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古本夜話49 中山太郎と『売笑三千年史』

岩田準一『男色文献書志』 にまとめられた明治以後の大半の文献が、埋もれたままで放置されていると既述したが、その代表的な著者と著作を挙げれば、中山太郎とその仕事であろう。それに中山は、岩田が南方の他に「先生」と仰いでいる一人でもあり、また岡書院の『南方随筆』を編集し、最初に南方の評伝『学界偉人南方熊楠』(冨山房)を著したのも中山なのである。ただ中山のまとまった伝記もないので、まずいくつかの人名事典から彼のプロフィルを抽出してみる。
本朝男色考 男色文献書志

中山は明治九年栃木県に生まれ、東京専門学校卒業後、報知新聞社や博文館に勤めながら、柳田国男を通じて民俗学の道へと進む。古文献を渉猟して三万枚のカードを作り、それをもとに民俗の歴史的変容を考察する著作『日本巫女史』『日本婚姻史』『日本盲人史』などを刊行する。だが記録文献を多用する方法論のために、柳田民俗学の本流から外れてしまったとされ、戦後の二十二年に亡くなっている。

確かに柳田国男研究会編の『柳田国男伝』(三一書房)を読んでみても、中山太郎の名前は出てこない。しかも再評価の声もほとんど聞かれず、著作の文庫化も見ていない。ただ幸いなことに、主として昭和五十年代にパルトス社から、前記の三冊に加えて、『増補日本若者史』 『売笑三千年史』 『愛欲三千年史(増補版)』 などが「中山太郎歴史民俗学シリーズ」として復刻されている。発行者の飯島一は中山の甥のようで、これもまた岩田準一の著作を嫡子の貞雄が私家版で刊行したことを彷彿させる。またその他にも同時代に大和書房から「日本民俗学」シリーズも復刻されている。

売笑三千年史 (ちくま学芸文庫

中山の『日本売笑史』(寸美会、明治三十九年)と『売笑三千年史』(春陽堂、昭和二年)の二冊が『男色文献書志』に挙げられ、前書に岩田は次のような注を付している。

 総説結論併せて十一章に分ち、先史時代より明治時代に至る変遷を叙し、添うるに衆道の変遷史をもってす。組織立てる各時代の文献考察は日本風俗史に後れ出でてこれを最もとすべし。

実は先に挙げたパルトス社の『売笑三千年史』 は『日本売笑史』をも含んだ復刻である。『日本売笑史』の内容は『売笑三千年史』に吸収されていると判断できるので、ここでは後書を取り上げることにする。中山は「自序に代へて」で、まず「本書を恩師岡野知十翁に捧ぐ」と掲げている。岡野は万延元年生まれの俳人であり、明治三十四年に俳誌『半面』を創刊し、新々派俳風を唱え、俳書の収集にも勤しみ、それらは関東大震災後に東大図書館に寄贈され、知十文庫として珍重されているという。おそらく中山は俳諧の世界から出発して「土俗の研究」を志したのであろう。そして柳田国男へと接近し、「売笑問題」も「日本土俗学の建設」の一環として位置づけ、研究を続けてきたことを中山は明記し、柳田の他に折口信夫伊波普猷、瀧川政次郎、ニコライ・ネフスキーの教示を仰いだと述べている。

『売笑三千年史』 は岩田の注にあるように、先史時代から明治時代までの売笑史にして、七百ページ弱に及ぶ浩瀚書物であるが、その視点と研究目的は次のような言葉に集約されていよう。
 売笑史は社会暗黒史である。人間変遷史である。更に露骨にいへば堕落史であり、腐敗史である。余り大きな声では言ひたくもない国辱史である。(中略)然しながら此の暗黒史が齎らすところの社会的事象や、この国辱史が語るところの歴史的事実は、常に偉大なる権威を以て時代の好尚を支配し、併せて風俗の推移を示唆しているのである。この点から云ふと売笑史は社会学的にも且つ土俗学的にも相当の地歩を占むべき価値が在つて存しているのである。
さらにこの『売笑三千年史』 の何よりの特色は岩田が注目したように、時代ごとに男色と男倡の変遷を追跡し、一節を設けていることだろう。それらを順を追って記しておこう。
 男色は在つたが男倡は無い(国初時代)
 仏教の興隆と男色の流行(奈良時代
 武士と僧侶の間に流行せる男色(鎌倉時代
 都鄙に行渡れる男色の流行(室町時代
 男倡を出現させた当代の後期(江戸時代)
つまりこのように同書は衆道の小史を形成していることにもなる。これはフックスの『風俗の歴史』などにも見られなかった視点であり、中山は日本の売笑史をたどっていくうちに、衆道史がパラレルに存在していたことに気づき、それを必然的に歴史の中に組みこんだのであろう。 しかし中山の売笑研究はあくまで近世に通じる土俗学的なものであり、性的事象を回避して近代民俗学を確立しようとしていた柳田国男の眼鏡にかなうものではなかった。中山の『売笑三千年史』 に対して、柳田は彼の著作に対する唯一の書評「中山太郎『日本巫女史』」 『定本柳田国男集』 第二十三巻所収、筑摩書房)の中でわずかにふれ、「在来の遊蕩文学の連想があるために、(中略)疎遠なる待遇を受けていた」と述べている。婦人問題研究者にかこつけて言っているのだが、まさに柳田国男の見解と考えていい。このような理由で、中山は柳田民俗学から遠ざけられ、彼の再評価はほとんどなされず、現在に至っていることになる。ようやく〇七年になって、礫川全次編による『タブーに挑む民俗学』 河出書房新社)という中山の土俗学エッセイが刊行されているだけである。 タブーに挑む民俗学
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