国学院大学出版部から刊行された『類聚近世風俗志』に対して、編者の室松岩雄が「序」で挙げていた「学会若しこれによって其の闕を補ひ、其の漏を充すことを得ば、吾人の幸又何ぞこれに過ぐるものあらん」との思いは通じたのであろうか。
(『類聚近世風俗志 原名守貞漫稿』、国学院大学出版部)
その出版に先駆け、幸田成友は書いている。彼は『大阪市史』の資料収集のために、上野の帝国図書館を訪れ、挿絵も本文も自筆である「細字の筆与本」「一大風俗志の稿本」に出会い、「守貞謾稿とその著者」(『幸田成友著作集』第六巻所収、中央公論社)を披露している。そこで守貞の「目録」も挙げ、「本書の特色」は「大阪、京、江戸三都を比較して記述した点」で、その例として「巻五飛脚屋」の部分を引用している。ちなみにまったく偶然ながら、昨夜DVDで、丸根賛太郎監督、市川右太衛門主演『天狗飛脚』(「日本名作映画集」39、Cosmo Contents)を観たばかりだ。
それはともかく、幸田は「今之を謄写しようとすると、挿画の多いため、大略百五十円以上もかかると云ふ見込なので、『大阪市史』編纂掛に欲しいことは山々であるが、また謄写に着手する交渉になつて居ない」と述べている。これは『図書館雑誌』第四号(明治四十一年十月)に掲載されたもので、まだ国学院大学出版部の『類聚近世風俗志』は出ておらず、幸田にしても、その出版企画や近刊情報をつかんでいなかったことになる。知っていれば、「大略百五十円以上」ではなく、わずか上下巻六円で入手できるのだから、ただちに発注し、『大阪市史』編纂の寄与としたであろう。
ところが編者の室松は幸田の「守貞謾稿と著者」を読んでいて、「序」に幸田の「守貞と云ふのは著者の名で、喜田川は北川を同君の美しい文字に改めたものと思はれる」の言を引用している。そしてその「序」と「緒言」はいずれも明治四十一年十一月付で記されていることからすれば、室松は幸田の同文を読み、ふまえた上で両者を書いているとわかる。
それから四半世紀が過ぎ、幸田は「外題替」(『同著作集』第七巻所収)の中で、『類聚近世風俗志』に再び言及している。こちらは『書物展望』第五巻第一号(昭和十年一月)に掲載である。そこで幸田は徳川時代に外題替の実例が少なくなく、それは「不真面目な本屋が既刊の書物を新版の如く見せかけて、顧客を索かうとする計略で、その目的は射利以外に無い」とし、次のように続けている。
かういふ悪弊が残つてゐるとすれば、それは現代の出版界の恥辱である。果して射利を目的としたか、どうか、そこまで言へぬが、(中略)明治四十一年に東京出版同志会なるものが『守貞謾稿』を出版し、『類聚近世風俗志』と改題した。(中略)然も同書の奥付を見ると、編輯者室松岩雄とある。故人の著者を復刻しながら、室松氏が自ら編輯者と称するのは甚だ奇怪である。室松氏は抑も何を編輯したのであるか、原本の巻数を分合し、順序に変更したのが編輯であるといふなら、我等はまた何をか言はんやである。
幸田は『近代出版史探索Ⅲ』420の欣賞会のメンバーで、その著作集の第六巻が『書誌編』と銘打たれているように、彼の書誌学者としての業績、及びその碩学を認めるにやぶさかではないけれど、室松がここまでけなされると気の毒に思われる。それもあって、前回室松の「序」と「緒言」におけるまったく「射利」的でないエディターシップを紹介しておいたのである。
もちろん私も『守貞謾稿』の実物は見ていないが、幸田にしてもその稿本を手にしたのはかなり前で、両者を比較検討した上でのものではない。なぜならば、「細字の筆写本」に加え、多くの挿絵がある「一大風俗志」の編輯と校丁は、「大略百五十円以上もかかる」「謄写」どころではない労力を必要とすることは自明のことだからだ。それを無視して、著者と自分の意図する『守貞謾稿』として出されなかったことに起因する非難は、編輯者室松への強い偏見と思いこみによるものと見なすべきではないだろうか。
それらの事情を推理してみると、幸田は見たのは国学院大学出版部版ではなく、東京出版同志会版だったことに端を発しているように思われる。それに幸田のポジションからしても、大学出版部に対して、「現代の出版部の恥辱」という発言はなされないであろう。それならばその真相は何か。江戸を再見するエンサイクロペディアとも称すべき『類聚近世風俗志』の出版は時期尚早の企画で、それに長期の編集費、また流通販売の不得手な国学院大学出版部ということも重なり、まったく売れなかったし、それは幸田にしても編集や出版の企画情報をつかんでいなかったことに示されていよう。その結果、編集製作費も含め、原価回収もおぼつかなった。あるいはまた大学出版部として、ふさわしくない書物という評判も立ったのかもしれない。
そこでその資金を捻出するために、東京出版同志会なる特価本業界に紙型が売られ、明治四十一年の初版日付と編輯者室松岩雄はそのままで、発行所が東京出版同志会と変えられた。そして様々な版が、書店というよりも特価本ルートによって流通販売されていく。その際にクローズアップされたのは第十八編の「妓扮」=遊女、第十九、二十編の「娼家」で、これらはとりわけ大きな挿絵も多く、『守貞謾稿』は「近世性風俗史」として受容されていったように思われる。
それによって『類聚近世風俗志』も幸田の思いだけでなく、その内実とかけはなれ、赤本的イメージが付着してしまった。そのために幸田による「外題替」のような、編輯に対する誤解も生じてしまったのではないだろうか。それを確認するためには東京出版同志会版を入手しなければならない。
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