出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話820 永田逸郎、フランシス・カルコ『モンマルトル・カルティエラタン』、春秋書房

 昭和十年前後のフランス文学翻訳ブームは、これまで取り上げてきた全集に値する文学者たちばかりでなく、マイナーポエットにまで及んでいる。それは前回のピチグリリではないけれど、その典型を昭和八年に刊行されたフランシス・カルコの『モンマルトル・カルティエラタン』に見ることができる。
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 しかもそれは訳者にしても出版社にしても、同じようなニュアンスが感じられる。訳者は永田逸郎で、明治四十年愛知県生まれ、昭和六年東京外語学校フランス語科出身である。戦後はアフリカのカメルーンに長く滞在し、アフリカ問題の専門家とされる。出版社は川村鐵太郎を発行者とする春秋書房だが、発売所は上田屋書店となっている。上田屋は取次で、明治三十九年に島崎藤村が『破戒』を自費出版した際に、発売元を引き受けていて、それを春秋書房も範としているのかもしれない。また永田と春秋書房は特別な関係が推測され、同じくカルコの『をんな一匹』、アンドレ・ペルジウ『近代文学の精神』(藤井哲郎共訳)をも翻訳刊行している。それらに加え、続いて第一書房からのピエール・マッコルラン『地の果てを行く』『女騎士エルザ』も同様である。

 カルコに関しては『世界文芸大辞典』に立項されているので、まずはそれを示す。

世界文芸大辞典

 カルコ Francis Carco (1886~1958)本名Carcopino、フランスの小説家、詩人、国有財産検査官を父として、フランスの流刑植民地エュウ・カレドニアの首府ヌメアに生れた。幼少の頃その地にあつて見聞した徒刑囚の生活は、後年は彼が好んで社会のどん底に生活する人々を材とするに至る素地をなしたものと言はれる。その後父の勤務上伴はれて南仏に移り住むに及び、その詩才を発揮して『流浪の民とわが心』“La Bohème et mon cœur”(1912)、その他ファンティジスト詩人たる面目を示した二三の詩集を公けにしたが、作家たる彼は、盗賊、アパーシュ、娼婦等モンマルトル辺に出没する人物を主題として現文壇に一特色をなし、且つかかる雰囲気を浮上らせるため、作中アルゴargot の自由な駆使を持つて注目されてゐる。(後略)

 ここで「盗賊、アパーシュ、娼婦等モンマルトル辺に出没する人物を主題」とする作品のひとつが、『モンマルトル・カルティエラタン』であり、ただそれには「芸術家放浪記」なるサブタイトルが付されているように、主として芸術家たちのポルトレを描いている。ちなみに「アパーシュ」とはごろつき、「アルゴ」とはスラングをさす。

 永田はその「訳序」において、このカルコの一冊に関し、モンマルトルやカルティエラタンの若い作家や画家たちが、「ヴィヨン、ヴェルレーヌを師表と仰ぎ、事毎に詩句を口吟み、文学を論じ、悪と貧困に身を委してゐた幾多の放浪芸術家の群の織りなせし生活よ! 仏蘭西現代文学絵画を知るに良き文献である」と述べている。だがカルコが『モンマルトル・カルティエラタン』を書いたのは一九二五年であり、もはやここに描かれた一九一四年頃の詩人や画家たちとは引き離され、風景も変わってしまった。「吁! 残るものは既に想出ばかり」と自らいう時代を迎えていたのである。

 そうして多くの詩人や画家たちがそのエピソードとともに召喚される。モンマルトルの庇護者のところにいたユトリロ、ラヴィニョン街「洗濯場」に住まうキュビスムの詩人マックス・ジャコブ、そこに共に住むピカソとアンドレ・サルモン、やはり詩人でコント作家、挿絵画家で特異な小説家ピエール・マコルラン、アポリネール、画家マリー・ローランサン、ジャン・コクトオ、モジリアニたちが、それらの写真と肖像、詩と作品を添えて語られていく。また名前も残していない画家や詩人も同様にして。それらはモンパルナス・カルティエラタンというモノクロ映画の多くの登場人物たちのようでもあり、その映画は第一次世界大戦の終焉後の一九二〇年のモジリアニの死で閉じられている。

 ここまできて、このカルコ主演の映画の共演男優の位置にあるのが、他ならぬピエール・マコルランと見なしていいのではないかと思われた。それゆえに永田はカルコに続いて、必然的にマコルランを翻訳するに至ったと見なせよう。内藤濯訳で、昭和六年に白水社からも『追ひつめられる男』が出されている。
f:id:OdaMitsuo:20180817211330j:plain:h120(『追ひつめられる男』)

 それからこの春秋書房版の奥付裏に鉛筆で、「カルコは二流の作家であっても、此のパリ放浪記は各国に翻訳されて多く読まれた……」と記され、さらに戦後に近代文庫の井上勇訳で読み、それが筑摩書房の『世界ノンフィクション全集』27で『パリ放浪記』として収録されたとも書かれていた。
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 とすれば、それは『巴里芸術家放浪記』(井上勇訳、講談社文芸文庫)ではないかと思い、確認してみると、創芸社から昭和二十八年に同タイトルで出され、四十七年に『パリの冒険者たち』(三一書房)としての改定再刊を底本とするとあった。「二流の作家」にしては日本において、それなりに長く読み継がれたことになろう。

巴里芸術家放浪記 (講談社文芸文庫)

 この『モンマルトル・カルティエラタン』を読みながら想起されたのは、アドリエンヌ・モニエの『オデオン通り』(岩崎力訳、河出書房新社、昭和五十年)であった。一九一五年にモニエはパリのオデオン通りの本の友書店を開いた。それは新しい時代の精神に目を向けた書店と貸本屋を兼ねた小さな店だったが、そこを「精神の王国」としたいと考えていたのである。
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 そこには『モンマルトル・カルティエラタン』にも出てくる詩人のポール・フォールやアポリネールも訪れるようになり、一九年のシルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店への開店へともリンクし、二十二年のジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の出版を実現させていったのである。これらのことに関しては、拙稿「オデオン通りの『本の友書店』」「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」(『ヨーロッパ 本と書店の物語』所収)を参照されたい。

ユリシーズ ヨーロッパ 本と書店の物語


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古本夜話819 ピチグリリ『貞操帯』と和田顕太郎

 もう一冊、建設社の単行本を取り上げておく。それは前々回、書名を挙げなかったけれど、ピチグリリ作、和田顕太郎訳『貞操帯』である。これは昭和六年の刊行なので、建設社の創業の翌年の出版物に位置づけられる。

 和田顕太郎は本連載791の『バルザック全集』の『現代史の裏面』の翻訳者であり、「解説」も書いているので、その名前を記しておいたが、プロフィルはわからない。ところがピチグリリのほうは『世界文芸大辞典』に立項が見出された。それほど期待せず、念のため繰ってみたのだが、さすがだと思われる。それらをまず引いてみる。
(『バルザック全集』)世界文芸大辞典(日本図書センター復刻)

 ピティグリッリ Pitigrilli(1893~1975)イタリアのユーモア作家。本名はディーノ・セーグレ Dino Segre といい、マッスィモ・ボンテンペッリと共にフランス・ユーモア翰林院の会員になつてゐる。観察眼鋭く、伝統を完全に無視する態度はイタリア人に嫌はれてドイツやフランスで云々される最も大きな原因の一つとなつてゐる。和田顕太郎訳『貞操帯』“La cintura di castita”(1920)の他二三の邦訳がある。

 建設社の『貞操帯』には函にしても本体にしても、立項の最後のところに見られるイタリア語タイトルが記載され、それはこの翻訳がフランス語からの重訳ではなく、イタリア語からの直訳であることを示唆しているのだろう。「序に代へて」という「作者と訳者」なる一文を寄せているのは丸木砂土で、彼はすでに本連載50でふれているように、秦豊吉のペンネームである。

 そこで丸木はピチグリリが「贅沢と、好色と、耽奇と、現代の作家」で、「伊太利のモオパツサン」だと指摘し、イタリアのベストセラー作家であり、すでに二十一ヵ国語に訳され、そこに日本語訳も加わったと述べている。そして「初めてこのピチグリリの日本訳を出す、訳者和田君」の「極めて温雅な、しかも洒麗た、その流暢な訳筆は、僕の極力推賞する処で」、「面白い作者と、好い訳者と、僕はこの二人を紹介するのが、大に愉快です」と結んでいる。

 艶笑随筆の書き手である丸木の結びつきは定かでないけれども、それに続く「ピチグリリ自叙伝」の次のような記述を読むと、「面白い作者と、好い訳者」に「大に愉快」になっている丸木の顔が浮かんでくるようだ。

 十九歳の時、眼鏡をかけた女に、年下の僕から恋をした。眼鏡をかけた女の裸体ほど、グロテスクなものはない。かふいふ恐ろしいものを見た撲は、将来に重大な影響を受けた。それは丁度、子どもの時ひどく驚いたりすると、大人になつても丈夫になれないのと同じである。

 この「自叙伝」を始めとして、十編が収録されているが、ここではやはりタイトルとなった中編「貞操帯」に言及すべきだろう。主人公の外科医を業とするチルメニ君は女友達に、あなたは乱暴だから恋人ならいいけれど、旦那には向かないといわれ、結婚せずに四十の阪を越えてしまった。すると友人が止めるのも聞かず、ある日、娘が一人いる未亡人と結婚した。だが金はあるのでずっと妾がいて、彼女は古強者のあばずれ女で、唄歌いであったことから声楽家と呼ばれていた。チルメニ君は結婚したけれど、若く美しい細君よりも、年を取った恋人である声楽家に真の愛を傾けていた。

 それでいてチルメニ君は細君のフエルカに嫉妬深く、「命の泉の傍にある女の粘膜が、ほかの男の粘膜に接触」することを怖れていた。それは中世の騎士の悩みと同じで、貞操帯のことすら思い浮かべるのだった。フエルカは夏の間、娘を連れて海岸の別荘で暮らし、夫を待つのだが、娘の家庭教師として、物理学者ハンス、神学者ナルデリ、元判事が同行していた。この三人は道徳家として認められ、娘のための同伴だったが、それはチルメニ君の依頼によるものであった。「実はこの三人が貞操帯を形作つてゐる。フエルカの腰にしつかり巻付いてゐる貞操帯」で、チルメニ君は「この三人の模範的道徳家を、粘膜の番人として付けて置く」ことにし、中世の騎士のような安心感を味わっていた。

 しかしその一方で、美しい細君と三人の道徳家は恋の戯れ、不義を想像せずにはいられないような海辺の環境の中にあった。そうして彼女の寝室に物理学者と神学者が続いて誘われ、元判事もボートの中で誘惑されてしまう。ところがチルメニ君は「何しろ番人が三人だから」、「粘膜の接触だけ」は「大丈夫、起らなかつた」と安心し、彼らにアルジェリア煙草でいっぱいになった金ぴかの箱を土産に持ってきたのである。

 その翌年、チルメニとフエルカはパリへ旅行し、貞操帯を展示してあるクリニュー博物館を訪れた。彼は病的なまでに嫉妬心の強いこともあって、パリにくるたびにそれを見ないではいられないのだ。するとフエルカが番人に尋ねる。その鍵は夫が戦場に持っていったのか、鍵はひとつなのかと。それに対し、番人は答える。どこの奥方も自分で金を出し、合鍵をいくつもあつらえていたでしょう。それを聞いて、フエルカは海辺の別荘での三人の男を思い出したが、チルメニのほうは「野蛮な器具」を惚々と見つけているだけだった。

 この「貞操帯」を読んだだけでも、丸木のいうところのピチグリリの「極めて温雅な、しかも洒麗た」文体と皮肉な男女観察、和田の「流暢な訳筆」がよく伝わってくるし、「面白い作者と、好い訳者」の組み合わせだと了承するのである。この一冊の他にも和田はピチグリリを訳しているのであろうか。

 なお最後に付け加えておくと、奥付の印刷所は、東京新しき村印刷場となっている。とすれば、建設社は創業したばかりであり、発行者の坂上眞一郎は白樺派と「新しき村」の関係者であったのかもしれない。


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古本夜話818 原久一郎訳『大トルストイ全集』と中央公論社

 前回の建設社、及び河出書房や白水社のフランス文学全集類と競うように、昭和十一年から十四年にかけて、中央公論社から『大トルストイ全集』全二十二巻が刊行されている。しかもこれは原久一郎の個人訳によるもので、入手しているのは昭和十四年五月の第二十回配本の第十五巻『人生問題・社会問題論集』だけだが、その「月報」において、原は「尊敬する読者諸兄姉へ」と題し、予約出版にもかかわらず、同巻の半年という「かくも甚だしい遅延」に対し、「心からおわびの言葉」を発している。確かに四六判上製七六六ページ、函入のどこにも定価記載はないので、これが一冊分の金額を先払いする予約出版システムで刊行されたことを示していよう。
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 しかしこの『大トルストイ全集』に関して、杉森久英が書いた『中央公論社の八十年』(昭和四十年)では言及されていない。それでいて、昭和八年からの坪内逍遥訳『新修シェーイクスピヤ全集』にはふれられ、その出版パターンが『大トルストイ全集』と類似していると思われるので、ここで書いておこう。実はこのシェーイクスピヤの全集は早稲田大学出版部が長きにわたって刊行し、同出版部の宝とされてきたことから、高田早苗出版部長が中央公論社に対し、それを横取りするのかと難詰し、坪内・高田両翁が仲違いするような有様で、それをなだめるために早大文科出身の有力者が中央公論社のために奔走し、説得に至ったとされる。これは正宗白鳥の証言に基づいている。
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 その早大出版部の『沙翁全集』の第三十五編『ヘンリー八世』(昭和三年)が手元にある。確かに中央公論社が「新修」を出すことは、坪内にとって改訳決定版は意味あることだったとしても、早大出版部版を絶版に追いやるに等しい企画だと考えられても仕方がないものだったと思われる。おそらく『大トルストイ全集』にも同様の経緯があったのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20180815222922j:plain:h120 (『沙翁全集』)

 石川弘義、尾崎秀樹の『出版広告の歴史』『大トルストイ全集』への言及があり、そこで次のようなキャッチコピーが引かれている。「曩に沙翁全集を刊行して我国文化の豊醇に寄与せる小社は、茲に再び起って、世界的大文豪トルストイ全集を世に贈るの壮挙を刊行する」「右に沙翁、左に杜翁、世界的大旆双流、濶天に翻飜たり。請う、太陽の如き巨人トルストイとともに光の中を歩まれよと」。

 先行する大正時代における春秋社の『トルストイ全集』の試みに関しては、拙稿「春秋社と金子ふみ子の『何が私をかうさせたか』」(『古本探究』所収)で既述している。それに続いて、新潮社も「トルストイ叢書」や「トルストイ小説文庫」を始めとして、重訳ではなく、ロシア語からの『戦争と平和』(昇曙夢他訳)、『アンナ・カレニナ』(原白光訳)なども出され、昭和に入ると、岩波書店から中村白葉や米川正夫たちによる『トルストイ全集』全二十二巻の刊行も始まっている。そこに原久一郎全訳の『大トルストイ全集』が企画されたことになり、その原こそは新潮社のトルストイやドストエフスキイの訳者の原白光に他ならなかったのである。
古本探究

 原久一郎は『日本近代文学大事典』に立項され、そこにペンネーム原白光の由来を知ることができる。ただ長いので、それを要約してみる。明治二十三年新潟県生まれ、新発田中学に進み、中村星湖の『少年行』に感激して創作家をめざし、四十三年、星湖の母校の早大高等予科に入学し、ロシア文学、とりわけトルストイの『アンナ・カレーニナ』を耽読し、大正三年に早大英文科を卒業し、東京外語ロシア語選科に通う。そしてロシア文学の研究と紹介に専念することを決意し、九年に早大露文科設置に伴い、講師となり、トルストイを講義するとともに、白光名義でのロシア語からの翻訳『アンナ・カレーニナ』を刊行する。十四年には早大を辞任し、ビリューコフ『大トルストーイ伝』の翻訳に取り組み、昭和二年から三年にかけて、新潮社で三巻を刊行するが、未完に終わり、完成は戦後を待たなければならなかった。その一方で、著書『トルストイ伝』(改造社)、翻訳『人生の道』『懺悔』(いずれも岩波文庫)を出し、自宅にトルストイ普及会を設け、出張講座、質疑応答、著作の頒布などに携わっている。これらの原の大正から昭和にかけての、トルストイに関わるトータルな活動を背景にして、中央公論社の個人訳『大トルストイ全集』の企画が成立したと考えていいだろう。
人生の道 懺悔

 しかし自伝ともいえる『トルストイと私』(毎日新聞社、昭和四十七年)には、中央公論社からの『大トルストイ全集』の刊行に関する経緯や事情はまったくふれられておらず、結局のところ、中央公論社社史にも、原自身の証言も残されなかったことになる。双方にとっても一大出版プロジェクトだったはずなのに、どのような事情が潜んでいるのだろうか。
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 なお所収の「略年譜」には、昭和十七年から三笠書房の『ツルゲーネフ全集』全十七巻の刊行が記されているが、戦時下のために完結しなかったとある。こちらのことも、『トルストイと私』には何の言及もなかったことも付記しておこう。
f:id:OdaMitsuo:20180816201010j:plain:h120(『ツルゲーネフ全集』、第8巻)


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出版状況クロニクル124(2018年8月1日~8月31日)

 18年7月の書籍雑誌推定販売金額は919億円で、前年比3.4%減。
 書籍は439億円で、同6.0%減。雑誌は480億円で、同0.8%減。
 雑誌の内訳は月刊誌が384億円で、同0.6%増、週刊誌は96億円で、同6.2%減。
 月刊誌が前年を上回ったのは16年12月期以来のことだが、それは前年同月が17.1%減という大幅なものだったことに加え、コミックスやムックの返品が大きな改善を見たことによる。
 返品率は書籍が41.8%、雑誌が43.2%。
 しかし月刊誌の増や返品率の改善といっても、西日本豪雨の被害の影響で、輸送遅延が長期化し、中国、四国、九州エリアで、7月期には返品できなかったことも大きく作用していることに留意すべきだろう。
 それに記録的な猛暑と豪雨の影響を受け、書店店頭状況も、書籍が6%減、雑誌の定期誌8%減、ムック3%減、ただコミックスはジャンプコミックスの人気作もあり1%減。
 18年のマイナスは7月でついに600億円を突破し、2の大阪屋栗田の17年売上高に迫りつつある。
 


1.出版科学研究所による2018年上半期の 紙+電子出版市場の動向を示す。

2018年上半期 紙と電子の出版物販売金額
2018年1〜6月電子紙+電子
書籍雑誌紙合計電子コミック電子書籍電子雑誌電子合計紙+電子合計
(億円)3,8102,8926,7028641531081,1257,827
前年同期比(%)96.486.992.0111.2109.396.4109.394.2
占有率(%)48.736.985.611.02.01.414.4100.0

2017年上半期 紙と電子の出版物販売金額
2017年1〜6月電子紙+電子
書籍雑誌紙合計電子コミック電子書籍電子雑誌電子合計紙+電子合計
(億円)3,9543,3277,2817771401121,0298,310
前年同期比(%)97.391.594.5122.7114.8121.7121.597.2
占有率(%)47.640.087.69.41.71.312.4100.0

 前回は表が多かったこともあり、紙の出版物だけを取り上げ、電子出版市場に関してはふれなかったので、今月はそれに言及してみる。
 上半期の紙と電子出版物販売金額は7827億円で、前年比5.8%減。そのうちの電子出版市場は1125億円で、同9.3%増で、金額にしても96億円のプラス。そのシェアは2%増の14.4%で、書籍は48.7%、雑誌は36.9%となる。
 電子出版の内訳は電子コミックが864億円で、同11.2%増、電子書籍が153億円で、同9.3%増、電子雑誌が108億円で、同3.6%減。
 電子コミックシェアは76.8%に及び、二ケタ成長を続けているが、17年の同期22.7%増と比べれば、半分以下の伸び率である。
 それに電子雑誌が始めてのマイナスとなったことで、これは読み放題サービス会員の減少が原因とされる。だが前年同期が21.7%増だったのだから、大幅な落ちこみで、やはりそれは下半期も続くと見るべきだろう。
 出版科学研究所のデータからすると、明らかに電子出版市場も頭打ちの兆候を示し始めている。

 その一方で、インプレス総合研究所も17年度の電子書籍市場規模を発表している。それによれば、17年度は2241億円で、前年比13.4%増。その内訳は電子コミックが1845億円で、同14.1%増、そのシェアは82%を超える。電子雑誌は315億円、同4.1%増、文芸、実用、写真集などは396億円、同10.3%増。
 無料のマンガアプリ広告市場は100億円の大台に達したが、電子コミック市場の成長は鈍化しつつあり、電子雑誌の将来も不透明とされている。
 それでもインプレス総研は、2022年の電子出版市場規模は2017年度の1.4倍にあたる3500億円規模を予測している。
 しかし5年先どころか、出版業界は数年先がどうなっているのかわからない状況にあるのは自明なことで、電子出版市場もまたそれと併走していることを認識すべきだろう。



2.『日経MJ』(8/1)の17年度「日本の卸業調査」が出された。「書籍・CD・ビデオ部門」を示す。

■書籍・CD・ビデオ卸売業調査
順位社名売上高
(百万円)
増減率
(%)
営業利益
(百万円)
増減率
(%)
経常利益
(百万円)
増減率
(%)
税引後
利益
(百万円)
粗利益率
(%)
主商品
1日本出版販売579,094▲7.32,3667.22,5505.972112.5書籍
2トーハン443,751▲6.84,452▲29.42,413▲42.975813.4書籍
3大阪屋栗田77,037▲3.9書籍
4図書館流通
センター
45,1315.31,648▲12.41,841▲10..61,05817.6書籍
5日教販27,367▲0.84029.221883.219010.7書籍
9春うららかな書房3,617▲6.0書籍
MPD180,793▲3.9417▲50.0418▲50.52124.3CD

 前回の本クロニクルなどで、大阪屋栗田やMPDが業界紙を始めとして、公式に決算発表をしていないことにふれておいた。しかし流通業界の恒例の調査なので、無視できなかったのであろう。
 ただそうはいっても、大阪屋栗田は売上高と伸び率だけで、大赤字の実態は露出していない。
 MPDの売上高は1807億円で、前年比3.9%減だが、営業利益、経常利益は双方とも半減していて、これが決算発表を避けた要因だと推測される。
 日販とトーハンの大幅なマイナスは雑誌の凋落とクロスし、それが18年も続いているわけだから、両社が赤字に追いやられることも想定できよう。流通業の場合、採算売上を割りこめば、急速に赤字が増大していくとされるし、それは取次そのものが置かれている流通状況に他ならないだろう。
 そのような減収の中で、昨年とは逆に日販のほうは増益、トーハンのほうは減益というコントラストを示しているが、そのうちにMPDも含め、様々なメカニズムの矛盾が露出してくると思われる

 それから17年調査の特色は税引後利益で、TRCが日販、トーハンを上回ったことであろう。粗利益と返品率の問題が絡んでいるが、出版業界のとりあえずの勝者は、主流ではないTRCと公共図書館ということになってしまうのだろうか。



3.『新文化』(8/9)がトーハンの近藤敏貴新社長に「トーハン課題と未来像」というインタビューを掲載しているので、それを要約してみる。

基本的な経営方針は「本業の復活」と「事業領域の拡大」です。
トーハンの本業は書店を通じ、本を売っていくことで、取引書店の繁栄を第一に考え、それが出版社の繁栄、ひいては社会や文化の発展につながるし、そうした考えがDNAとしてトーハンに脈々と引き継がれている。しかし書店の事業環境が非常に厳しくなっているので、サポートするために、物流改革、利益の適正な再配分が必要だし、その改革ができなければ、出版を支える公器としての取次の存在意義が問われる。
物流網が非常に疲弊し、トーハンだけではその運賃値上げをとても吸収できないので、出版社にその支援をお願いしている。それに出版流通を支える雑誌、コミックの売上低下の中で、書籍を中心とする流通構造を構築するために、書籍の赤字の改善も必要である。
多くの出版社が状況を理解し、早々に回答してくれているし、まだ十分な回答を得られず、交渉を継続している出版社もある。
書店マージンも重要な課題だが、返品も減らしていかないとその原資が確保できない。新刊委託制を見直し、プロダクトアウトの発想から、マーケットインの受注生産出版構造にシフトしていかないと、返品減少と書店の粗利向上は不可能だろう。
ICタグは1個4~5円なので、定価を上げてコストを吸収できるだろうし、導入できれば、出版社、取次、書店の仕事は劇的に変わり、検品や棚卸しも不要で、事故品の追跡調査や万引防止にも活用できる。
そのシミュレーションのために、営業統括本部にAIとデータキャリアの導入というミッションを与え、AIに関してはまず雑誌と書籍の配本を考えている。
「本業の復活」に向けて市場開発方針があり、地方だけでなく、都市部の生活圏内にも書店のない区域がめずらしくないので、商圏人口や商業業種動向などを見ながら、デベロッパーや書店と組んで、常に出店可能性をリサーチしている。
今期上半期の紙市場の規模は、過去最大の減少率の前年比8.0%減で、衝撃をもって受け止めた。生半可なことでは回復できないし、一刻も早く委託制度に依存しない書籍を主軸とする出版流通を確立しなければならない。
カフェ、文具、雑貨は本を売るための取次事業であり、「事業領域の拡大」はそれ以外の領域で、介護事業や不動産事業が該当する。グループ会社トーハン・コンサルティングでは2棟目の介護施設を東京の西新井に建設中で、不動産事業も京都支店跡地にホテルが完成する。また本社の再開発経計画も控えているし、M&Aも含めた新規事業開発も積極的に考え、グループ経営をより重視していく。
本社再開発計画は東五軒町の本社ビルを立て直し、敷地一帯を再開発し、新本社ビルは2021年春をめどに完成させたい。現在本社内での書籍新刊物流は和光市に最新の作業所を確保したので、来年のゴールデンウイークに移転を考えている。
これらは大きな投資であり、数年がかりのプロジェクトとして、「本業の復活」と「事業領域の拡大」を絡めて進めていく。


 本クロニクル119で、大阪屋栗田が株主にしか目が向いていないこと、日販の「非常事態宣言」は日販傘下書店とCCC=TSUTAYAの売上状況の悪化を背景にしていることを既述しておいた。

 それにならえば、トーハンは「事業領域の拡大」を最大の目的としていることが伝わってくる。「本業の復活」に関して、プロダクトアウトの発想から、マーケットインの受注生産型の出版構造へのシフト、ICタグの導入による出版業界の仕事の劇的な変化、AIとデータキャリアの導入というミッションなどがまことしやかに語られている。だが、それらがただちに「本業の復活」にリンクしていくとはとても思えない。本気でそう考えているとすれば、現在の出版状況を直視していないといわざるをえない。
 
 日販の「非常事態宣言」には、傘下書店ともども沈没していくという危機感が見られたが、トーハンの場合にしても、同じように傘下書店売上は700億円から800億円に及んでいるはずだ。だがこのインタビューに感じられる限り、それらは他人事のようでもあり、それゆえにトーハンは「本業の復活」というよりも、「事業領域の拡大」にしか目が向いていないと判断するしかないだろう。
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4.三洋堂書店はトーハンとの資本業務提携、第三社割当による新株式の発行を決議。
 これによりトーハンが三洋堂書店の筆頭株主となる。

 まさにのトーハンの「事業領域の拡大」ではないけれど、三洋堂も雑誌やDVDレンタルの凋落の中で、コインランドリー事業、教育事業、フィットネス事業などを導入してきている。
 しかし本クロニクル122でふれておいたように、純利益は500万円という「かつかつの黒字」で、今期予想は純損失3億円と見込まれている。それもあって、金融機関からの借り入れではなく、トーハンからの直接金融による資金調達が選択されたのであろう。
 だが書店の「事業領域の拡大」も容易ではなく、コインランドリーや教育事業は苦戦していると伝えられている。
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5.日販傘下のリブロ、万田商事(オリオン書房)、あゆみBooks の3社が合併し、新会社としてリブロプラスを設立し、日販関連会社NICリテールズの100%子会社となる。3社は首都圏を中心に、14都府県に89店を有する。

 新会社の資本金は1億円で、統合によって、書店事業の未来につながる店舗づくりに向けた投資、リノベーションを進めるとされているが、ここに集約されているのは、取次による書店経営は可能かという問題のように思える。

 大阪屋栗田のケースは、出版社が取次を経営することの不可能性をあらためて教えてくれたが、それは取次と書店の場合にも当てはまるのではないだろうか。ましてそれぞれ異なる立地や店舗を統合し、新たな書店ブランドを取次が立ち上げることは困難だというしかない。たやすくそれができるのであれば、それまでの書店の苦労は何だったのか、ナショナルチェーン化すれば問題は解決するかといった疑念が生じてしまう。
 そのケーススタディをで見たばかりではないか。



6.これも日販のNICリテールズとファミリーマートは、書店とCVSを一体化した新業態店の展開に向けて、包括提携契約を締結。
 その1号店として、積文館書店の佐賀三日月店(佐賀・小城市)を改装。
 売場面積は160坪で、書店エリアは100坪、CVSエリアは60坪。レジは一ヵ所に集約し、営業時間は午前10時から午後9時までが24時間営業に変更。

 『出版状況クロニクルⅤ』で、ちょうど1年前の兵庫県加西市の西村書店とファミマの融合のケースを紹介しておいた。その背景には日販が書店存続の最終手段として、ファミマにコンビニ書店展開を持ちかけたこと、ファミマにとってはFCオーナーの確保と新規出店が結びつくことも挙げておいた。

 しかしその後、単独書店の参加は続かなかったので、日販は傘下書店を新業態店に組み入れるしかなかったと判断できよう。その第一の目的は、ファミマと提携することによる家賃コストの軽減であり、そこまでしなければチェーン店の維持ができないところまできていることを意味している。
 もし日販が今後も次々とファミマとのコンビニ書店を展開していくのであれば、それをあからさまに証明していることになろう。
 それは北陸でも始まっていて、富山県のファミリーブックスは、北陸地方で初めてのコンビニ書店「ファミリーマート+ファミリーブックス福光店」(南砺市)を開店する。
出版状況クロニクルⅤ



7.習志野市のBooks昭和堂と東京中央区のLIXILブックギャラリーが閉店。
 前者は1986年開店で、手書きpop による『白い犬とワルツを』(新潮文庫)を平台販売で書店発リバイバル・ベストセラー化へと導いた。後者は1988年にINAXブックギャラリーとして開店し、ショールームとギャラリーを併設し、建築、デザイン、インテリア書などをメインに販売していた。


白い犬とワルツを

 Books 昭和堂の手書きpop による平台販売は、現在に至る書店員の手書きpop の嚆矢といえるだろうし、INAXブックギャラリーは90年代に営業にいったことがある。
 だがどちらも30年間にわたってそこに存在していたわけだから、閉店後は何らかの空白感に包まれるのではないかと察せられる。本クロニクル121の青山ブックセンター六本木店、同118の幸福書房と同じようにして、町から書店が消えていくことになる。
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8.日販から出版者社に「計算書および関連帳表のご提供方法変更のご案内」が届いた。
 それによれば「計算書」「計算明細書」「控除明細書(及びその補正資料)」について、紙の郵送を廃止し、インターネット画面でのデータ提供に移行する(WEB化)とし、移行時期は2019年2月予定とされる。
 その利点として「帳票情報取得の早期化」「データ活用による業務効率化」「控除の明細書の様式統一」が挙げられている。
 日本出版社協議会はそれに対し、以下の4つの問題を挙げているので、それを示す。


(1)インターネット画面でのデータ提供は、第三者へ取引内容を記した文書を私、そこからその文書を取得することを強制する仕組みである点。
(2)上記の仕組みを使用する場合、第三者(サーバー会社等)へIDやメールアドレスなどの自社の情報の登録を強いる点。
(3)「控除明細書」には物品代、運送料運賃類、広告費、売上値引や歩戻など各種の取引条件が含まれ、通常その通知は「信書」扱いとされ、その通知方法の変更が行われる場合、双方の同意が不可欠である点。
(4)その同意がない場合は、従来通り、郵送でなければならない点。

そしてこれを添え、会員各社に「緊急アンケート」を配信している。

 これは6月下旬から7月にかけて、日販から文書として届いているが、業界紙などでも報じられていない。出版協のアンケートにしても、7月下旬配信で、まだそれらの集計が出ていないこともあり、本クロニクルでも注視を続け、レポートしていくつもりである。
 またこちらはトーハンだが、小出版社の新刊配本に対し、総量規制ならぬ総量緩和が起きていて、これまでより多い仕入れが生じている。だがこれも大手出版社でも同様なのか、まだ確認できていない。こちらも続けてレポートしていきたい。



9.本クロニクル121で、文春の内紛を伝えたが、その後「文藝春秋 木俣正剛常務取締役による『社員の皆さんへ』というメール」が出回り、そこには文春の社長人事の内紛事情がしたためられ、次のような文言が見える。

 いうまでもなく出版不況はさらにこれから厳しさを増すでしょう。そのなかで生き残る のに問われるのは、なぜ文藝春秋という会社がこの国に必要なのか、文藝春秋が日本人の ために何ができるのかを常に自戒することだと思います。私は文藝春秋という会社は日本 にとって大切な会社だとずっと思ってきました。ただ、数字的に生き延びればいい、という会社ではあってはならないと思いますし、これからもそうであってほしい。


この一文を引いたのは、「文藝春秋」を「出版業界」に置き換えて読むことができるからだ。ただ残念なのは、木俣が依然として「出版不況」というタームを使っていることで、やはり出版業界の人々は、自分がいた場所とそこでの体験を通じてしか、出版とその状況を理解できず、語れないと実感してしまう。

 これはもはや今世紀初頭の話になってしまうけれど、文春の労組に呼ばれ、文春で講演したことがあった。そこで再版委託制に基づく近代出版流通システムが崩壊していること、書店のバブル出店と郊外消費社会の関係、ブックオフとCCC=TSUTAYAの台頭による書店の退場、公共図書館の増殖などを挙げ、すでに出版状況は危機を迎え、このまま書籍の再版委託制を続けていけば、その危機は加速していくばかりだと話してきた。
 おそらく木俣たちもその場にいたはずだが、当時は誰も理解しておらず、現在のような出版状況、それに重なるような文春の内紛が生じるとは予想もしていなかったにちがいない。
 その頃、私は同じことをダイレクトに、小学館の相賀社長、ジュンク堂の工藤社長にも伝えたし、それは新潮社や岩波書店も同様である。しかし彼らにしても、木俣や文春と同じだったことがよくわかる。

 結局のところ、私の出版危機論は一部の人にしか理解されず、ついにはここまできてしまったというしかない。



10.筑摩書房は大宮の老朽化した物流倉庫「筑摩書房サービスセンター」を閉鎖し、在庫の保管や物流を小学館グループの昭和図書に移す。

 それに伴い、1100坪の敷地は売却されるようで、すでにその金額も固まっていると伝えられている。
 前回の本クロニクルでも既述したが、社長の交代と倉庫用地の売却はパラレルで進められたことになろう。
 でトーハンの本社内書籍新刊物流が和光市の最新作業所に移されることにふれたが、日教販も本社内の教科書物流機能を、京葉流通倉庫の笹目流通センター(埼玉県戸田市)に移管する。



11.彩流社が京都のIT企業コギトにM&A され、コギトグループの一員となった。
 ただし代表取締役には竹内淳夫が引き続き就任し、出版事業に何ら変更はないと発表されている。

 これまでも本クロニクルで多くの出版社のM&Aを伝えてきたし、それによって出版物が変わってしまった例も見てきた。だが幸いにして、彩流社は経営者も出版物も変わらないままということなので、まずはよかったというべきだろう。
 出版社のM&Aをめぐっては水面下で多くの交渉がもたれているようだが、買収企業が定かでなく進められている場合も多くあるようで、これはこれで一筋縄ではいかない世界なのであろう。



12.岩田書院から創立25周年となる2018年『図書目録』を送られた。
 そこには「25周年記念謝恩セール」の案内とともに、「新刊ニュースの裏だより2017・5~2018・3」も収録され、次のような「売上高・出版点数推移」が公開されている。

 1997年(創立4年目)が売上8730万円で新刊31点、これに対して、昨年2016年(創立23年目)が同じ8780万円で40点、しかも1997年は総点数が98点に対して、2016年は10倍の984点に達しているにもかかわらず、である。
 これは、いかに新刊1点あたりの売上が落ちているか、ということと、既刊本の点数がいくらあっても、売り上げとしては あまり期待できない、ということを示している。途中の2006年の谷間は何か?、なんでだろう。そんな大きな企画があったわけではないし、よく判らないが、いずれにしろ、出版社は新刊を作り続けなくてはならない、ということか。


 かつては在庫点数が増えるほど、出版社の財産となると信じられたけれど、そうした神話はとっくに失われてしまったのである。
 出版点数が10倍になっても、売上高はまったく変わらないという出版社の恐るべき現実がここに語られている。
 それは大中出版社も例外ではなく、小出版社と同様に「新刊を作り続けなくてはならない」現実を浮かび上がらせている。



13.『選択』(8月号)が「滅びゆく『大学出版会』」という記事を発信し、次のように始めている。

 学者、研究者が自らの研究成果を世に問う学術書を出す機能を担う大学出版会の衰退が加速している。東京大学出版会、慶應義塾大学出版会などトップ大学の出版会すら経営は実質赤字。経営破綻し、民間の出版社に業務を丸投げした名門大学の出版会もある。学術的価値よりも「売れる本」づくりに走る出版会も多く、肝心の学術書は科研費や研究者の自己負担でようやく日の目をみる、といった状況だ。日本語で書かれた学術書は世界に市場を持たないという事情はあるにせよ、大学出版会の惨状は日本の「知の衰退」そのものを映し出しているようだ。

そして実際に大阪大学出版会、名古屋大学出版会、慶応義塾大学出版会などの例が挙げられ、安定収入だった教科書出版の激減、大学や国からの助成金、著編者負担金が出版収入を上回る実態がレポートされている。

12の岩田書院ではないけれど、東大出版会の『知の技法』などを例外として、おそらく既刊書もまったく売れなくなっているのだろう。それほど「全国の大学出版会の本は売れていないのだ」。
 これが一般の出版社と変わらない大学出版会の現在の姿といえるであろう。
知の技法



14.同時代社から三宅勝久『大東建託の内幕』を送られた。

大東建託の内幕

 同書はアマゾンの隠れたるベストセラーとなっているようで、それを受けて『朝日新聞』(7/26~28)で、「サブリースリスク」が付された「負動産時代」特集が組まれたといっていい。
 スルガ銀行に端を発したサブリース問題はレオパレス21や大東建託にも及び、18年はサブリース破綻元年になるのではないかとも伝えられている。しかもそれにリンクする個人の賃貸アパート向け融資残高は23兆円に達していて、これが日本版「サブプライムローン問題」となって現実化するのではないかとも観測されている。

 「サブリース」とは『大東建託の内幕』に詳しいが、オーナーが建てたアパートなどを建設業者が一括で借り上げ、家賃も一括で支払うシステムをさしている。
 それならば、出版業界との関係はないように思われるかもしれないが、大手ハウスメーカーなどはこのシステムを利用し、テナント開発を行なってきたのであり、それを通じて1980年代以後の郊外消費社会も形成され、そこでは書店も例外ではなかったのだ。

 実際に書店の大手ナショナルチェーンは大手ハウスメーカーと組み、資産家を対象としてフランチャイズ展開をしていたし、その建物と商品代金の巨額な投資は自殺者まで発生したと伝えられている。これは資産家と大手書店FCを直接リンクさせているとはいえないけれど、サブリース商法の一環として、生み出されたことは間違いない。
 このサブリースの第一の特徴は建築費が高いことで、それが家賃へと反映され、商業テナントも同様である。だがその代わり、サブリースを導入したことで、テナント側は家賃は高いけれど、賃貸拘束期間も他に比べて短く、どちらかといえば、容易に出店、閉店できる。また1990年に入っての大店法の規制緩和と2000年の大店立地法の成立も相乗し、店舗は大型化していき、そこには多くの場合、サブリースが応用されていた。そして当然のことながら、家賃は高くなり、ビルテナント、ショッピングセンターにも及び、その結果採算がとれる業種とそうでない業種に分かれていった。その後者の典型が書店の大型複合店で、しかも雑誌とレンタルの凋落を受け、現実的に高い家賃を払えない状況を招来している。その表われの一端が、書店マージン30%要求だと見なすべきだろう
 
 本クロニクルはずっと書店の出店をバブルだと指摘してきたが、それはこのようなサブリース問題を含んだ出店メカニズムに注視してきたからである。
 それからこれは稿をあらためてけれど、CCC=TSUTAYAに象徴されるフランチャイズ展開もサブリースシステムといえるだろう。取次に対し、フランチャイジーの支払いを一括で引き受けることによって成立しているのだから。
 また郊外消費社会成立のメカニズムに関しては、拙著『〈郊外〉の誕生と死』『郊外の果てへの旅/混住社会論』を参照されたい。
『〈郊外〉の誕生と死 郊外の果てへの旅

 

15.『脈』(98号、地方・小出版流通センター扱い)が特集「写真家潮田登久子・島尾伸三」として届けられた。 

f:id:OdaMitsuo:20180825162338j:plain:h113 みすず書房旧社屋(『みすず書房旧社屋』)

 『脈』は那覇市の比嘉加津夫を編集発行人とする文芸同人誌で、友人がずっと恵送してくれることもあって、愛読している。『脈』は沖縄に関係する人々の特集をマインとしているのだが、今回の特集は思いがけないものだった。
 とりわけ巻頭の『みすず書房旧社屋』の写真家である潮田の「本と景色と私」における17の「PLATE」は近代から現在にかけての本の生々しい景色を物語っているようで、現在のメタファーとなっていると思われた。またそれに続く島尾伸三による島尾敏雄の写真も興味深い。
 ちなみに『脈』96号は「芥川賞作家・東峰夫の小説」、97号は「沖縄を生きた島成郎」を特集し、次の99号は「吉本隆明が尊敬した今氏乙治作品集」(11月刊行)予定となっている。



16.「出版人に聞く」シリーズ番外編2として、関根由子『家庭通信社と戦後五〇年史』が8月下旬に刊行された。
 論創社HP「本を読む」㉛は「『二十世紀の文学』としての集英社『世界文学全集』」です。

家庭通信社と戦後五〇年史

古本夜話817 建設社と『ジイド全集』

 前回、昭和十年代に入って招来した、第一書房と白水社を中心とするジイドの時代にふれたが、両社に先駆け、いずれも昭和九年に『ジイド全集』が建設社金星堂から刊行されている。金星堂版は後述するつもりなので、ここでは建設社版を取り上げておきたい。本連載75でその第三巻にふれているが、昭和十一年に出された「新修普及版」全十二巻のうちの一冊を入手したからである。その第十巻には「自伝・評伝」として、『一粒の麦もし死なずば』『文学と倫理』が収録され、これも偶然のことながら、翻訳は堀口大学によっている。

f:id:OdaMitsuo:20180813160604j:plain:h120(建設社版、第十巻) f:id:OdaMitsuo:20180813144346j:plain:h120 (新修普及版)
f:id:OdaMitsuo:20180813155456j:plain:h120(金星堂版)

 この前版、昭和九年の「建設社決定版」としての『ジイド全集』のコンセプトは次のようなものだった。

 アンドレ・ジイド。現世紀のあらゆる苦痛と混乱とを身を似て体験したこの大才。彼の呈出する問題はまさしく吾々の問題である! 今やジイドの名は文学界を揺がし、思想界を動かし、轟々たる毀誉褒貶の渦を巻起して、ほとんどその止るところを知らぬ。しかも彼の真の姿は変貌に変貌を重ねて、容易に近づくを許さぬ所、この時に当り、吾社は十分なる用意の下に、ジイドの豊穣複雑なる全貌を吾国に紹介せんとし、彼の全作品にそれぞれ当代望み得べき第一人者を配し、責任ある定訳を網羅してジイド邦訳全集決定版を刊行し、既に六冊配本し、決定版として江湖の賞讃を恣にす。

 そして翻訳陣として、これまで本連載791などで挙げてきた東京帝大、京都帝大仏文科出身者を中心とする二十六人が列記され、その中には意外なことに大仏次郎もいて、これは未見だが、第八巻の『重罪裁判所の想ひ出』を担当しているようだ。また装幀はこれもやはり青山二郎によるもので、ここでも訳者の小林秀雄たちとのコラボレーションを伝えている。

 実はこのキャッチコピー的な案内を見つけたのは『ジイド全集』においてではなく、本連載792で挙げたクルティウスの『バルザック論』の、フランス語からの重訳『バルザック研究』の巻末広告によってだった。これは昭和九年に同208の長谷川玖一訳で、建設社から出され、所持していたけれど、重訳ということで言及しなかったのである。しかしこの一冊は『ジイド全集』のことだけでなく、建設社の当時の出版目録も兼ねているように思われた。同343で、そこにも見える今和次郎たちの『考現学採集』を取り上げてきたが、その出版物の全容はほとんど判明していなかったからだ。
f:id:OdaMitsuo:20180814094639j:plain:h120

 それに加えて、建設社に関して、かなり長きにわたって留意してきたけれど、『日本出版百年史年表』の昭和五年のところに、「9・20 合資会社建設社創業(代表:坂上眞一郎)、哲学・経済・文芸書出版」とあるのを見出しただけで、奥付から住所が牛込区揚場町であることはわかっても、他にまとまった言及に出会っていない。それは刊行物についても同様だった。

 そのような時に、『バルザック研究』を入手し、単行本リストといったものを目にすることができたので、主たるものを挙げておこう。まずバルザック関連から示せば、本連載191の犬田卯訳の農民小説の白眉『レ・ペイザン』、園池公坊の劇映画歌劇紹介『ソヴエト演劇の印象』、岡不崩の古今独歩の大著『万葉集草木考』、林甕臣の遺稿出版『日本語原学』など、武田忠哉の新即物主義論集『ノイエ・ザハリヒカイト文学論』、小泉哲の蕃社研究、社会学的研究の『蕃郷風物記』『台湾土俗誌』、帝大独文学会編『独逸文学研究』、「独逸文芸学叢書」としてのベーターゼン、芦田弘夫訳『文芸学概論』、武田忠哉訳『文芸学の法則』、長野勲の先人未踏の研究『阿倍仲麿と其時代』、関衛の欧亜技術伝来史『西域南蛮美術東漸史』、外山卯三郎の考証文献的名著『日本初期洋画史考』、廣畑茂の貨幣及金融関係『支那貨幣史銭荘攷』、橘孝三郎の身と愛郷塾教典、名著の『農村学(前編)』『農学本質編』など、口田康信の自治指導の原理『新東洋建設論』といったラインナップである。
f:id:OdaMitsuo:20180814102130j:plain:h120(『文芸学の法則』)

 これらに『ジイド全集』と『カロッサ全集』全七巻が加わるわけだが、何か出版物の組み合わせが焦点を結んでこないように思われる。ソビエト演劇、万葉集と日本語学、ドイツ文学、美術史、中国貨幣史、農本主義者の著作類といった出版物の、よくいえば多様性、ひるがえって脈絡の無さは何に起因しているのだろうか。それに『カロッサ全集』は帝大独文学会と『独逸文学研究』の関係からと推測できるが、『ジイド全集』に関しては『バルザック研究』や『レ・ペイザン』の訳者たちとはリンクしていないので、どのように企画が成立したのかをうかがうことができない。
f:id:OdaMitsuo:20180814105147j:plain:h120(『カロッサ全集』)

 そこで必然的に考えられるのは、創業者の坂上眞一郎のプロフィルとそのポジションであるし、長谷川玖一が『バルザック研究』の「後記」で阪上とともに謝意をしたためている佐佐木秀光という建設社の編集者らしき人物によっているのかもしれないという推測である。

 だがいずれにしても、これからも建設社のことは続けて注視していきたいと思う。


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