出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話1494 北園克衛と『薔薇・魔術・学説』

 第一書房における大正十四年の堀口内大学『月下の一群』の刊行、及び厚生閣の春山行夫による昭和三年の『詩と詩論』創刊は、日本の近代詩に多大な影響を及ぼし、多くの詩のリトルマガジンやエスプリ・ヌーヴォーに基づく詩を誕生させていった。

 堀口大学訳 月下の一群 1926年(大正15年)第一書房刊 函入り、背金箔押し革装、天金  

 それは拙稿「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」(『ヨーロッパ本と書店の物語』所収)で見たように、同時代のフランスにおいても、『月下の一群』で二十二編の詩が翻訳されているポール・フォールを中心とする新たな詩運動が始まっていた。そしてシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店をトポスとして、新たな欧米のリトルマガジンが常備され、フランス人だけでなく、アメリカ人の作家たちも集い、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が出版され、アンドレ・ブルトンたちのシュルレアリスム運動も胎動していったのである。

ヨーロッパ 本と書店の物語 (平凡社新書)

 そうしたフランスの新しい文学動向に寄り添うようにして、『月下の一群』は翻訳され、『詩と詩論』の創刊も同様であった。その寄稿者の竹中郁は実際にシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店を訪れていたようだ。またこれも『近代出版史探索Ⅵ』1015で既述しているが、昭和六年に第一書房は『詩と詩論』のメンバーである伊藤整たちの翻訳『ユリシーズ』を刊行している。

 それはシュルレアリスムの影響のもとに創刊されたリトルマガジンも同じで、大正十二年には壺井繁治などのアナキズム系の『赤と黒』、翌年には小野十三郎の『ダムダム』も創刊に至っている。この二誌に関しては拙稿「南天堂と詩人たち」(『書店の近代』所収)で既述している。またその年には北園克衛『GE・GJMGJGAM・PRRR・GJMGEM』、村山知義『Mavo』、昭和二年には北園と富士原清一『薔薇・魔術・学説』、佐藤朔編集、日本最初のシュルレアリスムアンソロジー『馥郁タル火夫ヨ』、翌年にこのふたつのグループが合流して、超現実主義運動の機関誌『衣裳の太陽』が創刊される。

書店の近代: 本が輝いていた時代 (平凡社新書 184)  

 そしてやはり昭和三年には『詩と詩論』の創刊となる。それに併走して春山は「現代の芸術と批評叢書」も企画編集し、西脇順三郎『超現実主義詩論』、アンドレ・ブルトン、瀧口修造訳『超現実主義と絵画』も送り出すのである。この「叢書」に関しては拙稿「春山行夫と『詩と詩論』」(『古雑誌探究』所収)を参照されたい。

超現実主義詩論 (1954年)    古雑誌探究

 拙稿を書いた際には未見であった先の『薔薇・魔術・学説』はその後入手している。もちろん初版ではなく、昭和五十二年の西澤書店による復刻である。まずは『日本近代文学大事典』の解題を引いてみる。

 「薔薇・魔術・学説」ばらまじゅつがくせつ 詩雑誌。昭和二・一一~三・二。全四冊。編輯人橋本健吉(北園克衛)、発行人富士原清一。列社発行。「ゲエ・ギムギガム・プルルル・ギムゲム」「列」「文芸耽美」の合流による。日本における最初の超現実主義運動の機関誌。エリュアール、アラゴン、アルトーらを紹介。第三号には、北園克衛、上田敏雄、上田保の署名で、シュールレアリスム宣言が発表されている。イナガキ・タルホ、石野重造、小野敏、田中啓介、山田一彦らが参加した。

 復刻に寄せたられた北園の「『薔薇魔術学説』」の回想」によれば、『列』という同人誌を発行していた富士原と山田一彦がやってきた。そしてその雑誌を改題し、新たな内容の雑誌にしたいとの提案が出された。また一方で、シュルレアリストの上田敏雄も北園の同人誌『人間』に書いた短編小説を読み、訪ねてきて親しくなり、その弟の上田保とも行動をともにしていたのである。そこで北園は上田兄弟も同人に加えたこともあって、新しい雑誌『薔薇・魔術・学説』はシュルレアリスムの傾向を帯びることになった。先の解題の最後に引かれているイナガキ・タルホたちは『G・G・P・G』の同人で、創刊号にだけ寄稿し、退場している。それはシュルレアリスムと相入れなかったことによるのであろう。

 それもあって第二号からは純粋にシュルレアリストの雑誌として編集され、山田一彦と富士原清一と亜坂健吉=北園のシュルレアリスム的死、上田兄弟の詩と翻訳が掲載となった。そして四号には「我々はSURREALISMEに於ての芸術欲望の発達あるひは知覚能力の発達を謳歌した吾々に洗礼が来た」と始まる別刷りマニフェストが上田敏雄によって起草され、英訳されてパリのシュルレアリストたちに発送されたという。この別刷りマニフェストは復刻されておらず、前述の北園の「回想」に全文が掲載されている。

 『薔薇魔術学説』『薔薇・魔術・学説』はいずれも三十ページに充たない薄い雑誌で、四冊を刊行して、『馥郁タル火夫ヨ』と合流し、『衣裳の太陽』へと結実していくのだが、それは『近代出版史探索Ⅵ』1045などの日本におけるシュルレアリスムの動向とともに言及すべきだと思われる。上田敏雄や北園はやはり春山によって「現代の芸術と批評叢書」へと召喚され、上田は「詩集とポエジイ論」の『仮説の運動』、北園は「超現実主義の詩と散文」である『白のアルバム』を刊行している。それは『近代出版史探索Ⅵ』1028の安西冬衛『軍艦茉莉』に続くものだったのである。

 (『仮説の運動』) (『 白のアルバム』)  (『軍艦茉莉』)

 なお最近になって、『薔薇・魔術・学説』などに発表された『北園克衛1920年代実験小説集成20‘s』(加藤仁編、幻戯書房)が刊行された。

北園克衛1920年代実験小説集成 20′s


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出版状況クロニクル190(2024年2月1日~2月29日)

24年1月の書籍雑誌推定販売金額は731億円で、前年比5.8%減。
書籍は457億円で、同3.5%減。
雑誌は273億円で、同9.5%減。
雑誌の内訳は月刊誌が219億円で、同10.6%減、週刊誌は54億円で、同4.7%減。
返品率は書籍が33.8%、雑誌が47.8%で、月刊誌は48.4%、週刊誌は45.2%。
24年の始まりのデータであり、本年はどのような出版状況を招来していくことになるだろうか。


1.出版科学研究所による23年度の電子出版販売金額を示す。
 

■電子出版市場規模(単位:億円)
2014201520162017201820192020202120222023前年比
(%)
電子コミック8821,1491,4601,7111,9652,5933,4204,1144,4794,830107.8
電子書籍19222825829032134940144944644098.7
電子雑誌7012519121419313011099888192.0
合計1,1441,5021,9092,2152,4793,0723,9314,6625,0135,351106.7

 『出版状況クロニクルⅦ』で、23年は電子コミックシェアが90%を超えるだろうと予測しておいたが、4830億円という90.3%を占め、そのとおりになってしまった。
 それは電子書籍が440億円の8.2%、電子雑誌が81億円の1.5%とマイナス基調にあり、これらの回復は難しい状況だといっていい。前者は2年連続、後者は5年連続の減少となっているからだ。
 それでも電子合計販売金額は5351億円に達し、23年の紙の雑誌販売金額4418億円を上回り、電子コミックだけでも同様である。24年は書籍販売金額を超えてしまうかもしれない。



2.同じく出版科学研究所の2011年から23年にかけての書籍雑誌販売部数の推移を挙げておく。

■書籍雑誌販売部数の推移(単位:万冊)
書籍雑誌
販売部数増減率販売部数増減率
201170,013▲0.3198,970▲8.4
201268,790▲1.7187,339▲5.8
201367,738▲1.5176,368▲5.9
201464,461▲4.8165,088▲6.4
201562,633▲2.8147,812▲10.5
201661,769▲1.4135,990▲8.0
201759,157▲4.2119,426▲12.2
201857,129▲3.4106,032▲11.2
201954,240▲5.197,554▲8.0
202053,164▲2.095,427▲2.2
202152,832▲0.688,069▲7.7
202249,759▲5.877,132▲12.4
202346,405▲6.767,087▲13.0

 書籍も雑誌も販売部数はそれぞれ6.7%、13%という最大のマイナスで、23年が悪しきターニングポイントというべき年であったことを示しているのかもしれない。
 部数のことを考えてみても、書籍は7億冊から5億冊、雑誌は20億冊から7億冊を割りこんでしまい、雑誌に至っては2011年の3分の1になってしまった。
 この12年における雑誌の凋落が歴然で、しかも下げ止まりは見られず、雑誌のうちのコミックスはさらに電子コミックに侵食されていくだろう。
 それからこれは『私たちが図書館について知っている二、三の事柄』で指摘しておいたように、書籍販売部数の推移は、図書館貸出冊数と比較参照すべきであることを付記しておく。



3.『日経MJ』(2/14)が「紀伊国屋、本屋から日本屋へ」という大見出しで、一面特集をしている。リードは次のようなものだ。
 「日本の書店が漫画と雑貨で海外市場の開拓を急ぐ。紀伊国屋書店は米国で文房具やキャラクターグッズを主軸とし、売上高の半分を雑貨が占める店舗がある。カルチュア・コンビニエンス・クラブ(CCC)も東南アジアなどで日本の雑貨を扱う店舗を増やす。日本の書籍市場が縮むなか、書籍だけに頼らない、日本のコンテンツ発信拠点として成長戦略を描く。」
 その例として、テキサス州の紀伊国屋オースティン店が挙げられている。コミック『ONE PIECE』『東京リベンジャーズ』などがずらりと並び、売上高の5割以上が漫画関連グッズ、文房具、ぬいぐるみ、プラモデルといった雑貨で占められていることがレポートされ、こうした業態で100店の出店を目ざすという高井会長の言が紹介されている。
 その一方で、CCCは東南アジアで同じく日本のグッズ類、文具、雑貨が売場の50%を占める業態で出店していくとの見解を披露している。

 『出版状況クロニクルⅦ』 で、『日経MJ』とCCCのタイアップ記事を批判してきているが、これも同じ特集だと見なせよう。しかも紀伊国屋が主役の記事のように映るが、明らかにCCCからのリークを受けてのものだと考えざるを得ない。
 日本の現在の出版業界の惨状の中において、このような特集は不毛だと見なすしかない。



4.ブックセラーズ&カンパニーは2月15日メディア向けに進捗状況を説明し、直仕入取引について、三笠書房、スターツ出版、徳間書店、主婦の友社の4社と3月から順次始め、他にも20社以上の出版社と商談を進めていると報告。

 これも『出版状況クロニクルⅦ』 で、紀伊国屋、CCC、日販によるブックセラーズ&カンパニーの立ち上げから出版社などへの「方針説明会」までトレースしてきた。
 23年11月の「方針説明会」は出版社111社が出席したとされているが、それに呼応したのはわずか4社しかないことが自明となった。しかも徳間書店と主婦の友社はCCC傘下にあるはずで、実質的には2社ということになる。
 20社以上の出版社と商談を進めているにしても、「方針説明会」出席出版社の111社のことを考えると、その2割にも及んでいない。
 大手出版社は参加しないと伝えられている。



5.『新文化』(2/1)がカルチュア・エクスペリエンス(CX)の「鎌浦慎一郎新社長に所信と現状を聞く」を掲載している。要約してみる。

CXは「流販一体」をコンセプトに掲げ、全国のTSUTAYAの流通を維持し、この難局を乗り越えるために設立された。
CXは「地域に交流を生む新しい時代の体験型書店」をスローガンにして、TSUTAYAの未来を描き直していく。
TSUTAYAは過去40年、映画、本、音楽、ゲームなど、人々が好きなものを提供してきた。これからも「好き」ということは永遠になくならないし、社のスローガンである「好きが生きる。」やリアル書店ならではの「誰か」という要素などをどう息づかせていくかを追究していく。
TSUTAYAには本、文具、雑貨、レンタル、セルゲーム、トレカなどの複数のアイテムがある。MPD時代は物流を日販、仕入、商流・生産をMPDが担っていた。
本はブックセラーズ&カンパニーの商流に移し、TSUTAYAはFC800店の書店連合という位置づけとなる。CXはFC本部、及び物流機能が一体となった小売業として、送り方の最適解の模索へと踏みこんでいく。
この2、3年は「新しい時代の体験型書店」をつくるタイミングであり、お客様の体験価値と加盟店にとって儲かるモデルを追求し、店舗モデルを作り出すことに注力する。

 そして具体的に「地域に交流を生む新しい時代の体験型書店としてのアイテムが語られ、本、文具、雑貨にトレカが挙げられ、それに地域マーケットに合わせた店舗展開が結びつけられていく。
 それらはゴルフ練習場、ヨガ教室を中心とするフィットネス、韓国食品とコスメを扱う「韓ビニ」、プラモデルをつくるスペース「プラモLABO」などである。

 このような業態が「新しい時代の体験型書店」「加盟店にとって儲かるモデル」となるだろうか。
 それにで見たように、ブックセラーズ&カンパニーの商流もどうなるのかわからないし、「体験型書店」のコアである本の行方も茫洋としている。
 最近、数年ぶりでTSUTAYAのFCである複合型書店を見学してきた。撤退はしていなかったものの、TSUTAYAの看板ロゴはそのままで色褪せ、スポーツジム、古着、ブックオフの業種の店舗に変わっていた。
 この店はTSUTAYAとブックオフが複合化していたのだが、いち早くTSUTAYAのFCから脱退したのであろう。
 このようにTSUTAYAのレンタル事業から離脱した店舗が全国に増殖しているのではないだろうか。それはカルチュア・エクスペリエンスのアイテムとしてもはや映画が挙がっていないことからわかるように、さらに増え続けていくだろう。
 これで『出版状況クロニクルⅦ』の日販の奥村景二社長、CCCの高橋誉則代表権COOに続いて、CXの鎌浦社長という3人のキーパーソンの発言を確認したことになろう。



6.矢野研究所によれば、23年の「オタク」関連主要国内市場は8175億円、前年比6%増とされる。
 そのオタク関連市場の14分野を挙げてみる

1 アメニ
2 同人誌
3 インディーズゲーム
4 プラモデル
5 フィギュア
6 ドール
7 鉄道模型
8 トイガン
9 サバイバルゲーム
10 アイドル
11 プロレス
12 コスプレ衣裳
13 メイドカフェなど
14 音声合成

これらのうちの1のアニメは2750億円、前年比4%増、10のアイドル市場は1900億円、同15%増、2の同人誌は1058億円、同14%増、3のインディーズゲーム市場は242億円、同24%増となっている。

 まったく門外漢の世界だが、このオタク関連市場は『出版状況クロニクルⅦ』 でレポートしておいた、静岡に新店舗をオープンしたホビー販売の駿河屋のアイテムそのものである。
 駿河屋はトーハンや日販とも提携し、日販のNICリテールズと合併会社の設立、三洋堂やジュンク堂でも導入されている。
 本年はオタク関連市場をアイテムとする駿河屋の躍進の年になるのだろうか。いってみれば、の紀伊國屋にしても、のTSUTAYAとCXにしても、駿河屋のアイテムへと接近している構図になるからだ。



7.『キネマ旬報』(2月号増刊)の「ベスト・テン」が発表された。
  日本映画、外国映画の「ベスト・テン」と読者選出のそれら4つを示す。


キネマ旬報 2024年2月増刊 キネマ旬報ベスト・テン発表号 No.1938

■日本映画ベスト・テン
順位キネ旬ベスト・テン読者選出ベスト・テン
作品名監督作品名監督
1せかいのおきく阪本順治Gメン瑠東東一郎
2PERFECT DAYSヴィム・ヴェンダース福田村事件
3ほかげ塚本晋也怪物
4福田村事件森 達也ゴジラ-1.0
5石井裕也
6花腐し荒井晴彦正欲岸 善幸
7怪物是枝裕和愛にイナズマ石井裕也
8ゴジラ-1.0山崎 貴君たちはどう生きるか
9君たちはどう生きるか宮崎 駿市子戸田彬弘
10春画先生塩田明彦BAD LANDS
バッド・ランズ
原田眞人


■外国映画ベスト・テン
順位キネ旬ベストテン読者選出ベストテン
作品名監督作品名監督
1TAR/タートッド・フィールドキラーズ・オブ
・ザ・フラワームーン
2キラーズ・オブ
・ザ・フラワームーン
マーティン・スコセッシTAR/ター
3枯れ葉アキ・カウリスマキフェイブルマンズ
4EO イーオーイエジー・スコリモフスキミッション・イン
・ポッシブル
クリストファー・マッカリー
5フェイブルマンズスティーブン・スピルバーグイニシェリン島の精霊
6イニシェリン島の精霊マーティン・マクドナー枯れ葉
7別れる決心パク・チャヌクバービーグレタ・ガーウィグ
8エンパイア・オブ
・ライト
サム・メンデスエンパイア・オブ
・ライト
9エブリシング・エブリウェア・オール
・アット・ワンス
ダニエル・クワン
ダニエル・シャイナート
トリとロキタジャン=ピエール・ダルデンヌ
リュック・ダルデンヌ
10ウーマン・トーキング
私たちの選択
サラ・ポーリーザ・ホエールダーレン・アロノフスキー

 これは本クロニクルとして初めて掲載するのだが、前回の『フリースタイル』 の「作家主義」によるマンガベストを紹介したことと関連している。
 私などは小説や詩、漫画や映画を「作家主義」というポジションで読み、観てきたわけだが、21世紀に入って、それらのすべてがあわただしく消費される状況を迎えたことで、もはや従来の「作家主義」が成立しなくなったように思われる。
 今回の「ベスト・テン」を挙げてみたのは、「キネ旬ベスト・テン」と「読者選出ベスト・テン」が異なってきたからである。日本映画では 5作、外国映画では 4作が異なり、これは記憶にあるかぎり、近年の現象ではないだろうか。
 かつては順位のちがいはあるにしても、ほとんど重なっていたし、そうした意味において、「キネ旬ベスト・テン」と「読者選出ベスト・テン」の「作家主義」は共通していたことになり、それが映画専門誌『キネマ旬報』の編集者と読者の観ることの共同体を彷彿とさせていた。
 だが趣味の雑誌に象徴されるそのような共同体も失われつつあるし、読み巧者、観巧者という言葉も聞かれなくなって久しい。
 ただ私にしても、お恥ずかしことに日本映画の 4『福田村事件』、外国映画の 7『別れる決心』、9『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』しか観ていないので、語る資格もないわけだが。
フリースタイル58 特集:THE BEST MANGA 2024 このマンガを読め!



8.『ゲオナビ』(1月号)が「2023年ゲオ年間ベストランキング」を発信しているので、こちらも挙げてみる。
 ただ20位まで紹介することもあり、監督名は省略する。その代わりにジャンルは示しておく。


 

■ゲオ年間ベストランキング
順位作品名ジャンル
トップガン マーヴェリック洋画アクション
キングダム2 遥かなる大地へ邦画アクション
ジュラシックワールド/新たなる支配者洋画SF
名探偵コナン ハロウィンの花嫁邦画アニメ
5クレヨンしんちゃん
もののけニンジャ珍風伝
邦画アニメ
6ドラゴンボール超スーパーヒーロー邦画アニメ
7沈黙のパレード邦画サスペンス
8ミニオンズ フィーバー洋画アニメ
9ザ・スーパーマリオブラザース・ムービー洋画アニメ
10死刑にいたる病邦画サスペンス
11ワイルド・スピード/ファイヤーブースト洋画アクション
12ブレット・トレイン洋画アクション
13劇場版 呪術廻戦0邦画アニメ
14ザ・ロストシティ洋画アクション
15極主夫道 ザ・シネマ邦画コメディ
16すずめの戸締まり邦画アニメ
17ブラックアダム洋画SF
18映画『Dr.コトー診療所』邦画ドラマ
19七人の秘書 THE MOVIE邦画サスペンス
20新・エヴァンゲリオン 劇場版
EVANGELION:3.0+1.11
THRICE UPON A TIME
邦画アニメ

 これも前回の『フリースタイル』 の「作家主義」に対する『ダ・ヴィンチ』のコミックベストに相応するものになってしまう。
 残念ながらこちらは1本も観ていないし、それは4、5、6、13、16、20が邦画アニメ、8、9が洋画アニメと、アニメが8本を占めていることにもよっている。
 その事実はゲオだけでなく、TSUTAYAにしても同様だろうし、23年ばかりでなく、レンタル市場はアニメが席巻してきたことを物語っていよう。
 それにしても、「キネ旬ベスト・テン」とは1作もダブっていないことにあらためて驚くし、「ゲオ年間ベストランキング」は同年であっても、まったく異なるアニメを主流とする映画世界が存在することを開示している。
 もちろんかつて「作家主義」映画と娯楽映画のちがいはあったにしても、それはゆるやかな棲み分けであり、トータルな映画世界へのリスペクトに包まれていたように思える。
 おそらくかつての書籍にしても同様だったが、現在は映画と同じパラダイムのうちに置かれているのだろう。



9.『選択』(2月号)が「増え続ける『読書時間ゼロ』の若者――思考力低下で衰退する社会」を掲載している。
 東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所の「子供の生活と学びに関する親子調査」「子どものICT利用に関する調査」によれば、「一日の読書時間がゼロの小・中・高生が49.0%と訳反するに達した」とされる。
 スマホ利用が本格化する中高生ほど読書離れが進み、高校三年生では69.8%に及ぶという。


www.sentaku.co.jp

 このレポートは「読書の復活」こそが国家の盛衰を分ける要因だと結ばれているけれど、よく考えてみれば、私たちが小中高生だった1950年代から60年代において、一部を除いて生徒だけでなく、教師もまた本など読んでいなかった。
 その時代は現在と異なり、読書などはほめられる行為ではなく、私などは本ばかり読んでいるとロクなものにならないと教師から説教されたものだ。本当にそうなってしまったので、教師の予想は当たっていたことになる。
 でも小中学生にしても、『鬼滅の刃』の神風的ベストセラーに見られるように、物語とシンクロすれば、必然的に魅せられていくことを忘れるべきではないし、調査数字をそのまま信じるほうが一面的ではないだろうか。
鬼滅の刃 23 (ジャンプコミックス)



10.東京都豊島区の神谷印刷が事業停止、また同新宿区の音羽印刷が破産。
 前者は1928年創業で負債は3億円、後者は1968年創業で負債は20億円。

 いずれもこの2ヵ月のうちの事業停止と破産で、出版不況とペーバーレス化による紙の流通量の減少が大きく影響しているよう。
 とりわけ顕著なのはコミックで、電子化に伴う既刊書の重版がまったくなくなったと伝えられている。
 かつてシリーズの新刊が出れば、必ず既刊分も重版されるのが常態だったが、それももはや過去のこととなってしまったようだ。



11.旧知の出版人の死が伝えられてきた。
 それは名古屋の出版社風琳堂の福住展人で、中部地方のリトルマガジン『あんかるわ』や『菊屋』の寄稿者たちと連携し、主として文芸書を出していた。

 福住は20年ほど前に名古屋から遠野市に会社を移していたこともあって、21世紀に入ってから会っていなかった。その死は共通の友人から教えられ、知ったことになる。
 記憶に残るのは、彼も鈴木書店に口座を開き、車に自転車を積んで地方営業し、それを自転車営業と称していたこと、及びウェルズの『世界文化史大系』全訳の原稿があるので、それを刊行したいといっていたことで、このふたつのエピソードが懐かしく思い出される。



12.『日本古書通信』(2月号)が特集「能登半島地震、被災地古本屋の声」を組んでいる。

 これは前回の本クロニクルで、『同通信』の折付桂子に依頼したものだが、早速実現し、写真も含めて16店から返信があり、生々しい地震報告となっている。



13.30年ぶりに『新文化』から原稿依頼があり、「出版流通販売の変貌と現在の危機』(2/29)を寄稿している。
 長きにわたる『出版状況クロニクル』のエキスの要約といえるので、読まれてほしいと思う。
www.shinbunka.co.jp


14.論創社HP「本を読む」〈97〉は「水木しげると東考社版『悪魔くん』」です。
ronso.co.jp

 『近代出版史探索Ⅶ』は「古本虫がさまよう」が書評を発信している。
 いつもながら ありがとう。
https://www.honzuki.jp/book/322325/review/301191/

 『出版状況クロニクルⅦ』は3月上旬発売予定。
 『近代出版史探索外伝Ⅱ』は編集中。

 
    

古本夜話1493 『文学界』中原中也追悼号

 続けて取り上げて来た『四季』と同じく、冬至書房の「近代文芸復刻叢刊」として、『文学界の』中原中也追悼号(昭和十二年十二月号)も復刻されている。これも手元にあるので、そこに寄せられた十本の「追悼」を挙げてみる。

 

 *「追悼」/島木健作
 *「中原のこと」/阿部六郎
 *「中原中也」/草野心平
 *「鎌倉の曇り日」/菊岡久利
 *「独り言」/青山二郎
 *「死んだ中原(詩)」/小林秀雄
 *「挽歌(詩)」/菊岡久利
 *「中原中也の印象」/萩原朔太郎
 *「死んだ中原中也」/河上徹太郎
 *「北澤時代以後」/関口隆克

 これらに寄り添うように「桑名の駅」「少女と雨」「僕が知る」「無題」の四編が「中原中也遺作集」として掲載されている。これらの詩編は中原の死後に刊行の『在りし日の歌』(創元社、昭和十三年)には収録されていない。それは小林が巻末後記に当たる「中原の遺稿」で語っているように、中原が「整理に捨てたものである」。中原は死の三週間ほど前に、第一詩集『山羊の歌』(文圃堂、昭和九年)以後の詩をまとめ、『在りし日の歌』と題し、「目次」と「後記」も付し、小林にその刊行を托した。小林は書いている。 
「在りし日の歌」 中原中也:著 創元社版 精選名著復刻全集 近代文学館 /昭和49年発行 ほるぷ出版  

 彼は死ぬ前に、もういくら歌つても「在りし日の歌」しか歌へない様な気持ちになつてゐたらしい。そして「在りし日」にきつぱり別れを告げる決心がだんゝゝ出来て来てゐたらしい詩集の出版を托された時にも僕はさういふ積りであらうと思つた。

 それゆえに追悼号における中原の「遺作集」は「彼が発表するに及ばずと認めたものばかり」ということになる。しかし小林にしてみれば、「詩の出来不出来など元来この詩人には大した意味はない。それほど、詩は彼の生身の様なものになつてゐた。どんな切れつぱしにも彼自身があつた」のだ。戦後になってこれらの詩は『中原中也全集』(第2巻、角川書店、昭和四十二年)に収録された。
 

 さて前後してしまったが、小林の「死んだ中原(詩)」はかつて『小林秀雄全集』(第二巻、新潮社)で読んでいたことを思い出す。初出はこの『文学界』追悼号だったのだ。だが小林のそれよりも、その交際を含めて意外だったので、萩原朔太郎の「中原中也の印象」を紹介しようかと考えたけれど、ある意味において、詩人による詩人の追悼は、あくまでその法(のり)をこえるものではない。そのような視点からみるならば、異色な追悼は青山二郎の「独り言」であり、それは中原の死と彼をめぐるグループのパロディの様相を呈している。

 青山に関しては『近代出版史探索Ⅳ』1155で、その評伝も示し、筑摩書房の創業期の装幀家だったことにふれているし、この「独り言」にしても、『青山二郎文集』(小沢書店)に収録があると思われるが、この一文は『文学界』追悼号において読まれないと、意味不明のニュアンスが強いし、生前の中原と青山の関係を浮かび上がらせているようだ。中原の死後の神話化への危惧もこめられていよう。青山は「芸術が国境を越えたり、後世に遺つたりする事は疑はしいですぞ」と始め、次のように書いている。

 中原が死んだ、中原の名簿には実用品特売デーの品目のやうに、二百からの名前があつた。中原中原と話の種がまた一つ増へて聞くに堪へないことじや。恁うなると特売品自身のヂンダである。方々では中原追悼の記事が出る話、やれ非情の詩人だとか、やれ非常の風格の芸術家だとか、七十五日は見ものである。

 それから青山は中原の病院につめ、三晩のお通夜と告別式に集った小林と河上徹太郎を筆頭とし、次の六人を挙げている。それらは俗語なので、実名を補ってしめす。「お坊の春吉」=岡田春吉、彫刻家、「葬儀屋の隆克」=関口隆克、文部省、「どもりの幸一」=高橋幸一、中原夫人の実家にいるどもりの人、「いがぐりの昇平」=大岡昇平、「物識りの生蕃」=佐藤正彰、フランス文学者である。

 これらのうちで追悼を寄せているのは「北澤時代以後」の関口だけだが、中原の病院での臨終、通夜、告別式までに集った人々のそれぞれの中原をめぐるドラマが展開されていたのであり、それを青山は「独り言」という一筆描きの野辺送りの歌の向こうには、国木田独歩の病床の出来事とその死の記録が重なってくるかのようだ。

 なお中原が入院し、死去した病院は中村古峡の営む千葉の精神病院においてだった。中村に関しては拙稿「中村古峡の出版」(『古本屋散策』所収)を参照されたい。

古本屋散策


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古本夜話1492 『四季』と『辻野久憲追悼特集』

 前回の『四季』は『日本近代文学大事典』第五巻「新聞・雑誌」に一ページに及ぶ解題があり、「『コギト』とともに昭和十年代の抒情詩復興の気運の中枢として重きをなした同人雑誌」とされている。

 そこでは戦後の第三次、四次までの言及をみているし、ここでは前回を補足することになってしまうが、続けて昭和九年から十九年にかけての第二次をたどってみる。『四季』の第一次、二次は近代文学館から復刻版が出されているが、これらは入手に至っていない。その代わりということにはならないけれど、昭和四十三年に冬至書房が「近代文芸復刻叢刊」として刊行した『「四季」追悼号』全四冊は手元にある。それは前回既述したように、昭和五十二年の冬至書房新社版で、解題は小川和佑によるものだ。

 

 それらは『辻野久憲追悼特集』(第三十一号、昭和十二年十一月号)、『中原中也追悼特輯』(第三十二号、同十二月号)、『立原道造追悼号』(第四十七号、同十四年五月号)、『萩原朔太郎追悼号』(第六十七号、同十七年九月号)で、すべてにふれられないので、最初の辻野に言及してみたい。彼は中原、立原、萩原たちのような著名な詩人ではないが、昭和十年代において、彼らに先行して「追悼特集」が組まれたことは、辻野のその時代の位相を浮かび上がらせているように思える。『近代出版史探索Ⅵ』1008、1015で辻野が『詩・現実』の同人、第一書房『ユリシイズ』の共訳者の一人であることにふれているように、同時代における優れた翻訳者であるだけでなく、リトルマガジンと詩の世界においても、中心的ポジションにあったことを想起させる。『日本近代文学大事典』の立項を引いてみる。

 (『辻野久憲追悼特集』) 

 辻野久憲 つじのひさのり 明治四二・五・二八~昭和一二・九・九(1909~1937)翻訳家、評論家。舞鶴の生れ。三高を経て、東京帝大文学部に学び、フランス文学を専攻した。在学中から「詩・現実」の同人となり、(中略)この雑誌の第二冊(昭五・九)から第五冊(昭六に伊藤整、永松定との共訳、ジョイスの『ユリシイズ』を連載し、当時の文壇に大きな影響を与えた。第一書房在職中、「セルパン」の編集長をつとめたり、萩原朔太郎の「水島」に覚え書きを付したりした。詩人との交渉は深く、第二次「四季」には同人として参加した。(後略)

 しかしここに示されている第一書房の『セルパン』編集長云々は『第一書房長谷川巳之吉』で確認してみると、長谷川、福田清人、三浦逸雄、春山行夫と編集が引きつがれていった事実は語られているけれど、辻野の名前は出てこない。私も「第一書房と『セルパン』」(『古雑誌探究』所収)を書いているので、そのことは承知している。この記述はおそらく昭和六年の『ユリシイズ』前編刊行と九年の後編の発禁処分が絡んでいるのではないかと察せられる。また『四季』の三好達治「故辻野久憲君略歴」によれば、昭和七年に第一書房に入り、九年に退くとある。それなのに第一書房での辻野の影は薄く、彼の仕事としては退社後の彼の編となっている『萩原朔太郎人生読本(春夏秋冬)』を見るに過ぎない。

古雑誌探究  

 同書はやはり萩原が「辻野久憲君を悼む」で挙げているもので、そこで彼が「全く一人でこつそり死んださうである」と書きつけている。それは第一書房のような華やかな出版社では報われなかった辻野のことを象徴している言のようにも思われる。それと対照的な辻野の訳業と出版社を挙げてみる。これも三好が列挙しているもので、ヴァレリー『詩の本質』(椎の木社)、リヴィエール『ランボオ』(山本書店)、モーリアック『ペルエイル家の人々』(作品社)、同『イエス伝』(野田書房)が刊行されているようだが、いずれも未見である。だがそれにしても、辻野は『四季』同人の最初の死者として追悼されたことによって、このように短い生涯が近代文学史、翻訳史に記憶されることになったと言えよう。前回の四季社の日下部雄一と異なり、それだけは辻野にあって僥倖だったと思うしかない。

(『ランボオ』)

 しかし私は四季社を始めとして、昭和前年の辻野の翻訳書を刊行した山本書店、作品社、野田書房などの出版物を入手していないことに加え、それらの少部数の高価な古書に関して門外漢でもあるので、ほとんど言及する立場にない。それでも『近代出版史探索Ⅲ』464で野田書房のことは取り上げているし、近代文学館の復刻の堀辰雄『風立ちぬ』は所持しているので、その巻末の「野田書房刊行書」を見てみると、『四季』の同人たちの著書や訳書が並んでいる。それらは堀辰雄の『美しい村』『狐の手套』『聖家族』、小林秀雄訳、ヴアレリー『テスト氏』、三好達治訳、フランシス・ジャム『夜の歌』、中原中也訳『ランボオ詩集』などの三十四冊である。この『風立ちぬ』限定版の刊行は昭和十三年で、その前年には支那事変が起きていたことになる。

   


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古本夜話1491 『四季』の「萩原朔太郎追悼号」と四季社

 萩原朔太郎や第一書房と関係の深い詩のリトルマガジンがある。それは『四季』で昭和十七年には「萩原朔太郎追悼号」(第六十七号)を発行している。この「追悼号」は立原道造、中原中也、辻野久憲も合わせ、昭和五十二年に冬至書房新社によって、「近代文芸復刻叢刊」の『四季』の「追悼号四輯」として、復刻されている。

   四季 萩原朔太郎追悼号 復刻版  

 『四季』は第一、第二次に分類されるが、ここでは各「追悼号」が含まれている第二次に言及してみる。それでもその前史に少しだけふれておけば、第一次は堀辰雄編集で、春山行夫の『詩と詩論』、その改題『文学』の事実上の季刊詩文集として、昭和八年に二冊が出されている。第二次は昭和九年から十九年にかけての八十一冊で、編集は三好達治、丸山薫、堀辰雄が担い、いずれもが『詩と詩論』同人、もしくは寄稿者だった。第一書房に関係づけると、『萩原朔太郎詩集』に続いて、三好は昭和五年に処女詩集『測量船』、丸山は同七年に同じく『帆・ランプ・鷗』を上梓している。

 (『萩原朔太郎詩集』)(『帆・ランプ・鷗』)

 しかし『四季』は昭和十一年の第十五号から同人を増やし、立原道造、津村信夫の他に、萩原、竹中郁、田中克己、中原中也、室生犀星、竹内俊郎、阪本越郎なども加わり、昭和十四年の第五十号まで続き、そこで一年休刊する。『四季』における萩原や室生の参加はモダニズムが二人の抒情詩の伝統とリンクしたことを告げていよう。これが第二次『四季』の前期、以後が後期となる。

 したがって「萩原朔太郎追悼号」は第二次『四季』の後期に属する。それは室生の「供物」という次の詩によって始まっている。これはここでしか見られないかもしれないので引いておく。
 「はらがへる/死んだきみのはらがへる/いくら供えても/一向供物はへらない。/酒をぶつかけても/君はおこらない。/けふも僕の腹はへる。/だが、君のはらはへらない。」
 そして先に挙げた人々への追悼が語られ、意外にも『四季』には加わっていなかったと思われる堀口大学の「追悼記」も寄せられているので、それを紹介してみよう。

 君の名を僕が初めて知つたのは、『月に吠える』が出た時だつた。僕が二度目の外遊から三年ぶりで日本へ帰つて、『昨日の花』を出版した当時のことだつた。神保町の現在岩波の売店のあるあたりにあつた新本屋(しんほんや)の店先で、君のあの処女詩集、今日から思へば、日本に於ける現代抒情詩の処女詩集とも言へる君の詩集を見出して、何も知らずに求めて帰つたのであつた。その頃、僕も、自分がそれまでの外遊中に書きためた詩を集めて出版する心算だつたので、何かの参考にでもなるかも知れない位の軽い気持で求めたのであつたが、家へかへつて一読するに及んで、その自由な言葉の使驅と、青ざめた病気にまで鋭い感覚に一驚を喫しつつ、あの、青竹の詩や、てふ、てふの詩を異様な心をどりと共に読んだものであつた。

 大正時代の神田の書店においては読者が自費出版の詩集と出会うというシーンが生じていたのだ。この堀口の回想を読み、近代文学館復刻の『月に吠える』を取り出してみる。北原白秋以の「序」、室生犀星の「跋」、装幀と挿絵は故田中恭吉と恩地幸四郎によるもので、発行所は感情詩社と白日社出版部である。発行人は感情詩社の室生照道=犀星、白日社出版部はやはり「孤掲な詩人」を書いている前田夕暮が主催していた。五百部の自費出版に他ならない。

月に吠える―詩集 復元版 (1965年) (『月に吠える』復刻版)

 堀口はふれていないが、『月に吠える』は刊行前に内務省警保局からの風俗壊乱に該当するので、発売禁止の内達を受けたこともあって、書店配本に関しては「愛憐」と「恋を愛する人」の二篇(一〇三~一〇八ページ)が削除されていた。復刻版は完本だが、おそらく堀口が求めた一冊は削除本だったと考えられる。『月に吠える』は出版そのものが事件であったともいえるけれど、その中には「とほい空でぴすとるが鳴る。」と始まる「殺人事件」も収録されていたのである。だが堀口は『月に吠える』を購うことを通じて、『近代出版史探索Ⅵ』1165の『月光とピエロ』を萩原に献本し、前橋とブラジルの間でのコレスポンダンスが始まったという。そのような詩集をめぐる時代もあったことを記憶すべきだろう。

(『月光とピエロ』)

 詩集といえば、四季社は三好達治『閒花集』『山果集』、室生犀星『抒情小曲集』、竹村俊郎『鴉の歌』、丸山薫『幼年』、津村信夫『愛する神の歌』、立原道造『暁と夕の詩』を刊行していて、創作集としては横光利一『馬車』、小林秀雄『一つの脳髄』、堀辰雄『麦藁帽子』、永井龍男『絵本』も挙がっている。当然のことながら、四季社は紛れもなく出版社でもあったのだ。一冊も見ていないのは残念というしかないけれども。

 (『絵本』)

 「追悼号四輯」の編輯兼発行者はいずれも日下部雄一で、この人物が長きにわたって立原命名による『四季』と四季社を支えてきたことになろうが、日下部のプロフィルは河出書房出身ということしか判明していない。またそれ以外に、『日本近代文学大事典』の索引も含め、近代出版史、近代文学史のいずれにも、その名前は残されていないである。


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