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古本夜話91 大内三郎『漂魔の爪』と伊藤秀雄『明治の探偵小説』

前々回 記した松柏館のことも詳細は不明だが、それにもまして誰も取り上げていない探偵小説が手元にある。それは国会図書館にも架蔵されていない。しかも江戸川乱歩がいう探偵小説の第二のブームを迎えようとしている昭和八年に出され、「傑作探偵小説全集」の一冊と表記されているにもかかわらず、乱歩の『探偵小説四十年』『幻影城』にも何の言及もない。これも数年前に浜松の時代舎で買ったものだ。

探偵小説四十年 幻影城

それは大内三郎の『漂魔の爪』で、版元は太陽社である。その住所は東京市神田区と大阪市南区が奥付には表記され、印刷は東京市の同所の太陽社印刷部となっているので、太陽社が印刷所も兼ねているとわかる。発行者は三島源次郎と記されている。四六判三百七十ページ余の裸本で、箱の有無はわからないが、扉のタイトルと絵、次ページのモダンなイラストからして、いかにも当時の近代的な探偵小説の雰囲気を放っている。だが乱歩のみならず、鮎川哲也の何冊ものアンソロジーを覗いてみても、大内三郎の名前は出ていなかった。

それもそのはずで、実際に読んでみると、『漂魔の爪』は明治初期の「毒婦物」と同二十年代後半から隆盛し始めた「探偵実話」をミックスさせたような作品であり、乱歩が語る「探偵小説」ではない。まずはストーリーを紹介してみる。

小石川の伝通院の門番である庄之助には二人の娘があり、姉は結婚し、子供も生れていたが、妹のお国は姉に比べ、とても美人で、十六歳のわがまま育ちのゆえに、両親のいうことなど聞かなかった。両親はそれを気にして、お国を煙草商に小間使いとして行儀見習奉公に出した。そこでお国は常太郎という元スリの職人と割ない仲となり、賭博狂いの彼に金を貢ぐまでになっていた。その挙げ句、二人は共謀して店の金を盗み、お払い箱になってしまった。ところが盗み出した金も使ってしまい、お国は料理屋に一年期六十円の酌婦として住みこみ、美人ゆえに人気を得て、客の青年をたぶらかし、大金をせしめ、姿を消してしまう。そして常太郎と浅草の小粋な家に隠れ住み、今度は近所に住む妻に死なれた財産家に美人局を仕掛け、これまた大金をせしめる。しかしたちまち金を使い果たし、栄太郎はスリに舞い戻り、警察につかまり、石川島監獄に送られる。そのためにお国は単独で悪事に励むようになり、また料理店に勤め、その養子を誘惑し、店を乗っ取ろうとする。しかしうまくいかなかったので、金を盗んで逃亡する。次には華族、続いて寺の住職に毒手を伸ばし、さらにお国は寺に火を放ち、住職を焼死させる。しかし警察の探索=探偵によって、お国の放火殺人はあばかれ、捕えられ、お国は死刑宣告を受け、絞首台の露と消えた。今わの言葉は「あたしぐらい此の娑婆に生れて面白い夢を見た者はありますまい、(中略)此上の願は地獄へ行つて閻魔様を手管にかけて鼻毛を抜いて見たうございます」というものだった。

この物語の時代背景は明治十年前後から十五年とされている。『漂魔の爪』がお国の毒手を意味すると推測はできても、これが出版年の昭和八年に書かれたとは信じ難い。物語にしても、「冬の夜の寒さも知らぬ鴛窵の衾に春を契る仇夢の醒むる間もない二更の頃合」とか、「甲州印伝の皮に金無坧蜻蜒浮彫の金真古渡珊瑚四分珠の緒入に象牙の無地の筒を付けた贅づくめの茛入」とかいった言い回しは、明らかに明治の文体であり、昭和の「探偵小説時代」にまったくふさわしくない。

それゆえに想像するに、この大内三郎の『漂魔の爪』は明治時代に書かれた「探偵実話」のタイトルを変えた再刊と見なすべきだろう。それを示すかのように、二箇所にカッコ付きの注めいた追記があり、「原田曰く(ひつしやいはく)」と記されている。だから大内三郎の本姓は原田ということなる。そこで伊藤秀雄の労作『明治の探偵小説』(晶文社、後に双葉文庫)を繰ってみたのだが、原田という作者名は掲載されていなかった。ただ明治末期から大正初めにかけての週刊新聞で、ずっと探偵小説を連載していた『サンデー』の編集者に原田春齢なる柳川春葉門下の編集者がいたという記述があった。
明治の探偵小説

そしてまた黒岩涙香などに代表される「探偵実話」が明治二十年代後半に同書に掲載されているものなども含め、その数倍の点数が多くの出版社から、大衆向け廉価本として出されたようで、その特徴について、伊藤は次のように記している。

 探偵実話と言っても、勿論潤色されて書かれているから、和製の探偵小説といってもよいものだった。当時は探偵小説と共に探偵談とも言われていた。
 さて、その筆者となると、無署名が多くて分らぬものがあらましだが、硯友社派作家などの青臭い者は少なく、世故にたけた年配者が多かったようだ。翻訳探偵小説のように謎をテーマにする構成の仕組みはほとんど見られないが、世態人情をよく映して自在に書かれている。乱歩はほんとうに日本の探偵小説を知るには探偵実話をおろそかにしてはならないと言っていたとか。その通りだと思う(後略)。

「硯友社派作家云々」とあるが、原田は柳川春葉門下とすれば、彼も硯友社系と見なすことができ、実はお国が勤める料理屋は「今の紅葉館の如く」と形容されていることから、原田春齢が大内三郎である可能性が高い。紅葉館とは硯友社の人々がひいきにしていた店だった。そこに『金色夜叉』のモデルがいたのはよく知られている。
金色夜叉

本連載27「北島春石と倉田啓明」で、北島が尾崎紅葉の死後、柳川春葉の代作もこなし、当時赤本の春江堂の店員で、後に桜井書店を興す桜井均と交流していたことを書いておいたが、実は春江堂も「探偵実話」の版元であり、多くの赤本屋が「探偵実話」を出していたのであるから、原田もそのような版元から、無名で『漂魔の爪』とはタイトルの異なる「探偵実話」を出していたとも考えられる。そして「探偵小説」のブームの兆しを見て、それに見合ったタイトルと体裁で明治の「探偵実話」が「探偵小説」として再刊されたのではないだろうか。もちろん版元の太陽社も赤本屋系で、総ルビで出版されているのもそのことを物語っているように思われる。

なお最後に付け加えれば、伊藤の晶文社版『明治の探偵小説』は松村喜雄の仲介で上梓に至っている。

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