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古本夜話1069 室松岩雄、国学院大学出版部、喜田川季荘『類聚近世風俗志』

 前回既述したように、 久保田彦作『鳥追阿松海上新話』を読むに際し、前田愛の「注釈」を参照している。それで気づいたのだが、その主要な部分は多くが喜田川季荘の『近世風俗志』、別名『守貞漫稿』を出典とするもので、前田はそのタイトルとして、後者を挙げている。しかし巻末の「参考文献」にその書名は含まれていない。
鳥追阿松海上新話(『鳥追阿松海上新話』国文学研究資料館、リプリント版)

 『守貞漫稿』は『世界名著大事典』(平凡社、昭和三十六年)で、著者を喜田川守貞として立項されているが、その解題は一ページ近くに及ぶ長いものなので、簡略に抽出してみる。著者の喜田川は江戸時代の人物で、文化七年大坂に生まれ、天保十一年に居を江戸に移したことは判明しているけれど、経歴、家職、没年などは定かでない。『守貞漫稿』は幕末期における江戸、大坂などの市井風俗、民間生活の見聞筆録、風俗史的考証研究で、それは天保八年に稿を起こし、嘉永六年に至るまでの十七年間に及び、さらに慶応三年の追記も含まれている。
世界名著大事典

 明治三十四年に浅草の書林の朝倉屋を通じて八十円で東京帝国図書館に納められた。そして稿本のまま収蔵され、貴重書に数えられていたが、松本愛重、山本信哉の監修、室松岩雄、古内三千代、保持照次の編集、校訂により、新たな目録を付し、上下二冊の体裁を整え、刊行された。ただ『世界名著大事典』はそれが『守貞漫稿』だけのタイトル出版でなかったことからなのか、版元などの書誌情報を記載していない。

 実はこれが手元にある。三十年ほど前に山中共古のことを調べるに当たって入手したもので、後に の編集参考資料となっている。現在であれば、宇佐美英機校訂『近世風俗志』 (全五巻、岩波文庫)が便利なのだが、当時はこの最初の版か、朝倉治彦編『守貞漫稿』(全三巻、東京堂出版)しかなく、古書目録で前者を見つけ、入手したのだと思う。前田愛注釈の『鳥追阿松海上新話』収録の『明治開化期文学集』は昭和四十五年刊行だから、彼の使用した『守貞漫稿』も同じだと見なしていい。

見付次第/共古日録抄 近世風俗志(岩波文庫版) f:id:OdaMitsuo:20200831145535j:plain:h110 f:id:OdaMitsuo:20200825091852j:plain:h110

 同書の正式なタイトルは『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』で、明治四十一年に発行所を東京市麹町区飯田川五丁目の国学院大学出版部、発行者を目黒和三郎、編輯者を村松岩雄として、上下巻で刊行されている。本扉裏には「国学院大学出版部〓(一字不明)」の朱印が大きく印刷され、同書が国学院大学出版部の嚆矢、もしくは満を持しての刊行であることを示しているかのようだ。同大学出版部の書籍はこの『類聚近世風俗志 』しか見ていないけれど、「国学院大学叢書」第一編の芳賀矢一編『日本趣味十種』(文教書院、大正十四年)は所持している。これにもやはり山中共古の「古銭の話」が収録されているからだ。このような事柄から推測すると、国学院大学は明治末期に出版部を立ち上げたが、長く続かず、大正時代に入って、出版物の流通と販売は、『日本趣味十種』を例とする文教書院などの外部の版元へと委託するようになったのかもしれない。
f:id:OdaMitsuo:20200831115127j:plain:h110(『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』、国学院大学出版部)f:id:OdaMitsuo:20200831120225j:plain:h110

 それらのことはさておき、『類聚近世風俗志』上下巻を見てみよう。私の架蔵本は菊判上製の裸本だが、それぞれ定価三円であるので、おそらく函入だったはずだ。編者はその序で、徳川の文化文政以後の泰西文物を詳述した記録はないと思っていたという前文に続けて、次のように述べている。

 然るに頃日図らず一書を得たり、守貞漫稿と云ふ。故喜田川季荘の筆になりて、其の載せたる所の編目は、先づ筆を時勢地理、人事家宅、生業通貨に起し、男女の扮粧、服装染織の変遷、華街狭斜の風情、歌舞音曲、梳沐傘屣、四季の慣例、日用の雑貨、童謡遊戯車駕に至るまで、洽く当時の社会の状態を写し来つて、前後三十余巻に及べり。殊に文化文政以後の情況を叙すること、頗る詳密を極む。盖しこれ著者深意の存する所こゝにあらむ。

 そして判明した限りでの喜多川と本稿の紹介を終えた後、「かく著者が一代の心血を注ぎ、畢生の脳漿を絞りしにも係らず、稿本の空しく筐底に納められて、徒らに蠧魚の巣窟に委せられんことを遺憾とし、茲に類聚近世風俗志と題し全編を刊行して之を江湖に分たむとす、学会若しこれによつて其の闕を補ひ、其の漏を充すことを得ば、吾人の幸又何ぞこれに過ぐるものあらん」と結ばれている。

 また「緒言」においては東京帝国図書館の貴重書のひとつである。ただ前集三十巻、後集四巻追補一巻の計三十五巻だが、そのうちの第二巻と第十七巻を欠いていると明記され、それを喜多川作成の「目録」で確認すると、「地理」と「女服」の二巻だとわかる。また「挿入せる絵画は一旦原書のまゝに謄写し、さらに之を写真により縮写彫刻して一も漏さず」とあり、挿絵がそのまますべて転載されたことも了解される。それから「巻首に細密な目録を付し索引に便ならしめたり」は新たに起こした目次を意味している。これは随筆であるから、表題もない場合も多く、それらを「要所」、もしくは「見出し易き語句」を抽出し、上巻だけでも五百を超える「目録」としたとの断わりも付されている。

 これらの「序」と「緒言」は、奥付に編輯者としてある室松岩雄の手になると判断できよう。先に監修者として松本愛重、山本信哉、編集、校丁者として、室松の他に古内三千代、保持照次の名前を挙げておいたけれど、主たる室松のことも消息がたどれない。監修者の松本に関しては、昭和十年の集古会名簿『千里相識』(書肆研究懇話会編、『書物関係雑誌細目集覧一』所収、日本古書通信社)に見出すことができる。それによれば松本は賛助会員で、安政四年生まれ、元学習院教授、現在同学院大学教授、「多年古事類苑編纂に従事」とある。また山本も同様で、国学院教授も務めている。ちなみに『世界名著大事典』の『古事類苑』を引くと、松本が明治十二年から四十年にかけての、主たる編集者だったことが述べられている。

 これらのことを考えると、室松たちの名前は『千里相識』にはないので、彼らは集古会関係者というよりも、『古事類苑』編集者で、『守貞漫稿』の単独出版を企画し、それが松本や山本を通じて国学院大学出版部の設立へともつながっていったのではないだろうか。


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