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古本夜話179 春陽堂『新小説』と鈴木氏亨

前回、中村武羅夫が『文壇随筆』の中で、関東大震災後の春陽堂の伝統ある『新小説』が娯楽雑誌に変わるという噂にふれ、有力な文芸雑誌が『新潮』だけになってしまうと懸念を表明し、文芸雑誌を絶滅させないためには編集者や発行者のものではなく、「公器」にすべきだとの主張を紹介しておいた。

確かに『新小説』は伝統ある文芸雑誌で、第一期は明治二十二年から翌年にかけて、月二回二十八冊が出された。春陽堂の和田篤太郎の企画により、編集人は須藤南翠、饗庭篁村、森田思軒で、金港堂の『都の花』に対抗し、新しい小説を示そうとして創刊された。第二期は明治二十九年から大正十五年に及び、こちらも同じく春陽堂より、博文館の『文藝倶楽部』の創刊を受けて出され、月刊で新人採用、長編の一挙掲載、大家の新作などを軸とし、明治期は幸田露伴、石橋忍月、後藤宙外、大正に入ってからは田中純、鈴木三重吉、芥川龍之介、菊池寛などが編集を担った。主要掲載作としては泉鏡花『高野聖』、島崎藤村『旧主人』、夏目漱石『草枕』、田山花袋『蒲団』、永井荷風『すみだ川』、森鷗外『ぢいさんばあさん』、有島武郎『カインの末裔』などが挙げられ、代表的な文芸雑誌の地位にあった。

高野聖 草枕 蒲団 すみだ川 ぢいさんばあさん カインの末裔

中村のいう芥川と菊池の編集は大正十三年一月号からで、二人は顧問の立場にあり、実質的な編集兼発行人は小峰八郎と鈴木氏亨だったと考えられる。この当時の『新小説』を一冊だけ持っている。それは大正十四年二月号で、昭和二年一月から『黒潮』に改題され、それも同三月に廃刊になってしまうことから、創刊以来三十有余年に及び、近代文学の歴史とともに歩んできた栄光の座の最後の時期に相当していた。

このたまたま手元にある『新小説』一冊だけを読んでの印象なので、それこそ恐縮の思いをこめていうのだが、その「目次」を見ただけで、この近代文学の代表的文芸雑誌が新しい小説の時期を迎えているとわかる。巻頭に岸田國士と岡本かの子の戯曲、「無題」とある川崎長太郎の私小説的短編、室生犀星の詩の連作などが置かれ、その後に長谷川伸、直木三十五、土師清二、澤田撫松、本山荻舟、平山盧江、小酒井不木などの時代小説、読物小説、探偵小説といった所謂大衆文芸が続いている。そして馬場狐蝶や小島政二郎の随筆、高畠素之の「社会時評」、千葉亀雄の「文芸時評」が後半を占めている。この「目次」のラインナップにちぐはぐな印象を受けるのは私だけではないはずだ。

翌年から始まる円本時代の比喩でいえば、『新小説』は発売元の春陽堂刊行の『明治大正文学全集』のイメージが強くなければならないのに、この「目次」からすると、平凡社の『現代大衆文学全集』の色彩を強く感じてしまうのである。このイメージのギャップの中に、『新小説』が溢路というか、もしくは分裂する文学状況において売上部数の低迷に陥っていたのではないかとの推測をたくましくしてしまう。

それは鈴木氏亨の名前で記されている巻末の「編輯雑記」にも感じられ、そこにはそのような文学状況に対する苛立ちまでがこめられている。それを引いてみる。

 プロレタリア文学から、新感覚派へと文壇は、上空気流の如く、絶えず変つた流行を趁ひ求めて居る。文壇人はとかく沈滞した空気の中には、生息出来ないのであらう。何かしら新しいものを求めてゐる。
 が、しかし、既成作家は、依然として文壇の中堅を支配してゐる。新人雨後の筍の如く発生するが、その態度に、その風格に、その表現に、その文章に新しい何ものもない。新しかる可きものが新らしくないと云ふことは、どうしたことだ、これ文壇の一大不思議である。
 未来派、表現派、感覚派、―同じ時代の、同じ米の飯を食し、同じ空気を呼吸し、同じ家に住み、同じ後架に親しみながら、未来派も、表現派も感覚派も、結局は言葉の上の差別的遊戯に過ぎまい。現代の伝統から虚勢された真に新らしい人間が生れずして、何の新らしい文学だ。

そして続けて鈴木はこのような中にあって、あえて岡本かの子と川崎長太郎の作品を紹介した旨を述べている。この文芸雑誌としては異例の鈴木の「編輯雑記」の中に、関東大震災後の大正文学の状況と文壇の低迷、新しさは何もなく、単に流行にすぎない様々な文学形式の乱立が見てとれる。それはまた伝統ある文芸出版社としての春陽堂や文芸雑誌『新小説』の行き詰まりの状態の率直な告白のように映る。

それはまた既存の文芸雑誌に対抗する様々なリトルマガジンの台頭とも関係しているのではないだろうか。それらの創刊年を追ってみる。大正十二年『文藝春秋』、十三年『文芸戦線』『文芸時代』、十四年『辻馬車』『不同調』、十五年『驢馬』『大衆文芸』『騒人』、昭和三年『戦旗』『詩と詩論』。これらのリトルマガジンや同人雑誌の動向は同時期に始まっていた円本時代とパラレルであり、出版企画人脈は複雑に交差していたと見なせるであろう。

この『新小説』の「編輯雑記」を書いた鈴木にしても同様で、彼もまたすでに『文藝春秋』の創刊同人となっていて、後に菊池寛の秘書役を務め、文藝春秋社の経営に寄与し、専務取締役に就任したという。鈴木には四六書院の「通叢書」の一冊である『酒通』に加え、『江戸囃男祭』などの大衆小説があるようだが、未見である。ぜひ読んでみたいと思う。

いずれにしても、この鈴木の「編輯雑記」にもあからさまなように、『新小説』の役割は終わりに近づこうとしていたのであり、廃刊に至る兆しはすでに露出していたと見るべきだろう。

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