出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話991 近代社『神話伝説大系』

 前々回に中島悦次の証言を引き、昭和二年に恩師の松村武雄の『神話伝説大系』全十八巻が刊行され始め、神話研究にとって恵まれた年だったことにふれておいた。
f:id:OdaMitsuo:20200112112209j:plain:h100(近代社版)

 この近代社の『神話伝説大系』は裸本で函の有無は不明だが、十年以上前に全巻を入手しているので、その各巻明細、編著者を含め、挙げてみる。これは昭和五十年から名著普及会によって全四十二巻で復刊されているけれど、近代社版の明細などはよく知られていないと思われるからだ。
f:id:OdaMitsuo:20200112113320j:plain:h100(復刻版)

1 中島孤島編 『エヂプト神話伝説集』『バビロニヤ・アッシリヤ神話伝説集』『ギリシヤ・ローマ神話伝説集(補遺』)
2 場睦夫編 『印度神話伝説集』、松村武雄編『波斯神話伝説集』
3 内田保編 『ヘブライ神話伝説集』、松村武編『パレスチン民間神話伝説集』
4 中島孤島編 『希臘羅馬篇』
5 村武雄編 『北欧神話伝説集』
6 村武雄編 『独逸神話伝説集』
7 八住利雄編 『愛蘭神話伝説集』
8 中島孤島編 『英蘭神話伝説集』、内田保編『蘇格蘭神話伝説集』
9 井上勇編 『仏蘭西伝説集』、昇曙編『露西亜神話伝説集』
10 山崎光子編 『白耳義伝説集』『墺太利伝説集』『匈牙利伝説集』
11 山崎光子編 『西班牙神話伝説集』、松村武雄編『安南神話伝説集』『自然民族神話伝説集(亜細亜の部)』
12 松村武雄編 『芬蘭神話伝説集』『セルヴィ神話伝説集』
13 藤澤衛彦編 『日本神話伝説集』
14 松村武雄編 『支那神話伝説集』、中村亮平編『朝鮮神話伝説集』『台湾神話伝説集』
15 松村武雄編 『メキシコ神話伝説集(ナフア族、マヤ族)』『ペルー神話伝説集』『キャドー族神話伝説集』
    『ブラジル神話伝説集』
16 松村武雄編 『太平洋北岸神話伝説集』『英領北亜米利加神話伝説集』『アルゴキン族神話伝説集』『スー族神話伝説集』
    『エスキモー族神話伝説集』『イロクオイ族神話伝説集』『ヒアワサ物語』
17 松村武雄編 『阿弗利加神話伝説集』
18 松村武雄編 『オーストラリア神話伝説集』『メラネシア神話伝説集』『インドネシア神話伝説集』『ポリネシア神話伝説集』


 ちなみに16、17、18は「自然民族神話伝説集」と銘打たれている。
これらの内容もさることながら、菊判上製、大半が七百ページ余という大冊で、巻によってはカラー挿絵も収録され、当時とすれば、紛れもなく豪華本に分類されたにちがいない。巻末に図案者は澤令花の名前が記され、印刷や製本もそれぞれ近代社印刷所や製本部が担っていたと見なせるし、『世界童話大系』に続く、近代社の一大出版プロジェクトだったのであろう。
f:id:OdaMitsuo:20200112153443j:plain:h90(『世界童話大系』)

 かつて拙稿「近代社と『世界童話大系』」(『古本探究』所収)において、近代社とその発行者名の吉澤孔三郎は創業年やプロフィルも不明だが、大正十三年から昭和四年にかけて、『世界短篇小説大系』全十六巻を始めとし、六つの大系や全集を刊行したことに言及しておいた。また「吉澤孔三郎と『世界短篇小説大系』」(『近代出版史探索』所収)でも、依然として、近代社と吉澤は出版史の闇の中に埋もれたままになっているとも記しておいた。

古本探究  近代出版史探索

 ところが思いがけずに、これらの拙稿を吉澤の遺族が読み、私を訪ねてきたことがあった。彼らにとっても吉澤の前半生は不明で、死後にこれらの出版物が残され、その奥付に名前が見出されたことから、初めて出版に携わっていた事実を知らされたという。彼らの訪問の目的は、私に吉澤のことをさらに調べてほしいということだったが、私としても書いた以上の手がかりはつかめていないし、近代社と吉澤探索だけに時間を費やすことはできないので、断らざるをえなかった。

 それでも吉澤は前回の西村真次と同様に、後の新潮社の佐藤義亮の近傍にいて、『新声』の投書家だったのではないかと推測された。実際に大正十三年の『近代劇大系』は新潮社と近代社の共同出版だったのである。そこで『新潮社四十年』収録の明治三十六年の「新声誌友会」の集合写真を写し、この中に吉澤が含まれているかもしれないことを伝えておいたのである。現在の技術からすれば、それぞれの人物を精巧に拡大し、確認していくことで、吉澤の面影が浮かんでいくのではないかとも思ったからだ。だがその返事は戻ってこなかったことを考えると、そこには写っていなかったのかもしれない。それだけでなく、私の近代社と吉澤探索も途絶えたままである。

(『近代劇大系』)

 だが今回『神話伝説大系』を繰ってみて、確認できたことがいくつかあるので、それらを挙げてみたい。幸いにして、第三巻には「神話伝説大系の読者諸彦」へという「近代社同人」による投げ込みチラシと、郵便振替による「一ヶ月分四円八十銭」の「神話伝説大系会費」払込み票がはさまれていた。前者には「現下出版界は円本の流行によつて内容に装幀に益ゝ低下しつつあります。その俗悪な全集本の蠢く中に独り本大系のみが燦然として光影を放ち、昂然として独歩しつつあることは欣快措く能はざるものああります」との言が見える。それは後者とともに、『同大系』が流通販売に関して、読者直販方式を採用していたことを物語っているし、『世界童話大系』 を踏襲していたはずだ。

 しかしここで留意しておかなければならないのは、『世界童話大系』 が大正時代だったことに比し、『神話伝説大系』が昭和円本時代の只中に、しかも近代社を破産に追いやったもうひとつの円本企画『世界戯曲全集』と同時に刊行されていたのである。第一書房の『近代劇全集』との競合に敗れた『世界戯曲全集』の苦境は当然のことながら、『神話伝説大系』にも影響を与えずには置かなかった。最後の「自然民族神話伝説集」になると、発行者は吉澤ではなく、松元竹二へと変更されている。松元は近代社の社員で、吉澤の身代わりとして、発行者にすえられ、破産の後始末を担うことになったのだろう。だがそれらの詳細は判明していない。

(『世界戯曲全集』)f:id:OdaMitsuo:20200112165545j:plain:h100(『近代劇全集』)


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◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら

出版状況クロニクル141(2020年1月1日~1月31日)

 19年12月の書籍雑誌推定販売金額は1060億円で、前年比8.9%減。
 書籍は509億円で、同13.1%減。
 雑誌は550億円で、同4.6%減。
 その内訳は月刊誌が470億円で、同4.2%減、週刊誌は80億円で、同6.6%減。
 返品率は書籍が32.9%、雑誌は38.8%で、月刊誌は38.1%、週刊誌は42.7%。
 書籍の返品率の大幅減は送品が少なかったことが要因で、推定出回り金額は前年比15.8%減。
 雑誌と月刊誌の返品率が40%を割ったのは、19年においてこの12月が初めてである。
 それはコミックの『鬼滅の刃』の新刊が初版100万部で刊行され、品切店が続出し、底上げされたことによっている。その結果、コミックは20%増となった。
鬼滅の刃



1.出版科学研究所による1996年から2019年にかけての出版物推定販売金額を示す。
■出版物推定販売金額(億円)
書籍雑誌合計
金額前年比(%)金額前年比(%)金額前年比(%)
199610,9314.415,6331.326,5642.6
199710,730▲1.815,6440.126,374▲0.7
199810,100▲5.915,315▲2.125,415▲3.6
1999 9,936▲1.614,672▲4.224,607▲3.2
2000 9,706▲2.314,261▲2.823,966▲2.6
2001 9,456▲2.613,794▲3.323,250▲3.0
2002 9,4900.413,616▲1.323,105▲0.6
2003 9,056▲4.613,222▲2.922,278▲3.6
2004 9,4294.112,998▲1.722,4280.7
2005 9,197▲2.512,767▲1.821,964▲2.1
2006 9,3261.412,200▲4.421,525▲2.0
2007 9,026▲3.211,827▲3.120,853▲3.1
2008 8,878▲1.611,299▲4.520,177▲3.2
2009 8,492▲4.410,864▲3.919,356▲4.1
2010 8,213▲3.310,536▲3.018,748▲3.1
20118,199▲0.29,844▲6.618,042▲3.8
20128,013▲2.39,385▲4.717,398▲3.6
20137,851▲2.08,972▲4.416,823▲3.3
20147,544▲4.08,520▲5.016,065▲4.5
20157,419▲1.77,801▲8.415,220▲5.3
20167,370▲0.77,339▲5.914,709▲3.4
20177,152▲3.06,548▲10.813,701▲6.9
20186,991▲2.35,930▲9.412,921▲5.7
20196,723▲3.85,637▲4.912,360▲4.3

 前回の本クロニクルで、19年の販売金額は1兆2400億円前後と予測しておいたが、ほぼそのとおりの数字となった。
 ただ電子書籍は3072億円、前年比23.9%増となり、紙と合算すると、1兆5432億円、同0.2%増で、全体では14年の電子出版統計以来、初めて前年を上回った。
 電子書籍の内訳は電子コミックが2593億円、同29.5%増で、そのシェアは前年の80.8%から84.4%へと伸長している。つまり今さら言うまでもないけれど、電子出版市場もコミック次第であることは明白だ。
 しかしそのかたわらで、紙の出版市場は20年には確実に1兆2000億円を割りこみ、数年後には1兆円を下回っていくことになるだろう。そして出版社、取次、書店をさらなる危機へと追いやっていく。
 そうした20年の幕開けを迎えたのである。



2.ジュンク堂書店京都店とロフト名古屋店が2月末に閉店。
 京都店は1988年に開店し、四条通りのビルの1階から5階を占める代表的な大型書店として、30年以上にわたる歴史を有していた。
 この2店に続いて、福岡店も「ビル建て替えによる一時閉店」が伝えられている。

 19年12月の書店閉店は26店と少なく、大型店はなかったので、師走でもあり、小康状態だと考えていたところに、ジュンク堂の閉店の知らせが入ってきた。
 それは本クロニクルでも繰り返し記してきたように、出版物の店頭売上の落ちこみにより、書店の大型店というビジネスモデルが成立しなくなったことを告げていよう。まだ閉店は続くだろう。
 折しも丸善ジュンク堂の「2019年出版社書籍売上ベスト300社」が発表されているが、こちらも20年はどのような推移をたどるのであろうか。



3.『建築知識』(1月号)が特集「世界一美しい本屋の作り方」を組んでいる。
 内容は「本屋さんになりたい」「設け方/来店者を増やす」「見せ方/美しく本を見せる」「基本/知っておきたい基礎知識」の四章建て、75ページに及ぶ、まさに建築雑誌ならではの「美しい本屋の作り方」である。


建築知識 世界の美しい本屋さん

 このような企画は版元のエクスナレッジが、『世界の美しい本屋さん』などといったピクチャレスクな書籍を刊行していることに起因していると思われる。
 だからあえて問わなくてもいいかもしれないが、「経営持続に必要なことは?」というQページがあるにもかかわらず、そのための売上に関して、まったく言及がないのは気になる。

 昨年に栃木県の那須ブックセンターがよく紹介されていたけれど、『文化通信B.B.B』(19年5/1)の「長岡義幸の街の本屋を見て歩く63」によれば、経営者は内装費、商品代、月々の赤字補填のために、開店1年半で、トータルで5000万円を負担しているという。しかも月商目標は300万円であるにもかかわらず。
 コンビニ跡地、60坪でも1日当たり10万円の売上も難しいのが本屋の現実で、それは「美しい本屋の作り方」を応用しても、ほとんど変わらない現実である。
 特集「世界一美しい本屋の作り方」に水を差すようだが、これだけは付け加えておきたい。



4.『朝日新聞グローブ』(1/5)に、北京の民営書店「万聖書園」の創業者劉蘇里(リウ・スーリー)への「香港が香港であるために中国がいま理解すべきこと」というインタビューが掲載されている。聞き手は編集委員との吉岡桂子である。
 それを要約してみる。

* 劉は中国政法大学講師だったが、1989年に天安門事件にかかわり、20ヵ月間拘束され、釈放後の93年に北京の大学街に民営書店「万聖書園」を開業する。
* 中国政府から弾圧を受けた知識人の支援も行ない、書店内カフェセミナーは知識人や市民活動家の集う場になってきたが、近年は強まる統制で開きにくくなっている。
*「万聖書園」ではジョージ・オーウェルの『1984』『動物農場』がよく読まれているが、いつまで出版や販売が許されるのか、それが心配である。
* 中国ではこの5、6年で、言論活動の制限と市民社会への監視が大幅に強まり、大学の教材への審査が厳しくなり、教室に監視カメラが据えられた。密告が奨励され、知識人のSNSアカウントが閉鎖された。
* 中国は鄧小平の改革開放以来、胡錦涛前政権時代まで、共産党統合の本質は変わらずとも、人々の自由と社会の解放の度合は少しずつ広がっていた。しかしそれが習近平政権となり、逆回転したことが、香港で起きている問題の根本にある。
* 中国のその変わり方は香港の人々に恐怖を抱かせ、中国の都市のように、現在の香港の自由や自治を失うのではないかと思い始めた。
* 香港と中国は19世紀半ばから同じ制度のもとに暮らしたことがないし、香港人と中国人がちがうということを理解しないと問題は収束しない。恐怖と経済力だけで、自由と法治を持っている社会を永遠に封じ込めることは無理だ。
* 中国は返還にあたって定めた香港基本法に立ち戻り、香港を香港に戻すことが必要だ。

1984 動物農場


5.『ウエッジ』(2月号)にジャーナリストの野嶋剛による「一国二制度の形骸化を印象付けた香港の『銅鑼湾書店』、いま台湾へ」というレポートが寄せられている。
 これも要約してみる。

ウエッジ

* 2015年に起きた香港の「銅鑼湾書店」関係者失踪事件から4年が過ぎた。元店長の林栄基は台北に居を定め、書店を再建しようとしている。
* その新しい書店の予定場所は台北市繁華街の雑居ビル10階で、台湾でも香港の店名「銅鑼湾書店」をそのまま用いる。
* 香港情勢の深刻さに世界が気づいたのは、「銅鑼湾書店事件」だったといえるし、その結果、林栄基は香港の居場所を失い、台湾に「流亡」し、もはや香港に戻ることは考えていない。
* 台湾でウェブの募金を通して、600万台湾ドル(約2150万円)が集まり、新書店は2月上旬に開店予定で、しばらくは書店で寝泊まりするつもりだ。
* 林栄基は1955年生まれで、若い頃から書店で働き、書店こそ自分の一生の仕事と決めていた。1994年、香港がまだ英国の植民地だった時代に、自分の店である「銅鑼湾書店」を立ち上げた。そして本を売るだけでなく、出版も手がけ、中国では出せない共産党暴露本や内幕本を刊行し、大きな収入源となっていた。 しかしその出版事業が原因で、林栄基は中国で公安に拘束され、他の仲間の4人も同様だった。
* この「銅鑼湾書店」関係者失踪事件は香港社会にとって大きな衝撃だった。それは香港人が香港での仕事を理由に、中国当局によって香港などから連れ去られたことになり、一国二制度の形骸化を世界に強烈に印象づけた。
* 林栄基は違法な書店経営容疑で、中国での厳しい取り調べ、監視生活を送り、香港での「スパイ」になるように強要された。8ヵ月後に香港に戻ったが、書店の仕事はできず、「銅鑼湾書店」も中国政府の影響の強い会社に買い取られていた。「すべて計画通りに着々と手を下されている。私の書店は中国に奪われた」のである。


 奇しくもこの今月に、中国の「万聖書園」、香港と台湾の「銅鑼湾書店」に関するインタビューや記事がほぼ同時に発信されているので、1、2の日本の書店状況と並んで紹介してみた。
 「万聖書園」や「銅鑼湾書店」については『出版状況クロニクルⅣ』『同Ⅴ』で言及してきたが、いずれの書店状況にしても、国家や社会体制を映し出す鏡のような位置にあることが了承される。それならば、日本の書店状況はどのように理解されるべきなのか。それを確認するために、今年も本クロニクルを書き継いでいくしかないだろう。



6.セブン&アイ・ホールディングスは出版事業からの撤退を決定し、セブン&アイ出版を21年春に清算予定。
 同社は1995年設立で、主婦層向け生活情報誌『saita』などを刊行してきたが、この数年は雑誌の凋落を受け、毎年数億円の赤字を計上していた。


saita(2019年1月号、休刊中)

 20世紀までは婦人誌の時代でもあり、1980年から90年代にかけて、『saita』だけでなく、多くの婦人誌が創刊されたが、そのような時代も終わっていくのだろう。
 しかしそれにしても『saita』はセブンを象徴する雑誌で、社員はノルマで100冊以上買わされていたとの複数のコメントが出されていたことにも驚く。
 21世紀になっても、それが続いていたのであろう。そこにも上意下達のフランチャイズシステムが反映されていたことなろう。



7.日本フランチャイズチェーン協会の発表によれば、2019年の主要コンビニ全売上高は11兆1608億円、前年比1.7%増、14年連続の過去最高を更新。
 だが、19年末の店舗数は5万5620店で、前年比0.2%減と初めての減少。
 コンビニ店舗数と書籍雑誌実販売額の推移を示す。

 

■CVSの店舗数・売上高の推移
CVS店舗数CVS書籍・雑誌
実販売額(億円)
200543,8565,059
200644,0364,852
200743,7294,044
200845,4133,673
200946,4703,166
201045,3752,886
201147,1902,642
201249,7352,466
201353,4512,262
201456,3672,117
201556,9981,908
201656,1601,859
201756,3441,576
201856,5861,445
201955,620

 この2005年から18年にかけてのコンビニの出版物販売額推移に、ダイレクトなかたちで、雑誌の凋落が刻印されている。
 この15年間で、5000億円から1400億円と、3分の1に減少しているのである。まだ19年の数字は出されていないけれど、おそらく確実に1400億円を下回ってしまうだろう。1980年代からの雑誌の成長はコンビニとの蜜月に<よっていたのだが、それも終わろうとしているし、コンビニの減少と雑誌コーナーの行方もどうなるのだろうか。



8.『FACTA』(1月号)が、ジャーナリスト永井総太郎の「週刊文春『30万部割れ』ショック」という記事を発信している。
 そのリードは「まるで『雑誌恐慌!』スクープ連発の文春でさえ止まらぬ部数減。ネットの収入増で補い切れるか。」で、次の「週刊誌実売部数の推移(日本ABC協会調べ)も付されている。

 

■週刊誌実売部数の推移
週刊文春
(文芸春秋)
週刊新潮
(新潮社)
週刊現代
(講談社)
週刊ポスト
(小学館)
2009年 1-6月486,954414,781227,988269,821
2014年 1-6月450,383329,415352,521278,904
2015年 1-6月416,820313,328302,036218,848
2016年 1-6月435,995270,054322,857243,020
2017年 1-6月372,408247,352264,089217,331
2018年 1-6月335,656251,403209,025211,336
2019年 1-6月287,241197,735208,014190,401

 ついに「文春砲」の『週刊文春』ですらも19年上半期には30万部を割ってしまい、『週刊新潮』も20万部を下回ってしまった。
 一般週刊誌は『週刊朝日』など新聞系も含めて12誌だが、実売で10万部を超えているのは、『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊ポスト』の出版社系4誌のみになってしまったのである。
 『週刊文春』はネットで課金する体制へと移行し、ページビュー(PV)は4月に1億PVを突破し、11月には2億PVをこえ、広告収入も増えているという。
 『週刊文春』だけでなく、12誌の週刊誌はこれからどのような道筋をたどることになるのだろうか。
 同じく直販誌の『選択』(1月号)も、「我が世の春かと思われた『週刊文春』でさえ、一九年上期に二万六千部余りも減らしていました。紙の雑誌の多くが死線をさまよう二〇二〇年代となりそうです。」と書いていることも付記しておこう。



9.『ZAITEN』(1月臨時増刊号)として『激変するマスコミと企業広報』が出されている。

ZAITEN 創

 これはふたつの特集が柱となっている。
 ひとつは「経済メディア『変わる地平線』」、もうひとつは「週刊誌『編集部』の内情」である。
 前者は日経新聞社の現場事情と『日経ビジネス』、『週刊ダイヤモンド』、『週刊東洋経済』の「変わる地平線」に焦点が当てられている。
 後者は『週刊文春』『週刊新潮』『週刊現代』『週刊ポスト』に加え、『女性セブン』『女性自身』『週刊女性』のガイド付きでもある。
 タイトルに示されているように、企業広報との関係からの視点も含まれているけれど、『創』(2月号)のような総花的「出版社の徹底研究」ではないので、教えられ鵜ことも多い。また本誌もかつての『噂の真相』のイメージを彷彿させ、この一年は続けて読んでみようかという気にさせられる。



10.「地方・小出版流通センター通信」No.521によれば、同センター設立以来の加入出版社であり、地方出版の時代の先駆であった千葉県流山市の崙書房が廃業するという。
 崙書房はこの半世紀に千葉県をテーマとした「ふるさと文庫」を始めとして、一千点もの出版物を刊行してきたが、後継者もなく、社員たちも70歳を超え、昨年7月末で活動を停止し、清算に向かっているようだ。
 小林規一社長の言として、出版の現状について、出版は「書く人、編集出版する人、流通、書店、書評家などの横断的つながりで出来上るものだが、そのパーツすべてが傷んできている」が引かれている。

 井出彰『書評紙と共に歩んだ五〇年』(「出版人に聞く」9)で語られているように、崙書房は『日本読書新聞』に在籍していた小林規一たちによって、1970年に立ち上げられている。
 なお、地方・小出版流通センター設立時代のエピソードは、中村文孝『リブロが本屋であったころ』(同4)に詳しい。
書評紙と共に歩んだ五〇年 リブロが本屋であったころ



11.『フリースタイル』44が恒例の「THE BEST MANGA 2020 このマンガを読め!」を組んでいる。

フリースタイル 海街diary 闇金ウシジマくん 監禁嬢

 残念ながら、年を追う毎に、「BEST 10」どころか、「BEST 20」まで見ても、読んでいる作品が少なくなるばかりだ。
 しかも今年は9の吉田秋生『海街diary』、18の真鍋昌平『闇金ウシジマくん』を途中まで読んでいるだけで、完読していない。両者とも完結しているようだし、早いうちに読まなければ。
 そんなことを思いながら、ゲオに出かけたところ、レンタルコミックバーゲンがあり、『闇金ウシジマくん』46が50円で売られていた。その隣には、呉智英が挙げていた河野那歩也『監禁嬢』(双葉社)1、4、5がやはり50円で放出されていたので、これらを買ってきた。このクロニクルを書き終えてから読むことにしよう。



12.坪内祐三が61歳で急逝した。

 本クロニクル136で既述しておいたように、坪内が拙著『古本屋散策』を『本の雑誌』(9月号)の「読書日記」で紹介してくれたので、次書『近代出版史探索』を論創社から献本してもらった。
 やはり『本の雑誌』(1月号)の「読書日記」に、拙著が届いたことが記されていた。700ページ余の分厚い本なので、読了せずに亡くなったのではないだろうか。
 そのことに関して、少し気になることがあり、それを書きつけておく。いずれも坪内絡みだ。
 かつて坪内の論争相手だった安原顕に、拙著『文庫、新書の海を泳ぐ』(編書房)を献本したが、これも受領したことが日誌に書かれていたが、その直後に安原も亡くなっている。
 また坪内が親交していた山口昌男が、やはり拙著『図書館逍遥』(同前)を『朝日新聞』で書評してくれたけれど、これが山口の書いた最後の書評であり、やはりその後、死去している。
 さらに坪内の対談者だった大村彦次郎も、『古本屋散策』を送ったところ、これから入院するという返信が届き、数ヵ月後に鬼籍に入っている。
 これだけ続くと、呪われた献本のようでもあり、今後の献本はできるだけ自粛したいと思う。

古本屋散策 近代出版史探索 文庫、新書の海を泳ぐ 図書館逍遥

odamitsuo.hatenablog.com


13.12月の東京古書会館での講演「知るという病」は『図書新聞』(2/8号)に掲載され、続いて別バージョンも『古書月報』にも収録予定。
 今月の論創社HP「本を読む」㊽は「『思潮』創刊号特集と『ミシェル・レリスの作品』」です。
また「web 新小説」の『文芸放談 オカタケ走る!』に出ています。

古本夜話990 西村眞次『人類学汎論』と『世界古代文化史』

 前回の西村眞次に関して続けてみる。彼は『新潮社四十年』において、新声社同人の西村酔夢として紹介され、明治三十四年に『日本情史』を刊行し、「花井卓蔵博士をして学位論文の価値あり」と激賞されたという。またこれも未見だが、正続『美辞宝典』(文武堂)は数十版を重ね、冨山房では大町桂月の下で雑誌『学生』の編集主任を務めている。さらに拙稿「『村上太三郎傳』と『明治文学書目』」(『古本屋散策』所収)で、西村が『村上太三郎傳』の編者であることも既述している。

f:id:OdaMitsuo:20200111165508j:plain:h115(『日本情史』)古本屋散策

 その西村が『神話学概論』に続いて、昭和四年に東京堂から『人類学汎論』を刊行している。これは菊判函入、十の図版も含んで、上製四七六ページの一冊である。「序文」に見えているように、すでに『文化人類学』と『体質人類学』(いずれも早稲田大学出版部)を上梓しているので、同書は「人類学概論」シリーズの第三篇となる。その目的は「人類に関する諸科学の研究成果を統合して、人類の進化と其帰趨とを誰れにもわかり易いやうに、全幅的、系列的、総合的、図解的に書いて」みることにある。

f:id:OdaMitsuo:20200109224406j:plain:h120 (『神話学概論』)  f:id:OdaMitsuo:20200111171709j:plain:h120(『体質人類学』)

 それを物語るように、西村は『神話学概論』と同じく歴史と方法をたどり、人類学の出現から現在までをラフスケッチした上で、人類間の差異、人種の規準、分類、成因、人類と動物との差異、人類の祖先と文化、起原と移動、進化の要因、自然との関係などに言及していく。その筆致と展開は啓蒙的にして、人類の生存競争よりも相互扶助に焦点が当てられ、人類学史が人類の進化の歴史であることを訴求する筆致に貫かれている。

 そうした色彩は、本連載でしばしばふれてきた岡書院の人類学文献の専門性と一線を画すニュアンスがこめられ、それゆえに寺田和夫の『日本の人類学』(角川文庫)において、西村とその著作に対する言及がない理由を示唆していよう。それでも『文化人類学事典』(弘文堂)に西村の立項を見出せるので、それを引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20200111204047j:plain:h115 文化人類学事典 

 にしむらしんじ 西村真次 1878~1943 前半生は小説家、新聞記者、雑誌編集者などとして過ごしたが、独学で人類学、考古学、(日本)古代史の研究を進め、1918年以降出身校である早稲田大学で教鞭を執った。その数多くの著作に見られるように関心は広範にわたったが、人類学的・考古学的視角を取り入れた日本古代史研究や古代船舶研究がとくに知られている。スミス(G.E.Smith)などの影響でかなり極端な伝播論(文化単源節)に基づいた人類進化史を説き、人類共有感情に起因する独立発生を説く文化発生の多源論(文化複源論)を批判した。現在このような見解は到底首肯できないが、彼の業績で今日も評価されるべきは経済人類学におけるその先駆的研究である。ついに未完に終わった「日本古代経済」では、交換を本格的には呪的なものとして捉え、沈黙貿易、市場の発生、貨幣の起源などを呪的宗教的動因から説明した。また、彼の古代船舶研究も物質文化に関する研究の未だ乏しかった大正期に着手された先駆性が評価される。(後略)

 これが現在の文化人類学的視座から見られた西村の位相と評価ということになろう。それでも『東京堂の八十五年』の記述によれば、『人類学汎論』は「日本で出版された人類学関係の書物中最も包括的なもの、人類学の全分野を集大成して鳥瞰を与えた」と書評され、増刷を重ねたようだ。それに続いて東京堂から昭和五年に『日本文化史概論』、同六年に『世界古代文化史』が出され、後者は手元にある。

東京堂の八十五年  f:id:OdaMitsuo:20200111120359j:plain:h115(『世界古代文化史』)

 これは『東京堂の八十五年』がいうように、「人種、遺物、言語、工芸、土俗の諸方面の資料をふまえて、各地域の古代史を闡明した大著で、四六倍判六百頁、背革装、本文上質百斤、大判地図、三色版、コロタイプ、石版、単色版等、別刷八十葉、本文挿入三百八十図という、当時としてはめずらしい豪華版で、分冊普及版も刊行」とある。私が所持するのはその「合本普及版」で、昭和八年十二月再版、定価六円が特価四円八十銭とされ、「分冊普及版」の合本ゆえに二割引の特価処置がとられたのであろう。

 『世界古代文化史』はまさにそのような一冊だが、その奥付裏には西村の新著として、『日本古代経済(交換篇)』全五冊が掲載され、その第一回配本が『市場』、第二回配本が『貨幣』として既刊となっている。これが『文化人類学事典』の立項で示された西村の「経済人類学におけるその先駆的研究」に該当する。

 経済人類学の古典とされるカール・ポラニー(ポランニー)の『大転換』(吉沢英成他訳、東洋経済新報社、昭和五十年)の刊行は一九四四年だから、「先駆的研究」に位置づけられよう。また同じく巻末には「西村眞次著述目録」も付され、彼が大正六年から昭和六年にかけて、造船協会を版元とし、A Study of Ancient Ships of Japan という十冊に及ぶシリーズの刊行を伝えている。これらが同じく先の立項における「古代船舶研究」であろう。

大転換

 だが残念ながら、双方とも未見で、西村が文学者として出発し、古代史や人類学へと進んだことは承知していたけれど、経済人類学や古代船舶研究にまで及んでいたことは知らずにいた。いずれ双方の著作に出会えたら、その内実を確認してみたい。


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古本夜話989 西村眞次『神話学概論』

 中島悦次の『神話と神話学』の初版に当たる『神話』(共立社)の刊行と同じく昭和二年に、西村眞次の『神話学概論』が早稲田大学出版部から出されている。『早稲田大学出版部100年小史』によれば、同書亜はやはり同年刊行の「文化科学叢書」全8巻のうちの第4巻としてである。時代からすると、この「叢書」は昭和円本シリーズのひとつとして企画されたように思われる。なおこれは蛇足かもしれないが、表紙タイトルなどに本連載553の「雪岱文字」が使われている。
f:id:OdaMitsuo:20200109224406j:plain:h120 (『神話学概論』)

 そのうちの一冊に『神話学概論』が選ばれたのは、神話学への関心が澎湃として起きていたからのようだ。西村はその「序文」において、「現代の日本に取つて刻下の急務の一つは、(中略)神話学の一般的知識を与へるやうな書物の出版である」とまで書きつけている。しかも西村は人類学者であり、「最近の神話学界に於ける傾向は、文化人類学的方法を以て世界の神話伝説を研究し、それを古代史闡明の証徴に役立てようとしてゐる」ので、「それをほんの少しばかり覗いてゐるだけではあるが、(中略)嗚呼かましく本書を上梓する」ことになったと述べている。

 それもあって、西村は神話学の意味から始めて、古代から現代にかけての神話学の進歩にふれ、次に最近の神話学説を一巡していく。その顔ぶれは本連載でも取り上げてきたタイラー、ロバートソン・スミス、アンドルウ・ラング、フレイザーなどの十三人で、それから第一節を「神話の起原」と題する本編へと入るのである。

 そこで参照されているのは、ヘンリイ・ベット(Henry Bett)のNursery Rhymes and Talesにおける自然神話の起原が、原始人の自然現象に対する解説と試みとしての想像に他ならないとの説を引き、それに先に挙げた諸説を導入し、次のように記している。

 つまりベットは、神話を発生せしめるところの動因(Factor)が何であるかを考え、それを人間の探求心であると観じたのである。無論さうしたものが神話の発生に関係あることはいふまでもないが、神話の発生について詳しく知らうと思つたならば、かうした大まかな解決では満足が出来ない。神話は人間の精神的製作で、それの起原、並びに成長は、生物学的、胎生学的に考へなければならぬところの人間歴史の一部である。あらゆる歴史は7つの“何”を明かにする要がある。即ち何故(Why)、何人が(Who)、何時(When)、何処で(Where)、何を(What)、何うして(How)、造つて、それが何うなつたか(What became of)といふとことが闡明されなければならぬ。

 このベットのプロフィルは不明だし、その著作も初めて目にするのだが、ここで西村はベットの言説を糸口として、自らの神話学へのアプローチの手法を語っているだろう。そのような西村の神話探索は第四章の「白鳥処女説話の研究」と第5章の「鰐魚説話の研究」に発揮され、とりわけ前者は百ページに及び、日本だけでなく、朝鮮、蒙古、シベリア・ロシア線、北海沿岸、地中海沿岸、南西亜細亜、太平洋中・南北西大陸に及ぶ言及で、「そこには「白鳥処女説話分布図」という折り込み地図も付されている。

 「白鳥処女説話」は謡曲の「羽衣」(『謡曲集1』所収、『日本古典文学全集』33、小学館)を始めとして、かなり多く日本の各地に残り、それらの研究も盛んであると西村は書き出している。続いてその収穫が本連載984の高木敏雄『日本神話伝説の研究』所収の「羽衣伝説の研究」で、西村はハートランド=E.S.Hartland, The Science of Fairy Tales を引き、次のように述べている。

謡曲集1 f:id:OdaMitsuo:20191217170856j:plain:h112 The Science of Fairy Tales

 羽衣説話は神話学者が白鳥処女説話(Swan-Maiden Myth)或は鳥女説話(Bird-Maiden Tale)と呼ぶところの一型式で、ハートランドもいつたやうに、それは最も広く分布し、同時に人間の心の産んだ最も美しい物語であるといへる。

 その典型と言っていい謡曲「羽衣」のストーリーを紹介してみる。漁夫の白龍が三保の松原で舟から上がり、浦の景色を眺めていると、空から花が降り、音楽が聞こえ、何ともよい香りが漂ってくる。これはただごとではないと思っていると、そばの松に美しい衣がかかっていた。近くに寄ってみると、色もすばらしく、よい香りがして普通の衣ではない。何はともあれ、持ち帰って古老に見せ、家宝にしたいと考えた。すると天女が現われ、その衣は私のものです、どうなさるおつもりですかと聞いた。白龍は拾った衣なので、持って帰ると答えると、それは天女の羽衣で、たやすく人間に与えられるものではない。もとのとおりにして置いて下さいと天女はいった。白龍はこの羽衣の持主が天女であるなら、このような末世にはまことにめずらしい奇跡として、地上にとどめ、国の宝としたいので、衣は返さない。天女はこの羽衣がなければ、空を飛べず、天上に帰れない、どうか返して下さい。ところが白龍は返さず、羽衣を後ろに隠し、立ち去ろうとする。天女は天上に帰ることができず、涙を流す。そのいじらしい姿を見て、白龍は羽衣を返すと、天女はお礼の意味で天女の舞を舞い、羽衣を浦風になびかせ、空の彼方へと飛び去っていった。

 そしてさらに西村は様々な『風土記』『海道記』『富士山記』などを渉猟し、『竹取物語』などとの関係にも言及し、それは前述したように、世界の「白鳥処女説話」へと至るのである。ここに世界各地にみられる神話のひとつの典型がうかがわれることになろう。


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古本夜話988 中島悦次『神話と神話学』

 拙稿「青蛙房と『シリーズ大正っ子』」(『古本探究Ⅱ』所収)や本連載429で、大東出版社の「大東名著選」にふれ、これが戦後に青蛙房を興す岡本経一の編集によるものであることを既述しておいた。その「大東名著選」37として、昭和十七年に中島悦次の『神話と神話学』が刊行されているが、「はしがき」によれば、これは昭和二年に同973の共立社から『神話』として出版された一冊で、中島は次のように続けている。

古本探究2   大東名著選 (「大東名著選」44、『東洋的一』)

 当時はまだ神話の概説書としては、明治三十七年に初版の刊行された高木敏雄の名著「比較神話学」一緒だけといふ有様で、神話に対する一般人の関心は極めて薄いものであつたが、昭和二年といふ年は神話研究にとつては恵まれた年で、恩師松村武雄博士の「神話伝説大系」十八巻の大出版が発表され、次いで西村真次氏の力著「神話学概論」が公にされた。爾来神話に関する特殊な研究書は相次いで世に現れ、最近は又、高坂正顕氏の好著「神話(解釈学的考察)」や松村博士の大著「神話学原論」二巻が公にされるという盛観を呈するに至つた。

 ここにラフスケッチとして、近代日本における神話研究チャートが示されているといえよう。それは他ならぬ本連載985の高木敏雄の『比較神話学』から始まり、昭和に入っての松村武雄編『神話伝説大系』へと結実していく。そして中島の『神話』、西村真次『神話学概論』、松村の『神話学原論』なども出され、中島が松村の弟子筋に当たり、そのような神話研究の環境下で、自らの著作も刊行されたとわかる。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h115(『比較神話学』、ゆまに書房復刻) f:id:OdaMitsuo:20200109212513j:plain:h120(『神話伝説大系』)f:id:OdaMitsuo:20200109224406j:plain:h120 

 それでは中島の語る神話とはどのようなものなのか。彼は上篇「神話学の叙説」において、神話はギリシア語のミトスで、これは「神によって語られたもの」の意味だったようだが、後に「神に関して語られるもの」という意味に転じたと述べている。そして日本の古くからの言葉を用いれば、「神語(かみがた)り」が適切ではないかとも記している。

 人間が「神霊」=超自然的存在を認めた場合、そこには畏敬の念を基調とする宗教的態度、もしくは親愛の情からなる芸術的な態度が生じる。前者は「祈祷・祭祀」、後者は「記述・説明」となって表われ、両者の混合によって神話が生まれる。原始時代にあっては「神霊」が物象で、火や岩や蛇などが神と信じられ、この信仰の段階が「アニマチズムの階層」である。しかし人間はこのような素朴な信仰を長く持ち続けることができず、「神霊」は別にのその物相や現象の内在するという段階に進む。これが山の主とか川の主とかいった「ヌシの信仰」で、この段階を「アニミズムの階層」と呼ぶ。

 この「ヌシの信仰」に進むと、神を信じる主体が人間であることから、「神霊」も人間の形態を有することが多くなり、ひとりの人格のように扱われ、日や月や風などの神もすべてが人間の形態を有し、人間的にふるまうのである。このような信仰の段階を「神人同格説(アンスロポモーフイズム)の階層」と呼ぶ。しかしいかに人間的といっても、やはり神は人と異なり、自由に変形しうる能力が賦与されているのである。

 そのようにして、神々の世界にも人間界の生活が色濃く反映され、神は自然的色彩を少しずつ脱却し、人文的色彩を帯びてくる。そしてついには神と人との区別がつかなくなり、人間的神格が神霊的人間へと変ってしまう。これが英雄神話に表われる「英雄(ヒーロー)」、もしくは「女英雄(ヒロイン)」ということになる。

 こうした例をたどりながら、「神話の定義」が次のように示される。「神話は、未開階段(ママ)に在る民族心神話詩的の気分から、神の自叙的発想として生み出され、社会的秩序の発生的所徳として伝誦せられた所の、神格に関する人格的物語的記述の説話である」。そして神話は記述によって、説明的神話と推原的神話のふたつに大別され、前者は神の状態動作、性質を説明的に途述するもの、後者は神の起原、由来などを遡行し推説するものである。

 これらの神話の解釈をめぐって、まず引かれているのが、前回、前々回と続けて言及してきたアンドリウ・ラングで、とりわけ中島への影響が大きいとわかる。ラングを筆頭として神話解釈法が挙げられ、中篇「神話の形態」へと進んでいく。それは具体的に神話の様々な形態に及び、下篇「神話学の意義」において、日本神話が論じられることになる。それが『神話と神話学』において、中島が展開してきた論述に寄り添い、「我が古代民の神話は、古代ギリシアの神話と同様に様々な系統の神話から成立してゐる」と語っている。その後にバーンの『民俗学綱要』=本連載936のバーン『民俗学概論』も挙げられているので、それを応用していることもわかる。

 だが結論として、『古事記』や『日本書紀』における神話伝説は「私どもの懐かしむべき祖先の心を恵んで呉れた神話」、「幼少を育くんで呉れた神話」、「愛すべき子孫の心を養つて呉れようとする神話」であり、「この神話こそは実に科学・芸術・宗教・哲学・道徳の揺籃であり、親祖・愛国の子守所ではないだらうか」と結ばれている。

 やはり昭和十七年に中島は『大東亜神話』(統正社)を刊行し、『古事記』や『日本書記』などが大東亜共栄圏内の諸民族の神話の集約に他ならず、高天原は太平洋に見出されるという言説を提出している。それが『神話と神話学』の延長線上に成立したことはいうまでもあるまい。

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