に亡くなり、新泉社は存続しているけれど、経営者も代わり、小汀時代の全出版目録も出されていないので、ここにその一端でしかないが、
新泉社についての一文を記してみた。だが小汀が『出版戦争』を上梓してから四十年経つわけだが、それがまさに敗戦に終わってしまったことを実感してしまう。
 また小汀とNR出版協同組合に関しても記録が必要と思われるが、近年風媒社の稲垣喜代志も鬼籍に入ってしまい、もはやそれも難しいかもしれない。

 
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古本夜話917 青山道夫、ウエスターマルク『婚姻と離婚』、改造文庫

 前回のマリノウスキー『未開社会における犯罪と慣習』が、新泉社「叢書名著の復興」の一冊としての刊行に際し、青山道夫は改造文庫版にはなかった「訳者の序」を寄せている。
f:id:OdaMitsuo:20190413120352j:plain:h115(『未開社会における犯罪と慣習』、新泉社版)

 そこで青山は「この訳書をはじめて改造文庫版で世に送ったのは二十数年前のことであり、その頃の私は民族学に関心をもち、マリノウスキーの著書のいくつかを読み耽っていたとはゆえ、どの程度これを理解し得たのかは、はなはだ覚束ないものである」と述べている。そのために今回の新版に当たって、有地亨教授の協力を得て、誤訳や不満足な表現を改めたとある。また有地とは共訳で、マリノウスキーの『未開家族の論理と心理』(法律文化社、昭和三十三年)を刊行しているようだが、こちらは入手していない。
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 ここで有地の名前を挙げたのは、彼がマルセル・モースの『贈与論』(勁草書房、昭和三十七年)の訳者であり、同書には「還暦をお祝いして青山道夫先生にこの拙い訳書を捧ぐ」という献辞が見えているからだ。その「あとがき」によれば、有地は家族法の研究者として出発したが、青山の導きによって民族法学を志向し、『贈与論』の翻訳に至ったとされる。 さらに付け加えれば、『贈与論』の上梓に際し、前回の『未開社会における犯罪と慣習』の解説者の江守五夫の慫慂と尽力によっているようだ。青山は九州大学教授で、文化人類学をベースとする家族法を研究し、弁護士でもある。有地もまた同様の軌跡をたどり、先の共訳などへもリンクしていったと思われる。
f:id:OdaMitsuo:20190415114304j:plain:h115

 これらの事実をふまえると、青山が『未開社会における犯罪と慣習』を刊行する以前に、同じ改造文庫からウエスターマルク『婚姻と離婚』を翻訳していることが了承されるのである。同書はかなり前に青山訳ということで入手していて、昭和八年に改造文庫の第一部116として出されている。著者は『岩波西洋人名辞典増補版』にヴェステル・マルクとしての立項が見出される。彼はフィンランド出身の人類学、社会学者で、ロンドン大学教授などを務め、原始民族の社会制度、道徳、慣習などを研究し、モーガンの『古代社会』における原始乱婚制に反対し、婚姻、家族制度などの起源と発達の権威とされる。『婚姻と離婚』はその『婚姻』(Marriage)、及び大著『人類婚姻史』(The History of the Human Marriage)の最終章の離婚部分の翻訳である。

婚姻と離婚(『婚姻と離婚』) 岩波西洋人名辞典増補版

 おそらく『婚姻と離婚』の翻訳刊行が端緒となり、昭和十七年に改造文庫の同244として『未開社会における犯罪と慣習』が出されることになったのだろう。マリノウスキーは復刊され、その後も翻訳されてきたが、ウエスターマルクはここでしか出されていないのではないだろうか。改造文庫は昭和二年の岩波文庫に続いて、四年に創刊され、やはり『婚姻と離婚』の奥付に次のような文言がしたためられている。

 我社は世界に於ける出版界の革命者である。廉価全集の創始者である。我社が大正十五年十一月多大の犠牲を予期して廉価全集を発行するや、感激の声国内に震撼し、日々数千通の感謝状が舞い込んだ。今迄特権階級のみの芸術であり、哲学であり、経済、美術、科学であつたものが無産階級の全野に解放されてからは全国を通じて読書階級が一時に数十倍となつた。この画期的現象を招来し、我国の文化を一挙に引き上げ文化史上赫々たる我社は、尚当時の宣告の徹底を期して遂に「改造文庫」を発刊せんとす。尚その内容は別記の如くであるが、我社は数十年を期してあらゆる権威ある著作を本集に網羅して民衆的大文庫を建設せんと欲す。読者の期待と支持を俟つ。

 幸いにして、紀田順一郎他監修『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社)には「改造文庫全目録」が掲載されている。それによれば、昭和十九年の改造社廃業に至るまでに、第一部の哲学、社会科学などが二〇三冊、第二部の文学が四四一冊出されたようだ。しかも当然のこととはいえ、岩波文庫を意識して、哲学と社会科学、それに円本の『現代日本文学全集』の流れを引く日本の現代文学、さらに外国文学の翻訳も組み合わさり、改造文庫ならではのラインナップを示している。

ニッポン文庫大全 現代日本文学全集 (『現代日本文学全集』)

 第一部を見ただけでも、戦後になって青山道夫訳として、岩波文庫に収録の前掲の『古代社会』が荒畑寒村訳で出ていたり、本連載117のヴァイニンガー『性と性格』、同556の厨川白村、同781のロンブロオゾオ『天才論』なども目に入る。まさにウエスターマルクやマリノウスキーではないけれど、改造文庫でしか出されず、現在でも新訳されていない著作もかなりあるにちがいない。そうした意味において、改造文庫の第一部は、円本時代の平凡社の『社会思想全集』や春秋社の『世界大思想全集』のような色彩を共有しているという印象を受ける。
古代社会(『古代社会』)天才論(『天才論』) 世界大思想全集 (『世界大思想全集』)

 それでも、といってももはや半世紀近く前のことになってしまうけれど、古本屋で改造文庫はよく見かけたものだった。だが近年ではほとんど目にしていない。あらためて廃刊が昭和十九年だとすると、それから八十年近くが過ぎてしまったことに気づかされる。


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古本夜話916 マリノウスキー『未開社会における犯罪と慣習』『原始民族の文化』『神話と社会』

 昭和四十二年に新泉社から復刊されたマリノウスキーの青山道夫訳『未開社会における犯罪と慣習』(「叢書名著の復興」6)に寄せた「解説」で、法社会学者の江守五夫は次のように始めている。
f:id:OdaMitsuo:20190413120352j:plain:h115 (『未開社会における犯罪と慣習』)

 ブロニスロゥ・カスミパル・マリノウスキー Bronislaw Kasper Malinowski は一八八四年四月七日、ポーランドのクラカウで、著名なスラヴ語学者を父にもって生れた。彼はヤン三世公立学校を卒えたのち、“東欧最古の大学”として誇り高いクラカウ大学に進み、一九〇八年に物理学と数学で学位を取得した。だが彼は病に罹り、これらの学業を続けることを断念せねばならなかった。丁度その頃、たまたま彼はフレーザー卿(Sir J.G.Frazer,1854-1941)の『金枝篇』(The Golden Bough)―それは当時まだ全三巻にすぎなかった―を読む機会を得た。それは彼の魂をすっかり魅了しつくしたのであって、この『金枝篇』との出遭いこそが彼を人類学の研究に進ませる契機となったのである。

 ここにも『金枝篇』の大いなる影響の下に出発した人類学者の一人がいる。ただ蛇足かもしれないが、この「全三巻」は第三巻まで出たところであろう。フレイザーがタイラーの『原始文化』を読んで人類学を志し、R・S・スミスの)『セム族の宗教』にも刺激され、『金枝篇』へと向かったように、マリノウスキーも『金枝篇』から始まっているのである。

f:id:OdaMitsuo:20190408111522j:plain:h115  f:id:OdaMitsuo:20190331151211j:plain セム族の宗教(『セム族の宗教』)

 私たちの世代にとってマリノウスキーは中央公論社の『世界の名著』59に収録された『西太平洋の遠洋航海者』(寺田和夫他訳)の著者で、同巻にはレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』(川田順造訳)も併録されていたことも相乗し、その名前を覚えた。ところがほぼ同時に新泉社から復刊された前掲書と『未開人の性生活』(泉靖一他訳)のタイトルもあって、マリノウスキーの仕事が「未開」と「犯罪」と「性」の研究を示唆しているような印象を与えたことは否めない。
f:id:OdaMitsuo:20190413160526j:plain:h115 未開人の性生活

 しかしマリノウスキーの軌跡をたどってみると、その後ライプツィッヒ大学で本連載908のヴント教授などに師事し、一九一〇年に渡英し、ロンドン経済専門学校の大学院生、講師を経て、一三年に処女著作『オーストラリア原住民の家族』を発表する。続いて彼は一四年から一八年にかけて、ニューギニアのトロブリアンド諸島の現地調査に携わり、現地語を駆使し、原住民と生活をともにしてのもので、現在に至るまでのフィールドワークの範とされている。そうして提唱されたのが、これまでの文化の進化や伝播を通じての思弁的な歴史再構成の試みではなく、参与観察に基づくフィールドワークである。それによって、文化の有機的連関を立証するという機能主義を確立したとされる。その民族誌の代表的著作が、トロブリアンド諸島民のクラという儀礼的交換の制度に注視し、経済的活動と文化が結び付く地平を浮かび上がらせた『西太平洋の遠洋航海者』に他ならない。

 この著作は先述したように、戦後の翻訳だが、戦前にも前掲の復刊『未開社会における犯罪と慣習』(改造文庫、昭和十七年)だけでなく、松井了穏訳『原始民族の文化』(三笠書房、同十四年)、国分敬治訳『神話と社会』(創元社、同十六年)が出され、この二冊も手元にある。前者は三笠書房の「文化と技術叢書」の一冊としての刊行で、これはマリノウスキーの機能主義の民俗学を伝えようとして編まれたと推測される。 

 それもあってか、『原始民族の文化』は第一篇「原始社会の法律と習慣」、第二篇「咒術と科学と宗教と」、第三篇「原史的性生活の社会学と心理学」の三部仕立てとなっている。第一篇は青山訳の『未開社会における犯罪と慣習』に当たり、第二篇はジョージ・ニーダム編纂『科学、宗教と現実』に寄せた論文、第三篇は『原始心理における父』からの抽出とされる。松井はその前年に『原始心理に於ける父』(宗教と芸術社)を翻訳しているので、そこからセレクトした部分を『原始民族の文化』へと合流させたのであろう。松井に関しては唯物論研究会の関係者だと思われるが、プロフィルは判明していない。

 それは後者の『神話と社会』との国分啓治も同様である。だがこちらのほうは『原始民族の文化』のような訳者によるアンソロジーではなく、マリノウスキーの『原始心理における神話』の翻訳である。その冒頭には「ジェイムズ・フレイザー卿に捧げる言葉」が置かれ、一九二五年にリヴァプール大学で、フレイザー卿のために開催された講演の序詞で、この邦訳『神話と社会』がマリノウスキーによるフレイザー論にして『金枝篇』へのオマージュであることを知ることになる。彼はこの講演を『金枝篇』のための「トーテム的な経典」と呼び、その祝福のためにここに結集したとまで述べ、始めている。

 そうしてマリノウスキーは自らのトロブリアンド諸島のフィールドワークに基づき、その未開人の「民譚・炉辺の物語」(Tale)、「伝説」(Legend)、「神話」(Myth)を分析する。それから「神話」こそが伝統の本質、文化の連続性、老若間の関係、過去に対する人間の態度への機能的役割を果たすもので、あらゆる文化に不可欠な要素であり、しかもそれは不断に新生され、歴史的変化によって創造され、歴史的事実と必然的に結びつく。それゆえに「神話」は奇蹟を必要とする信仰、将来展望を要求する社会的状況、現在を肯う道徳的規制の「恒常的な副産物」と見なされる。そしてその新しい定義の「神話」は、他ならぬフレイザーの『金枝篇』の神話の祭儀的社会的機能の理論、呪術の研究に結びつき、マリノウスキーの機能主義的フィールドワークもその実証だとの結論に至るのである。

 ここにマリノウスキーがフレイザーの『金枝篇』の「霊魂」(mana)をそのまま引き継いだ人類学者であったことが宣言されていることになろう。


908

  
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古本夜話915 柳田国男はフレイザーと会っていたのか

 前回、メアリー・ダグラスが十九世紀思想の「人間のものの考え方のはじまり」に関する「謎解き競争」の勝利者として、『金枝篇』のフレイザーを位置づけていたことを既述しておいた。日本において、この「謎解き競争」に加わったのは柳田国男、折口信夫、南方熊楠たちであり、彼らが『金枝篇』の読者であったことはいうまでもないだろう。

『柳田国男南方熊楠往復書簡集』(平凡社)の伝えるところによれば、柳田は南方の示唆により、『金枝篇』を入手している。その示唆と入手した月日は不明だが、明治四十五年四月二十六日の「柳田国男から南方熊楠へ」の書簡で、次のように述べられている。
f:id:OdaMitsuo:20190411115527j:plain:h120

 ご教示により、フレイザーの『黄金の枝』第三版を買い入れ、このごろ夜分少しずつよみ始め候。なかなかひまのかかる事業に候が、日本ばかりと存じろい候いし風習の外国に多きを知りし候ことは大いに愉快に候。

 そして「なかなかひまのかかる事業に候」とはいえ、大正元年十二月には五冊まで読み進めていたようだ。それは第三版とあるので、当然のことながら一九一一年=明治四十四年から刊行され始めた第三版十一巻本で、十四年に索引と文献目録の補巻が出され、全十二巻で完結に至る。やはり大正元年十二月十五日付で、「一昨日『ゴルデン・ボウ』の第五編着、よみはじめ候」と南方に伝えているのは、まさに『金枝篇』第三版が刊行中だったことを意味していよう。しかし柳田の二万冊の蔵書からなる成城大学民俗学研究所の「柳田文庫」の洋書文献調査に基づく高木昌史編『柳田国男とヨーロッパ』(三交社)において、「口承文芸」にスポットを当てているゆえなのか、その『金枝篇』についてはほとんどふれられていない。
柳田国男とヨーロッパ

 それに加えて、これは柳田とフレイザーの関係について、よく語られているエピソードだが、大正十三年に岡正雄が柳田に会い、『金枝篇』第一巻『王制の呪的起原』の翻訳出版のための序文を依頼したところ、柳田の厳しい拒絶にあったという事実も挙げておくべきだろう。そこには南方を通じて『金枝篇』を読んだ柳田の、フレイザーへの複雑な共感と視座を伴う固有の思いが含まれていたにちがいない。伊藤幹治は『柳田国男と文化ナショナリズム』(岩波書店)で、柳田が生活社版『金枝篇』上、中巻も架蔵し、それらに書き込みがあることを報告しているが、どのようなものなのか、とても興味深い。

柳田国男と文化ナショナリズム f:id:OdaMitsuo:20190408111522j:plain:h112(生活社版、上)

 それは永橋卓介の岩波文庫版『金枝篇』第五巻の「解説」へとリンクしていくはずだからだ。永橋は次のように書いている。
金枝篇 (岩波文庫)

 わが国で最初に本書を紹介したのは、京都大学文学部教授であった上田敏という。『金枝篇』を読んで、晩年になって英文学から民俗学に転じたい希望を書いたときく。日本民俗学の祖をいわれる柳田国男が果たして本書からどんな影響をうけたのかわからないが。というのは筆者がこの訳の出版について相談したとき彼は格別の関心を示さなかったし、彼が十三巻からなる決定版を通読したことは事実であり、彼が一度フレイザーを訪問したこともフレイザー自身の口から聞いて筆者は知っている。柳田の『遠野物語』によって開眼されたという折口信夫もまた、本書の熱心な読者であったという。

 山口昌男によれば、折口の『古代研究』の成立は『金枝篇』の影響を受けているようだ。ここで柳田が「十三巻からなる決定版を通読したことは事実」だと書かれている。だがその第十三巻が余論として出されたのは一九三六年、つまり昭和十一年になってのことである。これを称して『金枝篇』全十三巻の完結版とされるけれど、ここまでタイムラグが生じていることから考えると、柳田が十三巻まで追いかけていたかどうかは疑わしいと思われる。

 それに柳田は拙稿「橋浦泰雄と『民間伝承』」(『古本探究Ⅲ』所収)で言及しているように、昭和十年に民俗学最初の全国的組織である民間伝承の会をスタートさせ、機関紙『民間伝承』を創刊し、十二年には会員数は千名に達し、隆盛を極めんとしていた。これらのことを考慮すれば、十二巻までは通読したにしても、それが第十三巻にまで及んでいたかは疑問というしかない。そのことに関しても、先の『柳田国男とヨーロッパ』における『金枝篇』への言及の少ないことが残念である。
古本探究3

 また永橋がいう柳田のフレイザー訪問は事実なのであろうか。管見の限り、この指摘は永橋の言の他に、佐野真一が『旅する巨人』(文藝春秋)で、論証なく述べているのを見ているだけだ。永橋のフレイザー訪問は一九三〇年=昭和五年とされているので、それ以前に柳田はフレイザーに面会していることになる。柳田国男研究会編『柳田国男伝』を繰ってみると、大正十年(一九二一)から十二年にかけてが柳田の国際連盟委任統治委員会時代で、主としてジュネーブにあった。その時代を追ってみても、柳田がイギリスに出かけ、フレイザーと会ったというエピソードは含まれていないし、それは柳田の『端西日記』(『柳田国男全集』3所収、ちくま文庫)にしても同様である。

旅する巨人 端西日記

 それでも『柳田国男伝』には彼が委任統治委員会委員を辞任し、帰国するに当たって、北米経由を選んだことから、大正十二年(一九二三)九月二十九日、ロンドンを出発とある。この時に柳田は横浜正金銀行ロンドンシテにいた澁澤敬三と会っている。もし柳田がフレイザーを訪問したとすれば、澁澤の仲立ちとこの機会を利用してのことだったのかもしれない。だが澁澤の「ロンドン通信抄」(『澁澤敬三著作集』第5巻所収、平凡社)には、柳田もフレイザーも出てこない。別のルートだったのだろうか。もし二人が会ったことが事実だったとすれば、それは吉本隆明とミシェル・フーコーの出会いにも似て、どのような会話がもたれたのか、想像は尽きることがない。

f:id:OdaMitsuo:20190412144212j:plain:h115(『澁澤敬三著作集』第5巻)

  
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古本夜話914 永橋卓介と『金枝篇』翻訳史

 サビーヌ・マコーミック編『図説金枝篇』(内田昭一郎他訳、東京書籍、平成六年)の序文で、メアリー・ダグラスは次のように述べている。「人間のものの考え方のはじまりこそ、十九世紀の思想家たちがもっとも関心を寄せた問題」で、「無意味でばかげてみえるものに意味を見出すことが、十九世紀の学者の関心の的」であり、フレイザーは「巨大な金字塔」としての『金枝篇』全十三巻によって、「この謎解き競争に勝利を収めたといってもよい」と。日本においても、この「謎解き競争」は原書の伝播、翻訳と相乗し、始まっていたと見なすべきだろう。
図説金枝篇(東京書籍)

 それゆえに続けて、生活社の永橋卓介訳のフレイザー『金枝篇』、及びその翻訳史への言及を試みる。生活社版は一九〇〇年の原書再版に基づく二二年のフレイザー自身による「抄略一巻本」の翻訳であり、三分冊予定で、昭和十八年に上巻が刊行された。
f:id:OdaMitsuo:20190408111522j:plain:h120(生活社)

 その「訳者序言」は「皇紀二千六百二年」として記され、「本書を読まずして民族学、民俗学を語り得ぬとは決して過言ではない」との文言に出会う。またこの「老碩学」フレイザーが昨年の五月に八十七歳で亡くなったことも伝え、実際には一九四一年の死なので、一昨年だが、次のように結ばれている。

 いま大東亜戦争のさなか、一億の眼と耳とはすべて南方に向いてゐる。斯る秋、祖国に対して本訳書が幾分の貢献をなし得るとすれば、訳者の幸これに加へるものはない。終りに本書出版に関して多大の好意を示された生活社の前田廣記氏に深く感謝するものである。同氏のお骨折りがなかつたら、本書は決して上版されるに至らなかつたであらう。

 この前田は生活社編集長だったようだが、明確なプロフィルはつかめない。永橋は『現代人名情報事典』(平凡社)に立項が見出されるので、まずはそれを引いておく。
現代人名情報事典

 永橋卓介 ながはしたくすけ
 宗教学者[生]高知1899.12.10~1975.1.1
[学]1930オーボルン神学校(アメリカ)[博]神[経]1930東北学院講師、40慶應義塾大教授、51高知県中村高校校長[著]《イスラエル宗教の異教的背景》《宗教史序説》、訳フレーザー《金枝篇1~5》

 これだけでは永橋のプロフィルと『金枝篇』の関係はほとんど浮かび上がってこない。幸いにして、昭和十年刊行の『イスラエル宗教の異教的背景』(日独書院)が大改訂増補され、昭和四十四年に『ヤハウェ信仰以前』(国土社)として出され、そこに略歴も示されているので、それによって補足してみる。それによれば、ニューヨークのオウバーン神学大学卒業後、オックスフォード大学マンスフィールド・カレッジに留学し、R・R・マレット教授のもとで宗教人類学を学ぶとある。
f:id:OdaMitsuo:20190410111412j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20190410112338j:plain:h115

 『文化人類学事典』(弘文堂)を繰ってみると、マレットは初期のイギリスの人類学者の一人で、本連載907のタイラーの弟子に位置づけられている。タイラーの「アニミズム」論を発展させ、それ以前に「プレアニミズム」の段階があり、タイラーやフレイザーが原始宗教の知的側面を重視したことに対し、儀礼に見られる情緒的、感情的側面、思考と情緒と行動との有機的複合に注目したとされる。訳書として、誠信書房から『宗教と呪術』(竹中信常訳、昭和三十九年)が出されているようだが、これは読むに至っていない。
文化人類学事典 f:id:OdaMitsuo:20190410114043p:plain:h111

 これに永橋が岩波文庫版『金枝篇』の翻訳の承諾を得たという。それが前提となり、帰国後の一九三二年=昭和七年にフレイザーの『呪術と宗教』の翻訳刊行を見たとわかる。これは『金枝篇』上巻の第三章から第六章にかけての主要部分を訳出したもので、タイトルは第四章がそのまま使われている。ただこれは永橋個人によるのではなく、内田元夫との共訳とされ、版元は八木重良を発行者とする新撰書院、発売は大岡山書店である。大岡屋書店に関しては本連載40でふれ、拙稿「郷土会、地理学、社会学」(『古本探究Ⅲ』所収)においても、柳田国男が編んだ『郷土会記録』(大正十四年)に言及している。

古本探究3

 実は『呪術と宗教』の巻末広告のすべてが大岡山書店の刊行物なのか確認できないけれど、五十六冊に及ぶ書籍が掲載され、そこには『郷土会記録』も見えるし、本連載46の折口信夫『古代研究』全三巻、同49などの中山太郎『日本民俗学』全四巻も並んでいる。さらにそれらの中にフレイザーの永橋訳『社会制度の発生と原始的信仰』も見出される。とすれば、『呪術と宗教』に先駆けて、こちらが翻訳刊行されている。これは確認できないけれど、昭和十四年に岩波文庫化されたフレイザー民俗学入門書とされる『サイキス・タスク』ではないだろうか。それに続いて、昭和十六年に永橋はやはりイギリスの社会人類学者R・S・スミスの『セム族の宗教』を岩波文庫として出している。

サイキス・タスク(『サイキス・タスク』) セム族の宗教(『セム族の宗教』)

 このようなフレイザーと永橋の翻訳史をたどってみると、永橋は昭和五年にフレイザーと会い、その著作の翻訳を許され、帰国後に相次いで『社会制度の発生と原始的信仰』『呪術と宗教』を翻訳し、その一方でスミスの『セム族の宗教』も翻訳刊行していたことになる。それらが認められ、永橋は慶應大学教授として迎えられ、またそれらの仕事を通じて生活社の前田とも知り合い、『金枝篇』の翻訳へとリンクしていったように思われる。『ヤハウェ信仰以前』を読んだ印象からすると、永橋の旧著『イスラエル宗教の異教的背景の成立』はこれらの翻訳と併走していたと推測できる。

 その生活社版『金枝篇』は上巻が昭和十八年、中巻が十九年に出されたが、下巻の原稿は戦火に見舞われて刊行できず、戦後の昭和二十六年から二十七年にかけて、岩波文庫の全五巻が出され、完結するのである。その原著の「抄略一巻本」は一九〇〇年の再版をベースにしていたことからすれば、ちょうど半世紀後に邦訳が送り出されたことになる。
金枝篇 (岩波文庫)

 それからさらに半世紀後に、一八九〇年版の『初版金枝篇』(上下、吉川信訳、ちくま学芸文庫)、一九一一年の決定第三版は『金枝篇』(全八巻+別巻1、神成利男訳、国書刊行会)として出現している。しかしまだ日本において、本格的な『金枝篇論』は書かれていない。

初版金枝篇 (ちくま学芸文庫) 金枝篇 (国書刊行会) 



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